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第20話
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あの、夢のような告白の夜から、数日が過ぎた。
週明けの市役所では、一つの大きな噂が、あっという間に全てのフロアを駆け巡っていた。
長谷川家と、市議会議員の早乙女家との縁談が、正式に破談になった。
その噂は、尾ひれがついて、様々な憶測を呼んでいたが、私にとっては、ただそれだけが事実だった。
そして、噂のもう一人の当事者である早乙女京華さんは、その日から「体調不良」を理由に会社を休んでいるらしい。
私は、パソコンのデスクトップにひっそりと保存していた「退職願」と名付けられたワードファイルを、そっとゴミ箱のアイコンへとドラッグした。
俊くんとの関係は、職場では一応秘密にしようということになった。
あまりにドラマチックな展開すぎたし、これ以上要らぬ噂の的になるのは避けたかったからだ。
けれど、隠そうとすればするほど、私たちの間に流れる空気は明らかに以前とは違う色を帯びていた。
朝、私が「おはようございます」と挨拶をすれば、彼はぶっきらぼうながらも、「……ああ」と、低い声で返事をくれる。
仕事中ふとした瞬間に視線が絡み合えば、お互いに心臓が跳ねるのを感じながら、慌てて逸らす。
その、くすぐったいような甘い空気を、周りの同僚たち特に鋭い佐藤くんが見逃すはずもなかった。
「長谷川さーん、黒崎さーん、今日のランチは、ご一緒じゃないんスかー?」
ニヤニヤと全てを分かったような顔で、彼は事あるごとに私たちをからかってくる。
そのたびに俊くんが、絶対零度の視線で佐藤くんを黙らせるのが、最近の企画課のお決まりのパターンになっていた。
◆◇◆
その週の金曜日のことだった。
仕事終わりに私が帰る支度をしていると、俊くんが私のデスクに小さなメモをそっと置いていった。
『日曜、10時。駅前の時計台で』
たったそれだけの短い文章。
デートのお誘い。
そのあまりにも不器用で彼らしい誘い方に、私は思わず一人声を出して笑ってしまった。
◆◇◆
そして、日曜日。
私は一時間以上も、クローゼットの前で仁王立ちしていた。
何を着ていけばいいのだろう。
大人っぽく見えた方がいい?
でも気合が入りすぎてる、って思われるのも恥ずかしい。
ぐるぐると同じことを考え続け、結局一番自分らしいと思える、シンプルな白いワンピースを選んだ。
待ち合わせ場所の駅前の時計台に着くと、少しだけそわそわした様子で壁に寄りかかってたたずむ彼の姿があった。
グレーのTシャツに黒いパンツ。
いつもスーツ姿しか見ていなかったから、そのラフな私服姿が、なんだかとても新鮮で、そしていつもよりずっと若く見えた。
「……よお」
私に気づいた彼が、照れくさそうに片手を上げる。
「……こんにちは」
私も緊張で、ぎこちない挨拶を返す。
十四年ぶりの、恋人としてのデート。
お互い、どう振る舞っていいのかまったく分からない。
「……どこ、行くか」
「……そう、ですね」
会話が続かない。
その光景は、まるで付き合い始めたばかりの、不器用な中学生のようだった。
結局私たちはあてもなく街をぶらぶらと歩き始めた。
そのぎこちない沈黙さえも、なぜか心地よく感じられるのが、不思議だった。
◆◇◆
歩いているうちに私たちの足は自然と、高校時代の思い出の場所へと向かっていた。
よく二人で部活帰りに寄り道をした、海辺の公園。
「……変わらないな、ここも」
潮風に目を細めながら、彼がぽつりと呟く。
「……そうですね」
ベンチに二人並んで座り、きらきらと光る穏やかな海を眺める。
その時、彼がおもむろに私の手を、ぎこちなくそして優しく握った。
彼の大きくて少しだけ汗ばんだ手。
その不器用な温かさに、私の心臓がまた大きく跳ねた。
「……悪かったな、今まで」
彼が、海を見つめたまま言った。
「え……?」
「もっと、早くこうしていればよかった」
夕日に照らされた彼の横顔は、深い後悔とそしてそれ以上の深い愛情の色を浮かべていた。
「……ううん」
私はそう、首を横に振った。
「遠回りしたから、今があるんだよ」
私はそう言って、握られた彼の手に、そっと自分の指を絡め力を込めた。
十四年という、長くてそして短い時間。
私たちはたくさんのものを、失くしてそしてたくさんのことで傷ついた。
でもきっと、無駄な時間なんて一つもなかったのだ。
失われた時間を取り戻すように、私たちはゆっくりと、しかし確かに、新しい一歩を踏み出した。
もう決して、離さないように。
もう二度と、見失わないように。
*****
失われた時間を取り戻すように、ゆっくりと、しかし確かに、二人の新しい物語が紡がれていく。
