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03)『星空シェアハウス』
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――「老い」と「孤独」と「再出発」の間に、星が瞬く夜――
1. 移住者たち
山あいの小さな町、真名坂(まなさか)。
春の終わり、風に乗って草の匂いが運ばれてくる。川沿いの桜はすっかり葉桜になり、田畑では苗代の準備が始まっていた。
そんな町のはずれに、一軒の古民家がある。
瓦はところどころ崩れ、縁側の板は色あせ、土間には蜘蛛の巣が張っていた。だが、どこか懐かしい匂いがする家だ。
「……まさか、本当に人が住めるとはな」
古民家の玄関で、男が苦笑いを浮かべていた。
背筋がまっすぐに伸びた、七十代の男性。短く刈り揃えられた白髪と、品のある眼鏡。名前は三輪宗一郎、元高校校長である。
その横に、色とりどりのスカーフを巻いた女性が、あけすけに笑った。
「なーに言ってんの、こんな最高な物件、東京じゃ一億円でも買えないわよ? 虫さえ目をつぶればだけどね!」
彼女は神崎志乃、六十五歳の元バスガイド。赤い口紅が印象的で、いつも明るい。
古民家シェアハウスの発起人である。
そして、すぐそばで静かにほうきを動かしていたのが、最年長の渡部寅吉、七十八歳。元料理人で、口数は少ないが、目つきは鋭く、腕には包丁を握ってきた年月の跡が刻まれていた。
三人は、縁もゆかりもなかった。
だが、「定年後に一人暮らしはちょっと寂しい」と思った志乃が、SNSで「シニア向けシェアハウス、やりませんか?」と呼びかけたことで始まった奇妙な同居生活である。
「名前、決めましょうよ。この家の。素敵な名前」
「名前?」
志乃はにやりと笑った。
「そうね、例えば……“星空シェアハウス”なんて、どう? ここ、夜空がきれいらしいわよ」
宗一郎は少し顔をしかめながらも、空を仰いだ。
――ここでの生活が、どんなものになるのか。
誰も想像できていなかった。
2. ひとつ屋根の下
初日の夜は、互いの生活リズムの違いに戸惑いの連続だった。
「なんだその目玉焼き、白身だけ焦げてるじゃないか」
「こっちはこっちで味噌汁しょっぱすぎ。塩と間違えたでしょ」
「ちょっとちょっと、そんなケチつけるなら自分で作んなさいよ。てか、洗濯機の使い方知らないって本気?」
朝から小言と突っ込みの嵐。
宗一郎は「時間割が必要だ」と言い出し、志乃は「やーね、軍隊じゃないんだから」と反発する。
一方、寅吉は黙って朝食のあとに自分の分の食器を洗い、さっさと縁側に座って本を読み始める。
バラバラだった。
だが、夜が来ると、不思議と空気が変わった。
山の中の夜は静かで、町の光が届かないぶん、星がくっきり見える。
志乃が縁側で缶ビールを開けながら、ぽつりと言った。
「……結婚してた頃ね、よく夫とキャンプ行ってたの。テント張って、星見ながら、バカ話してさ」
宗一郎が珍しく、目を細めた。
「私はね、学校の屋上からよく見ていたよ。退勤が遅くてな、気づくと空ばかり見上げていた」
寅吉は何も言わない。ただ、静かに夜空を見上げていた。
その姿が、どこかもの悲しくて、でも落ち着いていた。
誰かと過ごす夜は、少しだけ寒くない。
3. 秘密のレシピ帳
六月に入る頃には、三人の距離は少しずつ近づいていた。
とくに変化のきっかけになったのは、ある日の夕食。
「今夜は私が作りますわよ。だって、三輪さんのカレー、いくらなんでも水っぽすぎるもん!」
志乃が自信満々に作ったのは、バスガイド時代に全国で出会ったレシピを真似した“ご当地ハンバーグ”。
しかし、いざ食べてみると……
「……なんというか、惜しいな」
「ソースの塩加減が強い」
宗一郎と寅吉のダブルツッコミ。志乃はむくれた。
「じゃあ、あなたたちが作ってみなさいよ!」
その晩、寅吉が作った「だし巻き卵」と「鯖の味噌煮」が食卓に並ぶ。
一口食べて、二人とも無言になる。
「う、うまい……」
志乃が呟いた。
「どうして料理人だって黙ってたのよ」
寅吉は、ぽつりと言った。
「妻がね、亡くなってから、料理ができなかったんだ。……でも、もういいかなって思ったんだ。今夜は」
その日から、寅吉は夕食担当となった。
