手術台の下には、まだ誰かがいる

naomikoryo

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第11話:透真の過去

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 ――書いてください。
 透真さん、あなたの“記録”を。

 その声は、誰のものでもないのに、あまりに馴染み深かった。
 記憶の底から響いてくるような音。
 それはまるで、自分自身が発している声に似ていた。

 

 俺は震える指で、ファイルの表紙に手を伸ばしかけた。

 症例番号38-A
 白石 透真
 手術状態:未処置/準備中

 ページをめくると、そこには見慣れた筆跡でこう記されていた。

 

 > 初期症状:夢の中に“過去に存在しなかった病院”が繰り返し出現。
 > 同時に、他者の記憶・言動との不一致が顕在化。
 > 対象は自身の現実認識と“周囲の時間軸”との齟齬を頻発。
 > 自らを“観察者”として認識する兆候あり。
 > 記録の内在化が進行しており、他症例に影響を与える可能性。

 

 俺はその内容に、息を止めた。
 夢の中の病院――その光景は、幼いころから何度も見ていた。

 白い廊下。
 誰もいない処置室。
 注射器。
 顔のない看護師。
 そして――自分が“寝かされている”視点で繰り返される悪夢。

 

 「透真、大丈夫か?」

 久賀の声がした。
 だがその声すら、現実感がなかった。
 俺の周囲の音が、水中に沈んだように遠く、鈍くなっていく。

 足元が、軋む。

 壁の時計が、時間を巻き戻し始める。

 23:12 → 22:47 → 21:30 → 19:05

 記憶と現実が、同じ速度で“逆再生”されていく。

 

 気がつくと、俺は暗い病室に立っていた。

 窓の外は夜。
 看護師の詰所の灯りだけが、廊下をうっすらと照らしている。

 ベッドの上に、ひとりの少年が横たわっていた。

 10歳前後。顔は見えない。
 だがその体格、寝姿、吐く息の間隔――

 間違いない。俺だ。

 

 これが、最初の処置の記録――

 俺は、子供の頃、すでにこの病院で処置を受けていた。
 夢ではなかった。
 記録の中に、“俺”は存在していた。

 ドアが開く音がした。

 カツ、カツ、コツ……

 ナースシューズの足音。

 顔のない看護師が、ゆっくりと歩いてくる。

 その手には、銀色のトレーと、注射器。
 中身は澄んだ液体。
 光に反射して、虹色に見える――異常に濃密な静脈麻酔薬。

 

 「白石くん、目を閉じてくださいね」

 聞き覚えのある声。

 それは――風花の声だった。

 

 違う。風花じゃない。
 けれど、風花の声と酷似した女の声。

 過去に聞いた、あの声。

 「大丈夫。すぐ終わります。次に目を開けたときは、もう何も思い出さなくていいから」

 

 針が腕に刺さる。

 皮膚を通して、液体が体内に入ってくる感覚。

 熱い。痛い。重い。

 目の奥に鈍い光。
 思考が凍る。意識が剥がれていく。

 身体が記録になる瞬間。

 

 目の前の“自分”が、カメラのように瞳を開く。
 それが“現在の俺”と重なった。

 ああ――
 俺は最初から、“記録するためにここへ戻ってきた”。

 病院が俺を呼んだのではない。
 俺が、自分で“戻ってきた”のだ。

 

 ふいに、頭の中で記録の言葉が繰り返された。

 

 「症例38-A:観察者的認識体」

 

 俺は、ただの患者ではない。
 病院の“記録装置”として、あるいはその記憶媒体として――
 既に“この建物の一部”になっている。

 

 この病院が存在する限り、俺は何度でもここへ呼び戻され、
 仲間たちと“再び記録を繰り返す”。

 同じ手術台。
 同じ足音。
 同じ看護師の声。
 全て、もう何度目かの再演。

 

 ふいに、空間が揺れた。

 目の前に、“今の俺”が戻ってくる。

 久賀と莉央がいる。
 どこか遠くで、金属音が鳴っている。

 耳鳴りのような、**「記録完了」**という音声。

 

 俺の手には、いつの間にか、銀色の注射器が握られていた。

 

 自分自身が“処置者”になっていた。

 

 「……透真、戻ってこい」

 久賀の声がする。
 だがその声すら、“上書きされる前の音声”のように遠い。

 莉央が俺に駆け寄って、肩を掴む。

 「……透真、あなたは今、“記録を終わらせる鍵”なの。
 ここに記録されてしまえば、二度と“観察者”ではいられなくなる!」

 

 ――終わらせなければ。

 俺は、そう思った。

 終わらせなければ、また誰かがここに来て、“記録される”。

 風花も、直哉も、莉央も。
 みんな“記録として保管されて”しまう。

 

 この手にあるのは、病院が最後に俺に与えた選択だった。

 注射器を自分に刺すか。

 あるいは――

 注射器を記録室の“心臓”に突き立てるか。

 

 俺は、ゆっくりと前へ進んだ。

 記録の束を――
 焼け焦げた記憶の残骸を――
 “記録者としての自分”の始まりと終わりを――

 

 ――終わらせるために。
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