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第35話「音を失くした日、君の声があった」
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「……ごめんなさい……」
その一言が、スタジオの空気を凍りつかせた。
レッスン室には、防音の壁と調音材が張られ、
鏡張りのスタジオには、たった2人。
凛音と天音。
そして、2人のボイストレーナー。
「天音ちゃん、今日はちょっと喉の調子悪いかな?焦らなくていいよ」
トレーナーが柔らかく言ってくれたけど、
天音の心は、ちっとも落ち着いてくれなかった。
彼女の声は、明らかに伸びがなかった。
高音が少しかすれて、タイミングもずれて、リズムも不安定。
……ただの“疲れ”じゃない。
本人が、一番それを感じていた。
(どうしよう……声が出ない)
(怖い。凛音の隣に立てなくなるのが、怖い……)
凛音は何も言わず、ただ彼女をじっと見ていた。
天音はそれが、余計に辛かった。
◆
レッスン後。
外はもう暗く、夜風が涼しく吹いていた。
凛音は黙って、天音の荷物を持ってやった。
「帰るぞ」
「……うん」
歩き出してからも、二人の間には言葉がなかった。
それが珍しくて、天音はなおさら焦ってしまう。
(もしかして、怒ってる……?)
(私のせいで、足引っ張ってるって思ってる……?)
もう、どうしたらいいか分からなかった。
ついに天音は、立ち止まった。
「凛音……ごめん。今日、全然ダメで……」
「……ああ」
「声が、出ないの。分かってるのに、体が反応してくれない。
歌いたいのに、うまくいかないの。怖いよ……どうしよう……」
その場で、涙が溢れた。
凛音は何も言わずに、天音の前に立った。
そして――そっと、彼女の頭に手を置いた。
「……バカか、お前は」
「っ……」
「歌えない時は、休めばいい。
誰だって、調子が悪い日くらいある。
喉の不調だって、プロでもある」
「でも……初ライブなのに……私……」
「だから、ちゃんと“守る”って言ったろ。
お前の声が出ない日くらい、俺の声でカバーしてやる。
それが“ユニット”ってもんだ」
天音の涙が、ぼろぼろこぼれた。
それでも彼女は、ぎゅっと目をつぶって首を振った。
「でも……それじゃ、私が隣に立ってる意味がない。
ただ守られてるだけじゃ、私、嫌なの……!」
凛音は目を細めた。
しばらく黙って、天音を見ていた。
そして――
「お前な、わかってねぇ」
「えっ……?」
「隣に立ってる意味?
もう“ある”だろ。お前が、俺の隣に“いる”ことが、意味だ」
「……」
「俺の声が、お前と重なったときだけ、ちゃんと音楽になる。
一人じゃ足りねぇ。
二人で“R+T”だ。
歌うってのは、音を出すことじゃねぇよ。
お前がそこにいて、俺がいて――
その瞬間が、歌になるんだよ」
天音は、息を飲んだ。
そして、ようやく――ほんの少しだけ、笑った。
「……凛音って、ほんと、時々ずるい」
「今さら」
「でも、ありがとう。
泣いても、ダメでも、声が出なくても。
隣で“意味”があるって言ってくれるの、嬉しかった」
凛音は、何も言わず、天音の涙を親指でそっと拭った。
「少し休め。
無理して潰れたら、それこそ“意味”がねぇ」
「うん……ごめん、私……ちゃんと、休む」
「えらい」
「……なにそれ、子ども扱い?」
「お前が泣くたびにガキに戻ってるのは事実」
「むぅ……」
そうして二人は、また並んで歩き出した。
さっきよりも、肩が少し近い。
言葉がなくても、伝わる距離だった。
◆
その夜、天音はリビングでマスクをしたままソファに寝転がっていた。
喉を休めるため、温かいはちみつレモンを飲んでいた時、
スマホが震えた。
送信者:凛音
「明日、何もなかったら歌わなくていい。
ただ、そこに来い。
お前がいるだけで、音楽は始まる」
その言葉に、胸がいっぱいになる。
そして、返信はせず、ただ画面にキスをした。
「……うん。行くよ、凛音」
声にならないその言葉が、心の奥でやさしく響いた。
【つづく】
その一言が、スタジオの空気を凍りつかせた。
レッスン室には、防音の壁と調音材が張られ、
鏡張りのスタジオには、たった2人。
凛音と天音。
そして、2人のボイストレーナー。
「天音ちゃん、今日はちょっと喉の調子悪いかな?焦らなくていいよ」
トレーナーが柔らかく言ってくれたけど、
天音の心は、ちっとも落ち着いてくれなかった。
彼女の声は、明らかに伸びがなかった。
高音が少しかすれて、タイミングもずれて、リズムも不安定。
……ただの“疲れ”じゃない。
本人が、一番それを感じていた。
(どうしよう……声が出ない)
(怖い。凛音の隣に立てなくなるのが、怖い……)
凛音は何も言わず、ただ彼女をじっと見ていた。
天音はそれが、余計に辛かった。
◆
レッスン後。
外はもう暗く、夜風が涼しく吹いていた。
凛音は黙って、天音の荷物を持ってやった。
「帰るぞ」
「……うん」
歩き出してからも、二人の間には言葉がなかった。
それが珍しくて、天音はなおさら焦ってしまう。
(もしかして、怒ってる……?)
