25歳のキミへ

naomikoryo

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第2話:思い出せない誰か

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小雨が降っていた。

9月の終わり、夏の残り香を引きずる湿った風の中、蓮は駅前の喫茶店でぼんやりとコーヒーを飲んでいた。
職場の図書館からの帰り道、ふと昔の記憶がこみ上げてきて、気づけばこの店に足を運んでいた。

窓の外では、傘をさした高校生たちが笑いながら歩いている。
笑い声に混じって、自分の中にもかすかなざわめきが残る。

(思い出せない……何を……?)

それは数日前、机の奥から見つけた一通の手紙がきっかけだった。
「25歳の君へ」と書かれた、幼い頃に読んだ覚えのある手紙。
読み返すうちに、忘れていた何かが、じわじわと胸の奥をかき回していた。


「人を救うたびに、誰かの名前が思い出せなくなる」

あの言葉が脳裏に焼きついて離れない。

“救う”とは何を意味しているのか。
“誰かの名前”とは、誰のことなのか。
その輪郭すら、今の蓮には掴めなかった。
 


「……やっぱり、蓮くん?」
 
声がして顔を上げると、店の入り口に立っていたのは、一人の女性だった。
傘をたたみながらこちらに微笑みかけるその姿に、蓮は一瞬、時間が止まったような感覚に襲われた。

「……葵?」

「やっぱり、そうだよね。びっくりした。こんなとこで会うなんて!」

懐かしい声だった。
中学卒業以来、会っていなかった幼なじみ。
切りそろえた前髪と、柔らかくカールした髪。
その雰囲気は少し大人びていたけれど、笑ったときの目元は、10歳の頃と変わらなかった。

「お久しぶり……偶然だね」
「うん、今ちょうど実家に帰ってきててさ。おばあちゃんの通院の付き添いで、しばらくこっちにいるんだ」

葵はそう言いながら、蓮の向かいの席に腰を下ろした。
それから、ふっと表情を緩める。

「変わってないね、蓮くん。前からちょっとぼんやりしてたけど、今もやっぱり、なんか……夢の中にいるみたい」

「……たぶん、それは今も夢の中だから」

「何それ、詩人っぽい」

笑い合う空気は、昔に戻ったように柔らかかった。
けれど、葵がふと口にした言葉が、その空気を一変させた。

 
「ねぇ、覚えてる? 昔さ、私たち3人でよく遊んでたでしょ? 公園の裏の森のとことか、秘密基地とか……」

蓮は、コーヒーカップを持つ手を止めた。

「……3人?」

「うん。私と、蓮くんと……」

その先が出てこなかった。
いや、葵が言葉を詰まらせたのではない。
蓮が、その“もう一人”の名前を聞き取ろうとするよりも早く、頭の中が空白になったのだ。

(誰……?)

そこに誰かがいたことは、わかる。
3人で笑っていた記憶も、森の中で夕陽を見ていた記憶もある。
けれど——そこにいた“誰かの顔”も、“名前”も、思い出せない。

胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。

「……ごめん。思い出せないんだ」

葵は、少し驚いたように蓮を見た。
だがすぐに微笑みを浮かべて、首を傾げた。

「ううん、いいの。急に言われても忘れてるよね、子どもの頃のことなんて。……でも、ちょっと悲しいな」

その言葉が、まるで誰かの声のように心に響いた。

(悲しい……そうか、俺は……)

たしかに、自分も今、泣きそうだ。
何も思い出せないくせに、胸の奥にぽっかりと穴が開いている。
まるで誰かを亡くしたときのような感情。

でも、死んだわけじゃない。
誰かが“いなくなっている”だけだ。

それは記憶からの消失——まるで最初から存在しなかったかのように。


「蓮くん……もしかしてさ」

葵が口を開く。
その目は、どこか不安を含んでいた。

「最近、何か変な夢とか見てない?」

「……夢?」

「うん、何かを呼んでるんだけど、誰を呼んでるのかわからない、そんな感じの……」

その言葉に、蓮の胸がざわついた。
(見た。確かに……そんな夢を)

夢の中で、誰かが泣きながら名前を呼んでいた。
けれど、その“名前”は、どうしても聞こえなかった。
 

「……ねぇ、葵」

蓮は目を伏せたまま、声を絞り出した。

「その“もう一人”って……誰だったんだろうな」

葵はしばらく黙っていた。
やがて、ふっと笑って、答えた。

「私も……名前、思い出せないの。顔も、ぼんやりしてる。
でも、いたんだよ、確かに。私たちのそばに」

蓮は強くうなずいた。
そうだ、いた。絶対にいた。
でも、思い出せない。記憶が——何かに上書きされている。

まるでその人物が、最初から「存在しなかった」かのように。

「人を救うたびに、誰かの名前が思い出せなくなる」

(……まさか)

蓮は思い始めていた。
これは単なる記憶の問題ではない。
何かが、時間そのものが、改変されているのではないか——と。

「蓮くん」

葵が静かに言った。

「もしかして、私たち、何か大事なことを忘れてるんじゃないかな」

蓮はその言葉に、深く頷いた。
曖昧な輪郭の中に、確かな痛みだけが残っていた。
それは、存在の余白に刻まれた、消えてしまった“誰か”の痕跡だった。
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