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第5話 「初めての残業コンビと、陽翔の“ママから電話です”」
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金曜の夕方。
週末前のこの時間帯、オフィス全体に「今日は早く帰ろう」ムードが漂っている中、私は黙々と残業の準備をしていた。
そう、残業。
月初の予算組み替え、営業報告書の整理、そして謎のトラブルで宙に浮いている案件の再調整。
今夜は長丁場確定。
「うわ~、黒瀬主任、まだ残るんですか? お疲れ様です!」
そう声をかけてきたのは、OLの森川紗英。いつもアイメイク濃いめ、でも妙に気が利くタイプだ。
「うん、今日はちょっと片付けないとね。森川さんはもう上がっていいよ」
「はいっ。……あ、真木さんも帰るとこですよ」
紗英が指さす先には、コートを手にした真木陽翔の姿。
……だったはずが。
「黒瀬主任、僕も残業、手伝います」
彼はそう言って、コートをハンガーに戻した。
「えっ、いいの? 疲れてない?」
「ママが、“困ってる人がいたら手を貸せ”って、昔から言ってたんで」
……ママがな。
この世界の正義は、全部ママが決めてるのか。
***
二人きりの夜のオフィス。
パチパチとキーボードを叩く音と、時折陽翔がめくる紙の音だけが静かに響く。
「……主任って、残業多いんですね」
「うん、まぁ。誰かがやらなきゃ、終わんないからね。責任感、みたいなもん」
「そういうとこ、ほんと尊敬します。ママにも話したいくらいです」
「……ちょっと待て。なんでまたママに報告する流れになってるの?」
「えっ? だって、主任のことはよく話してますし」
「まさか……私のこと、“会社のママ”とか言ってないよね?」
「えっ……言ってますけど?」
「うっわ……!」
顔を覆う私。
マジか、ギャルママに「会社のママ」認定されてたんか、私……。
「でも違いますよ。主任のことは“ちょっと特別なママ”って感じで」
「もうちょっと褒められてるのかバカにされてるのか分かんないんだけど」
「……褒めてます。ママも、“その人がいれば大丈夫ね”って言ってくれましたし」
「……いや、だから、どこから目線で私の人間評価してるのよ、真木家」
***
しばらくして、ふと陽翔が手を止めた。
「……あ、マズい」
「ん?」
「携帯……机の下でバイブしてた。ちょっとすみません」
彼はポケットからスマホを取り出し、画面を見て顔をしかめた。
「ママからです」
「またか」
陽翔は、申し訳なさそうに離れた場所へ歩き、電話に出た。
声は小さいけれど、内容はなんとなく聞こえてくる。
「うん……うん、でも今日は主任と残業で……うん、大丈夫。夕飯は食べて帰る。うん、うん、ほんとに大丈夫だから……」
……普通の親子のやりとり、と言えばそれまでだ。
でも、それにしては長いし、“彼女と電話してる男子高校生”みたいなトーンが引っかかる。
私は思った。
(この子、ほんとに“ママが恋人”みたいな感覚なんじゃ……)
そう思ったとたん、急にゾッとして、背中が寒くなった。
***
「……すみません、お待たせしました」
「いや、別にいいけど。……そんなに頻繁に連絡くるの?」
「ママ、寂しがりなんで。……でも、ほんとは僕の方が寂しがりなんです」
「……」
「僕、昔から友達少なくて。唯一ちゃんと向き合ってくれたのがママで。だから、こうやって一緒に過ごすの、実は嬉しいんです」
「……私と?」
「はい。主任って、ちょっとだけママに似てるんですよね。はっきり言うとこ、でも優しいとこ。……なんか、居心地が良くて」
うっわ、来た来たこの流れ。
甘えスイッチが入った真木陽翔は、無敵状態になる。
悪気のない目。ちょっと照れたような笑い。距離感ゼロのセリフ。
気づけば、私のパーソナルスペースは浸食されている。
「……主任。僕、主任とこうして静かな時間を過ごせるの、好きです」
——その瞬間。
“バチン”。
蛍光灯が一つ、タイミング悪く消えた。オフィスの半分が暗くなる。
「うわっ……!」
「停電……? あ、主任、大丈夫ですか?」
陽翔が私の方に寄ってくる。近い。近い。近い。
「ちょ、近っ……!」
「……なんか、こういう時って、主任を守らなきゃって思うんですよね」
「いや、逆だから。年上なんだから。守られる側じゃないから」
「でも、僕……主任のこと、ほんとは守りたいって思ってるかもしれません」
「……うそつけ、絶対ママの方が大事なくせに」
「それは……否定できないですけど」
正直すぎるなこの子。
***
帰り道。蛍光灯はその後すぐ復旧したけれど、私は心の中で“危険信号”を点滅させていた。
——これはただのマザコンじゃない。
——この子、甘えたい相手を“ママカテゴリー”に入れるクセがある。
そして、私はいま、どう考えてもその**“ママ候補No.1”**だ。
まずい。非常にまずい。
このままいくと、私は完全に「精神的ママ兼恋愛対象」という超地雷ポジションになる可能性がある。
でも、ふと気づいた。
あの時、あの暗い中で言われた。
——「主任と静かな時間を過ごせるの、好きです」
……あれは、“母親”に対して言うセリフじゃない。
いや、言わないでしょ普通。
私の中に、ふっと疑問が浮かんだ。
(もしかして、この子……ほんとに私のこと、“ただのママ代わり”として見てない……?)
