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第八章 最終夜の舞踏会
第三十一話 別々の相手と踊る
しおりを挟む「あっれー? 何じゃ、あの子! 知らない子がソフィを連れてっちゃったよ!?」
見知らぬ男にエスコートされてダンスの輪に加わった親友に気づき、スミレが素っ頓狂な声を上げる。
隣で母后と酒を酌み交わしていたヴィオラントは、妻の視線の先を見て、ああ、と頷いた。
「あれは、ロレットー公爵が連れてきたアンセル侯爵家の嫡男だな。聞くところによると、随分とソフィリアにご執心らしいぞ」
「ええっ!? そんな子におめおめとソフィを渡しちゃうなんて……ルドってば、いったい何してるのよ!?」
するとそこへ、ふてくされた顔のシオンと、苦笑いを浮かべたアリアーネがやってくる。
祖母である母后の隣に行儀よく腰を下ろしたアリアーネに対し、珍しく真っ先に父親に飛びついたシオンは、その胸元にぐりぐりと額を擦り付けながら唸った。
「んもー、ルド兄のすっとこどっこい! なんで、ソフィを別の男となんか行かせちゃうかなぁ!?」
「ルドヴィークの立場なら致し方あるまい。今宵の舞踏会は三国の親交を深めるために開かれたものだからな。コンラートの客人からグラディアトリアの皇帝補佐官への誘いを、あれの私情で阻んでいては目的に反する」
「じゃあさ、もしもだよ? 今のルド兄と同じ状況になったら、父上はスミレちゃんを別の男に託せるわけ?」
「いや、絶対にごめんだな」
矛盾した答えを平然と言ってのける父親を、シオンはじとりと見上げた。
そんな中、彼らのもとに新たな人物がやってくる。
モディーニの護衛として付き添っていたユリウスだ。
シオン同様仏頂面をした彼の視線の先では、今度はなんと、モディーニをエスコートするルドヴィークの姿があった。
「はぁああ? 何してんの何してんの、ルド兄! 二人とも、すれ違いすぎじゃん!!」
「ちょっとちょっと、ユーリ! モディってば、まだルドのこと諦めてないわけ?」
「さーてね。お子様の心のうちなんぞ、存じ上げませーん」
シオンは頭を抱え、スミレは慌ててユリウスの袖を引っ張る。
ユリウスは心底うんざりとした様子で投げやりに返すも、すぐに表情を改め、片手を胸に当てて紳士の礼をした。
「母后陛下、どうか私めと踊っていただけますでしょうか?」
「あらあら、ユリウス。光栄ですこと」
モディーニのお守りから解放されたユリウスは、母后の手を恭しく取ってダンスに加わる。
やがて、シオンも頭を抱えるのをやめ、代わりに白けたみたいな顔になって大きくため息を吐いた。
そうして、髪と服装をさっと整えたかと思うと、微笑みを浮かべて見守っていたアリアーネに片手を差し出す。
「あーもー、ルド兄もソフィも知らないっ! アリアーネ、僕らももう一回踊ろう!」
「ええ、喜んで」
再び手を繋いでダンスの輪に飛び込んでいった子供達を、スミレはどこか羨ましそうな眼差しで見送る。
グラディアトリアが存在するものとは異なる世界――二十一世紀の日本、その一般家庭で生まれたスミレは、ダンスと縁がないまま育った。
その後、ヴィオラントに嫁いで八年、レイスウェイク大公爵夫人として社交界にも関わってきたが、この間も彼女がダンスを習う必要性を感じたことはない。
彼女に対するダンスの誘いを、ヴィオラントがことごとく断ってしまうからだ。
けれども――
「なんか、ちょっとだけ……私も、ヴィーと踊ってみたいかも……」
「うん?」
ヴィオラントが知る限り、スミレがダンスに興味を持ったのはこれが初めてのことだ。
その理由が、夫である自分と踊ってみたいから、というのだから反対するわけもない。
練習してみるか? とヴィオラントがふわふわの黒髪の隙間から覗く耳に囁けば、彼とお揃いの紫色の瞳がおずおずと見上げてきた。
「いいの? たぶん、足踏みまくっちゃうよ?」
「構わんさ。そなたが望むのならば、いくらでも練習相手になろう。ただし――」
ヴィオラントは片手に持っていたグラスを置くと、スミレを抱き寄せた。
さっきまで周りにいた者達は全員踊りに行ってしまったため、彼らの戯れ合いを見咎める者がいない。
……まあ、人目があろうとなかろうと、この夫婦は一向に気にしないのだが。
人前でいちゃいちゃしないっ! と説教を垂れてくる息子の目がないのをいいことに、ヴィオラントは愛しい妻の小さな耳たぶを食んで囁く。
「知っての通り、私は心が狭い男なのでな。どれほど上達しようとも、私以外と踊る機会は一生こないと思いなさい」
そう言う彼の視線の先では、末弟とその補佐官が、いまだ別々の相手と踊っていた。
「――お止めしなくてよろしかったのですか?」
三拍子で奏でられる優雅な音楽に乗り、足を滑らせるようなステップを踏みながら大広間を円を描くみたいに踊る。
そんな中、ふいに口を開いたモディーニに、ルドヴィークは彼女をリードしながら、何のことだと問うた。
「ソフィリア様のことです。あの、コンラートの方と踊りに行かせてしまって、本当によかったんですか?」
男性が女性をダンスに誘う時の礼儀は、女性が一人でいる場合と、側にパートナーと思しき男性がいる場合で違う。
前者なら女性本人に直接申し込んでも構わないが、後者だとパートナーと思しき相手にお伺いを立てなければならないのだ。これは、女性が男性を誘う場合でも同じ。
