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第四章 魔王の子と魔女の子
46話 解約しました
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太陽代わりの光源が、この日もプログラム通りに夕日を演出し始めました。
空の色の移り変わりを見届けた私は、隣に腰掛けたギュスターヴに視線を移します。
大きな掃き出し窓から差し込む光に照らされて、魔王の瞳はより一層鮮やかな赤に見えました。
それが、無感動に足下に向けられます。
「──非礼この上なき我が一族の行いを、謹んでお詫び申し上げます」
魔王の視線の先では、大きなドラゴンが一匹、額を床に擦り付けておりました。
エミールが幽体離脱してきたり、無料体験の解約に手こずりまくったりと騒がしかったこの日の夕刻。
取るものも取り敢えず魔王城に駆け込んできたのは、ドラゴン娘の父親──ドラゴン族の長でした。
ソファに腰掛けた魔王の前に跪いた彼は、娘とその従卒の無礼を真摯に詫びた上、大きな正方形のブリキ製の箱を差し出します。
私は、一目でそれに心を奪われました。
「ギュスターヴ、ほしい。これほしいです。受け取ってください」
「よしよし、珍しくアヴィスが食いついたな。いいだろう」
袖を引いて強請る私に、ギュスターヴは機嫌のよさそうな顔をします。
そうして、なおも床に額を擦り付けていたドラゴン族の長の後頭部をグリグリと撫でて言いました。
「手土産に免じて、今日のことは水に流そう」
「ご寛恕いただき誠にありがとうございます」
ギュスターヴはますますドラゴン族の長の後頭部をグリグリします。
そこにできていた、近年稀に見る巨大なタンコブを握り潰すみたいに。
長というだけあって、娘はもとより、その従卒達よりもまだずっと大きな体躯をした立派なドラゴンですが──どういうわけか満身創痍でした。
タンコブの他にも、全身に咬み傷やら引っ掻き傷やらがあり、両のほっぺになんて見事な手形が付いています。
「族長、手土産は貴様のチョイスか?」
「いえ、これはその……家内が持たせてくれたものでして……」
「ならば、よくよく妻に感謝することだな。──二度と、裏切らぬよう」
「はっ……肝に銘じまする」
タンコブを揉みしだかれても痛がるそぶりも見せず、ドラゴン族の長は早々に魔王の前を辞しました。
ほんの一瞬、私の隣に──三匹の同胞を斬ったヒヨコに、警戒するような眼差しを向けてから。
ともあれ、件のクッキー缶は私のものとなりました。
私はそれを両腕でぎゅっと抱き締め、声を弾ませます。
「うれしい! ありがとうございます、ギュスターヴ!」
「くっ……今の見たか、ノエル。私の子がこんなにもかわいい」
「ええ、ええ、可愛いですね。いくらでも貢ぎたくなっちゃいます」
魔王と元天使が親バカ全開なのは、今に始まったことではないのでスルーします。
ヒヨコに缶を支えてもらいながらいそいそと蓋を開ければ、中にはぎっしりとクッキーが詰め込まれておりました。
大きさも趣も様々で目にも楽しいそれをひとしきり眺めてから、ほのぼのとした様子で私を見守っている自称保護者達に差し出します。
「ギュスターヴ、ノエル──どうぞ」
「アヴィス、お前……あれほど欲したものを人にあげられるのか。お父さんは感動した」
「生後一月でもうここまで社会性が発達したんですね。私も感動しました」
魔王と元天使がおかしなことを言い出すのも、今に始まったことではないのでスルーしましょう。
「そういうのいいですから、とっとと食べてください。全部」
「「……全部?」」
「はい。ほしいのは、缶だけですので」
「「アヴィス……」」
魔王と元天使がそろって頭を抱えました。仲良しですね。
一向に食事をしない私がクッキーを食べる気になったと思い違いをしていたようですが、知ったことではありません。
なお、隣にいるヒヨコも屍の体ですので、基本的には飲食を必要としません。
