瑠璃とお菓子のあれこれ

くる ひなた

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瑠璃と不届き者

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 グラディアトリア城の裏手には、大きな冷蔵貯蔵庫が設けられている。
 ミルクや卵といった傷みやすい食材が、その冷温に保たれた地下室で保存されており、頻繁にお菓子作りをするルリには通い慣れた場所だった。
 この日も午後のティータイムの少し前、ルリがその冷蔵貯蔵庫に向かっていた。
 今日は主人である母后陛下のご所望で、シンプルにパンケーキを焼く予定になっている。
 生地の要となる小麦粉は大袋で厨房に常備されているので、その他のバターや卵といった材料を調達に行くのだ。
 以前スミレに分けてもらって作った珍しい果実のジャムも、ビンに詰めて冷蔵貯蔵庫に保存していた。
 
「ホイップクリームも添えようかしら? でも、ジャムが甘いから、塩気のあるバターの方がいいかしら?」

 そんな独り言を呟きながら、ルリは目的地を目指す。
 花々が咲く庭を通っている間は、見回りの騎士や侍女仲間など、顔見知りとも大勢すれ違った。
 しかし、冷蔵貯蔵庫に近づくに連れ、人影はどんどんとまばらになっていった。
 辺りは背の高い木々に覆われ、それらの葉が折り重なるようにして陽の光を遮っている。
 冷蔵貯蔵庫は常に一定の冷温に保たれる必要があるので、必然的に陰った場所に設置されているのだ。
 常に薄暗く静まり返っていて、安全な城の敷地内とはいえ、ルリも初めてここを訪れた時には少々気味が悪く感じたものだ。
 けれど、料理長から合鍵をもらうほどに通い慣れた今となっては、そんな辺りの様子などまったく気にならなくなっていた。
 さらにこの時は、ルリの頭の中は午後のお茶のことでいっぱいだった。
 何故なら、この日は彼女の婚約者となった宰相クロヴィスも、一緒にテーブルに着くことになっているからだ。
 クロヴィスはここ数日仕事が忙しく、ゆっくりとお茶を楽しむのは久しぶりのこと。
 ルリが張り切るのも無理はなかった。

「やっぱり、ホイップクリームとバター、両方用意しよう。後で、果樹園に寄ってベリーを摘んで、それから……」

 パンケーキの生地にはヨーグルトを加え、ふわふわに仕上げるつもり。
 おいしいと言って綻ぶクロヴィスの顔を思い浮かべ、ルリの頬は早くもほんのり色付いた。
 そんな彼女は、自分の後ろを付けてくる人影になど、気づく由もなかった。



「あら……?」
 
 冷蔵貯蔵庫に到着したルリは、エプロンドレスのポケットから取り出した鍵を鍵穴に差し込もうとして、すでにそれが開いていることに気づいた。
 厨房の誰かが食材を取りに来ているのかと思い、ルリは「失礼します」と一声かけてから、中へと足を踏み入れた。
 一階にはじゃがいもや玉ねぎなどが箱に詰めて保存されており、ミルクや卵などのより冷温が望ましい食材は、地下の部屋に保存されている。
 陽の光を遮る必要があるため、窓には常に厚いカーテンが引かれており、貯蔵庫内はほとんど真っ暗だ。
 ゆえに、入り口にはいつもランプと火種が用意されているのだが、先客が持っていったのかそれらが見当たらない。
 一階には人の気配もランプの灯りもないので、先客はおそらく地下にいるのだろう。
 そう思ったルリは、暗闇に少し目が慣れてくると、壁伝いに地下へ降りる階段へと向かうことにした。
 その時――

 ――カチャリ……

 突然、小さな音が室内に響いた。
 それが、扉に鍵がかけられた音だと気づいたルリは、はっとして後ろを振り返ろうとする。
 けれど、いつの間にかすぐ側まで迫っていた何者かに、彼女は背後から抱き竦められてしまった。
 
「――きゃっ……!」

 見えない相手に怯え、ルリは短い悲鳴を上げる。
 必死でもがこうとするが、両腕ごと後ろから包み込まれてしまっていて、まったく身動きが取れなかった。
 大きな声を上げようにも、驚きと恐怖に喉が貼り付いて侭ならない。
 顔からは血の気が引き、全身がガタガタと震え始めた。
 
「――ク、クロヴィス様っ……!!」

 それでも、ルリは必死に喉を振り絞って助けを求めた。
 ここからクロヴィスのいる宰相執務室にまで、声が届くわけがない。
 分かってはいても、彼の名を呼ばずにはいられなかった。
 ところが……
 