その夜、私は布団の中で天井を見上げながら、ため息をついた。
ほんと、この残業、いろんな意味で重すぎた。
(つづく)
週末前のこの時間帯、オフィス全体に「今日は早く帰ろう」ムードが漂っている中、私は黙々と残業の準備をしていた。
そう、残業。
月初の予算組み替え、営業報告書の整理、そして謎のトラブルで宙に浮いている案件の再調整。
今夜は長丁場確定。
「うわ~、黒瀬主任、まだ残るんですか? お疲れ様です!」
そう声をかけてきたのは、OLの森川紗英。いつもアイメイク濃いめ、でも妙に気が利くタイプだ。
「うん、今日はちょっと片付けないとね。森川さんはもう上がっていいよ」
「はいっ。……あ、真木さんも帰るとこですよ」
紗英が指さす先には、コートを手にした真木陽翔の姿。
……だったはずが。
「黒瀬主任、僕も残業、手伝います」
彼はそう言って、コートをハンガーに戻した。
「えっ、いいの? 疲れてない?」
「ママが、“困ってる人がいたら手を貸せ”って、昔から言ってたんで」
……ママがな。
この世界の正義は、全部ママが決めてるのか。
***
二人きりの夜のオフィス。
パチパチとキーボードを叩く音と、時折陽翔がめくる紙の音だけが静かに響く。
「……主任って、残業多いんですね」
「うん、まぁ。誰かがやらなきゃ、終わんないからね。責任感、みたいなもん」
「そういうとこ、ほんと尊敬します。ママにも話したいくらいです」
「……ちょっと待て。なんでまたママに報告する流れになってるの?」
「えっ? だって、主任のことはよく話してますし」
「まさか……私のこと、“会社のママ”とか言ってないよね?」
「えっ……言ってますけど?」
「うっわ……!」
顔を覆う私。
マジか、ギャルママに「会社のママ」認定されてたんか、私……。
「でも違いますよ。主任のことは“ちょっと特別なママ”って感じで」
「もうちょっと褒められてるのかバカにされてるのか分かんないんだけど」
「……褒めてます。ママも、“その人がいれば大丈夫ね”って言ってくれましたし」
「……いや、だから、どこから目線で私の人間評価してるのよ、真木家」
***
しばらくして、ふと陽翔が手を止めた。
「……あ、マズい」
「ん?」
「携帯……机の下でバイブしてた。ちょっとすみません」
彼はポケットからスマホを取り出し、画面を見て顔をしかめた。
「ママからです」
「またか」
陽翔は、申し訳なさそうに離れた場所へ歩き、電話に出た。
声は小さいけれど、内容はなんとなく聞こえてくる。
「うん……うん、でも今日は主任と残業で……うん、大丈夫。夕飯は食べて帰る。うん、うん、ほんとに大丈夫だから……」
……普通の親子のやりとり、と言えばそれまでだ。
でも、それにしては長いし、“彼女と電話してる男子高校生”みたいなトーンが引っかかる。
私は思った。
(この子、ほんとに“ママが恋人”みたいな感覚なんじゃ……)
そう思ったとたん、急にゾッとして、背中が寒くなった。
***
「……すみません、お待たせしました」
「いや、別にいいけど。……そんなに頻繁に連絡くるの?」
「ママ、寂しがりなんで。……でも、ほんとは僕の方が寂しがりなんです」
「……」
「僕、昔から友達少なくて。唯一ちゃんと向き合ってくれたのがママで。だから、こうやって一緒に過ごすの、実は嬉しいんです」
「……私と?」
「はい。主任って、ちょっとだけママに似てるんですよね。はっきり言うとこ、でも優しいとこ。……なんか、居心地が良くて」
うっわ、来た来たこの流れ。
甘えスイッチが入った真木陽翔は、無敵状態になる。
悪気のない目。ちょっと照れたような笑い。距離感ゼロのセリフ。
気づけば、私のパーソナルスペースは浸食されている。
「……主任。僕、主任とこうして静かな時間を過ごせるの、好きです」
——その瞬間。
“バチン”。
蛍光灯が一つ、タイミング悪く消えた。オフィスの半分が暗くなる。
「うわっ……!」
「停電……? あ、主任、大丈夫ですか?」
陽翔が私の方に寄ってくる。近い。近い。近い。
「ちょ、近っ……!」
「……なんか、こういう時って、主任を守らなきゃって思うんですよね」
「いや、逆だから。年上なんだから。守られる側じゃないから」
「でも、僕……主任のこと、ほんとは守りたいって思ってるかもしれません」
「……うそつけ、絶対ママの方が大事なくせに」
「それは……否定できないですけど」
正直すぎるなこの子。
***
帰り道。蛍光灯はその後すぐ復旧したけれど、私は心の中で“危険信号”を点滅させていた。
——これはただのマザコンじゃない。
——この子、甘えたい相手を“ママカテゴリー”に入れるクセがある。
そして、私はいま、どう考えてもその**“ママ候補No.1”**だ。
まずい。非常にまずい。
このままいくと、私は完全に「精神的ママ兼恋愛対象」という超地雷ポジションになる可能性がある。
でも、ふと気づいた。
あの時、あの暗い中で言われた。
——「主任と静かな時間を過ごせるの、好きです」
……あれは、“母親”に対して言うセリフじゃない。
いや、言わないでしょ普通。
私の中に、ふっと疑問が浮かんだ。
(もしかして、この子……ほんとに私のこと、“ただのママ代わり”として見てない……?)
その夜、私は布団の中で天井を見上げながら、ため息をついた。
ほんと、この残業、いろんな意味で重すぎた。
(つづく)
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