以前、一緒にタピオカを飲みにいったのですから、食べられないことはないようですが、少なくとも私と同じくらいは飲食に関して消極的です。
閑話休題。
「ヒヨコ、いいですか。せーの、でひっくり返しますよ」
「こら、アヴィス。めっ。もったいないおばけがくるぞ」
焦れた私が缶の中身をぶち撒けようとするのを、ギュスターヴがまた保護者面をして叱ります。
もったいないおばけ、とはどなたでしょう。
ギュスターヴもノエルもクッキーを爆食いする気分ではなかったのか、ちょうどお茶を持って現れたドリーに応援を頼みました。
情報通の山羊娘によれば、こちらは天界で大人気のお取り寄せクッキーで、現在注文から発送まで一年待ちだそうです。知ったことではありませんが。
私はドリーが持ってきた大皿の上にさっさと中身をぶちまけ、念願の缶を手に入れました。
「空の缶がそんなにいいのか? そうだ、中に詰めるものをやろう」
「結構です。その手に持っている赤いのは、今すぐしまってください。吸血鬼じゃないのですから、血を固めて作った石などいただいてもうれしくないですからね」
「魔王の血だぞ。吸血鬼でなかろうと、持っていて損はないと思うがな。それで、その缶にお前は何を入れる気だ?」
「何って……えっと、何でしょう……?」
天界製のクッキー缶は真っ白で、蓋に金色の線で緻密な絵が刻み込まれていました。
様々に咲き乱れる花に囲まれて、一匹の猫が寛いでいます。
こちらをじっと見つめる猫の目を見て、私はふいに強い既視感を覚えました。
「何か、あったような気がします。何か……しまっておかないと、いけないもの……」
「なぜ、しまっておかねばならない?」
「だって……そうでないと、みんなが……」
「どうなる?」
記憶の奥底で、何かがざわりと蠢くのを感じます。
それに驚いてうっかり缶を落としそうになりましたが、すかさずヒヨコが支えてくれました。
私の手元に残ったのは、蓋だけです。
そこに描かれた猫と目が合い、私の中でまた何かが蠢きました。
その正体に興味がないと言えば嘘になるでしょう。しかし……
「なんでも、ありません……」
今は、好奇心より警戒心が勝りました。
私は小さく頭を振ってから、ヒヨコに預けた缶を蓋します。
見えかけた深淵から逃げるみたいに。
ヒヨコがクッキー缶を抱えたまま、気遣わしげに顔を覗き込んできます。
ギュスターヴも私をじっと見つめていましたが、閉じた蓋を再び開けさせようとはしませんでした。
その代わりに大皿からクッキーを一つ摘み上げ、私の口元に持ってきます。
ぷいっと顔を背けてやりました。
「けっこうです」
「お前はまったく……何なら食う気になるんだろうな?」
「それでしたら、魔王様。試しに飲ませてみてはいかがですか? 魔王様のち……」
「──黙れ、ノエル」
今、何と言いましたか?
魔王の、ち?
私に血を飲ませろと、そう言ったのですか? この元天使は。
「ノエルはどうかしていますね。どうりで堕ちるはずです」
「うっ、アヴィス……なんて冷たい目で私を見るんですか。最初に言い出したのは魔女なんですよ? 食事の代わりに、あなたに魔王様のち……」
「黙れ」
ギュスターヴがノエルの口にクッキーを突っ込みました。
ヒヨコもクッキー缶を抱えたまま私の前に躍り出て、生臭天使の視界から隠してくれます。
修行を経てますます頼もしくなったその背中を見ると、彼が自分の手元に戻ってきたのを改めて実感しますね。
しかしここでふと、私は疑問を抱きました。
「勇者の修行というのは、短期間で免許皆伝を得られるようなものなのですか?」
ヒヨコが勇者の許にいたのは、結局はたったの一月──三十日間でした。
修行というと、普通は多くの年月をかけて取り組むものだと思うのですが。
そう私が疑問を口にしますと、ギュスターヴが不敵な笑みを浮かべました。
「そいつが三十日で戻ってきたのには、明確な理由がある」
「その、理由とは?」
クッキーの粉をノエルの服で拭って、ギュスターヴがヒヨコに人差し指を突きつけます。
そうして、ドヤ顔をして言いました。
