七宝物語

平野耕一郎

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終章 決起

35.四面楚歌

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 烈王軍は、恐怖の王の命ずるままに七道へ向かった。八月十六日。烈王軍は、予期していた未来を、現実のものとした。周りが連合軍に覆われていると。聖都より百キロのこの地にて、彼らは完全包囲された。退路絶たれている。

 烈王軍は、ただ左右後方の敵への警戒を怠らず、南都へ向かえという無茶苦茶な命を発する。兵たちは烈王への恐怖から、それに従う。

 彼らが目指した南。そこは烈王への恨みが強い土地であり、何としてでも敵を倒そうという集団だ。彼らは異常な血眼になった敵に恐怖した。かといって、烈王への畏怖も侮り難く、無残に殺されていくが、彼らは数に言わせ前を
目指す。

 戦いより五日が経つ。開戦時、十万人いた軍勢は昔日の面影もなく、一万人足らずに減っていた。討ち取られたか、逃亡したか、どちらかであった。

 烈王は先陣切って、敵を切り崩す。彼はかつてないほどの怒りの感情をぶつけられていた。敵は以前とは比べ物に
ならないほど、固い。

 これでいい……

 怒りや憎悪がもたらす力は強大だ。俺はこいつらの上を行く力をもって砕いてやる。

 彼を先鋒とする軍は、死兵と化した。眼前にある敵をただひたすら蹴散らすのみである。

 恐れをなしたのか、烈王軍への攻撃はぴたりと止む。

「敵は?」

「は、一時退却をした由にございます」

 数も一段と減っている。ざっと見渡して、三千。

「一人でも火都に帰還しろ。都に戻れば、後詰の五万がいる。勝機はある」

「はい」

 兵の声は蚊の鳴くほどに小さく、涙声だった。

「何だ、あの歌は?」烈王は聞いた。

 最初はかすかにだったが、徐々に声は大きくなりいつしか大合唱になった。

「なんと……」

「あれは、火竜の歌ではございませんか?」

 知っている。その歌は、彼自身の歌だ。一言一句間違えず歌うことができる。

 天を割り

 地を穿つ

 迅雷のごとく竜よ

 汝はいずこへ行かん

 一節の歌だった。

 歌なんて興味なかったが。国家は、国歌を持つという。一国の主なら、一編の歌詞ぐらい作れるようにと聡士が言っていた。考えるなんてしたくもないから、適当に諳んじた歌が、参の国の歌なった。  

異論は出るはずもない。

「どうやら多くの軍は投降したとようだ」 

 打ち首だ、終身労働だ、と烈王の隣にいた官史が喚いている。

「俺は活路を見出す。この道を通ればお前たちも、火都に帰れるだろう。当然、降伏するのもよかろう」

 烈王にしては、諦めがよかった。

「これより天を割る!」

 転変。一気に火都に戻る。王の決闘を果たす。すべては頂きに立つため。

 彼は人知れず竜となる。人としての意識が、日々遠のいている。恐らく身が獣になり、元には戻れなくなるのだろ
う。転変は最後の手段だが、それもまた人生だ。
 

 連合軍は赤き竜の存在を目に焼き付かせた。あれが、うわさに聞く烈王の化身か、と。

「あの姿じゃ、交渉は不可能ですね」

 聡士の言葉に治樹はそうだろうと思った。竜となることに喜びを見出す王など前例がない。彼の持つ鉾は過激で、最も邪悪な精霊が宿っている。使いこなすのもやっとのはずだが、あろうことに彼は常々天に火を噴く竜となる。

「降伏は難しそうだな」

「ええ、彼は西王と決闘を申し込んでいる。彼が勝てば、全ては変わるでしょう」

「彼が降伏するより、難しいだろう」

 今はね、と聡士は心に中で呟いた。

「私を西王の前へ連れ出してください」

「降伏を取り持つというのか?」

「もちろん。だから私は出てきた」

「わかった」

 治樹には、圧倒的に自分より長い生を生きている外見は青年である彼の心中を図れずにいた。いったい何を考えて
いるのやら。

「殿下、西王殿下より使者が参っております」

「何だ?」

「急ぎ着陣せよという知らせにございます」

 わかった、と彼はつぶやいた。

「さあ、腹をくくって我々の主のもとにはせ参じようじゃないか?」

「ええむろんです」

 治樹は、この圧倒的に不利な状況でなぜ朗らかに笑っていられるのか、理解しがたかった。普通なら逐電するはず
だ。まあ逃げたとしても、所詮この世は西王の張り巡らした王の糸により、居場所がすぐに察知されてしまうだろう。

