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第二話:絡んでくる酔っ払い
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1
深夜の最終電車。
人々は疲れ果てた顔をして座り、車内には眠気と無関心の空気が漂っていた。都市の喧騒が遠のき、規則正しい走行音が眠気を誘う。
しかし、白石由紀にとって、この静かな空間は決して安らげるものではなかった。
向かいの座席でスマートフォンを眺める若い会社員。イヤホンをして目を閉じる学生。壁際に立ちながら眠気と戦うサラリーマン。
そして、由紀のすぐそばに立つ――酔っ払いの男。
「おーい、お姉さん、聞いてんのか?」
酒臭い息とともに、男の声が降ってくる。
由紀は無視を決め込み、スマートフォンの画面をじっと見つめた。だが、そこに映る文字は頭に入ってこない。
(最悪……)
終電には時々こういうトラブルがある。由紀は今まで何度かこうした酔っ払いに絡まれたことがあったが、今回は状況が悪かった。
車両の一番奥、ロングシートの端。逃げ場がない。
視線をそらし、なるべく関わらないようにしていたが、男は明らかに彼女に狙いを定めていた。
「なぁ、そんなにスマホばっか見てねぇでさぁ、俺と話そうぜぇ?」
男はニヤニヤと笑いながら由紀の顔を覗き込むように身を乗り出してくる。
近い。
「俺さぁ、昔はけっこうモテたんだよぉ。ほら、今でもイケてると思わねぇ?」
そう言いながら、自分の髪を手ぐしでかきあげるが、ベタついた額が露わになり、むしろ不潔さが際立つだけだった。
由紀は眉をひそめたまま、スマホを持つ手に力を込める。
(駅に着いたら、すぐに車両を移ろう)
そう考えていたとき――。
男の手が、彼女の膝の上にあるバッグに伸びてきた。
2
「ちょっとぐらいさぁ、いいじゃねぇか。減るもんじゃねぇし?」
――ゾッ。
寒気が背筋を走った。
男の指がバッグの端を掴んだその瞬間、由紀はとっさにバッグを引き寄せた。
「触らないでください」
短く、冷たい声で言い放った。
男は一瞬動きを止めたが、すぐに唇を歪めて笑った。
「おー、怖ぇ怖ぇ。でもさぁ、そんなにキツイ顔してるとモテねぇぞ?」
その言葉を聞いて、由紀は心底うんざりした。
こういう男は、相手が反応すればするほど絡んでくる。怒りを露わにするのは逆効果だと分かっていたが、それでも、黙って耐え続けることはできなかった。
だが、男の態度はエスカレートする一方だった。
「なぁ、飲みに行こうぜぇ? まだ終電あるだろ?」
「彼氏いるのかよ? いねぇなら、俺が遊んでやるよ」
「どうせ仕事ばっかしてるんだろ? たまには楽しくしようぜぇ?」
由紀はその場を離れたかった。
だが、ここで席を立てば、男はますますしつこく追いかけてくるだろう。次の駅で降りるのも手だが、それでついてこられたらどうしようもない。
(このまま黙って耐えるしかない……)
そう思った矢先――。
「よっ、久しぶり!」
突如、明るい声が響いた。
3
由紀が驚いて顔を上げると、目の前に見知らぬ青年が立っていた。
20代前半くらいの若い男。長身で、黒髪は少し無造作に乱れているが、どこか爽やかさを感じさせる。スラリとした体型で、シンプルなシャツにジーンズというラフな格好だった。
彼はニコニコと笑いながら、由紀を見下ろしていた。
「久しぶりだなぁ! 元気だった?」
……誰?
驚きに目を見開く由紀。
「お、おい……?」
酔っ払いの男も困惑して青年を見る。
青年は由紀の隣の座席に腰を下ろし、彼女のバッグの上に軽く肘をついた。まるで昔からの知り合いのように、自然な距離感だった。
「こんな時間に一人かと思ったけど、まさかお前がいるとはな!」
親しげな口調に、由紀は戸惑う。
しかし、すぐに気づいた。
この人、わざとこうして話しかけてくれている――。
私を酔っ払いから守るために。
男は明らかに面白くなさそうな顔をしていた。
「お前、知り合いか?」
「そりゃそうっすよ!」
青年は悪びれもせず答える。
「大学時代の友達でさぁ、よく一緒に飲んでたんですよ。なぁ?」
由紀は一瞬迷ったが、すぐに**「う、うん」**と頷いた。
すると、青年は酔っ払いに向き直り、やんわりと肩をすくめた。
「悪いっすねぇ、久々に会ったんで、ちょっと二人で話したいんですよ」
酔っ払いの男は露骨に不満そうに舌打ちをした。
「チッ……なんだよ、つまんねぇな」
そう呟くと、男はよろよろと隣の車両へと移動していった。
4
車両のドアが閉まるのを確認すると、由紀は大きく息を吐いた。
「……助かった……」
「いやいや、大丈夫? かなり怖かったでしょ」
青年は笑顔を崩さず、彼女の顔を覗き込むようにして聞いた。
「……まあ、正直に言うと、怖かったです」
それを聞いた青年は、「そっか」と優しく頷いた。
「でも、まだ油断しないほうがいいよ」
「え?」
「ほら、あいつ……」
青年は目で合図するように、隣の車両の方を見た。
ちらりと覗くと、酔っ払いの男がガラス越しにこちらを見ていた。
「……面倒ですね」
「大丈夫。俺がここにいる限り、君には絶対手を出させないから」
その言葉を聞いて、由紀はふと、青年の顔をじっと見つめた。
(……どこかで、見たことがある気がする)
しかし、思い出せなかった。
深夜の最終電車。
人々は疲れ果てた顔をして座り、車内には眠気と無関心の空気が漂っていた。都市の喧騒が遠のき、規則正しい走行音が眠気を誘う。
