魔女の贈り物 ～僕という奇跡～

第4章 病室の反省

翌朝、予期せぬ痛みとともに琢磨は意識を覚ました。
薄暗い病室の天井を見上げると、白いシーツに身を包んだ自分の姿がそこにあった。
昨夜遅く、迫りくる全身の激痛の為、止む無く救急車を呼んでみると右肩にひびが入っていた。
更に、軽度の打撲と擦り傷のため、医師からは「一週間ほど入院して安静に」との指示を受けていた。
窓際のカーテンが揺れるたびに、柔らかな朝の光が室内に差し込み、まるで外の世界の静けさと対照的に、自身の内面のざわめきを映し出しているかのようだった。

琢磨は、点滴のリズムとともに、自分がいかに無力であるかを痛感していた。
普段、教室で生徒たちに数式を解説し、厳格な表情で秩序を保つ自分。
あの日、交差点で一瞬の判断で小さな命を救った自分。
それは、たった一瞬の勇気であったにもかかわらず、彼にとっては大きな転機となったのだ。
病室の静寂の中で、彼はその瞬間を何度も繰り返し思い返す。
あの小さな女の子の瞳には、不思議な光が宿っていた。
まるで、未来への扉を開く鍵のような、どこか神秘的な輝きを放っていた。

部屋に入ってくる看護師たちは、いつもよりもどこか遠慮がちな表情で琢磨を見守っていた。
白衣のすそをそっと撫でる手の動きや、静かに交わされる短い会話の中に、病院内に漂う噂が垣間見えた。
「あの人は子供を助けて怪我をしたんですって…」という低い声が、廊下の向こうから聞こえてくるのを、琢磨は痛感せずにはいられなかった。
彼自身が救ったその子は、先ほど母親と一緒に挨拶に来た。
どうやらお礼を言うために電話をかけた学校で、事の事情を聴いたようだ。
母親の物凄い感謝の言葉が、これまで大切にしていた”思いやり”が間違っていなかったことを感じた。

痛みと孤独の中、琢磨は自分自身と向き合う時間を余儀なくされた。
これまで、教壇での厳しさや、生徒会長の厳しい視線、保健師・静香からのささやかな小言の中で、彼は自分の「普通」な姿に甘んじ、変わることを恐れてきた。
しかし、交差点での一瞬の出来事が、内側から彼の心に小さな亀裂を入れたのは否めなかった。
病室の窓から見える広い青空は、これまで閉ざされていた自分自身への扉を、そっと叩いているかのようだった。

「俺は、何をすべきなんだろうか」
琢磨は静かに独り言をつぶやく。
自らの無力さ、そしてあの日の勇気。
その対比が、彼の内面に新たな疑問とともに、これまで封じ込めてきた本当の自分への渇望を呼び覚ます。
鏡に映る自分の姿――
眼鏡越しに見えるその瞳の奥に、日々の生活の中で薄れてしまった子供の頃の輝きは、もう戻らぬものなのか。
病室の静かな空気の中で、彼は自分の心に問いかける。

記憶の中に浮かぶ、生徒たちとの何気ない会話や、琴音や静香とのぎこちないやり取り。
それらは、かつての自分が大切にしていた「普通の日常」の一部であった。
だが、あの日、交差点で出会ったあの小さな命は、ただの偶然ではなかった。
彼女の瞳が示す未来の兆しは、琢磨に「変わるべき時が来た」と告げているように感じられた。
もしかすると、彼はこれまで本当の自分を隠し続け、偽りの「教師像」に縛られていたのかもしれない。

病室の一角で、琢磨はひとり、ノートとペンを取り出し、これまでの自分の行動や思いを紙に綴り始めた。
そこには、恥ずかしさや後悔だけではなく、今後の自分への期待や、隠れていた夢への淡い希望が混じっていた。
筆は時折震えながらも、彼の心の叫びを一文字一文字に込めていく。
書き進めるうちに、彼は気づいた。
今の自分が変わるべきは、外見の変貌ではなく、内面の真実、すなわち自分が本当に誰であったのかを取り戻すことにほかなかったということを。

窓の外では、夕陽がゆっくりと沈みかけ、病室内に柔らかなオレンジ色の光が差し込んでいた。
その光は、まるで新たな希望の象徴のように、琢磨の胸に小さな温もりをもたらす。
痛みや孤独といった現実の厳しさの中にも、彼は確かに、再び輝く未来を築ける可能性を感じ始めていた。

「俺はもっと現実に戻らなくてはいけない」
その小さな決意は、病室という限られた空間でこそ、最も誠実に、そして静かに育まれていった。
看護師たちの気遣い、そして遠くから聞こえる同僚たちのささやかな噂。
そのすべてが、彼にとっては過去の自分との対話であり、新たな未来への道標であった。

こうして、病室の静かな時間は、ただの入院生活以上の意味を持ち始めた。
琢磨は、これまでの自分の殻を破り、本来の自分――
優しさと真摯さに満ちた、自分自身の輝きを再び取り戻すための、第一歩を踏み出そうとしていた。
病室の窓から見える空は、今日もまた、彼に無限の可能性と未来への約束をそっと告げ続けているのだった。