 西王という万物の覇者から逃れる唯一の手段は、彼女を弑して新たなる諸王の王になるほかにない。

「それができたら……」

 そっぽを向きながら治樹はぼやいた。横にいる聡士の気味の悪い笑みを遠ざけるには抗するしかなかった。

「兵力を撤退させて正解です」

 流星は、コクンと頷いて見せる。

「人の身なりをしても、千人力の男が猛獣に身をやつしては叶わない」

 焼き焦がされた体が、警鐘を鳴らしていた。

「だが烈王の兵は、ずいぶんと減った。これで南都の、伍国の無念は晴らされた。完全にではないが」

「ええ」

「あとは烈王」

「そうです。やつの首を」

 部下の目が血走る。誰もが勝てない相手。憎しみの根源である烈王の死を望んでいた。奪われたものは数知れない。

「西王と決闘するそうだ」

「殿下ご自身ではないのですか?」

「私は、進言をしているところだ。これより西王の元にはせ参じる。王が一堂に会する。私が、私こそが決闘の舞台に立つにふさわしいと申し伝える」

「ぜひ伍の仇は、殿下の手で!」

「もちろんそうなれば、何と望ましいか」

 部下は涙ぐんでいた。だが、事はそう簡単にうまくいくだろうか?

 流星は体内を駆け巡るすさまじい炎の激痛を知っている。普通なら苦しみに苦しみを重ね、死ぬことができる。だが彼は王。なまじ死ぬことがない。彼は死を許されていない存在だ。終わりを与えられず、辛うじて生き残った。烈王の炎は、未だ流星の胸でくすぶり続けていた。

 西王軍は、余裕だった。彼女の軍勢はどこへ遠征に行っても、常に規律がよく落ち着きに満ちている。それは軍の総帥である西王自身の性格に起因しているものだろう。

 七法堂。ここに西王軍の本陣はある。西王は軍にあれこれ支持するわけではなく、最期に決定を下す時だけ口をは
さんだ。あとは諸事参謀長などの作戦を立てるのが得意な面々に任せていた。すでに勝敗は決している。あとは知恵
のある者に任せれば問題なかった。

ただ、王の決闘を除いては。

「王たちをここへ呼んできなさい」

「了解」

 西王は、いつものことながら脇にいた夕美に命じる。彼女はまるで狗のように動いた。戦いはあっけなかった。抗
う者は死に、降伏する者は赦した。烈王軍の大半は、奴隷だった。そもそも彼に忠義の念など毛頭ない。恐怖で従っ
ていただけだ。

 戦いの決着は近い。彼には一時の猶予を与えるつもりだ。二人きりの会合で、決闘を申し込まれた。これに足して、降伏を突きつける。

 大罪人の烈王は、二つの選択肢を与えられた。温情に近い措置だ。問題は誰を使者として使わせるか。誰にしよう
か王を集めて話し合う場が必要だ。

 平和は近くまで迫っている。でも一歩間違えれば、世は大混迷に陥るだろう。これ以上無駄な血は流さずに、どう
処理をつけるかが鍵だった。

 あのわんぱく坊やが、世を恐怖に貶める王となり育てた自分に剣を向けるとは。彼女にとってごく最近の思い出。新暦に生まれた最初の王と聖女。二人は姉弟だった。しかし、お互いに双方の持っていない面を持ち合わせており、まったくと言っていいほど共通点は存在しなかった。

