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第3話:時間の裂け目
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それは、ほんの数秒のことだった。
いつも通る公園の入り口。
図書館の昼休みに、ふらっと立ち寄っただけのつもりだった。
けれど蓮は、その数秒間の違和感を一生忘れないだろう。
◆
蝉の声。
木漏れ日。
風で揺れるブランコの鎖。
ベンチに座る老婆。
そして、自販機に小銭を入れてジュースを買おうとしている男子中学生。
全てが一度、止まったように感じた。
——いや、違う。止まったのではない。戻ったのだ。
蓮の目の前で、空を飛んでいた鳥が、まるで巻き戻されるように軌道を逆走した。
ブランコが揺れていた鎖が一瞬ぴたりと止まり、次の瞬間には先ほど揺れていた位置へ戻った。
老婆がベンチで広げていた新聞が、風にあおられる前に戻るように折り畳まれ、
中学生の手元から落ちた小銭が、チャリンと音を立てながら再びポケットに吸い込まれた。
そして、蝉の鳴き声が——一瞬だけ逆再生のように濁った。
蓮はその場に立ち尽くしていた。
足がすくんで動けない。
世界の“記憶”が、一瞬だけ後ろ向きに滑ったような、そんな感覚だった。
「……なに、今の」
喉の奥から、乾いた声が漏れる。
誰にも届かない。自分にすら届かない。
心臓が早鐘を打つ。
(これは……偶然じゃない)
自分の見間違い、錯覚、記憶違い。
そうやって片付けるには、あまりに確かな“戻り”だった。
まるで、世界がほんの少しだけ“巻き戻し”されたような。
ベンチの老婆がふと立ち上がり、公園の出口へ歩いていった。
先ほどジュースを買おうとしていた中学生は、まだポケットに小銭を探している。
蓮は、その場から一歩も動けなかった。
自分だけが、その“裂け目”を認識したという実感があった。
やがて、ゆっくりと歩き出す。
身体が冷えている。震えに似た緊張が指先から背筋へと這い上がる。
あの瞬間、自分だけが「時間の外側」に弾き出されていた。
そう感じた。
(あの手紙……)
再び脳裏をよぎる、あの言葉。
「記憶は歪み、存在が希薄になる。
時間を動かす代わりに、誰かの“痕跡”が消える」
蓮はポケットからスマートフォンを取り出すと、歩きながら手紙の写真を見返した。
自分自身の筆跡。未来からの手紙。
あれは妄想でも、遊びでもなかった。
(“時間”は、もう動き始めてる)
そんな確信だけが、蓮の中に残った。
◆
図書館に戻っても、集中できなかった。
棚を整理している途中、ふと指が止まる。
一冊の本が、やけに違和感を放っていた。
タイトルは『時間の哲学入門』。
厚い本ではない。読みやすい新書判だ。
けれど、その本がなぜこの棚にあるのか、まったく記憶になかった。
「……こんな本、あったか?」
つぶやきながら、ページをめくる。
すると、あるページに赤線が引かれていた。
“記憶とは、その人の中に存在していた証であり、
記憶の消失はその存在が「この世界から削除される」ことを意味する”
心臓が跳ねた。
まるで、自分宛てのメッセージのように見えた。
(……これは誰かが……)
いや、違う。
誰かではなく——“自分”が過去にここに置いた可能性。
未来の自分が、何かを伝えるために。
蓮は、そのページに栞を挟み、ポケットに忍ばせた。
この世界に、時間の“裂け目”があるとしたら、
それは小さな歪みから始まり、やがて誰かの“存在そのもの”を削除していく。
そして、自分はすでに——そのプロセスの中に足を踏み入れてしまった。
◆
夜、帰宅すると、母がキッチンで洗い物をしていた。
蓮は、ふと話しかける。
「なあ、昔のことで聞きたいんだけど……」
「なに?」
「俺、子どもの頃、誰とよく遊んでたかって、覚えてる?」
母は水を止め、少し考えるような顔をした。
やがて、首を傾げながら答えた。
「葵ちゃんと、……えっと……誰だっけ、もう一人……いたような……」
「いた“ような”?」
「……あれ、変ね……。ほんとに、出てこない……。ずっと一緒にいた気がするんだけど」
母まで、記憶を失っていた。
(これは——ただの忘却じゃない)
(この世界から、“誰か”が消えてる)
蓮は静かに手紙の束を取り出し、一番下にあった、色褪せた便箋を広げた。
そこには、わずか数行、こう書かれていた。
「一度目は気づかない。
二度目は無視する。
三度目で、ようやく“存在の消失”に向き合うだろう。
それが君の人生の始まりだ」
蓮は震える手で便箋を畳み、引き出しに戻した。
世界は確実に歪み始めている。
誰かが、ひとりずつ“存在を消されていく”。
その先に、何があるのか。
まだ、わからなかった。
