8 / 55
第8話「姉たちの恋愛査問会」
しおりを挟む
金曜日の夕方。
雨が降る気配はなかった。
空は薄曇りで、風も穏やか。
学校帰りの道を、桐嶋凛音は足早に歩いていた。
「ただいま」
玄関を開けると、甘いアロマの香りが鼻先をくすぐった。
リビングの奥から、微かにキータイプ音。
由依だ。
彼女は大手企業の部長でありながら、基本は家でテレワーク。
弟の動向を逐一監視するこの家の実質的な“管理者”である。
「おかえり。ちょうど今、姉弟会議を開こうと思ってたところよ」
声が、落ち着きすぎていて、逆に怖い。
リビングに入ると、
由依はPCを閉じて、すでに準備されていた大判ノートをテーブルの上に広げた。
そのページの見出しには、達筆な文字でこう書かれていた。
《凛音恋愛疑惑に関する調査報告および対応方針会議》
「は?」
口から出たのは、一言の疑問だけだった。
それ以上の反応が出てこない。
というか、出せない。
「じゃあ、開会宣言。議長は長女・桐嶋由依。議題は“凛音の現在の恋愛状況と、その背景に関する調査および対応策”」
「意味がわからん」
「わからなくて結構。説明するから黙って聞いてて」
由依のメガネの奥の目が光る。
この人がこうなると、どんなに正論を吐いても意味がない。
ソファにはすでに、美咲と紗奈がスタンバイしていた。
美咲はスマホでなにやらSNSをチェック中。
紗奈は抱き枕をぎゅっと抱いて、すでに泣く準備をしている。
この布陣は、もはや“凛音処刑会”でしかない。
「議題1:凛音の交友関係の急激な変化」
由依が読み上げると同時に、美咲がスマホを凛音の顔の前に突きつけた。
「これ見て! 天音ちゃんって子でしょ? 凛音と同じクラスで、超絶美少女ってバズってんの」
「えっ、マジ? これバズってんの?」
「桐嶋凛音の隣の席にいる女の子がヤバいって話題。コメント欄には“俺もあの隣に生まれたかった”って書いてある。私もそう思う」
「知るか!」
「で、だ。ここからが本題」
由依がノートの次のページをめくる。
「凛音、お前、白石天音さんと“二人で下校”したことあるわね?」
「……見てたのかよ」
「監視はしてない。報告が上がってきただけ」
「報告ってなんだよ」
「この家、SNSの監視AIが組み込まれてるの忘れた? 該当ハッシュタグで通知が飛ぶようにしてる」
「いや怖えよ!? 俺のプライバシーどこ行った!?」
紗奈がぽつりとつぶやく。
「……凛音くんに彼女ができたら、お姉ちゃん、本当に死ぬかも」
「死ぬな。勝手に」
「じゃあ添い寝してもらわないと、紗奈、心の安定保てない……」
「それもやめろって言ってんだろ!!」
美咲がさらに追い打ちをかけるように画像を見せてくる。
そこには、街で凛音と天音が並んで歩く写真。
しかも、モデル撮影帰りのコーディネート付き。
「この写真、撮られたこと知ってた?」
「知らねぇよ! 誰が撮ったんだこれ!」
「たぶんフォロワー。で、この天音ちゃんって子、芸能界にスカウトされてる噂あるらしい」
「は?」
「つまりね、天音ちゃんは“美少女すぎて偶然街で見かけた人間がシャッターを切ってしまう”レベルの逸材ってことよ」
由依がしれっと締めに入る。
「で、凛音」
彼女は姿勢を正し、目を細めて言った。
「この子、どんな子なの? お前は、彼女のこと、どう思ってるの?」
言葉が出なかった。
凛音は、思わず拳を握りしめた。
頭の中に浮かぶのは――
天音の、あのときの笑顔。
あっけらかんとしていて、でもどこか切なくて。
そして、自分にだけ見せてくれた、少し弱った顔。
「……いい奴だよ」
それは精一杯、正直な答えだった。
でも、それ以上を言うのは、まだ怖かった。
だから、凛音はそれだけ言って、目を伏せた。
すると、由依がほんの一拍だけ間を置いてから言った。
「そう」
そして、静かに立ち上がる。
「今日はこれで終わりにするわ。恋愛に関しては、弟の意志を尊重する主義だから」
「ほんとに尊重してる奴の態度じゃねぇ」
「でも、次に“なにかあった”ときは、ちゃんと報告してね」
その声には、どこか本気の優しさがあった。
由依は“許可を求めてる”わけではない。
ただ、“共有してほしい”だけなのだ。
凛音は、少しだけ視線を上げて言った。
「……わかった」
