魔女の贈り物 ～僕という奇跡～

第3章 運命の交差点

放課後の空は、まだ夏の残り香を漂わせながらも、どこか憂いを含んだ色に染まっていた。
琢磨は、いつものように教室を後にし、駅へと向かう足取りの中に、どこか無意識の不安と期待を抱いていた。
今日もまた、平凡な一日が終わろうとしている――
そう自分に言い聞かせながら、彼は駅へと続く細い歩道を歩いていた。
道沿いには、夕暮れに照らされる街灯が次々と灯り、ひっそりと佇むビルの窓からは、温かい光が漏れていた。

歩道を進む中、琢磨の耳にふと、エンジンの低い唸りと、タイヤがアスファルトを擦る音が混ざり合った。
交差点に差し掛かるその瞬間、突然、どこからともなく小さな足音が響く。
彼の視線が左右に走ると、黒い影が一瞬、道路を横切るのが見えた。
瞬時に、車のヘッドライトが迫る中、琢磨の脳裏に「危険！」という一言が閃いた。

本能的な反応が体中を駆け巡る。
彼は即座に走り出し、交差点の手前にあった歩道の縁に、飛び出してきた小さな存在を見つけた。
その存在は、まるで時間が止まったかのような一瞬の静寂の中にあった。
驚くほど小柄な女の子――
彼女は、たった小学生くらいの年齢であったが、その瞳は普段の子供らしさをはるかに超えた、不思議な輝きを湛えていた。

「大丈夫？　君、怪我はしていないかい？」
琢磨は、必死に抱きかかえながら問いかけた。
その声は、驚きと心配が入り混じった優しい響きを帯び、まるで彼女を守ろうとする決意そのもののようだった。
彼女は、最初は怯えた面持ちで目を見開いていたが、次第に薄い微笑みを浮かべると、首を小さく振った。
あたりに鳴り響く車の音や、急ブレーキの唸りが、まるで遠い世界の出来事のように感じられ、ただ彼女の存在だけが、現実と幻想の狭間に確かに存在しているかのようだった。

交差点を挟んだ向こう側では、驚いた運転手たちが慌ててハンドルを操作し、車は一斉にブレーキをかけた。
その衝撃で、路面にはゴムの焦げる匂いが漂い、車のライトが一瞬にして赤く輝いた。
だが、琢磨の中では、時間がゆっくりと流れるかのように感じられた。
彼は、かろうじて女の子を安全な歩道へと運びながら、心の中で「こんな時、どうしても立ち止まるわけにはいかない」と自分自身に言い聞かせた。

「ありがとう……先生」
小さな声が、まるで遠い風のように琢磨の耳に届いた。
女の子は、感謝の意を示すように、かすかに頭を下げた。
その姿は、一瞬の間、まるで魔法のような静けさと神秘を感じさせ、彼の胸に未知なる感情の種を蒔いた。
彼女の瞳の奥に隠された秘密、そしてその微笑みには、ただの子供のものとは思えないどこか妖しげな輝きがあった。

交差点に集まった救急車と警察官たちが、次々と現場に駆けつける中、琢磨は事情を説明しながらも、女の子の存在がもたらす不思議な空気に心を奪われていた。
彼女は一言も語ろうとせず、ただ穏やかな微笑みを浮かべるだけで、まるで全てを知っているかのような佇まいを見せた。
その表情に、琢磨は言葉にしがたい不思議な感覚と、心の奥深くに眠る何か大切なものを思い出すような感情を抱かずにはいられなかった。

「なぜ、君はこんな場所に……？」
その問いを投げかけたのは、警察官の一人の口調だったが、琢磨の頭の中にはすでに、ただの偶然では済まされない何かが蠢いているような感覚が広がっていた。
交差点の混乱の中で、彼はふと、これまでの日常に潜む見えない糸に気付かされたような気がした。
彼女――
その小さな命が、何か大きな運命の一端を担っているのではないか、と。

その日の夕暮れは、まるで運命の扉がひとたび開かれたかのような不思議な重みを帯び、琢磨の胸中に深い余韻を残した。
救急隊が女の子の体調を確認し、警察が事情聴取を始める中、琢磨は自宅へと帰る途中、交差点で起こった奇跡の瞬間を、何度も頭の中で再生していた。
胸の中に芽生えた感情は、今まで感じたことのない未知なるもの。
彼自身が、ただの数学教師として日々を過ごしていた中で、これほどまでに心を揺さぶる出来事は初めてだった。

自宅に着くと、琢磨は静かに部屋の明かりをつけ、窓の外に広がる夜景をぼんやりと見つめた。
あの交差点で出会った小さな魔女っ娘――
いや、ただの子供のはずの彼女の瞳に宿る輝きが、彼の中で何かを呼び覚ますように感じられた。
心のどこかで、これまで秘めた「自分を変えたい」という切実な願いが、かすかにしかし確かに灯り始めたのを、琢磨は実感していた。

その夜、ひとり静かな部屋で、琢磨は何度もあの瞬間を思い返しながら、交差点で交わされた小さな「ありがとう」の言葉に耳を傾けた。
彼は、自分の内面に眠る未だ見ぬ可能性を感じながら、今後の人生における運命の分岐点が、この一瞬に凝縮されているような不思議な感覚に包まれていた。
まるで、あの日の出来事が、彼のこれからの歩むべき道をそっと照らす一筋の光となるかのように――。