「――はい?」


 ルリの声は届いた。
 それどころか、信じられないほど近くから返事が返ってきたではないか。

「……え?」
「何ですか、ルリ。私はここですよ?」
「ク……クロヴィス様……?」
「はいはい」

 なんと、ルリを背後から抱き締めている者こそが、彼女が助けを求めて必死に名を呼んだ相手だったのだ。
 恐怖に強張っていたルリの身体から、一気に力が抜けた。

「思ったよりも早く手が空きましてね。そのまま義母上の部屋にお邪魔しようと思ったんですが、あなたが庭を歩いていくのが見えたものですから」
「……クロヴィス様、脅かすなんてひどいです……」
「ずっと後ろを歩いていたのに、気づきませんでした? 危機感なさすぎですよ、ルリ」
「……」
「おや。そうやって頬を膨らませるところ、ちび義姉上に似てきましたねぇ」

 クロヴィスはくすりと笑うと、ルリの身体を腕の中で反転させ、自分と向かい合わせにした。
 すっかりと、ルリの目も暗闇に慣れた。
 そんな彼女の恨めしげな視線を浴びながら、クロヴィスは「それしにても……」と呟いて、冷蔵貯蔵庫の中を見回した。

「今まで気にしたこともありませんでしたが、ここは随分寂しい場所ですね。ルリのような若い女性が一人で出入りするのは、賛成できませんね」
「だ、大丈夫ですよ」
「何が大丈夫なものですか。実際、あなたは今、私にここに閉じ込められたのですよ? これがもしも、不届きな相手であったなら……」

 そこまで言って、突然クロヴィスは顔を顰めた。
 ルリが見知らぬ男に襲われている姿を一瞬とはいえ想像し、激しい嫌悪と怒りを感じたからだ。

「……冗談じゃない」

 クロヴィスは低い声でそう呟くと、抱き締めていたルリの身体を壁へと押し付けた。

「クロヴィス様?」

 きょんと首を傾げて見上げてくる、危機感の欠片もない眼差しに、クロヴィスはわずかに苛つく。
 しかし、無言で顎を掴むとさすがに彼の意図を察したのか、ルリは慌て始めた。

「だ、だめです! クロヴィス様っ、こんなところで……!」
「じゃがいもと玉ねぎしか見ていません。気にすることはない」

 クロヴィスはそう言うと、なおも言葉を発しようとしたルリの唇を、己のそれでもって塞いだ。
 
「っ、ん……」

 ひやりとした冷たい壁にルリの背中を押しつけ、口付けを深める。
 酸素を求めて拙く喘ぐ唇の隙間に、するりと舌を忍び込ませた。
 柔らかく絡めると、クロヴィスの腕の中の身体はびくりと震える。
 そんなルリの初心な反応が、彼はまたたまらなく愛おしいのだ。

「んっ、ふ……」

 慣れない深い口付けに、ルリはただただ翻弄される。
 両手はクロヴィスの身体を押し返すこともできず、彼の上着の襟に縋るしかなかった。
 
「――ルリ……」

 熱のこもった声が、ルリを呼んだ。
 同じく熱を帯びたクロヴィスの掌が、背中を滑り下りていく。
 腰を撫でたその手が、エプロンドレスの後ろのリボンを解こうとしているのに気づき、ルリの身体はいっそう震えた。

 と、その時――

 
「うおっほん」
「――っ!?」


 突然、わざとらしい咳払いが聞こえてきたと思ったら、明るい光がクロヴィスとルリを照らした。
 地下からの階段を上り、何者かが二人に近づいて来たのだ。

「――りょ!? りょ、りょっ……!」
「……覗きとは悪趣味ですねぇ、料理長」

 ランプを掲げてやってきたのは、王城の料理長だった。
 もう三十年以上もグラディアトリア城の厨房を取り仕切っている人物で、クロヴィスやその兄ヴィオラントも彼の料理を食べて育ったのだ。
 爵位も持たない平民の出だが、母后陛下とも親しく、ルリも厨房ではいつも世話になっている。
 料理長は、壁に押さえ付けられて真っ赤になっているルリと、眼鏡の下から恨めしそうに自分を睨むクロヴィスをランプで照らしつつ、やれやれとため息をついた。

「馬鹿をおっしゃいますな。わしゃ、ルリと閣下が来る前から中におりましたぞ。閣下がいきなりおっ始めなさるから、出るに出られなかったのではないですか」
「だったら、最後まで黙っていてくれればよかったのに……」
「嫁入り前の娘が不届き者に襲われているのを、黙って見過ごすわけにはいきますまい」
「誰が、不届き者ですか」

