婚約破棄後に好きだった人から求婚されましたが、もう手のひらの上で踊らされるのはごめんです

くる ひなた

文字の大きさ
6 / 7

6 本当の意味での自由

しおりを挟む
「忘れもしない、あれは王立学校に入学して最初の成績発表の日──生まれて初めて敗北を味わった君の、愕然とした顔を見た時だよ」
「……最低なんですけれど」
「その綺麗な青い目を見開いてね、顔色は真っ白だった。泣いちゃうかなってドキドキしながら見ていたんだけど……君は、泣かなかったね。代わりに唇を噛み締めて、顔をぎゅっと顰めたんだ。なんて可愛い子なんだろうって、僕はその時、雷に打たれたような心地がしたんだよ」
「あなた、意地が悪いわ」

 不貞腐れた私にふふと笑うと、ロッツは今度は私を膝に抱き上げてしまった。
 いきなりのことに抗うことも忘れて固まった私を、幼い子をあやすみたいにゆらゆら揺らしながら続ける。

「どうやってお近づきになろうか策を練ろうとしていたら、翌日、君の方から話しかけてくれたんだもん。それはもう、天にも昇る気持ちだった。絶対この子と結婚しようって、その時決めたんだ」
「私の意思などお構いなく?」
「そんなことはないよ。単に、君も僕と結婚したいと思ってくれるように、誘導する気だっただけ。まあ、洗脳でもいいけど」
「こわ……」

 私は、ロッツのことを大きく誤解していた。
 私もロッツも天才ではなく、ともに血の滲むような努力をした上で、毎回首位争いをしていると思っていた。
 お互いの痛みがわかる、切磋琢磨し合える尊い存在──そう思っていたのだ。
 けれども違った。
 ロッツは、私とは違う。
 彼は、天才だ。
 そして、それを隠していた。
 では、なぜそうとわかるのかというと──彼の他にもう一人、身近にいるからだ。
 私が逆立ちしたとしても、絶対に敵わないような、天才が。

「ジャックには、概ね悟られているとは思っていたよ。ただ、彼もアシェラとラインの婚約が気に入らないみたいだったから、僕のやり方を黙認してくれると高を括っていたんだけどね」
「ジャックは、自分からは何も言及してこなかったわよ。私の答え合わせに付き合ってくれたり、気まぐれにヒントをくれたりはしたけれど」

 三つ下の弟ジャック。彼は、ロッツと同じ天才だった。
 王立学校時代は十二回の試験全てで満点首位を独占し、卒業した現在は国王陛下の補佐をする片手間で、王女オリビアの家庭教師まで務めている。
 飄々としているように見せかけて、人の心を容易く意のままに操って支配する。
 ジャックは間違いなく、ヒンメル王国の未来を背負う人間だった。

「ロッツだって、本当は全期満点首位を独占することは容易かったでしょうに。それなのに、どうして四回も私に勝たせたの?」
「だって、戦友だって思ってもらわないと、アシェラは僕を受け入れてくれなかったでしょ? 君の悔しがる顔も可愛いけど、喜ぶ顔はもっとずっと可愛いって知っていたからね」
「勝たせてもらったとも知らずに喜んでいた私を、ばかにしていたんでしょう?」
「アシェラをばかにしたことなんて、一度もないよ。いつだって一生懸命な君を尊敬していたし、君とともにあれた日々は今も僕の宝物だ」

 そんなのうそだ、と吐き捨ててやりたくなった。
 けれども思い止まったのは、ロッツと私の関係を、私とラインの関係に置き換えて想像したからだ。
 ラインもかつて、私がよい成績を収める度に、凡庸な自分をばかにしているのかと詰った。
 あの時、少しもそんなつもりはなかった私には、彼の気持ちが理解できなかったが……