けれど、どこかで風が吹いた気がした。
それは——時間の裂け目から漏れ出した風。
いつも通る公園の入り口。
図書館の昼休みに、ふらっと立ち寄っただけのつもりだった。
けれど蓮は、その数秒間の違和感を一生忘れないだろう。
◆
蝉の声。
木漏れ日。
風で揺れるブランコの鎖。
ベンチに座る老婆。
そして、自販機に小銭を入れてジュースを買おうとしている男子中学生。
全てが一度、止まったように感じた。
——いや、違う。止まったのではない。戻ったのだ。
蓮の目の前で、空を飛んでいた鳥が、まるで巻き戻されるように軌道を逆走した。
ブランコが揺れていた鎖が一瞬ぴたりと止まり、次の瞬間には先ほど揺れていた位置へ戻った。
老婆がベンチで広げていた新聞が、風にあおられる前に戻るように折り畳まれ、
中学生の手元から落ちた小銭が、チャリンと音を立てながら再びポケットに吸い込まれた。
そして、蝉の鳴き声が——一瞬だけ逆再生のように濁った。
蓮はその場に立ち尽くしていた。
足がすくんで動けない。
世界の“記憶”が、一瞬だけ後ろ向きに滑ったような、そんな感覚だった。
「……なに、今の」
喉の奥から、乾いた声が漏れる。
誰にも届かない。自分にすら届かない。
心臓が早鐘を打つ。
(これは……偶然じゃない)
自分の見間違い、錯覚、記憶違い。
そうやって片付けるには、あまりに確かな“戻り”だった。
まるで、世界がほんの少しだけ“巻き戻し”されたような。
ベンチの老婆がふと立ち上がり、公園の出口へ歩いていった。
先ほどジュースを買おうとしていた中学生は、まだポケットに小銭を探している。
蓮は、その場から一歩も動けなかった。
自分だけが、その“裂け目”を認識したという実感があった。
やがて、ゆっくりと歩き出す。
身体が冷えている。震えに似た緊張が指先から背筋へと這い上がる。
あの瞬間、自分だけが「時間の外側」に弾き出されていた。
そう感じた。
(あの手紙……)
再び脳裏をよぎる、あの言葉。
「記憶は歪み、存在が希薄になる。
時間を動かす代わりに、誰かの“痕跡”が消える」
蓮はポケットからスマートフォンを取り出すと、歩きながら手紙の写真を見返した。
自分自身の筆跡。未来からの手紙。
あれは妄想でも、遊びでもなかった。
(“時間”は、もう動き始めてる)
そんな確信だけが、蓮の中に残った。
◆
図書館に戻っても、集中できなかった。
棚を整理している途中、ふと指が止まる。
一冊の本が、やけに違和感を放っていた。
タイトルは『時間の哲学入門』。
厚い本ではない。読みやすい新書判だ。
けれど、その本がなぜこの棚にあるのか、まったく記憶になかった。
「……こんな本、あったか?」
つぶやきながら、ページをめくる。
すると、あるページに赤線が引かれていた。
“記憶とは、その人の中に存在していた証であり、
記憶の消失はその存在が「この世界から削除される」ことを意味する”
心臓が跳ねた。
まるで、自分宛てのメッセージのように見えた。
(……これは誰かが……)
いや、違う。
誰かではなく——“自分”が過去にここに置いた可能性。
未来の自分が、何かを伝えるために。
蓮は、そのページに栞を挟み、ポケットに忍ばせた。
この世界に、時間の“裂け目”があるとしたら、
それは小さな歪みから始まり、やがて誰かの“存在そのもの”を削除していく。
そして、自分はすでに——そのプロセスの中に足を踏み入れてしまった。
◆
夜、帰宅すると、母がキッチンで洗い物をしていた。
蓮は、ふと話しかける。
「なあ、昔のことで聞きたいんだけど……」
「なに?」
「俺、子どもの頃、誰とよく遊んでたかって、覚えてる?」
母は水を止め、少し考えるような顔をした。
やがて、首を傾げながら答えた。
「葵ちゃんと、……えっと……誰だっけ、もう一人……いたような……」
「いた“ような”?」
「……あれ、変ね……。ほんとに、出てこない……。ずっと一緒にいた気がするんだけど」
母まで、記憶を失っていた。
(これは——ただの忘却じゃない)
(この世界から、“誰か”が消えてる)
蓮は静かに手紙の束を取り出し、一番下にあった、色褪せた便箋を広げた。
そこには、わずか数行、こう書かれていた。
「一度目は気づかない。
二度目は無視する。
三度目で、ようやく“存在の消失”に向き合うだろう。
それが君の人生の始まりだ」
蓮は震える手で便箋を畳み、引き出しに戻した。
世界は確実に歪み始めている。
誰かが、ひとりずつ“存在を消されていく”。
その先に、何があるのか。
まだ、わからなかった。
けれど、どこかで風が吹いた気がした。
それは——時間の裂け目から漏れ出した風。
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