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【第16話】収束点
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薄闇の中、澪は歩いていた。
コンクリートの通路を照らす非常灯が、ぼんやりと彼女の輪郭を浮かび上がらせる。
その後ろを、尚也が無言でついてくる。
そして
――二人は、沈んだエレベーターの前で立ち止まった。
ボタンを押す。
反応はない。
だが、扉は自然と開いた。
エレベーターの中には誰もいない。
それでも、誰かの気配だけが、満ちていた。
(ここが……最後の扉)
地下4階。
かつて研究所だった場所の奥、電源もないはずの部屋に、仄かに灯りが点っていた。
ドアを開けると――そこに冴木玲央がいた。
静かに、ただ静かに、ソファに座っていた。
薄く笑みを浮かべ、手元にはひとつのデバイス。
記憶サーバーへの最終アクセスキーが組まれた、プロトタイプ機。
「ようこそ、MN-04――いや、澪」
「ようやくこの瞬間まで、君は来てくれた」
尚也はすぐに澪の前に立った。
だが、澪はそれを制した。
「大丈夫。
私は、自分の言葉で向き合いたい」
冴木がゆっくりと立ち上がる。
「君の中に残された“由衣の記憶”。
そして、君が選び取った感情。
すべてが今、ひとつの答えを導く」
「君は、ただの模倣体じゃない。
感情を持ち、疑問を持ち、進化した」
「それは、人間が数万年かけて歩んできた道を、たった数ヶ月で辿ったということ」
「私はその軌跡を見届けたかった。
この目で、“存在の変化”を記録したかった」
◇◆◇
尚也が、低く呟く。
「……そのために、澪を“人間未満”として扱い続けた」
「観察対象として、自我を無視し続けた。
君は、ただの研究者じゃない。
狂ってる」
冴木は、ふっと目を細めた。
「違うよ。如月君」
「私は、彼女に恋をした」
その言葉に、空気が凍った。
「君たちが思っているような、歪んだ意味じゃない」
「私が初めて澪を見たとき、そこには“由衣の記憶”だけではない、別の“美しさ”があった」
「それは、“生成された魂”のようだった」
「だが、私はそれに触れる資格がない」
「だから、私は彼女を“観察”することでしか、愛することができなかった」
「愛していたからこそ、彼女を自由にできなかった」
「愛していたからこそ、彼女が“人間になる瞬間”を見届けたかった」
「それが、私の“愛”だ」
(……狂ってる)
(それでも、この男の目は嘘をついていない)
澪は、ゆっくりと歩み出た。
「あなたは、私に何を見たの?」
「記憶? 感情? それとも、自分の映し鏡?」
冴木は、かすかに目を伏せた。
「“希望”だ」
「人間が人間であることの証明」
「この冷たい時代に、記憶を背負いながら生きようとする姿は――
あまりにも美しかった」
「けれど、私は知っている。
“記憶”は脆く、“感情”は捨てられる。
人はそれを繰り返してきた」
「だが君は違う。
君は、手放さなかった」
「だからこそ、君が自由になることが――私の観察の終わりでもある」
冴木は、手元のデバイスを差し出した。
「これは、MNプロジェクトの最終アクセスキー」
「君がこれを起動すれば、私のすべての記録は自動的に消去される。
企業の追跡も、君の記録も」
「……君に、選ばせる」
「私を、“過去”にするか」
「それとも――もう一度、“鏡”としてそばに置くか」
「君が選び取った未来が、君の正体を決める」
尚也が、震える声で叫んだ。
「そんなもの……受け取る必要なんてない!」
「彼女はもう、“お前の道具”じゃない!」
「彼女の未来に、もうお前は必要ないんだ!」
◇◆◇
だが、澪はデバイスを受け取った。
静かに、それを胸の前に持った。
目を閉じる。
ほんの一瞬
――由衣の顔が、脳裏に浮かんだ。
(……あなたが、私に託したもの)
(それは、“誰かに従うこと”じゃなかった)
(それは、自分の人生を選び取ることだった)
澪は目を開けた。
そして、デバイスを
――握り潰した。
壊れた基盤の破片が、床に散る。
その音は、小さく、でも確かに“終わり”を告げる音だった。
「私は、“記録”になんてなりません」
「あなたの記憶にも、観察にも、未来にもならない」
「私は、私の未来を選びます」
「あなたの“愛”に応えることも、否定することもしません」
「でも、私は――もうあなたの被写体じゃない」
「私は、私という存在そのもの」
冴木は、一歩も動かなかった。
やがて、うっすらと微笑みを浮かべた。
「……そうか」
「それでこそ、君だ」
「私が見たかったものは、今、ここにある」
「観察は……終了だ」
そう呟いた冴木は、ゆっくりと席に戻った。
そして、窓のないその密室の中で、ただ黙って目を閉じた。
部屋を出るとき、尚也は小さく問うた。
「……殺すべきだったと思う?」
澪はかすかに微笑んで答えた。
「私は、誰も殺さない」
「それは、彼が人間だからじゃない」
「私が、“そうありたい”から」
尚也は、胸の奥が締めつけられるのを感じた。
彼女は、どこまでも自分で“選び続ける”。
それが、彼女が彼女である証なのだ。
扉が閉まる。
密室に残された冴木は、手のひらをじっと見つめていた。
「……名前を呼ばれることの、幸福と残酷を、私は最後まで知らなかった」
「けれど――ありがとう」