その一言で、由依は満足げに微笑んだ。
「よろしい」
すると、突然ソファの紗奈が立ち上がり――
「……でも、凛音くんが取られちゃうのは……絶対に嫌!」
叫んだ。
次の瞬間、彼女は突進してきて凛音に抱きついた。
「もう、ずっと凛音くんと一緒にいたいの! 天音ちゃんなんかに渡さない!」
「バカ! 離せ!」
「いや~~~~~!!」
リビングは騒然とし、
美咲は「これ、動画に撮っとこう♪」とノリノリで録画を始めた。
由依が頭を押さえてため息をつく。
「……また家がバズるわね」
それでも。
凛音の心の中には、
ほんの少しだけ、暖かい火が灯っていた。
この家はめちゃくちゃだ。
干渉も過干渉。
プライバシーなんて存在しない。
けれど
――誰よりも、自分を想ってくれている。
だから、守りたいと思う。
この日常も、
天音との関係も、
そして、自分自身の気持ちも。
ちゃんと、自分の手で選び取れるように。
【つづく】
雨が降る気配はなかった。
空は薄曇りで、風も穏やか。
学校帰りの道を、桐嶋凛音は足早に歩いていた。
「ただいま」
玄関を開けると、甘いアロマの香りが鼻先をくすぐった。
リビングの奥から、微かにキータイプ音。
由依だ。
彼女は大手企業の部長でありながら、基本は家でテレワーク。
弟の動向を逐一監視するこの家の実質的な“管理者”である。
「おかえり。ちょうど今、姉弟会議を開こうと思ってたところよ」
声が、落ち着きすぎていて、逆に怖い。
リビングに入ると、
由依はPCを閉じて、すでに準備されていた大判ノートをテーブルの上に広げた。
そのページの見出しには、達筆な文字でこう書かれていた。
《凛音恋愛疑惑に関する調査報告および対応方針会議》
「は?」
口から出たのは、一言の疑問だけだった。
それ以上の反応が出てこない。
というか、出せない。
「じゃあ、開会宣言。議長は長女・桐嶋由依。議題は“凛音の現在の恋愛状況と、その背景に関する調査および対応策”」
「意味がわからん」
「わからなくて結構。説明するから黙って聞いてて」
由依のメガネの奥の目が光る。
この人がこうなると、どんなに正論を吐いても意味がない。
ソファにはすでに、美咲と紗奈がスタンバイしていた。
美咲はスマホでなにやらSNSをチェック中。
紗奈は抱き枕をぎゅっと抱いて、すでに泣く準備をしている。
この布陣は、もはや“凛音処刑会”でしかない。
「議題1:凛音の交友関係の急激な変化」
由依が読み上げると同時に、美咲がスマホを凛音の顔の前に突きつけた。
「これ見て! 天音ちゃんって子でしょ? 凛音と同じクラスで、超絶美少女ってバズってんの」
「えっ、マジ? これバズってんの?」
「桐嶋凛音の隣の席にいる女の子がヤバいって話題。コメント欄には“俺もあの隣に生まれたかった”って書いてある。私もそう思う」
「知るか!」
「で、だ。ここからが本題」
由依がノートの次のページをめくる。
「凛音、お前、白石天音さんと“二人で下校”したことあるわね?」
「……見てたのかよ」
「監視はしてない。報告が上がってきただけ」
「報告ってなんだよ」
「この家、SNSの監視AIが組み込まれてるの忘れた? 該当ハッシュタグで通知が飛ぶようにしてる」
「いや怖えよ!? 俺のプライバシーどこ行った!?」
紗奈がぽつりとつぶやく。
「……凛音くんに彼女ができたら、お姉ちゃん、本当に死ぬかも」
「死ぬな。勝手に」
「じゃあ添い寝してもらわないと、紗奈、心の安定保てない……」
「それもやめろって言ってんだろ!!」
美咲がさらに追い打ちをかけるように画像を見せてくる。
そこには、街で凛音と天音が並んで歩く写真。
しかも、モデル撮影帰りのコーディネート付き。
「この写真、撮られたこと知ってた?」
「知らねぇよ! 誰が撮ったんだこれ!」
「たぶんフォロワー。で、この天音ちゃんって子、芸能界にスカウトされてる噂あるらしい」
「は?」
「つまりね、天音ちゃんは“美少女すぎて偶然街で見かけた人間がシャッターを切ってしまう”レベルの逸材ってことよ」
由依がしれっと締めに入る。
「で、凛音」
彼女は姿勢を正し、目を細めて言った。
「この子、どんな子なの? お前は、彼女のこと、どう思ってるの?」
言葉が出なかった。
凛音は、思わず拳を握りしめた。
