記憶にない思い出

平野耕一郎

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年老いた狼Ⅴ 探索

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 人々のざわめきは夜に静寂を与えない。喧騒感にあふれた都心に板倉は戻ってきた。何にも不自由しない若者の活気があふれる街・渋谷。

 便利さは時に人を惑わす。人がごみごみしていたところは昔から好きになれない。群れるから事件は起こる。お互いが自分の領域を守っていればいさかいは起きないものだ。

 人は当たり前だが、よく群れる。どこからともなく現れては消えていく。誰も横にいる奴のことなんか気にしない。これだけ大勢の人間がいていさかい起きないのはあり得ない。

 刑事は群衆の中に埋もれた犯人を追いかける。些細な矛盾を探し出して、群衆に埋もれようとしている犯罪者を引きずってでも捕まえる。

 今日捕えるべき犯人が訪れるパーティ会場は渋谷イーストタワーにある。正面玄関には等間隔で、黒服の警備員が置き石のように敷き詰められていた。

「ただの社長就任パーティなのに、ずいぶん物々しいですね。

「脅迫状だよ。香西正彦のもとに届いたそうだ」

「え、そうですか? 殺害予告のような?」

「知らん。伊崎って俺と相棒組んだ奴に聞いて調べてもらったが、情報があまり降りてきていないらしい」

「不思議ですね。でも勝手にやって来ましたが、中にどうやって入るんです?」

「大丈夫だ。昔のツテを使う。伊崎に頼んである」

「誰です?」

「俺の相棒だった奴だよ。伊崎はPCの扱いが得意だ。お前も教えてもらえ」

「はい?」

 板倉はスマホで伊崎を呼び出した。

「板倉だ。正面玄関にいる。中に入れてくれ」

 万全の体制で来ている。ガードは表に30人か。ガラス越しに見たところ中も相当の数だ。覆面警官もいるだろうから予想以上にいるだろう。

「中にも民間の警備員だけじゃなく、刑事たちもいるな」

 板倉は些細な挙動から刑事と警備員の違いを判別していた。刑事は素性を隠していても目つきがやはり違うものだ。柱の下でスマホをいじっているやつ。パーティ会場の出入り口で受付をやっているやつ。刑事はなるべく悟られないよう視線を合わせない。

「板倉さん」

 背後からひそひそと話しかける声がした。

「伊崎か」

「お久しぶりです。こっちです。正面玄関に突っ立っていないでください。聞きましたよ、今謹慎中でしょ?」

 板倉と秋山は伊崎に連れられ反対の北玄関に連れてかれた。警備は手薄で二人しかいない。伊崎は刑事手帳を付きつけ、二人をビルの中に入れた。

「本当に来ましたね。事件を聞いて調べてみましたが、香西沙良はこの数か月ピタリと表舞台から姿を消したそうです」
「大体9月ぐらいからだろ? 沙良が消えたのは」

 今は2月だから。時期としては合致する。

「そうです。なぜです?」

「香西沙良は九月に事故に遭って2ヶ月ほど別人として生活していたんだよ。そいつが記憶をどうにか取り戻して今日に至るわけだ。メールで説明しただろ?」

「確かに時期的に会いますね」

「正彦は沙良を差し置いて社長になるつもりだ。おい、脅迫状っていうのはどんなやつだ?」

 伊崎は言いづらそうに話し出した。

「アルファベットのZだけでして。それと何日か前から数字が送られてきたそうです」

「どういう意味だ?」

 文字が脅迫状なのか判別が全く付かなかった。

「Z。香西沙良のZ。あいつからの死の脅迫状?」

 板倉にも判別が付かなかった。香西沙良をローマ字に置き換えればKozaiSaraになるわけだが。

「実は上から詳細な情報は降りてきませんので。謎の記号が送られてきたのは確からしく、ただのいたずらじゃないのかと現場は混乱しています」

 算数字の八に縦線を引いた記号。何のこっちゃさっぱり分からない。板倉は記号を横にして考えていたが、結局何もできていない。

「秋山、お前は何か知っているか?」

 秋山はいやいやと首を振った。

 送り主の沙良と正彦だけはわかる、いわゆる暗号なのかもしれない。また暗号か。アナグラムといい、忌々しい限りだ。香西沙良は子どもだ。ずる賢い頭のいい悪さを考えるのが上手い子ども。

 誰もお前を叱る人間がいなかったのかと、言われたとしても沙良が気にしなかった。ただ今回の事件はあまりにも時間をかけて過ぎている。注意する大人がいなければ、子は好き勝手やるだろう。

 香西沙良は中身が子どものまま大人になった人間だろう。

 社会を完全に遊園地だと思ってやがる。板倉は尾坂夫妻を殺害後、悠々とシャワーを浴びアイスクリームを食べ煙草を吸っていた沙良を捕まえたくて仕方なかった。

「伊崎、お前にも協力してもらうぞ。香西沙良、お前も覚えているだろ? 十年前の銀座で起きた交通事故だよ」

「懐かしいですね。追突された車には子どもが乗っていましたよね。酷いやけどを負って助かったのは奇跡だっていう話でしたよね」

「そいつが香西沙良だよ。大人になって道を踏み外したわけだ。事故があの娘を怪物にしたのか、元々怪物なのかは知らん。ただゆく先々で事件に巻き込まれている。偶然か、必然かは分らんが」

 ただと板倉は続けて言う。

「罪を犯した奴には公正な裁き場に引き出すのが俺たちの仕事だ。そうだろ?」

「現場の捜査員は香西沙良が伯父の正彦を狙っていることを知っているんですか?」

「板倉さんの創造を話しても納得するわけがないでしょ? 現場がますます混乱するだけですよ」

 確かに実の姪が伯父に嵌められて死にかけて、復讐しに自ら乗り込んで来るなんて考えようがない。現場の捜査官と指揮をしている上層部に尾坂家の一件を話しても理解ができないだろう。

「俺たち3人でどこにいるのか香西沙良を止めるしかないわけだ」

 板倉はじっと若い刑事二人を見た。

「伊崎は情報を適宜スマホで情報を共有してくれ。手錠は秋山、お前がかけろ」

「いいんですか。香西沙良はとむさんが追っていた犯人じゃ?」

「お前が掛けろ。いい経験になるだろ」

 犯人の確保は刑事としての集大成である。犯人を誰かあぶりだし、見張り、最後に確保する。一連の流れができて一人前の刑事といえる。秋山への最後のOJTのつもりだった。
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