5%の冷やした砂糖水

煙 うみ

文字の大きさ
上 下
8 / 34

3.3 艶然

しおりを挟む
私が言葉に詰まってしまって、バーに流れる音はBGMのジャズだけになった。

彼が、先に沈黙を破るように苦笑する。

経験とセッティングがものを言う対人職同士、この場では彼が何枚も上手のようだった。


「いきなり話しかけちゃってすみません。来ていただけて嬉しくて。

お連れ様も、先生ですか?」

「あはは、同僚ですー。仕事帰りに、飲みに行こうって感じで」

「ありがとうございます。楽しんでいただけたら何よりです」


彼の頭が一瞬消えたかと思ったら、もう一度現れて、カウンターの向こうから、長い両手がすっと伸びてきた。

生ハムとオリーブ、違う種類のチーズが2種類盛られた小皿が2つ。

真子が顔を輝かせて私を見る。
彼女は生ハムに目がない。

「これ、僕からの奢りなので。お口に合えばどうぞ。先生方、ゆっくりお過ごしください」

にっこりと笑う。

バーの暗い照明の下の笑顔は、男性とは思えない妖艶さをたたえていた。


彼はゆっくりとまた頭を下げ、医者の私たちに背を向けようとした。

医者じゃない私が、いつか友人の死に目を腫らして渇き切るまで泣いた私が、突然に顔を出す。


こういう人間のには、心を乱されるから嫌いだ。

数日前に初めて会ったというのに、自分の分身のように錯覚してしまって嫌だ。


「星羅?」

不思議そうな声をあげる真子の横で、私はバーのスツールから半分腰を上げ、カウンターに乗り出した。

行儀悪いのは知っている。でも今言わないと消えてしまう。


「あの、待ってください。」


私にはこういうところがある。

衝動的な積極性。

相手の気持ちなど置き去りにして義足の親友に迫った夜も、破滅的な感情の波に突き動かされていた。

パンドラの匣は、もうこの手で開けないと誓ったのにーーー


「お話、もっと聞かせていただけますか・・・?」


彼がこっちを振り向く。



黒い瞳が、また、あの日と同じように濡れていた。
しおりを挟む

処理中です...