25歳のキミへ

naomikoryo

文字の大きさ
4 / 11

第3話:時間の裂け目

しおりを挟む
それは、ほんの数秒のことだった。

いつも通る公園の入り口。
図書館の昼休みに、ふらっと立ち寄っただけのつもりだった。
けれど蓮は、その数秒間の違和感を一生忘れないだろう。



蝉の声。
木漏れ日。
風で揺れるブランコの鎖。
ベンチに座る老婆。
そして、自販機に小銭を入れてジュースを買おうとしている男子中学生。

全てが一度、止まったように感じた。

——いや、違う。止まったのではない。戻ったのだ。
 

蓮の目の前で、空を飛んでいた鳥が、まるで巻き戻されるように軌道を逆走した。
ブランコが揺れていた鎖が一瞬ぴたりと止まり、次の瞬間には先ほど揺れていた位置へ戻った。
老婆がベンチで広げていた新聞が、風にあおられる前に戻るように折り畳まれ、
中学生の手元から落ちた小銭が、チャリンと音を立てながら再びポケットに吸い込まれた。

そして、蝉の鳴き声が——一瞬だけ逆再生のように濁った。
 

蓮はその場に立ち尽くしていた。
足がすくんで動けない。
世界の“記憶”が、一瞬だけ後ろ向きに滑ったような、そんな感覚だった。

「……なに、今の」

喉の奥から、乾いた声が漏れる。
誰にも届かない。自分にすら届かない。
心臓が早鐘を打つ。

(これは……偶然じゃない)

自分の見間違い、錯覚、記憶違い。
そうやって片付けるには、あまりに確かな“戻り”だった。

まるで、世界がほんの少しだけ“巻き戻し”されたような。
 

ベンチの老婆がふと立ち上がり、公園の出口へ歩いていった。
先ほどジュースを買おうとしていた中学生は、まだポケットに小銭を探している。
蓮は、その場から一歩も動けなかった。
自分だけが、その“裂け目”を認識したという実感があった。

やがて、ゆっくりと歩き出す。
身体が冷えている。震えに似た緊張が指先から背筋へと這い上がる。
あの瞬間、自分だけが「時間の外側」に弾き出されていた。
そう感じた。

(あの手紙……)

再び脳裏をよぎる、あの言葉。

「記憶は歪み、存在が希薄になる。
時間を動かす代わりに、誰かの“痕跡”が消える」

蓮はポケットからスマートフォンを取り出すと、歩きながら手紙の写真を見返した。
自分自身の筆跡。未来からの手紙。
あれは妄想でも、遊びでもなかった。

(“時間”は、もう動き始めてる)

そんな確信だけが、蓮の中に残った。
 


図書館に戻っても、集中できなかった。
棚を整理している途中、ふと指が止まる。
一冊の本が、やけに違和感を放っていた。

タイトルは『時間の哲学入門』。
厚い本ではない。読みやすい新書判だ。
けれど、その本がなぜこの棚にあるのか、まったく記憶になかった。

「……こんな本、あったか?」

つぶやきながら、ページをめくる。
すると、あるページに赤線が引かれていた。

“記憶とは、その人の中に存在していた証であり、
記憶の消失はその存在が「この世界から削除される」ことを意味する”

心臓が跳ねた。
まるで、自分宛てのメッセージのように見えた。

(……これは誰かが……)

いや、違う。
誰かではなく——“自分”が過去にここに置いた可能性。
未来の自分が、何かを伝えるために。
 
蓮は、そのページに栞を挟み、ポケットに忍ばせた。
この世界に、時間の“裂け目”があるとしたら、
それは小さな歪みから始まり、やがて誰かの“存在そのもの”を削除していく。

そして、自分はすでに——そのプロセスの中に足を踏み入れてしまった。


 
夜、帰宅すると、母がキッチンで洗い物をしていた。
蓮は、ふと話しかける。

「なあ、昔のことで聞きたいんだけど……」

「なに?」

「俺、子どもの頃、誰とよく遊んでたかって、覚えてる?」

母は水を止め、少し考えるような顔をした。
やがて、首を傾げながら答えた。

「葵ちゃんと、……えっと……誰だっけ、もう一人……いたような……」

「いた“ような”?」

「……あれ、変ね……。ほんとに、出てこない……。ずっと一緒にいた気がするんだけど」

母まで、記憶を失っていた。

(これは——ただの忘却じゃない)
(この世界から、“誰か”が消えてる)

蓮は静かに手紙の束を取り出し、一番下にあった、色褪せた便箋を広げた。
そこには、わずか数行、こう書かれていた。

「一度目は気づかない。
二度目は無視する。
三度目で、ようやく“存在の消失”に向き合うだろう。
それが君の人生の始まりだ」

蓮は震える手で便箋を畳み、引き出しに戻した。
世界は確実に歪み始めている。
誰かが、ひとりずつ“存在を消されていく”。

その先に、何があるのか。
まだ、わからなかった。

けれど、どこかで風が吹いた気がした。

それは——時間の裂け目から漏れ出した風。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。 「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく… なお、スピンオフもございます。

処理中です...