 明暗が分かれている。現在、明が尽きていて、著しくバランスは崩れている。暗黒が世を包み込もうとしている。
今こそ光と闇の調和を取る必要がある。

 彼が決闘を申し込むというのなら、思い通りにさせてやろうと西王萌希は考えている。

 彼の持つ鉾が自分の腕輪にどう歯向かおうというのか、交わって確かめよう。

 萌希は、左手につけた金の腕輪をそっと撫でた。まるで自分の可愛いペットを愛でるかのように。

「殿下、例の者たちがお目通りを願い出ております」

「通しなさい」

「よろしいので? 奴らは戦場地を駆けずり回る卑しいハイエナですぞ?」

「構いません。彼らの力を侮ってはなりません」

「はい」

 少したって彼らはやってきた。

 服や靴は、各地を歩き回ったことで汚れ、顔に泥がついていた。何やら汗臭さが西王のいる陣地に漂う。到底王や
聖女に謁見できる身分の者たちではなかった。

「さあ、地に這いつくばり、頭を垂れよ」

 彼らを連れてきた下士官の声が響き渡る。彼は王より移譲された官吏の権利を、余すことなく使った。彼らは言わ
れるとおりに土下座をした。

「いいか、お前たちのような下郎の身でこちらにおられる西王殿下にお会いできることなどあり得ないのだ。粗相の
なきようにせよ」

 彼らは戦地をレンズに収め、世に言い伝える記者だった。時に過酷な戦地に巻き込まれ死ぬものや半身不随になる
ことがある危険な職業に就く者だ。その危険性から、戦地に赴くことなく風評をさも事実であるように書く記者もい
て、世の評判は芳しくない。

 時に乱世の世にて、戦地を部外者にうろうろされることを各国も忌み嫌っていたから、彼らをハイエナと卑しむ者
もいる。

 そんな厳しい世論の中で、一人彼らの保護者がいる。

 西王は彼らの権利を認めており、戦地を報道させることを一部だけ許可した。国が発表する事実は時に語弊がつき
ものだ。今次の戦いで壱の国が勝利し、長き戦乱が終わったことを民衆に伝えるのに、記者のような彼らに近い存在
の必要性を知っていた。

 かくして、王と記者による質疑が始まる。

 王の民衆に対しての意志や、この戦いの意義など。適切な質問が飛び、西王がこれに逐一答えていった。

 質疑の時間が終わりに差し掛かったとき、記者たちに問うた。あまりにも突然のことだったが、彼女の素振りは至
って平然としていた。

「貴方たちを突き動かす報道への原動力は、どのようなものなのですか?」

 ふと西王の問いに記者は互いに目を合わせる。予期せぬ質問だった。彼らは、恐れ多くも質問をする側で、高位に
頂く者の言葉をまとめるのが仕事だった。記者が、質問をぶつけることなど経験上なかったのだ。

「こら! 返事をせよ!」


 たまらず下士官の罵声が飛ぶ。

 黙っていられなくなり、彼らの一人がたどたどしく話をする。

「我らは。ただ戦争がもたらす惨状や、事の成り行きを民衆に報道したい一心で、ご無礼を承知でこの度謁見させて頂いておる所存にございます」

 先頭で頭を下げる彼が代表で言う。

 西王はしばし黙る。大事なことがあるときは、少し黙考するのが彼女の癖だった。

「よき考えかと。私のような為政者が民衆に伝えるより、貴方達のような存在が報道で伝える方が、真実味があるか
もしれません」

「時に殿下。一つ質問を」

「何でしょう?」

「この七道の地にて、烈王をいかに遇する所存でしょうか?」

「今は言えません」

 萌希はきっぱりという。

「ですが言葉で伝えなくても、あなた方が歴史的瞬間をカメラに捉えられることをお約束致しましょう」

 澄んだ西王の顔が太陽に照らされ、一層彼女を高貴な者に仕立てた。会見は終わりだ。

 下士官がさがれ、さがれという。お目通りの時間は終わりだと声高に記者たちをその場から追いやった。記者たちにあらゆる存念があったが、彼らにはもう時間がなかった。あとは、戦地で東西の覇権をかけた争いを直に目にする
ことで、何が起こり得るのか判断するしかなかった。
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