深木志麻

平野耕一郎

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第四章

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 2 死因について
 
 私の実家は代々医師を生業とする家系だ。だから私の将来も決まっていた。それが靴だとも、ありがたいとも思わない。
 人生は人それぞれだ。将来を悩む同級生は多く見かける。結局は自分のしたいことは決まっているわけだから悩んでも仕方がない。
微塵も共感できないが、樫原実歩はロボットみたいなやつで、ドライだとよく言われている。ようは周りから嫌われているわけだ。
 風の噂で聞いた。単に事実を言っただけなのに嫌われる。世の中不条理だと思いながら人は感情に任せて動く生き物なのでご理解するしかない。
 だらだらと前置きを書くのは嫌いだ。深木志麻の話をしよう。どこから話せばと考えれば、私が文芸部に入った頃からの話が必要だろう。
 私は初等科から志麻と同じ校舎で学んだが、これしきも縁がない。ただ共通点はある。他者への無関心だ。志麻は身なりからそうだが、他人に気を使わない性格だ。特定の領域になると人が変わったようにのめり込む。職人気質な部分は何となくわかっていた。
 高等科に進学して気質は変わらない。
「確かに部活動は三人以上じゃないと部費も下りないし、公式としては認められないわ。私が入れば正式に活動できるわけね。でも私が文芸部に入るとどんなメリットがあるのか理解できないから、他を当たればいいわ」
志麻はくしゃくしゃと髪をかきむっている。ホコリが舞う。あまり気味のいい状態ではない。髪を洗っていないのだろう。全くもって女子らしさがない。成南学園はAO入試を取り入れているため、面接を行うが、志麻がどうやって合格したかまかふしぎだった。
「おいー」
「お話は以上なら失礼させていただくわ」
「メリットはあるわよ」
 お嬢様風な言葉遣いをする同級生が松崎陽花だ。初頭部からの顔なじみだが志麻と同じく縁がない。
その仕草といい言葉遣いといい品が良くて慎ましい姿は、成南学園の生徒という鋳型に当てはめられたものでしかなく、何の面白みも感じない。
煙たい存在でしかないので距離を置いていたわけだが、凛としたそのときの物言いに私の心が揺さぶられた。
 何か燃えるような情熱を私は見た。人が何に気持ちを動かされるのか観察するのは好きだ。ついツンツンしたくなる。
 私は足を止めて陽花の話を聞く。
「一つ目。あなたは所属している弁論部には行っていないわね。二か月以上、活動実績がない子は退部になる。そうなれば所属する部活・サークルを決めなければいけないわ」
「二つ目。文芸部の部室は別館校舎に設置します。日当たりもよく静かな環境で、勉強熱心な樫原さんにはぴったりの空間だと思うの」
「三つ目。個人的なお願いだけど。志麻の家庭教師をしてほしいの。あなたは理系科目でトップクラスだから」
「私を調べていたのね。でも、ずいぶんとご熱心ね。私以外に声をかけたけど、誰も入ってくれなかった?」
 皮肉を飛ばすのも昔から知っている。
「私たち三人は初頭科の頃から顔を知っている間柄。何度も会えば多少なりとも行動パターンは見えてくるわ」
「三つ目の家庭教師ね。もちろん見返りはあるわよね?」
「もちろん深木志麻先生は懐の広い御方だわ」
 ニッコリした松崎陽花の笑顔は完璧なものだ。こうして私は入部した。
「小説家なんて博打じゃないの」
「そう解釈しても構わないわ。でも私は志麻の才は本物と信じている。彼女といると
 深木志麻には過ぎたるものがある。松崎陽花は最高の懐刀だ。理に聡い。そう言うタイプは話が分かるから符合しやすい。
 部員は総勢六人になって私は思うままに作品を批判した。自分でも小説を書いてみて思った。意外といけるかもしれない。専業では厳しいけど、アルバイト程度なら可能だ。
 机に座って文をこしらえるだけで、お金が貰えるならこんな楽な仕事はない。
 私は書くより読むほうが好きだ。他者の作品の批判となれば、舌鋒鋭くなる。特に松崎陽花との掛け合いは何度も行っている。相手も論理的思考力が高い持ち主でいい感じの返しが小気味いい。
「タイトルは零例では分かりづらいわ。零は片仮名のゼロの例題に変えたほうがいい」
「ありきたりすぎるでしょ。零例だけで零がないと伝わる」
「タイトルは単なる羅列じゃだめなのよ」
 思っている以上にユーモラスがない。やはり鋳型だ。
 定例の日は永遠と論議は続ける。空き時間はカモミールティーを啜りながら、志麻が苦手とする理系科目の家庭教師をしていた。
 ある日。妙な出来事に遭遇した。
「体を診てくれないか」
「あら私に頼み事? 珍しいわね」
「医者の娘なら得意だろ?」
 志麻が自分から私に何かをお願いするなんて滅多にない。しかも触診だなんて。医者の娘だから多少なりとも心得はある。
「喉をまず見せて」
 志麻はアーッといいながら口を開く。
「問題なさそう」
 あとは触診だ。志麻は心疾患を患っていると聞いた。確かに胸の鼓動は不整脈なところがある。
「何か気になるところが?」
「胸だよ」