(私のせいで、足引っ張ってるって思ってる……?)
もう、どうしたらいいか分からなかった。
ついに天音は、立ち止まった。
「凛音……ごめん。今日、全然ダメで……」
「……ああ」
「声が、出ないの。分かってるのに、体が反応してくれない。
歌いたいのに、うまくいかないの。怖いよ……どうしよう……」
その場で、涙が溢れた。
凛音は何も言わずに、天音の前に立った。
そして――そっと、彼女の頭に手を置いた。
「……バカか、お前は」
「っ……」
「歌えない時は、休めばいい。
誰だって、調子が悪い日くらいある。
喉の不調だって、プロでもある」
「でも……初ライブなのに……私……」
「だから、ちゃんと“守る”って言ったろ。
お前の声が出ない日くらい、俺の声でカバーしてやる。
それが“ユニット”ってもんだ」
天音の涙が、ぼろぼろこぼれた。
それでも彼女は、ぎゅっと目をつぶって首を振った。
「でも……それじゃ、私が隣に立ってる意味がない。
ただ守られてるだけじゃ、私、嫌なの……!」
凛音は目を細めた。
しばらく黙って、天音を見ていた。
そして――
「お前な、わかってねぇ」
「えっ……?」
「隣に立ってる意味?
もう“ある”だろ。お前が、俺の隣に“いる”ことが、意味だ」
「……」
「俺の声が、お前と重なったときだけ、ちゃんと音楽になる。
一人じゃ足りねぇ。
二人で“R+T”だ。
歌うってのは、音を出すことじゃねぇよ。
お前がそこにいて、俺がいて――
その瞬間が、歌になるんだよ」
天音は、息を飲んだ。
そして、ようやく――ほんの少しだけ、笑った。
「……凛音って、ほんと、時々ずるい」
「今さら」
「でも、ありがとう。
泣いても、ダメでも、声が出なくても。
隣で“意味”があるって言ってくれるの、嬉しかった」
凛音は、何も言わず、天音の涙を親指でそっと拭った。
「少し休め。
無理して潰れたら、それこそ“意味”がねぇ」
「うん……ごめん、私……ちゃんと、休む」
「えらい」
「……なにそれ、子ども扱い?」
「お前が泣くたびにガキに戻ってるのは事実」
「むぅ……」
そうして二人は、また並んで歩き出した。
さっきよりも、肩が少し近い。
言葉がなくても、伝わる距離だった。
◆
その夜、天音はリビングでマスクをしたままソファに寝転がっていた。
喉を休めるため、温かいはちみつレモンを飲んでいた時、
スマホが震えた。
送信者:凛音
「明日、何もなかったら歌わなくていい。
ただ、そこに来い。
お前がいるだけで、音楽は始まる」
その言葉に、胸がいっぱいになる。
そして、返信はせず、ただ画面にキスをした。
「……うん。行くよ、凛音」
声にならないその言葉が、心の奥でやさしく響いた。
【つづく】
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