「ラインも、きっとこんな気持ちだったのね」

 私は、祖国のために努力をして結果を残しているだけであって、自分と彼を比べて優劣をつけたことなんて一度もなかった。
 しかし、ラインはそう思わなかった。
 私に嘲笑われているだろうと勝手に腹を立て……そして、ひどく傷ついていた。
 私は彼と同じ立場になって、やっとそれに気づけたのだ。

「ラインに私の気持ちなんてわからないって思っていたけれど、私だって彼の気持ちをわかろうとはしなかった」
「ラインの話ばかりするの、やめてよ」

 不貞腐れた顔をしたロッツが、手のひらで私の口を塞ごうとしてくる。
 彼のこの嫉妬が本物なのか演技なのかは、私には判断がつかない。
 けれども、もとよりロッツの気持ちなど慮るつもりもないため、その手を振り払って続けた。

「ロッツも同じよ。あなたがどれだけ天才だったとしても、私の気持ちはわからない」
「アシェラ……」
「私にも、あなたの気持ちはわからない」
「アシェラ」

 ロッツから、ついに表情が消えた。
 綺麗なばかりの人形のようなその顔を、私はまじまじと見つめて告げる。

「結局、人間は自分の気持ちしかわからないということね」

 馬車は峠に差し掛かったらしく、勾配と揺れが激しくなった。
 進行方向に向いた座席に座り直したロッツに、私はその腕の中から問う。

「ねえ、ロッツ。どうして、私とラインの婚約を解消させようとしたの?」
「そんなの、僕がアシェラと結婚したいからに決まって……」
「それも一因かもしれないけれど、一番の理由はそれじゃない」
「……」

 きっぱりと言い切った私に、ロッツが口を噤む。
 ガタガタと馬車が揺れた。
 私を抱く腕に力が籠る。
 菫色の瞳は逡巡しているように見えた。
 私はそれをじっと見つめているうちに、不思議な心地を覚える。
 十三歳のあの日──ロッツが五年生の公爵令嬢とキスしているのを目撃した日、私は彼に対する恋を諦めてよき友人であろうと決意した。
 それなのに、ロッツの方はずっと私を手に入れる算段を立て続けていて、出会ってから十年が経った今、ついにこうしてヴィンセント王国へ連れ帰ろうとしているのだ。
 すべては彼の思うがまま。
 私は、彼の手のひらの上。
 それなのに──
 
「ロッツ、はっきり言って」

 私がそう急かすと、彼はひどく苦しそうな顔をした。
 それでも、やがて観念したかのように口を開く。

「ヒンメル王国は、この大陸にとってなくてはならないものだ。王立学校は、各国の未来を背負う者達の出会いと交流の場となっている。国も文化も宗教も、全ての垣根を越えて学び切磋琢磨し合えるあんな場所は他にはありえない。万が一にもこれを廃れさせれば、やがて大陸中の不和に繋がるかもしれない。そんな国の王に──ラインは相応しくない」

 きっぱりとそう言い切ったロッツは、それなのに、と続けた。

「アシェラが王妃となることに、ヒンメルの人々は希望を見出してしまっていた。君さえいれば、ラインが国王でもいけるんじゃないかってね」

 相槌も打たない私に構わず、ロッツは畳み掛ける。

「僕に言わせれば、そんなものは幻想だよ。いくらアシェラが優秀でも、いつまでラインの泥舟で浮いていられると思う? そのうち、一緒に水底に沈むに決まってるんだ」

 菫色の目がぐっと睨んだのは、ここにはいない元同級生の姿だろうか。

「幸い、ヒンメル国王にはもう一人子供が……王女がいる。オリビアはまだ幼く独善的なところはあるけれど、素直で勤勉だ。国民の受けもいい。何より──彼女の側にはジャックがいる」

