雨のち、青(アオハル・シリーズ)

naomikoryo

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第7話「雨は、わたしのせいじゃない」

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律が学校に来なくなって、一週間が経った。

まひるはそのあいだ、何度も彼の名前を心の中で呼んだ。
けれど、口には出せなかった。
誰かに聞かれるのが怖かったわけじゃない。
ただ、名前にしてしまった瞬間に、律がもう遠くへ行ってしまったことを認めてしまいそうだった。

彼からのメッセージは、来なかった。
文化祭の朝を最後に、既読のつかない画面がすべてを語っていた。

放課後、美術室に行くのもやめた。
そこに彼の姿がないとわかっていて、それでも足を運ぶのが、つらすぎた。
未完成の青い絵と、無言のキャンバスだけが待っている場所。
あの絵の中に、律の「さよなら」がある気がして、どうしても見たくなかった。

ある日の放課後、まひるは帰り道をひとりで歩いていた。
その日も空は重たく、グレーと白がまざり合ったような色をしていた。
気温は低くないのに、風だけが妙に冷たく感じた。
雨は降っていなかったけれど、いつ降り出してもおかしくない、そんな空気だった。

まひるは歩きながら、自分の影を見ていた。
薄くて、かたちもぼんやりしていて、何を写しているのかよくわからない。
まるで、自分自身の心みたいだった。

──もう一度だけ会えたらいいのに。

そう思った。
ただ、それだけを願った。
謝りたいとか、確かめたいとか、そういう言葉よりも前に、
「ただ、顔が見たい」
その気持ちが胸の奥に居座っていた。

それが、こんなにも苦しいことだなんて知らなかった。
誰かの不在が、こんなに静かに人を壊すものだなんて。

翌日、学校で律のことを話す生徒がひとりもいなかったことに、まひるは気づいた。

まるで、最初からいなかったかのように。
彼の名前も、姿も、時間とともに消えていった。
誰も彼のことを話題にしない。
黒瀬律という存在は、空気のようにすり抜けていった。

その静けさが、いちばん怖かった。
まひるは、自分だけが彼のことを覚えているような錯覚に陥っていた。

「私が覚えていないと、律くんは本当にいなくなってしまうんじゃないか」
そんな妄想めいた考えが、現実を侵食してくる。

だから彼女は、毎晩律の名前をノートに書いた。
声に出せないぶん、文字にすることで繋がりを保とうとした。
スケッチブックではなく、まひるのノートには彼への言葉が増えていった。

『今日も来なかった。
でも空は少し晴れたよ。
あなたがいたら、なんて言ったかな。』

ある日、まひるはついに、美術室の扉を開けた。
もう、怖がっていても何も変わらないと思ったから。
それでも、心のどこかで「もしかして……」という希望を抱いていた。

けれど、そこに律の姿はなかった。
変わらず未完成の絵が、ただ静かに立っていた。

彼がいなくなってから、少しだけ絵に変化があった。
前回見たとき、絵の隅にあった黒が、さらに広がっていた。
青が後退し、空の大部分が鈍色に覆われていた。

律がこの絵を完成させることは、もうないのかもしれない。

その事実が、心を刺した。

まひるは、そっとキャンバスの前に立った。
そして、律の描いた青を見つめながら、ぽつりと呟いた。

「私のせい……なの?」

律が突然姿を消したのは、文化祭の日。
自分が想いを伝えようとしたあの日。
もしかして、気づかれていたのだろうか。
自分の気持ちが重かったのだろうか。
怖がらせてしまったのだろうか。

考えても答えは出ない。
でも、思考は勝手に“自分を責める方向”へ進んでしまう。

「……どうして、何も言わないの?」
目の前の青が、ただ黙っていた。

その日の帰り道。
雨が降り始めた。

ぽつ、ぽつ、と。
傘を差す前に、何粒かの雨がまひるの制服を濡らした。

まひるは立ち止まり、傘を開かずに雨に打たれた。
冷たくはなかった。
ただ、体の中の熱を静かに奪っていくような、優しい雨だった。

目を閉じると、いろんな声が蘇ってくる。
「泣いてた?」と聞いてくれた声。
「この青は、君のおかげかもしれない」と言ってくれた声。
そして、何も言わずに去ってしまった、律の沈黙。

涙が出るかと思った。
でも、出なかった。

代わりに、ひとつの思いだけが言葉になって胸の中に浮かんだ。

──雨は、わたしのせいじゃない。

律がいなくなったのも、
彼が何も言わなかったのも、
彼の青が黒に変わったのも。

それは、きっと“わたしのせい”じゃない。

自分を責めるのは、やめようと思った。
責めてしまうと、彼の優しさまで否定することになる気がした。

まひるはその夜、ひとつの詩を完成させた。

『きっと、
あなたの空に雨が降ったのは、
私のせいじゃない。
それでも私は、
いつまでも傘を持って、
あなたを待っていたい。』

文字を書き終えたあと、まひるはふうっと息を吐いた。
長い、静かな息だった。

ページを閉じたとき、ようやく心の中で何かが一段落した気がした。

それでもきっと、明日も彼のことを考えてしまう。
でも、今はそれでいい。
忘れる必要なんてない。
想いが報われなかったとしても、それは“なかったこと”にはならない。

好きだった。
あの青が、あの声が、あの目が。
好きだった。

そしてそれは、
わたしの中で、たしかに生きている。
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