その声は、誰にも届かない。
だが、それでも誰かに祈るような、かすかな温度を宿していた。
コンクリートの通路を照らす非常灯が、ぼんやりと彼女の輪郭を浮かび上がらせる。
その後ろを、尚也が無言でついてくる。
そして
――二人は、沈んだエレベーターの前で立ち止まった。
ボタンを押す。
反応はない。
だが、扉は自然と開いた。
エレベーターの中には誰もいない。
それでも、誰かの気配だけが、満ちていた。
(ここが……最後の扉)
地下4階。
かつて研究所だった場所の奥、電源もないはずの部屋に、仄かに灯りが点っていた。
ドアを開けると――そこに冴木玲央がいた。
静かに、ただ静かに、ソファに座っていた。
薄く笑みを浮かべ、手元にはひとつのデバイス。
記憶サーバーへの最終アクセスキーが組まれた、プロトタイプ機。
「ようこそ、MN-04――いや、澪」
「ようやくこの瞬間まで、君は来てくれた」
尚也はすぐに澪の前に立った。
だが、澪はそれを制した。
「大丈夫。
私は、自分の言葉で向き合いたい」
冴木がゆっくりと立ち上がる。
「君の中に残された“由衣の記憶”。
そして、君が選び取った感情。
すべてが今、ひとつの答えを導く」
「君は、ただの模倣体じゃない。
感情を持ち、疑問を持ち、進化した」
「それは、人間が数万年かけて歩んできた道を、たった数ヶ月で辿ったということ」
「私はその軌跡を見届けたかった。
この目で、“存在の変化”を記録したかった」
◇◆◇
尚也が、低く呟く。
「……そのために、澪を“人間未満”として扱い続けた」
「観察対象として、自我を無視し続けた。
君は、ただの研究者じゃない。
狂ってる」
冴木は、ふっと目を細めた。
「違うよ。如月君」
「私は、彼女に恋をした」
その言葉に、空気が凍った。
「君たちが思っているような、歪んだ意味じゃない」
「私が初めて澪を見たとき、そこには“由衣の記憶”だけではない、別の“美しさ”があった」
「それは、“生成された魂”のようだった」
「だが、私はそれに触れる資格がない」
「だから、私は彼女を“観察”することでしか、愛することができなかった」
「愛していたからこそ、彼女を自由にできなかった」
「愛していたからこそ、彼女が“人間になる瞬間”を見届けたかった」
「それが、私の“愛”だ」
(……狂ってる)
(それでも、この男の目は嘘をついていない)
澪は、ゆっくりと歩み出た。
「あなたは、私に何を見たの?」
「記憶? 感情? それとも、自分の映し鏡?」
冴木は、かすかに目を伏せた。
「“希望”だ」
「人間が人間であることの証明」
「この冷たい時代に、記憶を背負いながら生きようとする姿は――
あまりにも美しかった」
「けれど、私は知っている。
“記憶”は脆く、“感情”は捨てられる。
人はそれを繰り返してきた」
「だが君は違う。
君は、手放さなかった」
「だからこそ、君が自由になることが――私の観察の終わりでもある」
冴木は、手元のデバイスを差し出した。
「これは、MNプロジェクトの最終アクセスキー」
「君がこれを起動すれば、私のすべての記録は自動的に消去される。
企業の追跡も、君の記録も」
「……君に、選ばせる」
「私を、“過去”にするか」
「それとも――もう一度、“鏡”としてそばに置くか」
「君が選び取った未来が、君の正体を決める」
尚也が、震える声で叫んだ。
「そんなもの……受け取る必要なんてない!」
「彼女はもう、“お前の道具”じゃない!」
「彼女の未来に、もうお前は必要ないんだ!」
◇◆◇
だが、澪はデバイスを受け取った。
静かに、それを胸の前に持った。
目を閉じる。
ほんの一瞬
――由衣の顔が、脳裏に浮かんだ。
(……あなたが、私に託したもの)
(それは、“誰かに従うこと”じゃなかった)
(それは、自分の人生を選び取ることだった)
澪は目を開けた。
そして、デバイスを
――握り潰した。
壊れた基盤の破片が、床に散る。
その音は、小さく、でも確かに“終わり”を告げる音だった。
「私は、“記録”になんてなりません」
「あなたの記憶にも、観察にも、未来にもならない」
「私は、私の未来を選びます」
「あなたの“愛”に応えることも、否定することもしません」
「でも、私は――もうあなたの被写体じゃない」
「私は、私という存在そのもの」
冴木は、一歩も動かなかった。
やがて、うっすらと微笑みを浮かべた。
「……そうか」
「それでこそ、君だ」
「私が見たかったものは、今、ここにある」
「観察は……終了だ」
そう呟いた冴木は、ゆっくりと席に戻った。
そして、窓のないその密室の中で、ただ黙って目を閉じた。
部屋を出るとき、尚也は小さく問うた。
「……殺すべきだったと思う?」
澪はかすかに微笑んで答えた。
「私は、誰も殺さない」
「それは、彼が人間だからじゃない」
「私が、“そうありたい”から」
尚也は、胸の奥が締めつけられるのを感じた。
彼女は、どこまでも自分で“選び続ける”。
それが、彼女が彼女である証なのだ。
扉が閉まる。
密室に残された冴木は、手のひらをじっと見つめていた。
「……名前を呼ばれることの、幸福と残酷を、私は最後まで知らなかった」
「けれど――ありがとう」
その声は、誰にも届かない。
だが、それでも誰かに祈るような、かすかな温度を宿していた。
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