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09)空色のメールボックス
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1. 郊外の風
そのアパートのメールボックスは、空色に塗られていた。
結菜はそれを初めて見たとき、「なんで空の色なんだろう」と不思議に思った。駅から少し離れた坂道の途中。築20年の二階建て。壁も白く塗り直されていて、外観だけなら少し小洒落て見える。
社会人一年目。都心に通勤するにはやや不便だが、家賃は安く、静かな環境だった。
仕事は忙しく、毎日が慌ただしい。満員電車に揺られて帰るころには、何も考える余裕がなくなる。食事も洗濯も後回し。気づけば一日が終わっていた。
そんなある日、郵便受けに一枚の絵葉書が届いていた。
桜の木と青空の写真。裏には、短いメッセージ。
「春が来たね。君は元気ですか?」
差出人の名前はなかった。消印は、結菜の故郷に近い町からだった。
「……誰?」
考えても思い当たる人はいない。けれどその筆跡は、どこか懐かしい気がした。
結菜は葉書を机の端にそっと置いた。
2. 手紙と記憶
次の月も、また一枚届いた。
今度は、新緑の森。メッセージはまた短い。
「この季節、君は好きだったよね。よく一緒に歩いた道を思い出すよ」
またしても名前はない。でも、“君は好きだった”という言い回しに、結菜の心が少し揺れた。
(誰か、私を知ってる人?)
彼女は学生時代、あまり人に深く関わるタイプではなかった。友人は少なく、恋愛もそれほど縁がなかった。
でも……中学三年の夏。ふと記憶の片隅に浮かぶ顔があった。
──陽太(ようた)。
隣の席だった男の子。大人しくて、本が好きで、でも時々見せる笑顔が印象的だった。放課後、一緒に帰った日もあった。
何かが始まりそうで、始まらなかった。
そして卒業の日、何も言えずに別れた。
まさか、彼が?
結菜は机の上の葉書を手に取り、何度も裏の文字を読み返した。
3. 繋がる想い
六月、七月、そして八月。季節は巡り、葉書は欠かさず届いた。
海、花火、夏の空。どれも、結菜の中にある「誰かとの記憶」と少しずつ重なっていく。
「あのとき、言えなかったことがある。
君が好きでした。今も、そのままです」
八月の葉書には、はっきりと“想い”が綴られていた。
胸が熱くなった。まるで、タイムカプセルを開けたような感覚。
だけど、なぜ今? どうして私に?
いてもたってもいられなくなった結菜は、葉書の消印の町を調べた。電車を乗り継げば、日帰りで行ける距離だった。
「行こう」
そのとき、初めて彼女の中で「確かめたい」という感情がはっきり芽生えた。
4. 小さな駅と再会
その町は、静かだった。
田んぼと古い商店街、ゆったりとした時間が流れる空気。結菜は葉書に記されていた「風見書房」という古書店を見つけた。木の看板に、白いのれん。
中に入ると、涼しい風が背中を撫でた。
「いらっしゃいませ」
カウンターの奥にいたのは──陽太だった。
背が少し伸びて、顔つきも大人びていた。でも、あのころと変わらない優しい目。
彼も、結菜に気づいたようだった。
「……結菜?」
小さな声だった。でも、彼女にははっきり届いた。
結菜はうなずいた。
「葉書、ありがとう。……全部、届いてたよ」
陽太は、少し恥ずかしそうに笑った。
「ほんとは、もっと早く会いに行きたかった。でも、あのとき何も言えなかった自分が情けなくて……せめて、言葉だけでも届けばって」
「届いたよ。全部」
そう言って、結菜はカバンから、一枚一枚丁寧に保存していた絵葉書を取り出した。
陽太の目が潤んだ。
「君が、元気でいてくれたなら、それだけでよかった。……でも、会えて嬉しいよ」
「私も」
静かな書店に、夏の風がそっと吹いた。
5. 初恋の続き
その日、ふたりは夕方まで話した。学生時代のこと、あの卒業の日のこと、言えなかった想い。
「メールボックス、青いんだよ。あの色、覚えてる?」
「うん、空みたいだった」
「君の空色が、俺の中の記憶の色だったんだ」
それは、初恋の色。
遠い昔、始まらなかった想いは、言葉と季節を重ねて、今ようやく形になった。
結菜の心の中にも、確かに芽生えていた感情があった。忘れていたわけじゃなかった。ただ、名前をつける勇気がなかっただけ。
「これって……やっぱり、初恋だったんだね」
「今でも、そう思ってる」
ふたりは、静かに笑い合った。
そのアパートのメールボックスは、空色に塗られていた。
結菜はそれを初めて見たとき、「なんで空の色なんだろう」と不思議に思った。駅から少し離れた坂道の途中。築20年の二階建て。壁も白く塗り直されていて、外観だけなら少し小洒落て見える。
社会人一年目。都心に通勤するにはやや不便だが、家賃は安く、静かな環境だった。
仕事は忙しく、毎日が慌ただしい。満員電車に揺られて帰るころには、何も考える余裕がなくなる。食事も洗濯も後回し。気づけば一日が終わっていた。
そんなある日、郵便受けに一枚の絵葉書が届いていた。
桜の木と青空の写真。裏には、短いメッセージ。
「春が来たね。君は元気ですか?」
差出人の名前はなかった。消印は、結菜の故郷に近い町からだった。
「……誰?」
考えても思い当たる人はいない。けれどその筆跡は、どこか懐かしい気がした。
結菜は葉書を机の端にそっと置いた。
2. 手紙と記憶
次の月も、また一枚届いた。
今度は、新緑の森。メッセージはまた短い。
「この季節、君は好きだったよね。よく一緒に歩いた道を思い出すよ」
またしても名前はない。でも、“君は好きだった”という言い回しに、結菜の心が少し揺れた。
(誰か、私を知ってる人?)