ちなみに、レイスウェイク大公爵夫妻の場合、ドール・クリスティーナそっくりのスミレと踊りたがる男性は後を立たないが、このパートナーへのお伺いの時点でヴィオラントに断られてしまうのである。
先ほど、オズワルドがソフィリアをダンスに誘いにやってきた時、彼女の隣にはその主君であるルドヴィークがいた。
そのためオズワルドは礼儀作法に則って、ソフィリアに直接ではなく、まずルドヴィークにお伺いを立てたわけだ。
そうして、ルドヴィークはそれを――オズワルドがソフィリアと踊ることを許した。
「オズワルドはコンラートからの客人で、グラディアトリアの人間である私やソフィリアはそれを持てなす立場にある。礼を尽くした誘いを断って、彼に恥をかかせるわけにもいかないだろう」
「ですが……」
「それに、オズワルドには借りもある。昨夜は、彼がそなた達の危機を知らせてくれたおかげで、私はあの場に駆けつけることができたのだからな。感謝してもしきれないほどだ」
「う、で、でも……ソフィリア様のお気持ちは……」
モディーニはまだ納得いかない様子で口をもごもごさせている。
彼女がソフィリアを騙ってオズワルドを呼び出した事実について、ルドヴィークの耳にも情報は入っていた。
ソフィリアはそれを口外するつもりはなかったが、その後でモディーニと顔を合わせたオズワルドの証言によって、明らかになってしまったのだ。
パトラーシュの騎士が起こした騒動に対処するのが忙しくて、モディーニのその行いについては有耶無耶になったが、ともあれ彼女は、少なくとも昨夜まではソフィリアとオズワルドの仲を取り持つ心算だったはず。
それなのに今は反対に、二人が親密になるのを心配しているようだった。
離れた場所で踊る彼らを気遣わしげに見るモディーニに、ルドヴィークは優しく目を細める。
「モディーニは、随分とソフィリアを慕うようになったな」
「だって……ソフィリア様は、私を身を挺して守ってくださいましたもの。それに……あの方は、私を抱き締めてくださいました」
ソフィリアを眩しそうに見たモディーニだったが、オルセオロ公爵夫妻が横切ったことで視線が遮られると、ふいに下を向いて小さくため息をつく。
そうして、自嘲みたいな笑みを浮かべて続けた。
「父は私をたくさん愛してくださいましたが、あんなふうに抱き締めてはくださいませんでした。兄も……ずっと優しくはありましたが、思い返せば一度も私を抱き締めてくださったことはございません。母はそもそも、物心ついた時にはすでに亡くなっておりましたし……」
どんどんと俯いていくモディーニの話を黙って聞きながら、ルドヴィークは危なげなく彼女をリードする。
ロレットー公爵とシェリーゼリアが、物言いたげな視線を寄越しながらすぐ側を通り過ぎた。
「兄の本心を知って……私は自分がとてつもなく嫌いになりました。私なんて、きっと誰も好いてなどくださらないと思うようになりました」
ドレスの裾を翻して、くるりとターンしたモディーニをじろりと横目に見たのは、母后の手を握ったユリウスだ。
何もかも見透かしたかのような母の視線から、ルドヴィークは目を逸らす。
その間もモディーニの独白は続く。
「けれどソフィリア様は、そんな私を大切にしたいと言ってくださいました。私を、何度も抱き締めてくださいました。あの方の温もりに包まれていると……私は、自分のことがいつかまた好きになれるような気がするんです」
「そうか……」
ルドヴィークはモディーニの言葉に頷きつつ、踊りながらすれ違った次兄夫婦の、呆れたような、また心配そうな視線には気づかないふりをする。
しかし、アリアーネの手を引いて通り過ぎたシオンの冷ややかな眼差しには、さすがに苦笑いを浮かべずにはいられなかった。
幼な子の責めるような視線がチクチクと背中に突き刺さるのを感じつつ、ルドヴィークはまずは目の前の相手に向き直る。
「モディーニ、最初に告げた通りだ。そなたがいたいだけ、グラディアトリアにいればいい」
「ルドヴィーク様……」
「そして、いつか――そなたがグラディアトリアを祖国のように愛してくれたら、私は嬉しい」
「……っ、ありがとう、ございます……」
後見人であるはずの兄に疎まれ、結果的には皇帝の手によって祖国から放逐される形になったモディーニ。
当初、ルドヴィークとクロヴィス――グラディアトリアの皇帝と宰相の間では、相続争いのほとぼりが覚めるのを待って彼女をパトラーシュに帰すのが妥当だとされていたが、事情が変わった。
ルドヴィークの恩情にモディーニは涙声で礼を言う。
それからしばしの逡巡の後、おずおずと顔を上げて、彼女は数日振りの問いをした。
「ルドヴィーク様、私と結婚してくださいますか?」
しかし、ルドヴィークは首を横に振ってきっぱりと言う。
「すまないが、それはできない」
「理由を教えてください。私が諦めざるをえないような。そうでないと、引けません」
モディーニは怯まず問い返す。毅然とした態度は、公爵令嬢としての誇りに満ちていた。
だからこそ、ルドヴィークも真正面から向き合う。
モディーニと、そして自分自身の気持ちに――
「私には、心に決めた人が――生涯を共にしたい人がいるんだ」
そう告げた彼の青い瞳は、離れた場所で別の男と踊る人――ソフィリアを捉えていた。
円舞曲が終わる。
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