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第四章 魔王の子と魔女の子

43話 プンスコお父さん再び

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「ドラゴン族と魔女の問題に、私は一切口を挟むつもりはない」

 唐突に魔女の名前が出てきたことを不思議に思いつつ、すっかり眠気が吹き飛んだ私はふかふかのマントから顔を上げました。

「殺し合いたければそうすればいい。まあ、ドラゴン族が滅ぶだけだろうが」

 私を抱いたままのギュスターヴが一歩進むと、ドラゴン娘は二歩三歩と後退ります。
 その顔色は、もはや紙のようになっていました。

「そうなろうとも、私は関与しない。連綿と続く魔界の歴史の中、滅んだ種族など腐るほどあるからな。私はそれを、淘汰と呼ぶ」

 明日の天気を話題にしているような調子で、冷徹な言葉が続きます。
 彫刻のごとく美しいギュスターヴの顔には、何の感情も乗っていないふうに見えました。
 しかし直後のこと、それは突如として一つの感情に支配されます。

「だが、私の子を害そうというのならば、話は別だ。貴様の言葉になぞらえるならば──問答は無用、だな」

 怒りです。
 赤い瞳の奥で、さっき古木を焼き尽くしたドラゴンのものをよりもさらに苛烈な炎が燃え上がりました。


「魔女の手で淘汰されるのを待たず、私が排除してやろう」


 淡々とした声とは裏腹に、全身からは凄まじい怒気が迸っております。
 それに当てられたドラゴン娘は、ヘナヘナとその場にへたりこんでしまいました。
 その瞳はうるうるになっていて、解約引き留め画面に出てきた可哀想な猫ちゃんやワンちゃんを彷彿とさせます。
 周囲には大勢の観衆がおりますが、誰も口を挟もうとしませんでした。
 ギュスターヴがさらにもう一歩、足を進めます。

「ひ……っ!!」

 彼のブーツの踵がガツッと音を立てたのと、ドラゴン娘が喉の奥で引き攣った悲鳴を上げたのは同時でした。
 そして……


「ギュスターヴ、六秒ルールってご存知ですか?」


 私がギュスターヴの顔を両手で挟み込み、強引に自分の方に向けたのも。
 彼の首からゴキャッ、とたいそう痛そうな音がしましたが、知ったことではありません。

「アヴィス……お父さんはな、今大事な話をしているのだが」
「ギュスターヴはお父さんではありませんし、私も大事な話をしています」

 固唾を呑んで見守っていた魔物達が、今度は揃いも揃って間抜け顔を晒していますが、これも知ったことではありませんので構わず続けますよ。 
 私はギュスターヴの両の頬をペチペチしながら言いました。

「もう一度お尋ねしますけれど、六秒ルールをご存知ありません?」
「……三秒ルール、ではなく?」
「食べ物を落としても三秒以内なら支障なし、というのとは別物ですよ。ご存知ないのでしたら、説明します」
「……うむ、聞こう」

 怒りの感情というのはだいたい六秒で頂点に達し、それを過ぎれば沈静化していくと言われています。
 つまり、その六秒間さえやりすごせば、無闇矢鱈と怒り散らしたり暴力を振るったりして人間関係を壊してしまわずに済むのです。
 その他、深呼吸をして心を落ち着かせたり、まったく別のことに意識を移したり、あるいは怒りの対象自体から距離を取るなども効果的だそうです。

「──と、アンガーマネジメント講座で習いました」
「……ん? 待て待て。ヨガとフィットネス以外も登録していたのか? ちゃんと自分で解約したんだろうな?」
「安心してください。こちらは三ヶ月無料キャンペーン中でしたので、まだまだ猶予があります」
「いやそれ、絶対に忘れるやつだぞ。賭けてもいい」

 なお、アンガーマネジメント講座に興味を持ったのは、先日私がぶたれて頬を腫らしたことにギュスターヴが盛大にキレ散らかしたのがきっかけです。
 実際、そのギュスターヴがドラゴン娘から意識を逸らしてすでに六秒が経ち、彼の瞳の奥で燃え盛っていた怒りもすっかり鎮火しております。
 それを確認した私が、講座で言っていた通りだったと満足しておりますと──


「──あっはっはっ!」


 ふいに、明るい笑い声が響き渡りました。
 幼子とガーゴイルを両脇に抱えて傍観していた魔女のものです。
 周囲の視線を一身に集めた彼女は、くすくすと笑いながら近づいてきました。
 ガーゴイルは残りましたが、幼子の方は魔女の真っ黒いスカートの裾を握ってちょこちょことついてきます。彼らはどういう関係なのか、私はまだ何も知りません。
 幼子を連れた魔女は、地面にへたり込んだままのドラゴン娘の横で立ち止まり、口を開きました。

「命拾いをしたな、クラーラ姫。魔王の子に感謝するといい」
「な、なによ……」
「族長の名代でありながら、お前さんはもう少しで一族を滅すところだったんだ。厭世主義者でもなければ、魔王の逆鱗になんぞ触れるものではないよ」
「……っ」