*****
週明けの市役所では、一つの大きな噂が、あっという間に全てのフロアを駆け巡っていた。
長谷川家と、市議会議員の早乙女家との縁談が、正式に破談になった。
その噂は、尾ひれがついて、様々な憶測を呼んでいたが、私にとっては、ただそれだけが事実だった。
そして、噂のもう一人の当事者である早乙女京華さんは、その日から「体調不良」を理由に会社を休んでいるらしい。
私は、パソコンのデスクトップにひっそりと保存していた「退職願」と名付けられたワードファイルを、そっとゴミ箱のアイコンへとドラッグした。
俊くんとの関係は、職場では一応秘密にしようということになった。
あまりにドラマチックな展開すぎたし、これ以上要らぬ噂の的になるのは避けたかったからだ。
けれど、隠そうとすればするほど、私たちの間に流れる空気は明らかに以前とは違う色を帯びていた。
朝、私が「おはようございます」と挨拶をすれば、彼はぶっきらぼうながらも、「……ああ」と、低い声で返事をくれる。
仕事中ふとした瞬間に視線が絡み合えば、お互いに心臓が跳ねるのを感じながら、慌てて逸らす。
その、くすぐったいような甘い空気を、周りの同僚たち特に鋭い佐藤くんが見逃すはずもなかった。
「長谷川さーん、黒崎さーん、今日のランチは、ご一緒じゃないんスかー?」
ニヤニヤと全てを分かったような顔で、彼は事あるごとに私たちをからかってくる。
そのたびに俊くんが、絶対零度の視線で佐藤くんを黙らせるのが、最近の企画課のお決まりのパターンになっていた。
◆◇◆
その週の金曜日のことだった。
仕事終わりに私が帰る支度をしていると、俊くんが私のデスクに小さなメモをそっと置いていった。
『日曜、10時。駅前の時計台で』
たったそれだけの短い文章。
デートのお誘い。
そのあまりにも不器用で彼らしい誘い方に、私は思わず一人声を出して笑ってしまった。
◆◇◆
そして、日曜日。
私は一時間以上も、クローゼットの前で仁王立ちしていた。
何を着ていけばいいのだろう。
大人っぽく見えた方がいい?
でも気合が入りすぎてる、って思われるのも恥ずかしい。
ぐるぐると同じことを考え続け、結局一番自分らしいと思える、シンプルな白いワンピースを選んだ。
待ち合わせ場所の駅前の時計台に着くと、少しだけそわそわした様子で壁に寄りかかってたたずむ彼の姿があった。
グレーのTシャツに黒いパンツ。
いつもスーツ姿しか見ていなかったから、そのラフな私服姿が、なんだかとても新鮮で、そしていつもよりずっと若く見えた。
「……よお」
私に気づいた彼が、照れくさそうに片手を上げる。
「……こんにちは」
私も緊張で、ぎこちない挨拶を返す。
十四年ぶりの、恋人としてのデート。
お互い、どう振る舞っていいのかまったく分からない。
「……どこ、行くか」
「……そう、ですね」
会話が続かない。
その光景は、まるで付き合い始めたばかりの、不器用な中学生のようだった。
結局私たちはあてもなく街をぶらぶらと歩き始めた。
そのぎこちない沈黙さえも、なぜか心地よく感じられるのが、不思議だった。
◆◇◆
歩いているうちに私たちの足は自然と、高校時代の思い出の場所へと向かっていた。
よく二人で部活帰りに寄り道をした、海辺の公園。
「……変わらないな、ここも」
潮風に目を細めながら、彼がぽつりと呟く。
「……そうですね」
ベンチに二人並んで座り、きらきらと光る穏やかな海を眺める。
その時、彼がおもむろに私の手を、ぎこちなくそして優しく握った。
彼の大きくて少しだけ汗ばんだ手。
その不器用な温かさに、私の心臓がまた大きく跳ねた。
「……悪かったな、今まで」
彼が、海を見つめたまま言った。
「え……?」
「もっと、早くこうしていればよかった」
夕日に照らされた彼の横顔は、深い後悔とそしてそれ以上の深い愛情の色を浮かべていた。
「……ううん」
私はそう、首を横に振った。
「遠回りしたから、今があるんだよ」
私はそう言って、握られた彼の手に、そっと自分の指を絡め力を込めた。
十四年という、長くてそして短い時間。
私たちはたくさんのものを、失くしてそしてたくさんのことで傷ついた。
でもきっと、無駄な時間なんて一つもなかったのだ。
失われた時間を取り戻すように、私たちはゆっくりと、しかし確かに、新しい一歩を踏み出した。
もう決して、離さないように。
もう二度と、見失わないように。
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失われた時間を取り戻すように、ゆっくりと、しかし確かに、二人の新しい物語が紡がれていく。
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