 志麻は押し殺した声で聞いてきた。確かにデリケートな部分だ。
「しこりがあるみたいだけど」
 志麻の右の胸は押すと硬い物がありました。
「いてっ」
「痛いの。なら念のために病院で診てもらったらどう?」
 志麻は手を振って拒絶した。訳を聞くと妙なことを言いだした。
「たいしたことないだろ」
「乳がんになる確率は低いかもしれないけど。あなたは不摂生な生活を送り過ぎている。作家としてのストレスもあるから、発がん率は人より高いはず」
「理責めでくるねえー」
「冷やかさなくていいわよ。ありのままを言っただけ」
「どうせ人は死ぬし。癌かー」
「大変よ。放射線治療をすればお金もかかるし、禿げてしまうわよ」
「なんでー?」
「がん細胞を破壊するときに通常の細胞も破壊してしまうの」
「ハゲは困るぜ。何とかならないのか?」
「命を失うのと治療で髪が抜けるのを天秤にかけたら選ぶまでもないでしょう」
「死ぬことは悪くはない」
 志麻はじっと掌を眺めていた。心臓が悪いとは聞いていたから、志麻にとって死は近しいものだった。でも持病で死ぬのは嫌だったのかもしれない。もっと違う理由で死を甘美したい気持ちが創作者としてはあった可能性は否めない。
「今死んだら、あなたのマネージャーさんはどうするの?」
「陽花か? あいつらなら大丈夫だろ。いずれデビュー出来るよ」
「他の子は? あなたがコケにしている藤垣さんや白樺さんは?」
「知らん。俺は才能ないやつに興味ない。頑張れって話。いやなら辞めればいいだろ?」
「あなたの体だからいいけど。悪化するようなら病院に行くべきだわ。手遅れになってからじゃ遅いわよ。後悔先に立たず」
 私は人の迷っている姿を見るとくすぐりたくなる。志麻は面白い。
「相変わらず冷たいわね」
「プログラミングの課題が分からないから教えてくれ」
 志麻は鞄からクシャクシャのテスト用紙が出します。志麻は文系の科目にはめっぽう強いですが、理系はからきし駄目でした。特にプログラミングは全くだ。
 私からすれば簡単すぎてうたた寝をしながらでも解けてしまうが、向かない子は本当にだめだ。志麻の回答を見た。実際に稼働しているシステムがあったならば、エラーを起こして大問題になるレベルだ。
 どこから説明すればいいのか困る。志麻は恐らく疑問点を洗い出せていない。
「何でA=Bって書いたのに。このif文の中に入らないんだ?」
 if文とは判定式を指す。与えられた条件に合致した場合にプログラミング処理を実行するというものだ。
「言わせてもらうけど。あなたはイコールの演算子の意味を理解していない」
「はあ? どう見ても等しいって意味だろうが?」
「プログラミングの世界では違う。イコール一つは代入するって意味だから。あなたが書いた構文じゃ永久に判定式の中に入らないわよ」
「教えろ。明日の学食は奢る」
「会長様はたいしたお願いの仕方をするわね」
 私は紙にさらりと書いて説明してやる。例えば「A=B」という式がある。これは変数Aに値Bを代入するという意味になる。ちなみにプログラミングにおいてイコールを意味するのは「==」と書く。
 最期までかみ砕いて説明したが、志麻は納得していない様子だ。一から世界を創る紙の化身である小説家と、定められた世界観でのみで挙動するプログラミングは相性が悪そうだ。
文芸部のメンバーは私と白樺真木はプログラミングが得意で教えることがあった。その際は、しっかりと対価をもらった。
弱点はあれども深木志麻はサークル内では女王である。圧倒的に他者への無関心、弱者への冷淡さを兼ね合わせている。
「だめ、つまらん」
「やり直せ」
「下らない作品を書いているんじゃねえ!」
 等々。昭和の文豪さながらのだめ出しを行い、藤垣美星は怒り出し、銀杏小夏は泣きじゃくっていた。
 志麻が持つ創作への原動力は何か大変興味があった。だから私は美術部を抜けて文芸部に正式に入部を決意した。
 傍若無人。
 馬耳東風。
 我田引水。
 志麻を例える言葉は悪いものばかり。
 人気の小説家にして嫌われ者の深木志麻はどのようにして死ぬのだろう。
 暴君はいずれ倒れる。彼女を打倒し次代の王となるのは誰だろうか。深木志麻はその存在自体がストーリー性を秘めている。
 天才に相応しい最期を見てみたい。自殺だろうか?
 だが私はあまりにも残念な死を迎えると考える。深木志麻は胸の病魔のために命を落としたのだ。あのしこりは悪性新生物。いわゆる癌だ。
                                                   完

 部屋の灯りが付いて朗読が終わる。
「朗読ありがとう。とても興味深い、樫原さんの皮肉が効いた作品だったわ。あなたはイヤミスの名手になりそう。あなたの呟くような朗読は皆の気持ちをゾワゾワさせて、最後にゾクリとされるもの。お疲れ様、どうぞ席にお戻りに」
 陽花は負けずに実歩に負けない皮肉を吐いた。
「だから言ったでしょ。面白い作品をお見せできるって」
「どうもありがとう」
 笑顔で罵り合うことができるのは女の特権だった。
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