25歳のキミへ

naomikoryo

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第8話:世界の修正

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朝、目が覚めたとき、最初に気づいたのは音の違和感だった。
部屋にはいつもと変わらぬ光が差し込み、風の音も、窓の外のざわめきもある。
なのに——それらがわずかに“ずれて”聞こえる。
まるで1秒だけ、すべての時間が先に進んでしまっていたような感覚。

蓮は、ゆっくりと身を起こし、ベッドから降りた。
目覚まし時計はきっちり7時を指している。
だが、テレビの天気予報では午後の降水確率60%とアナウンスされているのに、窓の外はすでに小雨が降っていた。

(……少しずつ、ズレてる)

昨夜、翔太を助けたことによって、世界は“修正された”。
そしてその修正は、目に見えないほど小さなひずみとして、日常に入り込んでいた。



図書館に出勤すると、妙な空気に気づいた。
スタッフ用の掲示板に、見覚えのない名前の当番表が貼られていた。
「主任補佐:平田瑠衣(ひらたるい)」——そんな人、いたか?
覚えていない。
けれど、周囲は何の違和感もなくその名を口にしている。

さらには、来館者名簿に翔太の署名があった。
達筆ではないが、間違いなく、あの翔太の筆跡だった。

蓮は思わず息を飲む。
(……生きてる)

これが、自分が変えた世界。
でも、それと同時に——消えたものもある。

葵の痕跡は、どこにもなかった。
名簿も記録も、SNSの繋がりも、共通の思い出も。

昨日まで確かに存在していた“葵”という名が、世界から削除されたのだ。
 

蓮は耐えきれず、母に電話をかけた。

「なあ……昔、俺の友だちで“葵”って名前の子、いなかったっけ?」

母はしばらく黙っていた。
やがて、おだやかな声で答える。

「葵ちゃん? ……うーん……その名前、聞き覚えはあるけど、誰だったかしら……ごめんね、ちょっと思い出せないわ」

(やっぱり、消えた)

頭では理解していた。
存在が修正されるということは、記憶だけでなく“記録”も、世界のあらゆる座標も再編されるということ。

葵のいない世界。
それが、翔太が生きている“今”の姿だった。



午後、図書館の裏庭で、一人の男が蓮に話しかけてきた。
スーツを着た、年配の男。
笑っていたが、その笑みの裏に何かを隠しているような目をしていた。

「氷室蓮さん……ですよね?」

「……どちら様ですか」

「神原です。神原光一。——あなたのお父様の、研究関係者です」

その名前に、蓮の背中が強張った。
過去に、父のノートで見た名。
翔太の“事故”に関与していたとされる人物。

「……父は、あなたのせいで——」

「彼は優秀でした。ただ、信じすぎた。時間は操作できると。
だが、我々の立場は違います。“時間を操作することが可能である”という事実を、制御下に置かねばならない」

「制御……?」

「あなたは、昨日の夜、干渉装置を使いましたね。翔太という少年を救うために」

「……!」

「いい判断でしたよ。価値のある命だった。だが……それにより、世界は少しずつ“不安定”になり始めている」

神原は、鞄から一枚の資料を取り出す。
そこには、街の人口統計と、地理座標のわずかなズレ。
蓮の住む町の“構造”が、わずかに変化している証拠が示されていた。

「このままでは、さらなる代償が生じます。
我々は、あなたの協力のもと、“次の干渉”を計画しています」

「……は?」

「この街は、すでに二度、あなたによって修正されました。
三度目が来れば、“固定”されるでしょう。
その瞬間、あなたの過去も、存在も、“上書きされる”」

「……俺の存在が?」

「選びなさい、氷室蓮。
これからも過去を修正し続けるのか、
それとも、“円環”の中で記憶を守るのか」

神原はそう言い残して去っていった。



その夜、蓮は机の上に並べた写真を見つめていた。
翔太とのツーショット。——新しく“書き換えられた”過去の記録。
笑っていた。肩を並べて、まるで何事もなかったかのように。

でも——
どんなに見ても、そこには葵が写っていなかった。

どの写真にも、どの思い出にも、葵という名前は存在しなかった。
けれど、心の奥にある小さな空洞だけが、そこに彼女がいたことを“知っている”。

(なぜだろう……顔も思い出せないのに、
涙だけは、勝手にこぼれる)

——そう、これは“痛み”だ。

それが、“存在”が消えたあとに残す、唯一の証拠。
 

「記憶は消えても、痛みは消えない。
だから、お前は迷い続けるだろう。
救いたいものと、失いたくないものの、あいだで——」

蓮は、震える手で手紙を握った。

次に選ぶべきもの。
それが何かを、もう一度考えなければならない。

翔太の命。
葵の存在。
父の真実。
自分自身の記憶と、未来。

全てが“修正”された世界の上で、今も、ゆっくりと軋みながら、回り続けている。

「……次は、誰が消える?」

蓮はそう呟いた。

答える声は、なかった。
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