未来から来た君

naomikoryo

文字の大きさ
2 / 5

第2話:奇跡の始まり

しおりを挟む
雨が上がった翌日、春の陽射しは街を柔らかく包み込んでいた。
 濡れたアスファルトの匂いがまだ少し残る中で、春川直樹は、昨日と何一つ変わらないはずの日常を歩いていた。

 ただ、一つだけ違ったことがある。

 ──隣に、瑠璃がいた。

 水色のカーディガンを羽織った瑠璃は、緊張したように歩幅を合わせながら、ちらちらと直樹を見上げていた。

「な、なあ……本当に、俺と一緒にいて大丈夫なのか?」

 直樹はぎこちなく尋ねた。
 どこか、まだ信じられない気持ちがあった。
 未来から来た少女と、こうして肩を並べて歩いているなんて。

 でも──夢じゃない。
 手のひらに残る彼女の温もりが、それをはっきりと教えてくれていた。

「……はい。私は、直樹くんと一緒にいたいから」

 瑠璃は、まっすぐな瞳でそう答えた。

 嘘も、迷いもなかった。
 ただ、ひたむきな想いだけがそこにあった。

 直樹は、心の中でそっとため息をついた。

 こんなふうに誰かに必要とされることが、こんなにも嬉しいなんて。
 自分でも、驚くほどだった。

 ***

 その日から、ふたりの奇妙な共同生活が始まった。

 瑠璃は、直樹のアパートに転がり込む形になった。
 直樹は最初、戸惑ったが、彼女に「ホテル代もったいないです」と真顔で言われ、根負けした。

 六畳一間の狭い部屋。
 ベッド一つに、使い古したソファと小さなテーブル。
 男一人暮らしの殺風景な空間が、瑠璃の存在で一変した。

「ふふっ、直樹くん、意外と片付け上手なんですね!」

「いや、それなりに……というか、散らかってたら誰も来ないだろ?」

 テーブルに小さな花瓶を置き、カーテンを洗い、棚に小物を並べる。
 瑠璃の手によって、部屋には少しずつ「生活の匂い」が広がっていった。

 直樹はその変化を、どこかくすぐったい気持ちで眺めていた。

「……悪くないな」

 思わず漏らした本音に、瑠璃は嬉しそうに笑った。

 その笑顔を見た瞬間、直樹は確信した。

 ──この時間は、奇跡だ。

 自分の人生に、こんなにも鮮やかな瞬間が訪れるなんて、思ってもみなかった。

 ***

 ふたりでスーパーに買い物に行った。
 瑠璃は真剣な顔で野菜を吟味し、直樹はカゴ係を任された。

「ナスって、煮るのと焼くの、どっちが美味しいですか?」

「え、そりゃあ焼きナスだろ」

「了解ですっ!」

 妙に張り切る瑠璃に、周囲の客たちが微笑ましそうに目を向ける。

 レジに並ぶ間も、瑠璃は楽しそうに喋り続けた。

「未来ではね、スーパーも全部無人だったんです」

「マジかよ……」

「うん、でも、こうやって人と人がやり取りしてる今のほうが、絶対楽しいって思う」

 小さな会話の一つ一つが、直樹の胸にじんわりと沁みた。

 未来の彼女は、どれだけ寂しい世界を生きていたんだろう。
 それを思うと、たまらなく切なくなった。

 だから、
 だからこそ、俺は、今を彼女に全部あげたい。

 そう、心から思った。

 ***

 夜。

 アパートの小さなキッチンで、瑠璃がエプロン姿で料理をしていた。

 湯気の立ち上るフライパン。
 味見しながら首をかしげる瑠璃の仕草。

「直樹くん、ちょっと味見してもらっていいですか?」

 差し出されたスプーンを口に運ぶ。

 ……美味い。

 だけど。

「ちょっと塩多いかも」

「うわぁぁ、やっぱりぃぃ!」

 瑠璃は頭を抱えた。

 そんな瑠璃の姿を見て、直樹は笑った。
 自然に、心から、笑った。

 最近、こんなふうに笑ったことなんて、なかった。

「……大丈夫だよ。十分うまい」

 瑠璃はほっとして、ふにゃっと笑った。

 こんなに、
 こんなにも、
 誰かといることが、あたたかいなんて。

 直樹は、改めて実感していた。

 未来も過去も関係ない。
 今、隣に彼女がいる。

 それだけで、世界は輝いていた。

 ***

 そんな日々が、続くわけがないとわかっていた。

 瑠璃が来た理由。
 直樹を救うため。

 それはつまり、
 直樹の「事故」が近づいているということだった。

 ある夜、ふたりでコンビニに向かう道すがら、瑠璃がぽつりと呟いた。

「……ねえ、直樹くん」

「ん?」

「怖くないんですか?未来が変わること」

 その問いに、直樹は少し考えてから答えた。

「怖いさ。
 何が起きるかわからないし。
 けど……」

 立ち止まり、夜空を見上げた。

 春の夜空には、まだ星が少しだけ瞬いていた。

「でも、今こうして隣にお前がいるなら、怖くないかも」

 素直な本音だった。

 瑠璃は、じっと直樹を見つめ、ゆっくりと手を伸ばしてきた。

 彼女の小さな手が、そっと直樹の指に触れる。

 そして、指先を絡めた。

 「……ありがとう」

 涙声で、瑠璃はそう言った。

 直樹は、彼女の手をぎゅっと握り返した。

 未来がどうなろうと、
 この手だけは絶対に離さない。

 そう、心に誓った。

 ***

 次の日曜日。

 ふたりは、遠出することにした。

 小さな電車に揺られ、郊外の広い公園へ。

 芝生に寝転び、春の陽射しを浴びる。

「気持ちいいな」

「はいっ!」

 瑠璃は嬉しそうに両手を広げた。

 空はどこまでも青く、風は優しかった。

 このままずっと、時間が止まればいいのに──
 直樹は、本気でそう思った。

「ねえ、直樹くん」

 隣で、瑠璃が囁いた。

「……未来が変わっても、
 もし、私のことを忘れても、
 あなたが幸せなら、それでいいです」

 その言葉に、直樹は胸が張り裂けそうになった。

 忘れる?
 この時間を?
 この想いを?

 冗談じゃない。

「絶対に忘れない」

 直樹は、強く、強く、言った。

「お前との時間を、絶対に忘れたりしない」

 瑠璃は、涙ぐみながら微笑んだ。

「……うん、私も、ずっと、覚えてる」

 たとえ、世界が変わっても。

 たとえ、ふたりが引き裂かれても。

 この奇跡を、
 この奇跡の始まりを、
 俺たちは、永遠に心に刻む。

 ──未来へ、進むために。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

あの夜、あなたがくれた大切な宝物~御曹司はどうしようもないくらい愛おしく狂おしく愛を囁く~【after story】

けいこ
恋愛
あの夜、あなたがくれた大切な宝物~御曹司はどうしようもないくらい愛おしく狂おしく愛を囁く~ のafter storyです。 よろしくお願い致しますm(_ _)m

天然だと思ったギルド仲間が、実は策士で独占欲強めでした

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー本編8話+後日談7話⭐︎ ギルドで働くおっとり回復役リィナは、 自分と似た雰囲気の“天然仲間”カイと出会い、ほっとする。 ……が、彼は実は 天然を演じる策士だった!? 「転ばないで」 「可愛いって言うのは僕の役目」 「固定回復役だから。僕の」 優しいのに過保護。 仲間のはずなのに距離が近い。 しかも噂はいつの間にか——「軍師(彼)が恋してる説」に。 鈍感で頑張り屋なリィナと、 策を捨てるほど恋に負けていくカイの、 コメディ強めの甘々ギルド恋愛、開幕! 「遅いままでいい――置いていかないから。」

バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました

美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?

盗み聞き

凛子
恋愛
あ、そういうこと。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜

美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?

あなたの片想いを聞いてしまった夜

柴田はつみ
恋愛
「『好きな人がいる』——その一言で、私の世界は音を失った。」 公爵令嬢リリアーヌの初恋は、隣家の若き公爵アレクシスだった。 政務や領地行事で顔を合わせるたび、言葉少なな彼の沈黙さえ、彼女には優しさに聞こえた。——毎日会える。それだけで十分幸せだと信じていた。 しかしある日、回廊の陰で聞いてしまう。 「好きな人がいる。……片想いなんだ」 名前は出ない。だから、リリアーヌの胸は残酷に結論を作る。自分ではないのだ、と。

結婚初夜、「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と夫に言われました

ましゅぺちーの
恋愛
侯爵令嬢のアリサは婚約者だった王太子テオドールと結婚した。 ちょうどその半年前、アリサの腹違いの妹のシアは不慮の事故で帰らぬ人となっていた。 王太子が婚約者の妹のシアを愛していたのは周知の事実だった。 そんな彼は、結婚初夜、アリサに冷たく言い放った。 「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と。

処理中です...