澪のかたち

naomikoryo

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【第2話】監視されている?

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玄関のドアが閉まった後も、しばらくその場から動けなかった。
澪が置いていった封筒が、まるで毒のように、テーブルの上に存在していた。

彼女は何も知らない様子で帰っていった。
そう――“あくまでも自然に”この部屋へ現れ、資料を渡し、帰っていった。

(開いていたような気がする)
その言葉が、頭の中で何度も反響する。

(いや、鍵は閉めた。絶対に)
帰宅直後、俺はいつも通りチェーンと電子ロックを確認していた。
仕事柄、そういった“締め”に対する意識は人一倍ある。

(あの女は……どうやって、入ってきた?)
考えれば考えるほど、寒気が背中を撫でた。

◇◆◇

深夜2時過ぎ。
再びPCの前に座り、USBメモリを慎重に挿す。

画面には、複数のログファイルと音声記録、プロジェクト内文書が並んでいる。
その中のひとつ、「NetTrace_5y.log」を開いた。

それは、社内ネットワークのトラフィックを密かに記録したログだった。
俺は、管理者権限を使って一定期間ごとにデータを自動保存していた。
いわば“保険”だ。
不正が起きたとき、自分の身を守る唯一の証拠。

だが、ログに奇妙な“抜け”があった。

(……?)

あるはずのアクセス記録が、ぽっかりと抜け落ちている。
いや、正確には“削除”されている。

だがそれは、管理者である俺が手動で行わなければ不可能なはずの操作だった。

(俺は削除していない……)

ログの消失は、7月1日 午前3時。
その時間、俺は確かに寝ていた。

同時刻、誰かがリモート接続を使って社内サーバーに“侵入”し、ログの一部を削除していた。
しかも、ログ削除だけでなく――そこには、澪のIDと端末が通信元として記録されていた。

(……なんだと?)

澪は初日だ。
まだ個人PCの設定も終わっていないはず。

なのに、なぜすでに“システムへの侵入記録”がある?
しかも、深夜3時に。

(いや、そもそも……)

(あの時間、俺の家にいたんじゃないのか……?)

ぞわりと、腕の毛が逆立った。
現実感が、壊れかけている。

◇◆◇

朝。
重たいまぶたをこすりながら出社すると、社内には妙な緊張感が漂っていた。

フロアの端で、警備チームが集まり、何かを話し合っている。
その中心にいるのは、神原本部長だった。

「今朝未明、第三研究エリアのセキュリティに異常が発生しました」

朝会で、神原が表情を変えずにそう言った。

「扉は施錠されていましたが、内部でデータバックアップの記録が残っていました。誰かが不正にアクセスした可能性があります」

(……まさか)

「犯人の特定は?」

誰かが問いかけたが、神原は答えを濁した。

「調査中です。ただ、ログは完全に抹消されており、残っている痕跡はほとんどありません」

(抹消された……? いや、それは俺が見た記録だ)

俺はログを消す操作を“消されたログ”から再構成していた。
それが今、会社側にも知られている。
――つまり、誰かが俺のUSBメモリと同じ記録にアクセスしているということだ。

(……監視されている)

そう思ったとき、澪の視線とぶつかった。

彼女は朝会の最後列に立ち、無表情にこちらを見ていた。
その目には、どこか乾いた光が宿っていた。

(何を考えてる……?)
(俺がUSBを持っていること、知っているのか?)

午前中の作業中、澪が俺の席へ近づいてきた。

「如月さん、昨日のサンプル番号、ちょっと確認してもらえますか?」

「……ああ、分かった」

PCに目を落としながら、俺は努めて平静を装った。

そのとき、ふと澪の手元が見えた。

彼女の右手の甲に、細い傷跡がある。
それは何かで切られたような痕だったが、不自然なほど“古傷”のように白くなっていた。

(由衣にも、同じ場所に傷があった)
(料理中に包丁で切ったと、あのとき笑って――)

(……いや、そんな偶然があるか?)

澪が手を引くと、俺は思わず彼女の指先を見つめてしまった。
爪の形。指の長さ。節の骨ばり方――

(これは、“同じ”だ)

確信に近い感覚が喉元をせり上げる。
生理的な嫌悪と、懐かしさがない交ぜになり、思わず言葉が出かける。

「君は……」

「え?」

「いや、なんでもない」

一瞬、澪の表情が強張ったように見えた。

◇◆◇

昼休み。
俺は研究エリアのカメラ記録を再確認するため、社内イントラに接続した。
もちろん、表向きには“システム点検”という名目だ。

そして――信じがたい映像を見つけた。

それは、午前3時27分。
社内の廊下をひとり歩く澪の姿だった。

照明がセンサーで自動点灯するたびに、白衣がぼんやりと浮かび上がる。

(なぜ、ここにいる?)

この時間、研究エリアは閉鎖されているはず。
IDカードでの入室も不可能な時間帯だ。

だが、澪は何の認証もなく、ドアを通り抜けていくように見えた。

(……映像のノイズか?)
いや、そうではない。

もう一度再生し直す。

やはり彼女は、ドアノブに手をかけず、ゆっくりと部屋に入り、消えていく。

(これは……現実か?)

(幽霊……?)

しかし、直後の記録では、澪は朝9時、普通に出社していた。

何事もなかったかのように。

その夜、自宅に戻ると、玄関前に小さな紙袋が置かれていた。

差出人は不明。
中には、見覚えのある赤いスカーフが入っていた。

それは――由衣が最後に使っていたもの。

(なんでこれが、ここに……)

スカーフの端には、何か刺繍が施されていた。

「YUI → MIO」

その文字を見た瞬間、視界が揺れた。

(由衣……お前は、何を……)

◇◆◇

眠れない夜、再び夢に現れたのは由衣だった。

彼女は暗闇の中で立っていた。
白いワンピースに身を包み、優しく微笑んでいる。

「尚也……ねえ、信じて」

「何を?」

「その子は……私の“願い”かもしれない」

「“その子”?」

由衣が指さした先に――澪がいた。

だが彼女の顔は見えない。
黒い影のように、顔の部分だけがぼやけていた。

「彼女はまだ、自分が“誰か”知らない」

「けれど、消されてしまう前に、見つけて」

「私が残した、“鍵”を」

目を覚ましたとき、額には冷たい汗がにじんでいた。
掌が震えていた。

そしてベッドサイドには――
昨夜、確かに袋に入れてしまったはずの赤いスカーフが、丁寧に畳まれて置かれていた。

(誰が、ここに入った?)

(誰が……夢に出てきた?)

玄関のほうで、かすかな音がした。

そしてまた――誰かの足音が、近づいてくる。
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