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第2話:奇跡の始まり
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雨が上がった翌日、春の陽射しは街を柔らかく包み込んでいた。
濡れたアスファルトの匂いがまだ少し残る中で、春川直樹は、昨日と何一つ変わらないはずの日常を歩いていた。
ただ、一つだけ違ったことがある。
──隣に、瑠璃がいた。
水色のカーディガンを羽織った瑠璃は、緊張したように歩幅を合わせながら、ちらちらと直樹を見上げていた。
「な、なあ……本当に、俺と一緒にいて大丈夫なのか?」
直樹はぎこちなく尋ねた。
どこか、まだ信じられない気持ちがあった。
未来から来た少女と、こうして肩を並べて歩いているなんて。
でも──夢じゃない。
手のひらに残る彼女の温もりが、それをはっきりと教えてくれていた。
「……はい。私は、直樹くんと一緒にいたいから」
瑠璃は、まっすぐな瞳でそう答えた。
嘘も、迷いもなかった。
ただ、ひたむきな想いだけがそこにあった。
直樹は、心の中でそっとため息をついた。
こんなふうに誰かに必要とされることが、こんなにも嬉しいなんて。
自分でも、驚くほどだった。
***
その日から、ふたりの奇妙な共同生活が始まった。
瑠璃は、直樹のアパートに転がり込む形になった。
直樹は最初、戸惑ったが、彼女に「ホテル代もったいないです」と真顔で言われ、根負けした。
六畳一間の狭い部屋。
ベッド一つに、使い古したソファと小さなテーブル。
男一人暮らしの殺風景な空間が、瑠璃の存在で一変した。
「ふふっ、直樹くん、意外と片付け上手なんですね!」
「いや、それなりに……というか、散らかってたら誰も来ないだろ?」
テーブルに小さな花瓶を置き、カーテンを洗い、棚に小物を並べる。
瑠璃の手によって、部屋には少しずつ「生活の匂い」が広がっていった。
直樹はその変化を、どこかくすぐったい気持ちで眺めていた。
「……悪くないな」
思わず漏らした本音に、瑠璃は嬉しそうに笑った。
その笑顔を見た瞬間、直樹は確信した。
──この時間は、奇跡だ。
自分の人生に、こんなにも鮮やかな瞬間が訪れるなんて、思ってもみなかった。
***
ふたりでスーパーに買い物に行った。
瑠璃は真剣な顔で野菜を吟味し、直樹はカゴ係を任された。
「ナスって、煮るのと焼くの、どっちが美味しいですか?」
「え、そりゃあ焼きナスだろ」
「了解ですっ!」
妙に張り切る瑠璃に、周囲の客たちが微笑ましそうに目を向ける。
レジに並ぶ間も、瑠璃は楽しそうに喋り続けた。
「未来ではね、スーパーも全部無人だったんです」
「マジかよ……」
「うん、でも、こうやって人と人がやり取りしてる今のほうが、絶対楽しいって思う」
小さな会話の一つ一つが、直樹の胸にじんわりと沁みた。
未来の彼女は、どれだけ寂しい世界を生きていたんだろう。
それを思うと、たまらなく切なくなった。
だから、
だからこそ、俺は、今を彼女に全部あげたい。
そう、心から思った。
***
夜。
アパートの小さなキッチンで、瑠璃がエプロン姿で料理をしていた。
湯気の立ち上るフライパン。
味見しながら首をかしげる瑠璃の仕草。
「直樹くん、ちょっと味見してもらっていいですか?」
差し出されたスプーンを口に運ぶ。
……美味い。
だけど。
「ちょっと塩多いかも」
「うわぁぁ、やっぱりぃぃ!」
瑠璃は頭を抱えた。
そんな瑠璃の姿を見て、直樹は笑った。
自然に、心から、笑った。
最近、こんなふうに笑ったことなんて、なかった。
「……大丈夫だよ。十分うまい」
瑠璃はほっとして、ふにゃっと笑った。
こんなに、
こんなにも、
誰かといることが、あたたかいなんて。
直樹は、改めて実感していた。
未来も過去も関係ない。
今、隣に彼女がいる。
それだけで、世界は輝いていた。
***
そんな日々が、続くわけがないとわかっていた。
瑠璃が来た理由。
直樹を救うため。
それはつまり、
直樹の「事故」が近づいているということだった。
ある夜、ふたりでコンビニに向かう道すがら、瑠璃がぽつりと呟いた。
「……ねえ、直樹くん」
「ん?」
「怖くないんですか?未来が変わること」
その問いに、直樹は少し考えてから答えた。
「怖いさ。
何が起きるかわからないし。
けど……」
立ち止まり、夜空を見上げた。
春の夜空には、まだ星が少しだけ瞬いていた。
「でも、今こうして隣にお前がいるなら、怖くないかも」
素直な本音だった。
瑠璃は、じっと直樹を見つめ、ゆっくりと手を伸ばしてきた。
彼女の小さな手が、そっと直樹の指に触れる。
そして、指先を絡めた。
「……ありがとう」
涙声で、瑠璃はそう言った。
直樹は、彼女の手をぎゅっと握り返した。
未来がどうなろうと、
この手だけは絶対に離さない。
そう、心に誓った。
***
次の日曜日。
ふたりは、遠出することにした。
小さな電車に揺られ、郊外の広い公園へ。
芝生に寝転び、春の陽射しを浴びる。
「気持ちいいな」
「はいっ!」
瑠璃は嬉しそうに両手を広げた。
空はどこまでも青く、風は優しかった。
このままずっと、時間が止まればいいのに──
直樹は、本気でそう思った。
「ねえ、直樹くん」
隣で、瑠璃が囁いた。
「……未来が変わっても、
もし、私のことを忘れても、
あなたが幸せなら、それでいいです」
その言葉に、直樹は胸が張り裂けそうになった。
忘れる?
この時間を?
この想いを?
冗談じゃない。
「絶対に忘れない」
直樹は、強く、強く、言った。
「お前との時間を、絶対に忘れたりしない」
瑠璃は、涙ぐみながら微笑んだ。
「……うん、私も、ずっと、覚えてる」
たとえ、世界が変わっても。
たとえ、ふたりが引き裂かれても。
この奇跡を、
この奇跡の始まりを、
俺たちは、永遠に心に刻む。
──未来へ、進むために。
濡れたアスファルトの匂いがまだ少し残る中で、春川直樹は、昨日と何一つ変わらないはずの日常を歩いていた。
ただ、一つだけ違ったことがある。
──隣に、瑠璃がいた。
水色のカーディガンを羽織った瑠璃は、緊張したように歩幅を合わせながら、ちらちらと直樹を見上げていた。
「な、なあ……本当に、俺と一緒にいて大丈夫なのか?」
直樹はぎこちなく尋ねた。
どこか、まだ信じられない気持ちがあった。
未来から来た少女と、こうして肩を並べて歩いているなんて。
でも──夢じゃない。
手のひらに残る彼女の温もりが、それをはっきりと教えてくれていた。
「……はい。私は、直樹くんと一緒にいたいから」
瑠璃は、まっすぐな瞳でそう答えた。
嘘も、迷いもなかった。
ただ、ひたむきな想いだけがそこにあった。
直樹は、心の中でそっとため息をついた。
こんなふうに誰かに必要とされることが、こんなにも嬉しいなんて。
自分でも、驚くほどだった。
***
その日から、ふたりの奇妙な共同生活が始まった。
瑠璃は、直樹のアパートに転がり込む形になった。
直樹は最初、戸惑ったが、彼女に「ホテル代もったいないです」と真顔で言われ、根負けした。
六畳一間の狭い部屋。
ベッド一つに、使い古したソファと小さなテーブル。
男一人暮らしの殺風景な空間が、瑠璃の存在で一変した。
「ふふっ、直樹くん、意外と片付け上手なんですね!」
「いや、それなりに……というか、散らかってたら誰も来ないだろ?」
テーブルに小さな花瓶を置き、カーテンを洗い、棚に小物を並べる。
瑠璃の手によって、部屋には少しずつ「生活の匂い」が広がっていった。
直樹はその変化を、どこかくすぐったい気持ちで眺めていた。
「……悪くないな」
思わず漏らした本音に、瑠璃は嬉しそうに笑った。
その笑顔を見た瞬間、直樹は確信した。
──この時間は、奇跡だ。
自分の人生に、こんなにも鮮やかな瞬間が訪れるなんて、思ってもみなかった。
***
ふたりでスーパーに買い物に行った。
瑠璃は真剣な顔で野菜を吟味し、直樹はカゴ係を任された。
「ナスって、煮るのと焼くの、どっちが美味しいですか?」
「え、そりゃあ焼きナスだろ」
「了解ですっ!」
妙に張り切る瑠璃に、周囲の客たちが微笑ましそうに目を向ける。
レジに並ぶ間も、瑠璃は楽しそうに喋り続けた。
「未来ではね、スーパーも全部無人だったんです」
「マジかよ……」
「うん、でも、こうやって人と人がやり取りしてる今のほうが、絶対楽しいって思う」
小さな会話の一つ一つが、直樹の胸にじんわりと沁みた。
未来の彼女は、どれだけ寂しい世界を生きていたんだろう。
それを思うと、たまらなく切なくなった。
だから、
だからこそ、俺は、今を彼女に全部あげたい。
そう、心から思った。
***
夜。
アパートの小さなキッチンで、瑠璃がエプロン姿で料理をしていた。
湯気の立ち上るフライパン。
味見しながら首をかしげる瑠璃の仕草。
「直樹くん、ちょっと味見してもらっていいですか?」
差し出されたスプーンを口に運ぶ。
……美味い。
だけど。
「ちょっと塩多いかも」
「うわぁぁ、やっぱりぃぃ!」
瑠璃は頭を抱えた。
そんな瑠璃の姿を見て、直樹は笑った。
自然に、心から、笑った。
最近、こんなふうに笑ったことなんて、なかった。
「……大丈夫だよ。十分うまい」
瑠璃はほっとして、ふにゃっと笑った。
こんなに、
こんなにも、
誰かといることが、あたたかいなんて。
直樹は、改めて実感していた。
未来も過去も関係ない。
今、隣に彼女がいる。
それだけで、世界は輝いていた。
***
そんな日々が、続くわけがないとわかっていた。
瑠璃が来た理由。
直樹を救うため。
それはつまり、
直樹の「事故」が近づいているということだった。
ある夜、ふたりでコンビニに向かう道すがら、瑠璃がぽつりと呟いた。
「……ねえ、直樹くん」
「ん?」
「怖くないんですか?未来が変わること」
その問いに、直樹は少し考えてから答えた。
「怖いさ。
何が起きるかわからないし。
けど……」
立ち止まり、夜空を見上げた。
春の夜空には、まだ星が少しだけ瞬いていた。
「でも、今こうして隣にお前がいるなら、怖くないかも」
素直な本音だった。
瑠璃は、じっと直樹を見つめ、ゆっくりと手を伸ばしてきた。
彼女の小さな手が、そっと直樹の指に触れる。
そして、指先を絡めた。
「……ありがとう」
涙声で、瑠璃はそう言った。
直樹は、彼女の手をぎゅっと握り返した。
未来がどうなろうと、
この手だけは絶対に離さない。
そう、心に誓った。
***
次の日曜日。
ふたりは、遠出することにした。
小さな電車に揺られ、郊外の広い公園へ。
芝生に寝転び、春の陽射しを浴びる。
「気持ちいいな」
「はいっ!」
瑠璃は嬉しそうに両手を広げた。
空はどこまでも青く、風は優しかった。
このままずっと、時間が止まればいいのに──
直樹は、本気でそう思った。
「ねえ、直樹くん」
隣で、瑠璃が囁いた。
「……未来が変わっても、
もし、私のことを忘れても、
あなたが幸せなら、それでいいです」
その言葉に、直樹は胸が張り裂けそうになった。
忘れる?
この時間を?
この想いを?
冗談じゃない。
「絶対に忘れない」
直樹は、強く、強く、言った。
「お前との時間を、絶対に忘れたりしない」
瑠璃は、涙ぐみながら微笑んだ。
「……うん、私も、ずっと、覚えてる」
たとえ、世界が変わっても。
たとえ、ふたりが引き裂かれても。
この奇跡を、
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俺たちは、永遠に心に刻む。
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