 弟の名が出たとたん、私の身体は無意識に震えた。
 ロッツはそんな私を一度きつく抱き締めてから──私の望み通り、はっきりと引導を渡した。


「ヒンメルの未来を担うのは、ラインとアシェラではない。オリビアとジャックだ。アシェラはもう──ヒンメルに必須の存在じゃないんだよ」


 私は、たまらず両目を瞑った。
 本当は、うすうす気づいていたのだ。
 ただそれを認めることが辛くて、悔しくて、ずっと気づかないふりをしていた。
 ジャックは生まれながらの天才で、私は努力に努力を重ねてようやく秀才と呼ばれるまでに這い上がった凡人。
 その違いには、天と地ほど差がある。
 ジャックがいれば、私はいらない。
 私の努力を、祖国はもう必要としていない。
 これを認めた瞬間、私は本当の意味で自由になったが、同時に心にぽっかりと大きな穴が空いた気分になった。
 生きていくためには、きっとこの穴を何かで埋めなければならないだろう。
 そんなことを考えながら目を開けて──ぎょっとした。

「……どうして、ロッツが泣くの?」
「僕にこんなことを言わせるなんて……アシェラはひどい」

 目の前のロッツの頬が濡れている。
 綺麗な菫色の瞳からは、次から次へと雫が溢れてきた。
 大の男がこんなにボロボロと泣いていることに、私は呆気に取られる。

「言いたくなかった──気づかせたくなかったんだ。アシェラを、悲しませたくなかった。君の誇りを、傷つけたくなかった!」

 ロッツは膝の上の私をぎゅうぎゅうと抱き締め、グスグスと鼻を啜りつつ震える声で言った。
 その背中を宥めるように撫でながらも、この涙も計算なのかしら、とどこか冷めたことを考えている自分いる。
 祖国に必要とされなくなった私は、これからこんな風に、ロッツに同情されつつヴィンセントで生きるのだろうか。

(虚しい……)

 一つ、大きくため息をついた時だった。

「──わっ!?」

 つんのめるようにして、馬車が急停止する。
 さっと険しい表情になったロッツが、車窓のカーテンの隙間から外を覗いた。
 夜の闇に沈んで、私の目には何も見えなかったが……

「──盗賊団だ」

 潜めた声で、ロッツがそう呟いた。
しおりを挟む
感想 18

あなたにおすすめの小説

「地味な婚約者を捨てて令嬢と結婚します」と言った騎士様が、3ヶ月で離婚されて路頭に迷っている

歩人
ファンタジー
薬師のナターリアは婚約者の騎士ルドガーに「地味なお前より伯爵令嬢が ふさわしい」と捨てられた。泣きはしなかった。ただ、明日から届ける薬が 一人分減るな、と思っただけ。 ルドガーは華やかな伯爵令嬢イレーネと結婚し、騎士団で出世する——はずだった。 しかしイレーネの実家は見栄だけの火の車。持参金は消え、借金取りが押し寄せ、 イレーネ本人にも「稼ぎが少ない」と三行半を突きつけられた。 3ヶ月で全てを失ったルドガーが街角で見たのは、王宮薬師に抜擢された ナターリアが、騎士団長と笑い合う姿だった。 「なあ、ナターリア……俺が間違っていた」 「ええ、知ってます。でも、もう関係のない話ですね」

死に物狂いで支えた公爵家から捨てられたので、回帰後は全財産を盗んで消えてあげます 〜今さら「戻れ」と言われても、私は隣国の皇太子妃ですので〜

しょくぱん
恋愛
「お前のような無能、我が公爵家の恥だ!」 公爵家の長女エルゼは、放蕩者の父や無能な弟に代わり、寝る間も惜しんで領地経営と外交を支えてきた。しかし家族は彼女の功績を奪った挙句、政治犯の濡れ衣を着せて彼女を処刑した。 死の間際、エルゼは誓う。 「もし次があるのなら――二度と、あいつらのために働かない」 目覚めると、そこは処刑の二年前。 再び「仕事」を押し付けようとする厚顔無恥な家族に対し、エルゼは優雅に微笑んだ。 「ええ、承知いたしました。ただし、これからは**『代金』**をいただきますわ」 隠し金庫の鍵、領地の権利書、優秀な人材、そして莫大な隠し資産――。 エルゼは公爵家のすべてを自分名義に書き換え、着々と「もぬけの殻」にしていく。 そんな彼女の前に、隣国の冷徹な皇太子シオンが現れ、驚くべき提案を持ちかけてきて……? 「君のような恐ろしい女性を、独り占めしたくなった」 資産を奪い尽くして亡命した令嬢と、彼女を溺愛する皇太子。 一方、すべてを失った公爵家が泣きついてくるが、もう遅い。 あなたの家の金庫も、土地も、働く人間も――すべて私のものですから。

