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スピンオフ編【一ノ瀬悠真】:第8話「静かな始まり、名前のない関係」
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日常は、何事もなかったかのように過ぎていく。
凛音への想いを告げて終わらせた翌日も、
教室には昨日と同じ雑音が流れ、
グラウンドには昨日と同じ風が吹いていた。
でも、悠真の中では何かが確かに変わっていた。
――誰の隣にもなれなかった自分。
――けれど、誰かの隣に立ってもいい自分。
その微かな可能性が、
まだ名前のない感情として、心の奥にゆっくりと灯っていた。
◆
昼休み。
悠真は中庭のベンチに座って、紙パックのジュースを飲んでいた。
陽がやわらかく差し込むこの時間帯は、
にぎやかな教室を少しだけ離れるのにちょうどいい。
「……ここにいると思った」
声がして振り返ると、夏菜が日陰からひょっこり顔を出していた。
制服のカーディガンを肩から羽織り、片手にはおにぎりがひとつ。
「食べる?」
「……なんで持ってきてんだよ、俺の分まで」
「余ってたから。ってことにしておく」
軽い調子で言いながら、彼女は悠真の隣に腰を下ろした。
近すぎず、遠すぎず。
何も言わなければ、たぶん他人からは“友達”にしか見えない距離。
だけど、悠真の中ではその距離が、いつもよりちょっとだけ、特別に思えた。
「……昨日、凛音に話した」
「うん。知ってた。顔に出てた」
「そんなに?」
「めっちゃ出てた。というか、出てたっていうか……消えてた、かも」
「消えてた?」
「うん。なんかね、“重たいもの”が取れた顔してた」
「それ見て、あぁ、ちゃんと終わらせたんだなーって思った」
悠真は笑った。
夏菜のそういう“言葉選び”が、時々、ものすごく沁みる。
「ありがとう」
「……ん?」
「お前が、そういうふうに言ってくれるから、俺も前に進める」
「……それだけ」
「ふーん。じゃあ私も何か言っていい?」
「なに」
「私はね、まだ“進まない”よ」
悠真は目を丸くした。
「今すぐ、恋人になりたいとか、そういうんじゃないの。
ただ……ちゃんと、知りたいなって思っただけ」
「悠真ってさ、凛音のことでいっぱいいっぱいだったじゃん?
でも、そこから抜けた今の悠真って、
私が思ってるより、もっと違う人かもしれないでしょ」
「だったら、私が知らない“悠真”を、ちゃんと見てからじゃないと……」
言葉が途切れる。
風が二人の間を通り抜けていった。
「じゃないと?」
悠真が聞き返すと、夏菜は少し照れくさそうに、ジュースのストローをかじった。
「……じゃないと、“好きになるかもしれない”って言えないでしょ」
悠真の胸が、どくんと脈打った。
それは“好きです”ではなかった。
“付き合ってください”でもなかった。
けれど――その言葉は、それ以上に優しく、誠実だった。
「……そっか。
じゃあ俺も、ちゃんと知りたい。お前のこと」
「え、私の? なにそれ、なんか恥ずっ」
「夏菜が、どんな音楽聴くとか、どんな映画が好きとか。
家でどんな顔してんのかとか、寝起きとか、意外と掃除苦手そうなとことか」
「ちょ、ちょっと! 想像で決めつけないで!」
「だってさ、俺、お前のこと“親友の付き添い”みたいにしか見てなかったから。
ちゃんと、知り直したいって思った」
夏菜は、ぽかんとした顔をしてから、目をそらしてふっと笑った。
「……やっとスタート地点に立った気分」
「うん。俺も」
二人は、ただ並んで座って、空を見上げた。
隣にいるのに、まだ“恋人”じゃない。
でも、“ただの友達”でも、もうなかった。
名前のない関係。
でも確かな、始まり。
◆
放課後、校門の前。
帰り道は、今日は別々。
夏菜が自転車にまたがりながら、ふと振り返って言った。
「じゃあ、また明日。ちゃんと、クラスで会おうね」
「おう。教室の隅の定位置、俺の席だからな」
「うん、それは譲らないでね」
言って、笑って、手を振って。
その後ろ姿が、少しだけ特別に見えた。
(名前なんて、今はまだいらない)
(でも、これが始まりなら――)
(きっと、悪くない)
悠真はそう思って、歩き出した。
凛音への想いを告げて終わらせた翌日も、
教室には昨日と同じ雑音が流れ、
グラウンドには昨日と同じ風が吹いていた。
でも、悠真の中では何かが確かに変わっていた。
――誰の隣にもなれなかった自分。
――けれど、誰かの隣に立ってもいい自分。
その微かな可能性が、
まだ名前のない感情として、心の奥にゆっくりと灯っていた。
◆
昼休み。
悠真は中庭のベンチに座って、紙パックのジュースを飲んでいた。
陽がやわらかく差し込むこの時間帯は、
にぎやかな教室を少しだけ離れるのにちょうどいい。
「……ここにいると思った」
声がして振り返ると、夏菜が日陰からひょっこり顔を出していた。
制服のカーディガンを肩から羽織り、片手にはおにぎりがひとつ。
「食べる?」
「……なんで持ってきてんだよ、俺の分まで」
「余ってたから。ってことにしておく」
軽い調子で言いながら、彼女は悠真の隣に腰を下ろした。
近すぎず、遠すぎず。
何も言わなければ、たぶん他人からは“友達”にしか見えない距離。
だけど、悠真の中ではその距離が、いつもよりちょっとだけ、特別に思えた。
「……昨日、凛音に話した」
「うん。知ってた。顔に出てた」
「そんなに?」
「めっちゃ出てた。というか、出てたっていうか……消えてた、かも」
「消えてた?」
「うん。なんかね、“重たいもの”が取れた顔してた」
「それ見て、あぁ、ちゃんと終わらせたんだなーって思った」
悠真は笑った。
夏菜のそういう“言葉選び”が、時々、ものすごく沁みる。
「ありがとう」
「……ん?」
「お前が、そういうふうに言ってくれるから、俺も前に進める」
「……それだけ」
「ふーん。じゃあ私も何か言っていい?」
「なに」
「私はね、まだ“進まない”よ」
悠真は目を丸くした。
「今すぐ、恋人になりたいとか、そういうんじゃないの。
ただ……ちゃんと、知りたいなって思っただけ」
「悠真ってさ、凛音のことでいっぱいいっぱいだったじゃん?
でも、そこから抜けた今の悠真って、
私が思ってるより、もっと違う人かもしれないでしょ」
「だったら、私が知らない“悠真”を、ちゃんと見てからじゃないと……」
言葉が途切れる。
風が二人の間を通り抜けていった。
「じゃないと?」
悠真が聞き返すと、夏菜は少し照れくさそうに、ジュースのストローをかじった。
「……じゃないと、“好きになるかもしれない”って言えないでしょ」
悠真の胸が、どくんと脈打った。
それは“好きです”ではなかった。
“付き合ってください”でもなかった。
けれど――その言葉は、それ以上に優しく、誠実だった。
「……そっか。
じゃあ俺も、ちゃんと知りたい。お前のこと」
「え、私の? なにそれ、なんか恥ずっ」
「夏菜が、どんな音楽聴くとか、どんな映画が好きとか。
家でどんな顔してんのかとか、寝起きとか、意外と掃除苦手そうなとことか」
「ちょ、ちょっと! 想像で決めつけないで!」
「だってさ、俺、お前のこと“親友の付き添い”みたいにしか見てなかったから。
ちゃんと、知り直したいって思った」
夏菜は、ぽかんとした顔をしてから、目をそらしてふっと笑った。
「……やっとスタート地点に立った気分」
「うん。俺も」
二人は、ただ並んで座って、空を見上げた。
隣にいるのに、まだ“恋人”じゃない。
でも、“ただの友達”でも、もうなかった。
名前のない関係。
でも確かな、始まり。
◆
放課後、校門の前。
帰り道は、今日は別々。
夏菜が自転車にまたがりながら、ふと振り返って言った。
「じゃあ、また明日。ちゃんと、クラスで会おうね」
「おう。教室の隅の定位置、俺の席だからな」
「うん、それは譲らないでね」
言って、笑って、手を振って。
その後ろ姿が、少しだけ特別に見えた。
(名前なんて、今はまだいらない)
(でも、これが始まりなら――)
(きっと、悪くない)
悠真はそう思って、歩き出した。
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