キッチンの隅にあった古びたレシピ帳に、新しいメモがひとつ、またひとつと増えていった。
4. 星空の下で
七月。山の風がぬるくなる。
三人は自然と、夜の縁側に集まる習慣がついていた。
焚き火台を囲み、焼き芋を割って、星を見上げる。
「なあ、なんで人って、夜になると素直になるんだろうな」
宗一郎がつぶやくと、志乃が笑った。
「昼間はね、なんか“ちゃんと”しなきゃって思っちゃうのよ。夜は、その鎧がはがれるのかもね」
「私はね、もう“ちゃんと”の人生は終わりにしたの。ここでは、ただの志乃さんよ」
宗一郎は、しばらく黙っていたが、やがてぽつりと言った。
「……私も、教師をやめてから、何をしたらいいのか分からなかった。人に必要とされないって、こんなに寂しいのかと」
寅吉が、珍しく口を開いた。
「そうでもねぇよ。朝になりゃ腹が減るし、誰かが飯を作って、誰かがうまいって言えば、それでいい」
その言葉に、宗一郎も志乃も、声を上げて笑った。
星空の下、小さな家の縁側で、三人の笑い声がやわらかく夜に溶けていった。
5. 手紙の中の言葉
秋の風が吹く頃、宗一郎の元に一通の手紙が届いた。
かつての教え子からだった。
《先生の授業で歴史が好きになりました。今、小学校で教えています》
便箋には、手書きでそう綴られていた。
「……まだ、少しは役に立ててるのかな」
宗一郎は手紙を胸にしまい、居間にいた二人に言った。
「なあ……この家、もう少し人を増やしてもいいかもしれんな」
「え、シェアハウス拡大計画?」
志乃が目を輝かせた。
「ええな、それ。料理の弟子でも来たら、わしも張り合いが出る」
誰かと暮らすというのは、わずらわしいこともある。
だけど、それ以上に、「自分はまだ、ここにいる」と感じさせてくれる。
年齢なんて関係ない。
誰かと一緒に笑うことができれば、それが「生きる」ってことなんだ。
6. 今夜も、星が見える
夜、縁側には、三人分の湯呑みが並んでいる。
志乃の淹れたほうじ茶の香りが、ほのかに漂う。
「見て、今日もきれいな星空だよ」
真上には、ひときわ大きく輝く星が、ゆっくりと流れていた。
宗一郎が、低くつぶやく。
「……いい名前だったな。“星空シェアハウス”」
「でしょ? 私のネーミングセンス、なかなかでしょ」
寅吉が、ふっと笑った。
どこまでも澄んだ空の下。
三人の影が、寄り添うように伸びていた。
1. 移住者たち
山あいの小さな町、真名坂(まなさか)。
春の終わり、風に乗って草の匂いが運ばれてくる。川沿いの桜はすっかり葉桜になり、田畑では苗代の準備が始まっていた。
そんな町のはずれに、一軒の古民家がある。
瓦はところどころ崩れ、縁側の板は色あせ、土間には蜘蛛の巣が張っていた。だが、どこか懐かしい匂いがする家だ。
「……まさか、本当に人が住めるとはな」
古民家の玄関で、男が苦笑いを浮かべていた。
背筋がまっすぐに伸びた、七十代の男性。短く刈り揃えられた白髪と、品のある眼鏡。名前は三輪宗一郎、元高校校長である。
その横に、色とりどりのスカーフを巻いた女性が、あけすけに笑った。
「なーに言ってんの、こんな最高な物件、東京じゃ一億円でも買えないわよ? 虫さえ目をつぶればだけどね!」
彼女は神崎志乃、六十五歳の元バスガイド。赤い口紅が印象的で、いつも明るい。
古民家シェアハウスの発起人である。
そして、すぐそばで静かにほうきを動かしていたのが、最年長の渡部寅吉、七十八歳。元料理人で、口数は少ないが、目つきは鋭く、腕には包丁を握ってきた年月の跡が刻まれていた。
三人は、縁もゆかりもなかった。
だが、「定年後に一人暮らしはちょっと寂しい」と思った志乃が、SNSで「シニア向けシェアハウス、やりませんか?」と呼びかけたことで始まった奇妙な同居生活である。
「名前、決めましょうよ。この家の。素敵な名前」
「名前?」
志乃はにやりと笑った。
「そうね、例えば……“星空シェアハウス”なんて、どう? ここ、夜空がきれいらしいわよ」
宗一郎は少し顔をしかめながらも、空を仰いだ。
――ここでの生活が、どんなものになるのか。
誰も想像できていなかった。
2. ひとつ屋根の下
初日の夜は、互いの生活リズムの違いに戸惑いの連続だった。
「なんだその目玉焼き、白身だけ焦げてるじゃないか」
「こっちはこっちで味噌汁しょっぱすぎ。塩と間違えたでしょ」
