最終電車

naomikoryo

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第一話:深夜の終電、疲れたOL

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1. 終わらない仕事
 白石由紀はデスクの上に広げた書類を見つめながら、こめかみを押さえた。
デジタル時計の赤い数字が、23:08を示している。

 「……はぁ……」

 小さく息をつき、パソコンのモニターに視線を戻す。オフィスの明かりは、もう自分のデスクの周りしかついていなかった。

 静まり返ったフロア。昼間は電話の音や同僚の会話が飛び交っていたが、今はコピー機の電源音が微かに響くのみだった。

 (また、残業……)

 最近、これが当たり前になっていた。広告代理店で働き始めて6年目。最初の頃は、やりがいを感じていた仕事も、今ではただの義務のように感じられる。

 目の前の企画書は、既に3回も修正を加えているものだった。午前中に提出したにもかかわらず、上司の水島課長から「もう少しパンチがほしい」と言われ、やり直しになった。

 ("パンチ"って何よ……)

 具体的な指示もなく、結局は感覚で修正を求められる。とにかく派手で目立つものを作ればいいというわけではないのに、クライアントの顔色を伺いながら上司の好みにも合わせなければならない。そのバランスが難しい。

 もう何度目かわからない修正作業に、ため息ばかりが増えていく。

2. 仕事とプライベートの狭間
 「まだ残ってたの?」

 不意に声をかけられ、由紀は顔を上げた。

 入口近くに立っていたのは、同期の山本圭吾だった。

 彼もまた、遅くまで残業をしていた一人だが、今日はついにギブアップしたのか、肩にジャケットをかけて帰る準備をしている。

 「うん、あともうちょっとだけ」

 「大丈夫? 最近ずっと遅いよね」

 心配そうな表情に、由紀は「なんとかね」と笑ってみせた。

 本当は全然大丈夫じゃない。体も、気持ちも、限界に近い。だけど、「辛い」と言ったところで、誰かが助けてくれるわけじゃない。

 山本はそんな由紀の様子を見て、一瞬何か言いかけたが、結局「無理しないようにね」とだけ言ってオフィスを後にした。

 (無理しないように……か)

 そんなことができたら、どれだけ楽だろう。

3. 誰のための努力なのか
 上司の水島課長は、自分では何も手を動かさないタイプだ。口だけ出して、あとは部下に丸投げ。修正が気に入らなければ「もっと良くして」と平気で言ってくる。

 以前、思い切って「具体的にどの部分をどう直せばいいですか?」と聞いたことがあった。しかし、返ってきたのは、「そこを考えるのが君たちの仕事だろ?」という、呆れるほど無責任な言葉だった。

 それ以来、無駄だと思って質問するのをやめた。

 (でも、今日仕上げた分なら……もう文句ないはず)

 細かいところまで手を入れ、何度も確認した。完璧とは言えないかもしれないが、もうこれ以上は時間をかけられない。

 パソコンをシャットダウンし、資料をまとめてカバンに押し込む。立ち上がると、肩がズシリと重く感じた。

 「帰ろう……」

4. 深夜の都会
 オフィスビルを出ると、冷たい夜風が頬を撫でた。

 辺りはすっかり静まり返り、煌々と輝くビルの明かりだけが街を照らしている。深夜0時を過ぎた東京の街は、昼間とは違った顔を見せていた。

 タクシーが通り過ぎる。酔っ払ったサラリーマンが、誰かと電話しながらふらついて歩いている。カップルが寄り添いながら、駅の方向へと向かっていく。

 由紀は少し早足になった。

 (最終電車、間に合うかな……)

 今日はどうしても家に帰りたかった。たとえタクシーに乗る余裕があったとしても、このまま深夜の街に長くいるのは気が進まない。

 駅に着くと、すでに終電が近づいているアナウンスが流れていた。

 ホームへと急ぎ、ギリギリで滑り込むように電車に乗る。

5. 最終電車の静けさ
 車内は思ったより混んでいた。

 しかし、昼間のような活気はなく、乗客たちは皆疲れた顔をして座っている。酔っ払っている人もいれば、スマホを眺めている人もいる。中には、うつらうつらと眠りに落ちている人の姿もあった。

 由紀はロングシートの端に空いている席を見つけ、すぐに腰を下ろした。

 (あと7駅……20分ぐらい)

 カバンを膝の上に置き、スマートフォンを取り出す。

 SNSを開くが、特に気になる投稿はない。ニュースアプリを眺めても、流れてくるのは政治や芸能ニュースばかりで、頭に入ってこなかった。

 窓の外を眺める。

 電車は都市の夜を滑るように進んでいた。

 (眠い……)

 終電の揺れは心地よく、重たい瞼が自然と閉じそうになる。

 (でも、ここで寝ちゃダメ)

 目を開けようとするが、意識がどんどん遠のいていく。

 ――そのとき。

 「おーい、お姉さん!」

 かすれた声が聞こえた。

 そして、同時に漂う酒臭い空気。

 由紀はハッとして顔を上げた。

 目の前には、50代くらいの中年の男が立っていた。顔は赤く染まり、手には缶チューハイを持っている。

 ニヤニヤと笑いながら、由紀の方を見下ろしていた。

 「こんな時間に、一人かぁ?」

 ――嫌な予感がした。
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