初恋日記 ~恋が芽吹くその時を

naomikoryo

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08)白線の外側で

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1. 最後の朝
列車がホームに滑り込むたび、構内に響くブレーキ音とアナウンスの声が、淡々と流れる。
この地方都市に引っ越してきてから三年。拓真にとって、このローカル駅は生活の一部だった。
いつも通り、朝7時32分の電車に乗るつもりだった。でもその日、彼はなぜか一便遅い7時48分の電車を選んだ。

荷物はすでに東京へ向けて送られ、自宅にはダンボールだけが残っていた。今日は「登校」ではなく、「さよならをしに行く日」。
それなのに、急ぐ理由もなく、彼は駅のベンチに座っていた。
春の風が吹いていた。まだ少し冷たいけれど、どこか柔らかい。

駅構内のスピーカーから流れる電子音のメロディ。その旋律の中で、ふと気づくと、隣のベンチに女子高生が座っていた。
黒いカーディガンにスカート、イヤホンを片耳だけに差して、静かに何かを口ずさんでいる。

彼女はこちらに気づいていない。あるいは気づいていて、見ていないだけかもしれない。

(あの制服、見たことないな)

駅で誰かと会うことはよくあるが、彼女の顔は見覚えがなかった。

やがて、アナウンスが鳴り、電車が近づいてくる。
そのとき、彼女が急に立ち上がった。だが、足元に落ちた何かを拾おうとして、軽くバランスを崩す。

拓真はとっさに手を伸ばしかけた。

「大丈夫?」

小さく、それだけを言った。彼女はこちらを見た。

「……うん、ありがとう」

そして、白線の外側から、すぐに内側へと戻った。

その目が、なぜか印象に残った。


2. たった5分間
電車が入ってきた。2両編成の小さな車両。人は少なく、互いに干渉しない空気が流れている。

拓真はホームに残った。彼女も乗らなかった。

電車が出て行ったあと、ふたりは自然とベンチに座り直した。

「乗らないの?」
「うん、今日は。……あなたも?」

「うん。……引っ越す日なのに、なぜか急げなかった」

「ふふ、それってちょっとわかる。私も今日、学校行きたくなくて」

「どうして?」

「最後のテストで、数学……死んだの」

それを聞いて、拓真は思わず笑った。
彼女もつられて笑った。名前も知らない、たった5分の会話。でも、それがやけに心地よかった。

「ねえ、引っ越すの、どこ?」

「東京」

「遠いね」

「うん。遠い」

「名前、聞いてもいい?」

「拓真」

「私は……夕。夕方の“ゆう”。変な名前でしょ」

「変じゃない。きれいだ」

彼女が目を見開いた。そのあと、ふっと微笑んだ。

その笑顔に、なぜだか胸が熱くなった。


3. 電車の音
次の電車が来る時間が近づいていた。
ふたりの間に沈黙が流れる。

拓真は、ふとポケットから使いかけの切符を取り出した。
それを、彼女に差し出した。

「これ、記念に。たぶん、もうここには来られないから」

夕は、それを受け取った。指が触れた。
一瞬、世界が静かになったような気がした。

「ありがとう。じゃあ、代わりに、これ」

そう言って、彼女は自分のイヤホンを片方外して、彼の耳にそっと差した。
流れてきたのは、優しいピアノの音だった。
ことばではない、でも確かに伝わってくる音楽。

「これ、今朝ずっと聴いてたの。……あなたに、似合うと思う」

また電車がホームに入ってきた。

「……行かなきゃ」

「うん」

立ち上がった彼女が、最後に振り返って言った。

「元気でね、拓真」

「夕も」

そして、電車の扉が閉まり、彼女の姿が遠ざかっていった。


4. 白線の内側
東京に来てから、拓真は何度もあの朝のことを思い出した。

白線の外側で、誰かと交わした、たった5分間の会話。
名前しか知らない。でも、だからこそ忘れられない。

彼はときどき、あの駅の切符を取り出す。

もう期限切れになった小さな紙片。けれどそこには確かに、「はつこい」が刻まれていた。

触れられなかった手。言えなかった想い。
でも、たしかに感じたぬくもりがある。

白線の外側で出会ったあの日の少女を、彼はこれからも忘れないだろう。

それは、すれ違いの恋。
でも確かに、初恋だった。
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