「ちょっとちょっと、そんなケチつけるなら自分で作んなさいよ。てか、洗濯機の使い方知らないって本気?」
朝から小言と突っ込みの嵐。
宗一郎は「時間割が必要だ」と言い出し、志乃は「やーね、軍隊じゃないんだから」と反発する。
一方、寅吉は黙って朝食のあとに自分の分の食器を洗い、さっさと縁側に座って本を読み始める。
バラバラだった。
だが、夜が来ると、不思議と空気が変わった。
山の中の夜は静かで、町の光が届かないぶん、星がくっきり見える。
志乃が縁側で缶ビールを開けながら、ぽつりと言った。
「……結婚してた頃ね、よく夫とキャンプ行ってたの。テント張って、星見ながら、バカ話してさ」
宗一郎が珍しく、目を細めた。
「私はね、学校の屋上からよく見ていたよ。退勤が遅くてな、気づくと空ばかり見上げていた」
寅吉は何も言わない。ただ、静かに夜空を見上げていた。
その姿が、どこかもの悲しくて、でも落ち着いていた。
誰かと過ごす夜は、少しだけ寒くない。
3. 秘密のレシピ帳
六月に入る頃には、三人の距離は少しずつ近づいていた。
とくに変化のきっかけになったのは、ある日の夕食。
「今夜は私が作りますわよ。だって、三輪さんのカレー、いくらなんでも水っぽすぎるもん!」
志乃が自信満々に作ったのは、バスガイド時代に全国で出会ったレシピを真似した“ご当地ハンバーグ”。
しかし、いざ食べてみると……
「……なんというか、惜しいな」
「ソースの塩加減が強い」
宗一郎と寅吉のダブルツッコミ。志乃はむくれた。
「じゃあ、あなたたちが作ってみなさいよ!」
その晩、寅吉が作った「だし巻き卵」と「鯖の味噌煮」が食卓に並ぶ。
一口食べて、二人とも無言になる。
「う、うまい……」
志乃が呟いた。
「どうして料理人だって黙ってたのよ」
寅吉は、ぽつりと言った。
「妻がね、亡くなってから、料理ができなかったんだ。……でも、もういいかなって思ったんだ。今夜は」
その日から、寅吉は夕食担当となった。
キッチンの隅にあった古びたレシピ帳に、新しいメモがひとつ、またひとつと増えていった。
4. 星空の下で
七月。山の風がぬるくなる。
三人は自然と、夜の縁側に集まる習慣がついていた。
焚き火台を囲み、焼き芋を割って、星を見上げる。
「なあ、なんで人って、夜になると素直になるんだろうな」
宗一郎がつぶやくと、志乃が笑った。
「昼間はね、なんか“ちゃんと”しなきゃって思っちゃうのよ。夜は、その鎧がはがれるのかもね」
「私はね、もう“ちゃんと”の人生は終わりにしたの。ここでは、ただの志乃さんよ」
宗一郎は、しばらく黙っていたが、やがてぽつりと言った。
「……私も、教師をやめてから、何をしたらいいのか分からなかった。人に必要とされないって、こんなに寂しいのかと」
寅吉が、珍しく口を開いた。
「そうでもねぇよ。朝になりゃ腹が減るし、誰かが飯を作って、誰かがうまいって言えば、それでいい」
その言葉に、宗一郎も志乃も、声を上げて笑った。
星空の下、小さな家の縁側で、三人の笑い声がやわらかく夜に溶けていった。
5. 手紙の中の言葉
秋の風が吹く頃、宗一郎の元に一通の手紙が届いた。
かつての教え子からだった。
《先生の授業で歴史が好きになりました。今、小学校で教えています》
便箋には、手書きでそう綴られていた。
「……まだ、少しは役に立ててるのかな」
宗一郎は手紙を胸にしまい、居間にいた二人に言った。
「なあ……この家、もう少し人を増やしてもいいかもしれんな」
「え、シェアハウス拡大計画?」
志乃が目を輝かせた。
「ええな、それ。料理の弟子でも来たら、わしも張り合いが出る」
誰かと暮らすというのは、わずらわしいこともある。
だけど、それ以上に、「自分はまだ、ここにいる」と感じさせてくれる。
年齢なんて関係ない。
誰かと一緒に笑うことができれば、それが「生きる」ってことなんだ。
6. 今夜も、星が見える
夜、縁側には、三人分の湯呑みが並んでいる。
志乃の淹れたほうじ茶の香りが、ほのかに漂う。
「見て、今日もきれいな星空だよ」
真上には、ひときわ大きく輝く星が、ゆっくりと流れていた。
宗一郎が、低くつぶやく。
「……いい名前だったな。“星空シェアハウス”」
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