頭の中に浮かぶのは――
天音の、あのときの笑顔。
あっけらかんとしていて、でもどこか切なくて。
そして、自分にだけ見せてくれた、少し弱った顔。
「……いい奴だよ」
それは精一杯、正直な答えだった。
でも、それ以上を言うのは、まだ怖かった。
だから、凛音はそれだけ言って、目を伏せた。
すると、由依がほんの一拍だけ間を置いてから言った。
「そう」
そして、静かに立ち上がる。
「今日はこれで終わりにするわ。恋愛に関しては、弟の意志を尊重する主義だから」
「ほんとに尊重してる奴の態度じゃねぇ」
「でも、次に“なにかあった”ときは、ちゃんと報告してね」
その声には、どこか本気の優しさがあった。
由依は“許可を求めてる”わけではない。
ただ、“共有してほしい”だけなのだ。
凛音は、少しだけ視線を上げて言った。
「……わかった」
その一言で、由依は満足げに微笑んだ。
「よろしい」
すると、突然ソファの紗奈が立ち上がり――
「……でも、凛音くんが取られちゃうのは……絶対に嫌!」
叫んだ。
次の瞬間、彼女は突進してきて凛音に抱きついた。
「もう、ずっと凛音くんと一緒にいたいの! 天音ちゃんなんかに渡さない!」
「バカ! 離せ!」
「いや~~~~~!!」
リビングは騒然とし、
美咲は「これ、動画に撮っとこう♪」とノリノリで録画を始めた。
由依が頭を押さえてため息をつく。
「……また家がバズるわね」
それでも。
凛音の心の中には、
ほんの少しだけ、暖かい火が灯っていた。
この家はめちゃくちゃだ。
干渉も過干渉。
プライバシーなんて存在しない。
けれど
――誰よりも、自分を想ってくれている。
だから、守りたいと思う。
この日常も、
天音との関係も、
そして、自分自身の気持ちも。
ちゃんと、自分の手で選び取れるように。
【つづく】
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
看病しに行ったら、当主の“眠り”になってしまった
星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全36話⭐︎
倒れた当主を看病する役目を振られた使用人リィナは、彼の部屋へ通うことになる。
栄養、灯り、静かな時間、話し相手――“眠れる夜”を整えていく。そして、回復していく当主アレクシス。けれど彼は、ある夜そっと手を握り返し、低い声で囁く。
「責任、取って?」
噂が燃える屋敷で、ふたりが守るのは“枠(ルール)”。
手だけ、時間だけ、理由にしない――鍵はリィナが握ったまま。
けれど、守ろうとするほど情は育ち、合図の灯りはいつしか「帰る」ではなく「眠る」へ変わっていく。
看病から始まった優しい夜は、静かな執着に捕まっていく。
それでも、捕獲の鍵は彼ではなく――彼女の手にある。
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ブラック企業で倒れた私を、ネトゲ仲間の社長が強制保護して溺愛しています
紅 与一
恋愛
過労で倒れた私を救ったのは、
ネトゲ仲間――そしてIT企業の若き社長。
「もう君は、僕の管理下だよ」
退院と同時に退職手続きは完了。
住む場所も、生活も、すべて彼に囲われた。
外出制限、健康管理、過保護な独占欲。
甘くて危険な“保護生活”の中で、
私は少しずつ彼に心を奪われていく――。
元社畜OL×執着気味の溺愛社長
囲い込み同棲ラブストーリー。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
優しい雨が降る夜は
葉月 まい
恋愛
浮世離れした地味子 × 外資系ITコンサルのエリートイケメン
無自覚にモテる地味子に
余裕もなく翻弄されるイケメン
二人の恋は一筋縄ではいかなくて……
雨降る夜に心に届いた
優しい恋の物語
⟡☾·̩͙⋆☔┈┈┈ 登場人物 ┈┈┈ ☔⋆·̩͙☽⟡
風間 美月(24歳)……コミュニティセンター勤務・地味でお堅い性格
雨宮 優吾(28歳)……外資系ITコンサルティング会社勤務のエリートイケメン
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる