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10)消しゴムとシャープペン
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1. 再会
居酒屋のガラス窓に、冷えた夜の空気が白く曇っていた。
中はにぎやかで、懐かしい笑い声が飛び交っていた。10年ぶりの中学の同窓会。美咲は久しぶりに見る顔に、少し戸惑いながらもどこか落ち着いていた。
「みんな変わらないね」
「変わらなすぎて怖いくらい」
そう笑いながらも、美咲は周囲を無意識に見渡していた。ある人を、探していたのかもしれない。
そして、店の奥、カーテンの陰に控えめに座っている男に目が留まった。
──涼太。
中学三年、卒業までの一年間ずっと隣の席だった少年。物静かで、いつも本を読んでいた。何を考えているのか分からなくて、でもなぜか放っておけない存在だった。
「あ、篠原くんだ。来てたんだね」
隣の友人がそう言った。美咲は軽く頷いた。
「うん。……変わらないね」
「ね、あの頃のままだ」
あの頃──。
ふと、机の隙間から見えた“あの文字”を思い出した。
2. 消しゴムの文字
三年生の秋。涼太の消しゴムには、小さな文字が書かれていた。
「すき」
それはシャープペンで、うっすらと彫られたように刻まれていた。誰のことかは分からない。でも、それを見つけたとき、美咲の胸は不思議とざわめいた。
(誰かに、好きって書くことってある?)
翌日、意を決して彼に聞いてみようと思った。だけど、タイミングを逸してしまい、それきりだった。
高校も別だった。大学も、就職先も。それから会うことはなく、時間だけが過ぎた。
でも、今──目の前にいる。
何も変わっていないようで、10年分の距離がある。話しかけようとするたびに、胸がつかえた。
3. 離れた席、近づく声
飲み会も終盤、自然と人が減り、席がゆるく流れていく中、美咲は気づいたら涼太の隣に座っていた。彼はお酒をほとんど飲まず、ソーダ水を片手に静かに笑っていた。
「……久しぶり、だね」
「うん。美咲さんは、変わらないね」
「“さん”なんて、変な感じ」
「じゃあ、美咲」
呼ばれたその声に、10年前の教室の風景が一気に蘇った。
「ねえ、覚えてる? 中三のとき、私、あなたの消しゴム拾ったこと」
「……うん。覚えてる」
「そこに、“すき”って書いてあって……誰に、書いたのかなって、気になってたの」
涼太は一瞬だけ驚いたような顔をし、それから、静かに微笑んだ。
「恥ずかしいな、それ。あれ、たぶん……美咲のことだった」
「……そうだったんだ」
そう言って、美咲は笑った。でも、その胸はぎゅっと締めつけられていた。あの時、自分から何か言えていれば。何かが変わっていたのかもしれない。
「でも言えなかった。隣にいられるだけで、十分だったから」
涼太の言葉が、胸の奥に染み込んでくる。10年越しの告白。どこか照れくさくて、切なくて、嬉しかった。
4. あの教室の記憶
店を出た帰り道。冬の空気が、ほんのり頬を刺すように冷たい。ふたりは駅まで並んで歩いた。
「机の下、よく消しゴム落としてたよね」
「そう? あなたのシャーペン、カチカチうるさかったよ」
「そんなことまで覚えてるの?」
「……なんか、忘れられなかった。たぶん、初恋だったから」
涼太が小さくうなずいた。
「俺も、そうだった。……初恋、だったよ」
交差点の信号が変わる。夜の街に、車のライトが滲む。
「また、会える?」
「うん。次は、シャーペンじゃなくて、ちゃんと“好き”って言えるかも」
彼は頷いた。
「じゃあ、俺も、ちゃんと渡すよ。……“消しゴム”じゃなくて、“名前”で」
美咲の頬が、赤く染まった。
5. はじまりの予感
帰宅して、部屋の明かりをつけると、なんだか空気まで柔らかく感じた。
美咲は机の引き出しを開け、学生時代のペンケースを探した。
そこには、薄くなったシャープペンと、小さく削れた古い消しゴム。
裏返すと、そこにあった。
「すき」
10年の時を経て、ようやく意味を持った文字。
胸の中で、何かが優しく芽吹く。
それは、ずっと昔に書かれていた、たった二文字の想い。
そして、いまようやく始まろうとしている恋のつづき。
居酒屋のガラス窓に、冷えた夜の空気が白く曇っていた。
中はにぎやかで、懐かしい笑い声が飛び交っていた。10年ぶりの中学の同窓会。美咲は久しぶりに見る顔に、少し戸惑いながらもどこか落ち着いていた。
「みんな変わらないね」
「変わらなすぎて怖いくらい」
そう笑いながらも、美咲は周囲を無意識に見渡していた。ある人を、探していたのかもしれない。
そして、店の奥、カーテンの陰に控えめに座っている男に目が留まった。
──涼太。
中学三年、卒業までの一年間ずっと隣の席だった少年。物静かで、いつも本を読んでいた。何を考えているのか分からなくて、でもなぜか放っておけない存在だった。
「あ、篠原くんだ。来てたんだね」
隣の友人がそう言った。美咲は軽く頷いた。
「うん。……変わらないね」
「ね、あの頃のままだ」
あの頃──。
ふと、机の隙間から見えた“あの文字”を思い出した。
2. 消しゴムの文字
三年生の秋。涼太の消しゴムには、小さな文字が書かれていた。
「すき」
それはシャープペンで、うっすらと彫られたように刻まれていた。誰のことかは分からない。でも、それを見つけたとき、美咲の胸は不思議とざわめいた。
(誰かに、好きって書くことってある?)
翌日、意を決して彼に聞いてみようと思った。だけど、タイミングを逸してしまい、それきりだった。
高校も別だった。大学も、就職先も。それから会うことはなく、時間だけが過ぎた。
でも、今──目の前にいる。
何も変わっていないようで、10年分の距離がある。話しかけようとするたびに、胸がつかえた。
3. 離れた席、近づく声
飲み会も終盤、自然と人が減り、席がゆるく流れていく中、美咲は気づいたら涼太の隣に座っていた。彼はお酒をほとんど飲まず、ソーダ水を片手に静かに笑っていた。
「……久しぶり、だね」
「うん。美咲さんは、変わらないね」
「“さん”なんて、変な感じ」
「じゃあ、美咲」
呼ばれたその声に、10年前の教室の風景が一気に蘇った。
「ねえ、覚えてる? 中三のとき、私、あなたの消しゴム拾ったこと」
「……うん。覚えてる」
「そこに、“すき”って書いてあって……誰に、書いたのかなって、気になってたの」
涼太は一瞬だけ驚いたような顔をし、それから、静かに微笑んだ。
「恥ずかしいな、それ。あれ、たぶん……美咲のことだった」
「……そうだったんだ」
そう言って、美咲は笑った。でも、その胸はぎゅっと締めつけられていた。あの時、自分から何か言えていれば。何かが変わっていたのかもしれない。
「でも言えなかった。隣にいられるだけで、十分だったから」
涼太の言葉が、胸の奥に染み込んでくる。10年越しの告白。どこか照れくさくて、切なくて、嬉しかった。
4. あの教室の記憶
店を出た帰り道。冬の空気が、ほんのり頬を刺すように冷たい。ふたりは駅まで並んで歩いた。
「机の下、よく消しゴム落としてたよね」
「そう? あなたのシャーペン、カチカチうるさかったよ」
「そんなことまで覚えてるの?」
「……なんか、忘れられなかった。たぶん、初恋だったから」
涼太が小さくうなずいた。
「俺も、そうだった。……初恋、だったよ」
交差点の信号が変わる。夜の街に、車のライトが滲む。
「また、会える?」
「うん。次は、シャーペンじゃなくて、ちゃんと“好き”って言えるかも」
彼は頷いた。
「じゃあ、俺も、ちゃんと渡すよ。……“消しゴム”じゃなくて、“名前”で」
美咲の頬が、赤く染まった。
5. はじまりの予感
帰宅して、部屋の明かりをつけると、なんだか空気まで柔らかく感じた。
美咲は机の引き出しを開け、学生時代のペンケースを探した。
そこには、薄くなったシャープペンと、小さく削れた古い消しゴム。
裏返すと、そこにあった。
「すき」
10年の時を経て、ようやく意味を持った文字。
胸の中で、何かが優しく芽吹く。
それは、ずっと昔に書かれていた、たった二文字の想い。
そして、いまようやく始まろうとしている恋のつづき。
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