彼女は学生時代、あまり人に深く関わるタイプではなかった。友人は少なく、恋愛もそれほど縁がなかった。
でも……中学三年の夏。ふと記憶の片隅に浮かぶ顔があった。
──陽太(ようた)。
隣の席だった男の子。大人しくて、本が好きで、でも時々見せる笑顔が印象的だった。放課後、一緒に帰った日もあった。
何かが始まりそうで、始まらなかった。
そして卒業の日、何も言えずに別れた。
まさか、彼が?
結菜は机の上の葉書を手に取り、何度も裏の文字を読み返した。
3. 繋がる想い
六月、七月、そして八月。季節は巡り、葉書は欠かさず届いた。
海、花火、夏の空。どれも、結菜の中にある「誰かとの記憶」と少しずつ重なっていく。
「あのとき、言えなかったことがある。
君が好きでした。今も、そのままです」
八月の葉書には、はっきりと“想い”が綴られていた。
胸が熱くなった。まるで、タイムカプセルを開けたような感覚。
だけど、なぜ今? どうして私に?
いてもたってもいられなくなった結菜は、葉書の消印の町を調べた。電車を乗り継げば、日帰りで行ける距離だった。
「行こう」
そのとき、初めて彼女の中で「確かめたい」という感情がはっきり芽生えた。
4. 小さな駅と再会
その町は、静かだった。
田んぼと古い商店街、ゆったりとした時間が流れる空気。結菜は葉書に記されていた「風見書房」という古書店を見つけた。木の看板に、白いのれん。
中に入ると、涼しい風が背中を撫でた。
「いらっしゃいませ」
カウンターの奥にいたのは──陽太だった。
背が少し伸びて、顔つきも大人びていた。でも、あのころと変わらない優しい目。
彼も、結菜に気づいたようだった。
「……結菜?」
小さな声だった。でも、彼女にははっきり届いた。
結菜はうなずいた。
「葉書、ありがとう。……全部、届いてたよ」
陽太は、少し恥ずかしそうに笑った。
「ほんとは、もっと早く会いに行きたかった。でも、あのとき何も言えなかった自分が情けなくて……せめて、言葉だけでも届けばって」
「届いたよ。全部」
そう言って、結菜はカバンから、一枚一枚丁寧に保存していた絵葉書を取り出した。
陽太の目が潤んだ。
「君が、元気でいてくれたなら、それだけでよかった。……でも、会えて嬉しいよ」
「私も」
静かな書店に、夏の風がそっと吹いた。
5. 初恋の続き
その日、ふたりは夕方まで話した。学生時代のこと、あの卒業の日のこと、言えなかった想い。
「メールボックス、青いんだよ。あの色、覚えてる?」
「うん、空みたいだった」
「君の空色が、俺の中の記憶の色だったんだ」
それは、初恋の色。
遠い昔、始まらなかった想いは、言葉と季節を重ねて、今ようやく形になった。
結菜の心の中にも、確かに芽生えていた感情があった。忘れていたわけじゃなかった。ただ、名前をつける勇気がなかっただけ。
「これって……やっぱり、初恋だったんだね」
「今でも、そう思ってる」
ふたりは、静かに笑い合った。
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