あなたが「消えてくれたらいいのに」と言ったから

ちくわぶ(まるどらむぎ)
恋愛
「消えてくれたらいいのに」 結婚式を終えたばかりの新郎の呟きに妻となった王女は…… 短いお話です。 新郎→のち王女に視点を変えての数話予定。 4/16 一話目訂正しました。『一人娘』→『第一王女』

お好きになさって下さい、私は一切気にしませんわ

Kouei
恋愛
婚約者のクレマンド様は、いつも私との約束を破ってばかり。 理由は決まって『従妹ライラ様との用事』 誕生日会にすら来なかった彼に、私はついに告げた。 「どうぞ、私以外のご令嬢をエスコートするなり、お出かけするなり、関係を持つなり、お好きになさって下さい。私は一切気にしませんわ」 二人の想いは、重なり合えるのだろうか …… ※他のサイトにも公開しています。

悪役令嬢を断罪したくせに、今さら溺愛とか都合が良すぎますわ!

nacat
恋愛
侯爵令嬢リディアは、無実の罪で婚約者の王太子に断罪された。 冷笑を浮かべ、すべてを捨てて国外へ去った彼女が、数年後、驚くべき姿で帰ってくる。 誰もが羨む天才魔導師として──。 今さら後悔する王太子、ざまぁを噛みしめる貴族令嬢たち。 そして、リディアをひそかに守ってきた公爵の青年が、ようやく想いを告げる時が来た。 これは、不当な断罪を受けた少女が、自分の誇りと愛を取り戻す溺愛系ロマンス。 すべての「裏切られた少女」たちに捧ぐ、痛快で甘く切ない逆転劇。

【完結】「お前とは結婚できない」と言われたので出奔したら、なぜか追いかけられています

22時完結
恋愛
「すまない、リディア。お前とは結婚できない」 そう告げたのは、長年婚約者だった王太子エドワード殿下。 理由は、「本当に愛する女性ができたから」――つまり、私以外に好きな人ができたということ。 (まあ、そんな気はしてました) 社交界では目立たない私は、王太子にとってただの「義務」でしかなかったのだろう。 未練もないし、王宮に居続ける理由もない。 だから、婚約破棄されたその日に領地に引きこもるため出奔した。 これからは自由に静かに暮らそう! そう思っていたのに―― 「……なぜ、殿下がここに?」 「お前がいなくなって、ようやく気づいた。リディア、お前が必要だ」 婚約破棄を言い渡した本人が、なぜか私を追いかけてきた!? さらに、冷酷な王国宰相や腹黒な公爵まで現れて、次々に私を手に入れようとしてくる。 「お前は王妃になるべき女性だ。逃がすわけがない」 「いいや、俺の妻になるべきだろう?」 「……私、ただ田舎で静かに暮らしたいだけなんですけど!!」

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

婚約破棄された翌日、兄が王太子を廃嫡させました

由香
ファンタジー
婚約破棄の場で「悪役令嬢」と断罪された伯爵令嬢エミリア。 彼女は何も言わずにその場を去った。 ――それが、王太子の終わりだった。 翌日、王国を揺るがす不正が次々と暴かれる。 裏で糸を引いていたのは、エミリアの兄。 王国最強の権力者であり、妹至上主義の男だった。 「妹を泣かせた代償は、すべて払ってもらう」 ざまぁは、静かに、そして確実に進んでいく。

処理中です...