 ドラゴン娘はぐっと唇を噛み締め、魔女を睨み上げます。
 魔女の提案通りに私に感謝するような素振りもありません。
 とはいえ、私とて別に彼女のためにアンガーマネジメントの話を持ち出したわけではなく、単に講座で習ったことの正否を検証しただけです。
 感謝などされなくても、まったく問題ありません。
 そうこうしているうちに、魔女は幼子を抱き上げてこちらに近づいてきます。
 魔女はギュスターヴほどではないにしろ長身なため、彼女に抱っこされた幼子と私は目線が同じくらいになりました。
 
「末っ子が世話になったね。どうもありがとう、魔王の子」
「どういたしまして。その子はやはり、魔女の方のお子さんなのですか?」
「ああ、そうだよ。私によく似ているだろう?」
「ええ、確かに。あなたに似て可愛らしいですね。それと……」

 幼子は、格好も含めて母親である魔女によく似ていましたが、その背にある翼は足下にへたりこんだままのドラゴン娘のそれとそっくりでした。

「もしかして、複雑なご家庭なんです?」
「もしかしなくとも複雑なご家庭なんだ」

 私がこそこそと耳元に囁くと、ギュスターヴはうんうんと頷きます。
 それを微笑ましそうに眺めていた魔女でしたが、再びドラゴン娘に声をかけました。

「今日はもうお帰り。そして、ここであったことをつぶさに父親に伝えるんだね」
「わ、私に指図するなっ……!」
「同胞の遺骸を回収するのを忘れずにな。魔王の子が介入していなければ、叶わなかったことだ。もしも彼らがうちの子に触れていたら、木っ端微塵になっていただろうからね」
「な、なな……なによ、それ……」

 魔女は、幼い我が子を無防備に一人にしたわけではなかったようです。
 曰く、害意を持つ者が幼子に触れれば、即座に爆発する呪いをかけていたのだとか。
 問答無用ここに極まれり。
 ドラゴン娘も、これには言葉を失いました。
 観衆もぎょっとして、慌てて魔女親子から距離をとっています。
 一方、ノエルやジゼル、オランジュや鳥っぽい魔物、プルートーにキロンに人狼といった、さきほど会議室で円卓を囲んでいた面々は動じる様子はありません。
 ギュスターヴも当然、ドラゴン娘や観衆とは違う反応をしました。

「なるほどその手があったか、って思っている顔ですね、ギュスターヴ」
「なるほどその手があったか、と思っているからな。しかし、あいにく私は魔女ほど呪いに精通していない。お前に触れた者を全員木っ端微塵にする、とかなら簡単なのだが……」

 自分に触れる者がことごとく吹っ飛ぶような仕様にされたら心を病んでしまいそうなので、全力でごめん被りたいところです。
 人間として一度死に、魔界で与えられた新たな体を、私自身結構気に入っているのです。
 この手で、触れたい者もたくさんいます。
 例えば、私のために強くなって帰ってきたヒヨコや、霊体ではないエミール。
 出会って一月余り経ってようやく会話ができたガーゴイルの、あのゴツゴツした体も触ってみたいですね。
 そんなことを考えつつ、私は会話の対象を変更します。
 魔王から魔女──ではなく、その腕の中にいる幼子へ。

「何か、私にご用がおありでしょうか?」

 なにしろ、ずっと熱視線を送られていたのです。
 私と目が合うと、幼子は丸い頬を薔薇色に染めて意気揚々と口を開きました。

「お、おれは、くりす……くりすとふぁー。さっきは、たすけてくれて、ありがとう!」
「どういたしまして。クリス、と呼んでもかまいませんか?」
「う、うん! おれも、あゔぃすって、よんでいい?」
「もちろんです」

 幼子あたらめクリスは、男の子のようです。一人称が〝おれ〟なのは少し以外でした。
 舌足らずな声は愛らしく、私は自然と微笑みを浮かべましたが、ギュスターヴは無感動に彼を眺めています。
 クリスは魔王の視線に怯える様子もなく、小さな両手をもじもじさせながら続けました。

「あのね、おれね、ひとつきまえに、たまごからでてきたのよ」
「あら、一月前に魔界で誕生したのでしたら、私と同じですね」
「どくしん、です」
「それは知ってます」

 クリスはここで、小さな手を私に差し伸べてきました。
 そうして、母親譲りの金色の瞳をキラキラさせて言うのです。

「あ、あのね、あゔぃす──おれと、けっこんし……」
「──ならん」

 拙い言葉を遮ったのは、自称〝アヴィスのお父さん〟でした。
 ギュスターヴは同時に、こちらに伸びてきたクリスの手を軽く払います。
 その瞬間でした。
 パンッと音を立てて、クリスに触れた魔王の右手が弾け飛んだのです。

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