しかし、白石由紀にとって、この静かな空間は決して安らげるものではなかった。
向かいの座席でスマートフォンを眺める若い会社員。イヤホンをして目を閉じる学生。壁際に立ちながら眠気と戦うサラリーマン。
そして、由紀のすぐそばに立つ――酔っ払いの男。
「おーい、お姉さん、聞いてんのか?」
酒臭い息とともに、男の声が降ってくる。
由紀は無視を決め込み、スマートフォンの画面をじっと見つめた。だが、そこに映る文字は頭に入ってこない。
(最悪……)
終電には時々こういうトラブルがある。由紀は今まで何度かこうした酔っ払いに絡まれたことがあったが、今回は状況が悪かった。
車両の一番奥、ロングシートの端。逃げ場がない。
視線をそらし、なるべく関わらないようにしていたが、男は明らかに彼女に狙いを定めていた。
「なぁ、そんなにスマホばっか見てねぇでさぁ、俺と話そうぜぇ?」
男はニヤニヤと笑いながら由紀の顔を覗き込むように身を乗り出してくる。
近い。
「俺さぁ、昔はけっこうモテたんだよぉ。ほら、今でもイケてると思わねぇ?」
そう言いながら、自分の髪を手ぐしでかきあげるが、ベタついた額が露わになり、むしろ不潔さが際立つだけだった。
由紀は眉をひそめたまま、スマホを持つ手に力を込める。
(駅に着いたら、すぐに車両を移ろう)
そう考えていたとき――。
男の手が、彼女の膝の上にあるバッグに伸びてきた。
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「ちょっとぐらいさぁ、いいじゃねぇか。減るもんじゃねぇし?」
――ゾッ。
寒気が背筋を走った。
男の指がバッグの端を掴んだその瞬間、由紀はとっさにバッグを引き寄せた。
「触らないでください」
短く、冷たい声で言い放った。
男は一瞬動きを止めたが、すぐに唇を歪めて笑った。
「おー、怖ぇ怖ぇ。でもさぁ、そんなにキツイ顔してるとモテねぇぞ?」
その言葉を聞いて、由紀は心底うんざりした。
こういう男は、相手が反応すればするほど絡んでくる。怒りを露わにするのは逆効果だと分かっていたが、それでも、黙って耐え続けることはできなかった。
だが、男の態度はエスカレートする一方だった。
「なぁ、飲みに行こうぜぇ? まだ終電あるだろ?」
「彼氏いるのかよ? いねぇなら、俺が遊んでやるよ」
「どうせ仕事ばっかしてるんだろ? たまには楽しくしようぜぇ?」
由紀はその場を離れたかった。
だが、ここで席を立てば、男はますますしつこく追いかけてくるだろう。次の駅で降りるのも手だが、それでついてこられたらどうしようもない。
(このまま黙って耐えるしかない……)
そう思った矢先――。
「よっ、久しぶり!」
突如、明るい声が響いた。
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由紀が驚いて顔を上げると、目の前に見知らぬ青年が立っていた。
20代前半くらいの若い男。長身で、黒髪は少し無造作に乱れているが、どこか爽やかさを感じさせる。スラリとした体型で、シンプルなシャツにジーンズというラフな格好だった。
彼はニコニコと笑いながら、由紀を見下ろしていた。
「久しぶりだなぁ! 元気だった?」
……誰?
驚きに目を見開く由紀。
「お、おい……?」
酔っ払いの男も困惑して青年を見る。
青年は由紀の隣の座席に腰を下ろし、彼女のバッグの上に軽く肘をついた。まるで昔からの知り合いのように、自然な距離感だった。
「こんな時間に一人かと思ったけど、まさかお前がいるとはな!」
親しげな口調に、由紀は戸惑う。
しかし、すぐに気づいた。
この人、わざとこうして話しかけてくれている――。
私を酔っ払いから守るために。
男は明らかに面白くなさそうな顔をしていた。
「お前、知り合いか?」
「そりゃそうっすよ!」
青年は悪びれもせず答える。
「大学時代の友達でさぁ、よく一緒に飲んでたんですよ。なぁ?」
由紀は一瞬迷ったが、すぐに**「う、うん」**と頷いた。
すると、青年は酔っ払いに向き直り、やんわりと肩をすくめた。
「悪いっすねぇ、久々に会ったんで、ちょっと二人で話したいんですよ」
酔っ払いの男は露骨に不満そうに舌打ちをした。
「チッ……なんだよ、つまんねぇな」
そう呟くと、男はよろよろと隣の車両へと移動していった。
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車両のドアが閉まるのを確認すると、由紀は大きく息を吐いた。
「……助かった……」
「いやいや、大丈夫? かなり怖かったでしょ」
青年は笑顔を崩さず、彼女の顔を覗き込むようにして聞いた。
「……まあ、正直に言うと、怖かったです」
それを聞いた青年は、「そっか」と優しく頷いた。
「でも、まだ油断しないほうがいいよ」
「え?」
「ほら、あいつ……」
青年は目で合図するように、隣の車両の方を見た。
ちらりと覗くと、酔っ払いの男がガラス越しにこちらを見ていた。
「……面倒ですね」
「大丈夫。俺がここにいる限り、君には絶対手を出させないから」
その言葉を聞いて、由紀はふと、青年の顔をじっと見つめた。
(……どこかで、見たことがある気がする)
しかし、思い出せなかった。
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