「こいつが行ったのは、勇者修行三十日間無料体験──そして私は、ちゃんと解約した」
なるほどなるほど。
おちがつきましたね。
『第四章 魔王の子と魔女の子』おわり
空の色の移り変わりを見届けた私は、隣に腰掛けたギュスターヴに視線を移します。
大きな掃き出し窓から差し込む光に照らされて、魔王の瞳はより一層鮮やかな赤に見えました。
それが、無感動に足下に向けられます。
「──非礼この上なき我が一族の行いを、謹んでお詫び申し上げます」
魔王の視線の先では、大きなドラゴンが一匹、額を床に擦り付けておりました。
エミールが幽体離脱してきたり、無料体験の解約に手こずりまくったりと騒がしかったこの日の夕刻。
取るものも取り敢えず魔王城に駆け込んできたのは、ドラゴン娘の父親──ドラゴン族の長でした。
ソファに腰掛けた魔王の前に跪いた彼は、娘とその従卒の無礼を真摯に詫びた上、大きな正方形のブリキ製の箱を差し出します。
私は、一目でそれに心を奪われました。
「ギュスターヴ、ほしい。これほしいです。受け取ってください」
「よしよし、珍しくアヴィスが食いついたな。いいだろう」
袖を引いて強請る私に、ギュスターヴは機嫌のよさそうな顔をします。
そうして、なおも床に額を擦り付けていたドラゴン族の長の後頭部をグリグリと撫でて言いました。
「手土産に免じて、今日のことは水に流そう」
「ご寛恕いただき誠にありがとうございます」
ギュスターヴはますますドラゴン族の長の後頭部をグリグリします。
そこにできていた、近年稀に見る巨大なタンコブを握り潰すみたいに。
長というだけあって、娘はもとより、その従卒達よりもまだずっと大きな体躯をした立派なドラゴンですが──どういうわけか満身創痍でした。
タンコブの他にも、全身に咬み傷やら引っ掻き傷やらがあり、両のほっぺになんて見事な手形が付いています。
「族長、手土産は貴様のチョイスか?」
「いえ、これはその……家内が持たせてくれたものでして……」
「ならば、よくよく妻に感謝することだな。──二度と、裏切らぬよう」
「はっ……肝に銘じまする」
タンコブを揉みしだかれても痛がるそぶりも見せず、ドラゴン族の長は早々に魔王の前を辞しました。
ほんの一瞬、私の隣に──三匹の同胞を斬ったヒヨコに、警戒するような眼差しを向けてから。
ともあれ、件のクッキー缶は私のものとなりました。
私はそれを両腕でぎゅっと抱き締め、声を弾ませます。
「うれしい! ありがとうございます、ギュスターヴ!」
「くっ……今の見たか、ノエル。私の子がこんなにもかわいい」
「ええ、ええ、可愛いですね。いくらでも貢ぎたくなっちゃいます」
魔王と元天使が親バカ全開なのは、今に始まったことではないのでスルーします。
ヒヨコに缶を支えてもらいながらいそいそと蓋を開ければ、中にはぎっしりとクッキーが詰め込まれておりました。
大きさも趣も様々で目にも楽しいそれをひとしきり眺めてから、ほのぼのとした様子で私を見守っている自称保護者達に差し出します。
「ギュスターヴ、ノエル──どうぞ」
「アヴィス、お前……あれほど欲したものを人にあげられるのか。お父さんは感動した」
「生後一月でもうここまで社会性が発達したんですね。私も感動しました」
魔王と元天使がおかしなことを言い出すのも、今に始まったことではないのでスルーしましょう。
「そういうのいいですから、とっとと食べてください。全部」
「「……全部?」」
「はい。ほしいのは、缶だけですので」
「「アヴィス……」」
魔王と元天使がそろって頭を抱えました。仲良しですね。
一向に食事をしない私がクッキーを食べる気になったと思い違いをしていたようですが、知ったことではありません。
なお、隣にいるヒヨコも屍の体ですので、基本的には飲食を必要としません。
以前、一緒にタピオカを飲みにいったのですから、食べられないことはないようですが、少なくとも私と同じくらいは飲食に関して消極的です。
閑話休題。
「ヒヨコ、いいですか。せーの、でひっくり返しますよ」
「こら、アヴィス。めっ。もったいないおばけがくるぞ」
焦れた私が缶の中身をぶち撒けようとするのを、ギュスターヴがまた保護者面をして叱ります。
もったいないおばけ、とはどなたでしょう。
ギュスターヴもノエルもクッキーを爆食いする気分ではなかったのか、ちょうどお茶を持って現れたドリーに応援を頼みました。
情報通の山羊娘によれば、こちらは天界で大人気のお取り寄せクッキーで、現在注文から発送まで一年待ちだそうです。知ったことではありませんが。
私はドリーが持ってきた大皿の上にさっさと中身をぶちまけ、念願の缶を手に入れました。
「空の缶がそんなにいいのか? そうだ、中に詰めるものをやろう」
「結構です。その手に持っている赤いのは、今すぐしまってください。吸血鬼じゃないのですから、血を固めて作った石などいただいてもうれしくないですからね」
「魔王の血だぞ。吸血鬼でなかろうと、持っていて損はないと思うがな。それで、その缶にお前は何を入れる気だ?」
「何って……えっと、何でしょう……?」
天界製のクッキー缶は真っ白で、蓋に金色の線で緻密な絵が刻み込まれていました。
様々に咲き乱れる花に囲まれて、一匹の猫が寛いでいます。
こちらをじっと見つめる猫の目を見て、私はふいに強い既視感を覚えました。
「何か、あったような気がします。何か……しまっておかないと、いけないもの……」
「なぜ、しまっておかねばならない?」
「だって……そうでないと、みんなが……」
「どうなる?」
記憶の奥底で、何かがざわりと蠢くのを感じます。
それに驚いてうっかり缶を落としそうになりましたが、すかさずヒヨコが支えてくれました。
私の手元に残ったのは、蓋だけです。
そこに描かれた猫と目が合い、私の中でまた何かが蠢きました。
その正体に興味がないと言えば嘘になるでしょう。しかし……
「なんでも、ありません……」
今は、好奇心より警戒心が勝りました。
私は小さく頭を振ってから、ヒヨコに預けた缶を蓋します。
見えかけた深淵から逃げるみたいに。
ヒヨコがクッキー缶を抱えたまま、気遣わしげに顔を覗き込んできます。
ギュスターヴも私をじっと見つめていましたが、閉じた蓋を再び開けさせようとはしませんでした。
その代わりに大皿からクッキーを一つ摘み上げ、私の口元に持ってきます。
ぷいっと顔を背けてやりました。
「けっこうです」
「お前はまったく……何なら食う気になるんだろうな?」
「それでしたら、魔王様。試しに飲ませてみてはいかがですか? 魔王様のち……」
「──黙れ、ノエル」
今、何と言いましたか?
魔王の、ち?
私に血を飲ませろと、そう言ったのですか? この元天使は。
「ノエルはどうかしていますね。どうりで堕ちるはずです」
「うっ、アヴィス……なんて冷たい目で私を見るんですか。最初に言い出したのは魔女なんですよ? 食事の代わりに、あなたに魔王様のち……」
「黙れ」
ギュスターヴがノエルの口にクッキーを突っ込みました。
ヒヨコもクッキー缶を抱えたまま私の前に躍り出て、生臭天使の視界から隠してくれます。
修行を経てますます頼もしくなったその背中を見ると、彼が自分の手元に戻ってきたのを改めて実感しますね。
しかしここでふと、私は疑問を抱きました。
「勇者の修行というのは、短期間で免許皆伝を得られるようなものなのですか?」
ヒヨコが勇者の許にいたのは、結局はたったの一月──三十日間でした。
修行というと、普通は多くの年月をかけて取り組むものだと思うのですが。
そう私が疑問を口にしますと、ギュスターヴが不敵な笑みを浮かべました。
「そいつが三十日で戻ってきたのには、明確な理由がある」
「その、理由とは?」
クッキーの粉をノエルの服で拭って、ギュスターヴがヒヨコに人差し指を突きつけます。
そうして、ドヤ顔をして言いました。
「こいつが行ったのは、勇者修行三十日間無料体験──そして私は、ちゃんと解約した」
なるほどなるほど。
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