7 / 34
3.2 艶然
しおりを挟む
28歳男性。親友の死を苦にして自殺を図り、酒と睡眠薬で死ねなかった人。
黒いベストのバーテンダー服を纏った彼は、先日の救急外来での憔悴しきった面影はなく、当然のようにきちんと自分の足で立っていた。
病院では下ろした前髪に隠れて気づかなかった右耳に、ピアス穴が1つ見えていた。
「あの、先日はどうも病院で・・・」
「いえ、・・・そうですよね。お体大丈夫ですか?すみません、あの時は慌ただしくて」
「いえいえ、この通り元気です。僕が馬鹿なことをして、迷惑をお掛けしたので」
礼儀正しく、頭を下げられて恐縮する。
やはり品が良い。あのERでの限界状況でもこの上品さが滲み出ていたのだから、大したものだ。
マスクに半分隠れた目鼻は、端正に整っている。
中性的な風貌に似合う眼鏡の縁の向こうに、黒い優しい光が映って揺れていた。
「この仕事柄、嫌なことあるとすぐ手近のお酒飲んでしまって。
先生、忙しい中僕のくだらない話を聞いてくれて、いつかお詫びできたらって思ってたんですよ」
忙しい中。彼の言葉に胸が締められる。
ざわつく心を落ち着けようと、ポケットの中の手が無意識に電子タバコを探り当てる。
「いえ、そんな・・・」
あの夜、ERで。
時間に追われ、カルテを書きながら、横で寝転がされている彼に半分背を向けて、少しずつ話を聞いた。
何をどれだけ飲んでしまったのか、吐いたり気を失ったりしていないか、何が辛かったのか、今も死にたい気持ちがあるか。
『もう、大丈夫です』
彼は真っ直ぐに、全ての質問に応えてくれた。
その落ち着いた様子と、平常の真っ当な生活を思わせる風貌。
異常値の何も無い真っ白な検査データ。
緊急性は無いと判断した。
朝になってから精神科医が現れて、大丈夫そうだねーと言いながら彼を診察してくれた。
『精神科疾患既往なく、一時的なストレス反応。希死念慮現在はなし。入院は本人も希望なく、現時点では不要』
そうカルテに書かれたのを確認し、背中を丸めてERを出ていく彼の後ろ姿を追うように、お大事に、と声を掛けた。
余裕のない私の姿は、この聡明な男性からどう見えていただろうか。
私、彼の話、ちゃんと聞けていただろうか。
黒いベストのバーテンダー服を纏った彼は、先日の救急外来での憔悴しきった面影はなく、当然のようにきちんと自分の足で立っていた。
病院では下ろした前髪に隠れて気づかなかった右耳に、ピアス穴が1つ見えていた。
「あの、先日はどうも病院で・・・」
「いえ、・・・そうですよね。お体大丈夫ですか?すみません、あの時は慌ただしくて」
「いえいえ、この通り元気です。僕が馬鹿なことをして、迷惑をお掛けしたので」
礼儀正しく、頭を下げられて恐縮する。
やはり品が良い。あのERでの限界状況でもこの上品さが滲み出ていたのだから、大したものだ。
マスクに半分隠れた目鼻は、端正に整っている。
中性的な風貌に似合う眼鏡の縁の向こうに、黒い優しい光が映って揺れていた。
「この仕事柄、嫌なことあるとすぐ手近のお酒飲んでしまって。
先生、忙しい中僕のくだらない話を聞いてくれて、いつかお詫びできたらって思ってたんですよ」
忙しい中。彼の言葉に胸が締められる。
ざわつく心を落ち着けようと、ポケットの中の手が無意識に電子タバコを探り当てる。
「いえ、そんな・・・」
あの夜、ERで。
時間に追われ、カルテを書きながら、横で寝転がされている彼に半分背を向けて、少しずつ話を聞いた。
何をどれだけ飲んでしまったのか、吐いたり気を失ったりしていないか、何が辛かったのか、今も死にたい気持ちがあるか。
『もう、大丈夫です』
彼は真っ直ぐに、全ての質問に応えてくれた。
その落ち着いた様子と、平常の真っ当な生活を思わせる風貌。
異常値の何も無い真っ白な検査データ。
緊急性は無いと判断した。
朝になってから精神科医が現れて、大丈夫そうだねーと言いながら彼を診察してくれた。
『精神科疾患既往なく、一時的なストレス反応。希死念慮現在はなし。入院は本人も希望なく、現時点では不要』
そうカルテに書かれたのを確認し、背中を丸めてERを出ていく彼の後ろ姿を追うように、お大事に、と声を掛けた。
余裕のない私の姿は、この聡明な男性からどう見えていただろうか。
私、彼の話、ちゃんと聞けていただろうか。
0
あなたにおすすめの小説
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
壊れていく音を聞きながら
夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。
妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪
何気ない日常のひと幕が、
思いもよらない“ひび”を生んでいく。
母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。
誰も気づきがないまま、
家族のかたちが静かに崩れていく――。
壊れていく音を聞きながら、
それでも誰かを思うことはできるのか。
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる