ほっこら日和

naomikoryo

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02)『クマのぬいぐるみと最後の夜』

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――眠れない夜に訪れる、小さな別れと大きな成長の物語――

1. おやすみの時間
 時計の針が、午後九時を回った。
 真由(まゆ)の部屋に、お母さんの優しい声が響く。

「そろそろ寝る時間よ、真由。歯は磨いた?」

「うん、もう済んだよー」

「じゃあ、お布団入ってね」

 小学一年生になった真由のベッドの上には、大きなクマのぬいぐるみが座っていた。名前は“モコ”。
 ベージュ色の毛並みに、ちょっと眠たそうな目。ふかふかの手は、抱きしめると腕の中にぴったりと収まるサイズ。

 モコは、真由が三歳のときからずっと一緒だ。
 熱を出して苦しかった夜も、雷の音が怖かったときも、いつもぎゅっと抱きしめて眠ってきた。

 今夜も、モコをぎゅっと胸に抱きしめながら、真由は布団に入った。

「モコ、今日も一緒に寝ようね」

 そうささやいて、目を閉じる。
 部屋の明かりが消えて、ほんのりとした豆電球の灯りが、天井にぼんやりとした影を作った。

 しんと静まり返った夜。
 時計の音が「カチ、カチ」と規則的に響くなかで――。

 ふと、声がした。

 

2. はじめての会話
「……真由ちゃん」

 その声は、やわらかくて、ちょっとくぐもっていて――けれど、聞き慣れた誰かの声だった。

 真由は、ぱちっと目を開けた。

「モコ……?」

「うん。僕だよ」

 ぬいぐるみのクマ――モコが、ほんの少しだけ首をかしげたように見えた。口は動いていない。でも、たしかに声が聞こえる。

「うそ……しゃべった! モコ、ほんとにしゃべったの?」

「びっくりしたよね。でも、ほんとはずっと前から話したかったんだ」

「え、じゃあ今までの“気のせい”じゃなかったの?」

「気のせいじゃないよ。でも、ちゃんと話せるのは、今夜が最後なんだ」

「え……?」

 真由の胸が、ぎゅっと縮まった。
 何を言ってるの? 最後って、どういうこと?

 

3. モコの役目
「どうして……最後なの?」

 真由が尋ねると、モコは静かに語り始めた。

「僕は“子守のぬいぐるみ”。小さい子がひとりで眠れるようになるまで、そばで見守るのが役目なんだ」

「……」

「真由ちゃんは、もう一年生になった。朝は自分で起きて、ランドセルを背負って学校に行って、帰ってきて宿題もちゃんとやってる。夜も……最近は、泣かなくなったよね」

 たしかに、そうだった。
 モコをぎゅっと抱きしめながら寝るのは変わらないけど、怖い夢を見ても、もう泣いてお母さんを呼んだりしていない。

「つまりね、もう僕がいなくても、真由ちゃんは大丈夫なんだ」

 モコの声は、どこかうれしそうで、でも寂しそうでもあった。

「……モコはいなくなるの?」

「姿は残るよ。でも、もう話せなくなる。真由ちゃんが僕に頼らなくても眠れるようになったから。そういう決まりなんだ」

「そんなの、いやだよ……!」

 真由の目に、涙が浮かんだ。

「ずっと一緒だって、思ってたのに……モコとお話しできるの、楽しかったのに……」

 モコは、そっとそのふかふかの手で、真由の涙をぬぐうように動かした――ように見えた。

「ありがとう、真由ちゃん。そう言ってくれて、うれしいよ」

 

4. 思い出の中のモコ
 モコと過ごしてきた夜のことを、真由は思い出した。
 高熱で苦しくて、汗びっしょりになっていた夜、モコだけは抱きしめていた。
 幼稚園で嫌なことがあって泣きながら帰ってきたとき、モコを抱っこしてるうちに、気持ちが落ち着いてきた。
 雨の音が怖くて震えていた夜、モコの耳にそっと「大丈夫?」とささやいて眠った。

 どんなときも、モコは何も言わずにそばにいてくれた。

「……わたし、モコがいたから、がんばれたんだよ」

「知ってるよ。だから、もう大丈夫。自分の力で、ちゃんと眠れる。怖い夢を見ても、ちゃんと朝を迎えられるよ」

 真由は、鼻をすんと鳴らして、涙をぬぐった。

「ねえ、お願い。今夜だけは、ずっとお話ししてて」

「もちろん」

「じゃあ……モコ、好きな食べ物は?」

「えっ? 好きな食べ物……? うーん、わたあめかな。ふわふわしてて、おいしそうで、僕みたいでしょ?」

「ぷっ……似てる!」

 二人はくすくす笑いながら、眠りに落ちるまでのあいだ、たくさんたくさんお話をした。
 好きな色、好きな動物、将来の夢、空を飛んでみたいこと。
 いつの間にか、豆電球の明かりが、うっすらと霞んでいった。

 

5. 朝が来る
 窓の外が、少しずつ明るくなってきた。

「……モコ?」

 真由が目を覚ますと、モコはいつも通り、ベッドの枕元に座っていた。

 静かで、動かない。

 夜のあいだの出来事は、夢だったんじゃないかと思うほど、部屋はいつもの朝と変わらない。

 でも、真由は知っていた。

 胸の奥が、ほんの少しあたたかくて、ほんの少し寂しい。
 それが、昨夜のモコとのお別れの証だった。

 

6. 新しい朝へ
 真由はランドセルを背負い、モコの前に立った。

「モコ、ありがとう。ほんとに、ありがとう」

 ぬいぐるみは返事をしない。けれど、どこか満足そうに見えた。

「わたし、もう大丈夫だよ。怖くない。夜も、ひとりで眠れるもん」

 モコの胸に、ぎゅっと手紙を一枚差し込んだ。折り紙で折ったハートに、小さな字でこう書いてある。

モコへ

ずっとありがとう。だいすき。

また、話せる夜が来たらいいな。

――まゆより

 それは、きっともう起きない魔法。けれど、そう願わずにはいられなかった。

 

7. 夜になっても
 その晩、真由はベッドに入ると、モコをそっと胸に抱いた。
 話しかけても、もう返事はない。

 だけど、真由は笑っていた。

「おやすみ、モコ」

 豆電球のやわらかい光の中、クマのぬいぐるみはいつもの場所に座っていた。
 何も言わない。でも、確かにそこにいてくれる。

 静かな、でもあたたかい夜が、またひとつ過ぎていった。
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