蟲ノ市 -ムシノシ-

モノリノヒト

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六日目

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 しばらく湯に浸かり、どうしても湯船からは出ないという鈴子を残し、ご老体が言っていたホームを目指す。
 手近なホームの階段を上がると、地下五階の居住区についた。

 地下二階以上に異様な雰囲気と、漂う異臭。
 生理的嫌悪感を覚える臭気に、顔を顰めていた。

 白蟻が非常に多い。
 先ほどからハリセンは乾いた音を鳴らし続けている。

 誰かいないかと居住区を散策していると、突然背後に気配を感じた。

「お前、鼠か?」

 槍を突き付けられていた。
 鼠、とは何のことだろうか。

 違うと答えると、あっさり槍は引っ込められた。
 恐る恐る振り返ると、全身を防護服に身を包んだ人物がいた。
ガスマスクをしており、声音からも性別は判別できない。

「普通の人間か…上から落ちたのか?
 ここは地下五階。地獄の精神病棟だよ、ははっ」

 自嘲気味に笑う槍の人物。

「ここは姿の見えない鼠に脅かされ、精神を病んじまった者がうろついてるんだ。
 上から落ちた人なんかは、こっちに集まってる。来な」

 姿の見えない鼠…?
それをなぜどう見ても人間の男と間違えたのだろうか。
鼠というのは害を成す者の比喩なのだろうか。

 男は疑問に思いながらも、槍の人物について行った。
 ひとつひとつの通路を通る度に槍を構え、安全を確認する槍の人物。

 部屋の自動ドアが開く時にも槍を構えていた。
 ドアが開き、何もないことがわかると槍を構えなおして、入れ、と案内された。

 女性だらけの部屋だった。
 上から落ちる人は地下三階、もしくは地下四階だから女性が多いのだろうか…。

「落ちてくるのは、ほとんどが女ばかりだ。男は白蟻に食われたか、コンピュータに使われたよ」

 ご老体の事を思い出す。

「蟲女と気違いは相手にしちゃいけないよ」

 脳が危険信号を飛ばす単語が出てきた。
 詳しく尋ねようにも槍の人物はすぐに去ってしまった。

 仕方ないので、注意深く部屋を見回す。

 一通り辺りを見回したが、目をそむけたくなるような悲惨な状態だ。
 体の一部がない女性、醜く変形した頭の女性、骨折に呻く女性…。

 そんな中、女神のように輝く綺麗な女性がいた。
まさに掃き溜めに輝く天使のようだと思わされるほどに。

「あ…」

 ふと目が合うと、彼女は男に飛び付いてきた。

「会いたかった…。私の王子様…!」

 突然の抱擁に男は驚いた。
 しかし、こんな綺麗な子に好かれるなら嫌な気分はしない。
周りがこれだけ悲惨だと、五体満足なだけで、より彼女の美しさが際立つ。

 美しい金髪、ゆったりとしたガウンに身を包んだ彼女からは、ふわりとしたいい香りが漂ってきた。
 彼女の抱き心地を堪能した男は、ゆっくりと初対面である事を告げ、王子でもない事を告げた。

「違うって? 違わないよ。夢でずっと見ていた王子様に、あなたそっくりだもの」

 彼女の中で男は、そういう扱いらしい。
 しかし夢はあてにならない、と男は考えていた。

「ゆっくりしていって!いろんなお話を聞かせて欲しいな」

 気になっていた単語について聞くも、知らない、と答えられるのみ。
それでも他愛のない話のひとつひとつにも多彩な反応を返してくれる彼女。
美しく、優しく、はにかみやな彼女に、男は心惹かれるようになっていった…。

 * * *

 男はいつの間にか眠っていたらしい。
 上にのしかかっている彼女を抱き起すと、出立の旨を伝えた。

 いつまでもここにいるわけにはいかない。
 ここは地下五階。上を目指すことにした。

「どうして、ここにいてはいけないの?」

 彼女に言われた一言に、はっと気付かされた男。

 そういえば、なぜここにいてはいけないのだろう。
 なんとなく、その場に留まることが憚られてしまう。
 理由を考えると頭の中に靄がかかる。

 くそっ、まただ…。
 男はかぶりを振って靄を払おうとするが、払えない。
 その様子を見た彼女は止める事ができないと悟ったのか、こう言った。

「じゃあ、私もついてく」

 それは願ってもない、と思った。
男は、彼女と離れたくない気持ちだった。

 地下四階を目指して、地下五階を探索する。
 ここが居住区であれば、必ず上階に上がる方法があるはずだと考えていた。

 途中、五階の一部屋が管理者室と書かれている事に気が付いた。
中に入ると槍の人物がいた。

「あんた…こんなところで何をしてるの」

 厳しい叱責の声。

「地下四階に上がりたい…」
「ちょっと黙ってて」

 理由を説明しようとしたところ、話を途中で切られてしまった。
 どうやら意外にも槍の人物が理由を問いたい相手は、男ではなく、彼女に対してのようだった。

「この人が、私の王子様なの。だから離れちゃいけないの」
「何言ってるんだか。あなたもその子から早く離れなさい」

 理由もなくそのような事を言われても困る。
やんわりと拒否したところ、彼女が急に怒りはじめた。

「分かった…あなた、嫉妬してるのね。私の王子様を奪おうとしてるんでしょ。ダメよ、王子様は私の、私だけの王子様なんだから」
「はあ…? 違うよ。私はあんたの為を思って…」
「ほぉらぁ! あんたの為って言った。あんたって王子様のことでしょ、悪い魔法使いは、いつもあなたの為って言うのよ!
 自分の欲望を叶える為に、さも人の為に動いてるように言うんだからぁぁ!」

「分かった分かった、もう知らないよ」

 槍の人物は相手にしていられないとばかりに呆れて出ていってしまった。
 もう少し質問したかったのだが…。

「ねえ、王子様。あの女、きっと何か仕返しにくるよ…。私と王子様の仲を裂きにくる…。怖いよ、一緒に居て?ね?」

 必要以上に怯え震える彼女が、とても愛おしいと感じていた。

 単なる注意のようだったので、仕返しなどはないだろうが…。
 なぜ注意されたのだろう。

 彼女がさめざめと泣いてしまったので、探索は諦め、部屋に戻る事にした。

 ──翌日、事件は起こる。
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