 冷蔵貯蔵庫の先客は、結局この料理長であった。
 ルリは真っ赤な顔のまま、料理長が灯したランプを借りて地下に降り、当初の目的通りお菓子の材料を手に取った。
 バターにミルクに卵、それからホイップ用の生クリームとヨーグルト。
 加えて、パンケーキに添えるつもりの特製ジャム。
 それは、スミレの故国で採れた、イチジクという名の甘い果実から作ったジャムだ。
 スミレの話では、イチジクは不老長寿の実と言われるほど薬効と栄養価が高いらしい。
 せっかくなので、ルリは自分が作ったジャムを料理長にも味見してもらうおうと思った。

「料理長、これ……よろしければ、厨房の皆さんで召し上がって下さい」
「おや、すまんな、ルリ。では、わしからはこれをやろう」

 ルリからジャムのビンを受け取った料理長は、自分も地下から持ってきた物を一つ差し出した。

「コンラート産の最高級ヨーグルトだ。うまいぞ」
「わあ、ありがとうございます!」

 ビンに詰まった冷たいヨーグルトを受け取り、ルリはこれを混ぜればきっと美味しいパンケーキが焼けるだろうと素直に喜んだ。
 一方、クロヴィスは嫌な予感がしていた。

「コンラート産? 最高級? ……料理長、それってもしかして、また個人的に取り寄せたものですか?」

 以前、この料理長により、最高級クリームチーズを取り寄せるのに名前を勝手に使われたばかりか、びっくりするような額の請求書を突き付けられた覚えのあるクロヴィスは、こめかみをぴくぴくさせながらそう問うた。
 すると、いつもは厳めしい顔をしている料理長が、驚くほど清々しい笑みを浮かべて答えた。

「もちろん。こんな非実用的な高級品は、申請しても予算が下りませんのでなぁ」
「そりゃ、そうでしょう……」

 呆れた様子のクロヴィスに、料理長は笑みを深めて続けた。

「代金と輸送費をまとめると、なかなかの額になりましたな。――ああ、そうそう。今月の末に、閣下のところに請求書が行くことになっておりますので、お支払いよろしくお願いしますぞ」
「――やっぱりですか!」

 料理長の、この傍若無人っぷり。
 クロヴィスには覚えがあった。
 誰だった? ――そうだ、スミレだ!
 そんな、帝都の北東から盛大なくしゃみが聞こえてきそうなことを思いながら、クロヴィスは頭を抱えた。
 それを見ておろおろしているルリの肩を、料理長がぽんぽんと叩く。

「そのヨーグルトを使った菓子で、いつものように閣下を唸らせてくれよ。気持ちよく、代金を支払う気になってくださるようにな」
「あっ、ええっと……」

 答えに窮すルリを残し、料理長は冷蔵貯蔵庫の扉を開けて、さっさと出て行ってしまった。
 
「クロヴィス様……あの……」

 前回のクリームチーズに引き続き、またも料理長の策略の片棒を担がされることになったルリは、ヨーグルトの入ったビンを抱えて恐る恐る口を開く。

「ヨ、ヨーグルトって、水切りして生地に混ぜると、パンケーキがふわふわになるんですよ」
「……ふわふわ?」
「ふわふわの、もちもちです」

 それを聞いたクロヴィスは、ゆっくりとルリの方を向いた。
 さらには、ぐっと彼女に顔を近づけ……

「……こんな風に?」

 そう問うたと思ったら――なんと、ルリの片頬をいきなり食んだのだ。

「――っ!?」

 当然ビクリと竦み上がる彼女の身体を、クロヴィスは両腕で包み込んだ。
 そして、みるみるうちに真っ赤に染まっていく頬を、なおもはむはむしながら告げた。


「いいでしょう。唸らせていただこうではないですか? ――ルリ」




 その日の母后陛下の私室におけるティータイム。
 テーブルの上には、ふわふわもちもちのパンケーキが積み上げられた。
 分厚い生地に、塩気のあるバターが溶けて染込み、甘いホイップクリームとの相性も絶妙。
 ルリ特製イチジクのジャムは、パンケーキのおともだけではなく、料理長お勧め最高級ヨーグルトのソースとしても活躍した。

 そして、その月の末日。
 本当にやってきたヨーグルトの請求書に、クロヴィスは一つため息をつきつつも、了承のサインを記すのであった。


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