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第5話「雨の日の距離」
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午後の授業が終わり、チャイムが鳴ったあと。
柚葉はいつも通り、部活の準備を済ませてから教室を出た。
廊下に出た瞬間、風が生暖かく吹き抜け、窓の外の空を見上げると、雲がいつの間にか厚くなっていた。
(……降りそうだな。)
朝の天気予報では「くもり時々雨」と言っていた。
けれどここまでどんよりしていると、「時々」では済まなそうだった。
案の定、部活が始まって30分ほど経った頃、ポツリポツリと落ちてきた雨は、すぐにシャワーのように変わった。
「うわ、来た来た!」
「部室まで走るぞー!」
部員たちが慌てて道具を片付け、グラウンドを離れていく。
柚葉も水入りのボトルを持ったまま、急いで軒下に駆け込んだ。
風間先輩は最後までボールを片付け、濡れながら部室へと向かってきた。
彼の黒髪が水滴を含んでしっとりと額に貼りついている。
息を切らしながら笑うその姿は、なぜか映画のワンシーンみたいに見えた。
(ずぶ濡れでも、なんであんなにさわやかなの……。)
一方で、自分はというと、体育倉庫の屋根の下でボトルを抱えたまま棒立ちだった。
全身は濡れていないが、腕や前髪は雨粒でしっとりと湿っている。
「柚葉さん、大丈夫ですか?」
風間が小走りで近づいてきて、タオルを差し出してきた。
「ほら。使ってください。」
「えっ……。先輩の方が濡れてますよ?」
「僕は平気です。慣れてますから。」
「慣れてるって……。水に濡れることに慣れてる人って……」
「え、水って、頭からかけるとわりと気持ちいいんですよ?」
「もうそれは聞きました!!」
そう言いながらタオルを受け取ると、ふわりと柔軟剤の香りがした。
どこか懐かしいような、優しい香り。
その香りに包まれながら、柚葉はそっと前髪を拭いた。
「雨、しばらく止みそうにないですね。」
「ですね。
部室に行こうにも、これじゃびしょ濡れになります。」
雨音が、屋根を激しく打っていた。
ぽつんと残されたふたりきりの空間は、どこか浮世離れしていて。
音が、外の世界との境界線を引いているようにも感じられた。
「……こういうとき、けっこう落ち着きませんか?」
風間が、ぽつりと呟いた。
「落ち着くって……この状況で?」
「はい。
音だけ聞いてると、なんか、時間が止まってるみたいで。」
「……詩人ですか?」
「えっ、そうですか?
たまに言われます。考えすぎって。」
「それ、詩人じゃなくて哲学者じゃないですか?」
自然と笑い合って、沈黙が落ちる。
でも、それが不思議と苦じゃなかった。
風間は、壁に背を預けて座り、柚葉も少し離れて腰を下ろした。
距離は、腕一本ぶんくらい。
けれど、その距離が今はとても近く感じた。
「……こうしてると、なんか不思議ですね。」
「なにがですか?」
「キャプテンとマネージャーなのに。
なんか、普通の男女みたいな……こう、同級生……みたいな感じで話してて。」
風間は、それに答えず、少しだけ笑った。
そして、思い出したように言った。
「去年のマネージャーさんって、ほとんど顔出さなかったですよね。」
「……あ、はい。
私、それで……去年はサポートだけだったので。
先生から言われたことだけこなしてたっていうか。」
「それで今日、雨の中でも最後までボトル持って残ってたんですね。」
「えっ……。」
「去年より、近くにいてくれる感じがして、ちょっと嬉しいです。」
その言葉に、心臓が跳ねた。
頬が熱くなるのを自覚した。
(それ……ズルい……。)
何気ないように言うくせに、どこか直球で。
ちゃんと見ててくれて。
期待しないようにって思っても、やっぱり胸が騒いでしまう。
「……私の方が、嬉しいですけど。」
「え?」
「部活の一員として、ちゃんと近くで見ててくれるの。
サポートじゃなくて、ちゃんと“マネージャー”になれた気がします。」
雨音の中に混じって、自分の声が少しだけ震えていた。
ふと、風間が自分のジャケットを脱ぎ、柚葉の肩にそっとかけてくる。
「えっ、せ、先輩!?なにしてるんですか!?」
「風邪ひいたらダメですよ。
僕、マネージャーさんいなくなったら本気で困りますから。」
ジャケットは、まだ彼の体温を残していて。
そのぬくもりが、心の奥まで染み込んできた気がした。
(もう、ほんと……なんなんですか。
なんでそんなことするの。)
でも、口には出せなかった。
出したらきっと、自分の気持ちまで漏れてしまいそうで。
少しだけ、身体を彼のジャケットに寄せる。
たったそれだけの動きなのに、心がひどく揺れた。
しばらくして、雨が少し弱まってきた。
「行きましょうか。」
「……はい。」
屋根を出た瞬間、まだ残っていた雨粒が肩に落ちた。
けれど、心は不思議とあたたかかった。
部室へ向かう道の途中。
肩にかかったジャケットの重さと、隣で歩く先輩の歩幅を感じながら。
柚葉はそっと、左手を握りしめた。
触れたいわけじゃない。
でも、もし触れてしまったら。
それを“偶然”にできる勇気は、まだなかった。
柚葉はいつも通り、部活の準備を済ませてから教室を出た。
廊下に出た瞬間、風が生暖かく吹き抜け、窓の外の空を見上げると、雲がいつの間にか厚くなっていた。
(……降りそうだな。)
朝の天気予報では「くもり時々雨」と言っていた。
けれどここまでどんよりしていると、「時々」では済まなそうだった。
案の定、部活が始まって30分ほど経った頃、ポツリポツリと落ちてきた雨は、すぐにシャワーのように変わった。
「うわ、来た来た!」
「部室まで走るぞー!」
部員たちが慌てて道具を片付け、グラウンドを離れていく。
柚葉も水入りのボトルを持ったまま、急いで軒下に駆け込んだ。
風間先輩は最後までボールを片付け、濡れながら部室へと向かってきた。
彼の黒髪が水滴を含んでしっとりと額に貼りついている。
息を切らしながら笑うその姿は、なぜか映画のワンシーンみたいに見えた。
(ずぶ濡れでも、なんであんなにさわやかなの……。)
一方で、自分はというと、体育倉庫の屋根の下でボトルを抱えたまま棒立ちだった。
全身は濡れていないが、腕や前髪は雨粒でしっとりと湿っている。
「柚葉さん、大丈夫ですか?」
風間が小走りで近づいてきて、タオルを差し出してきた。
「ほら。使ってください。」
「えっ……。先輩の方が濡れてますよ?」
「僕は平気です。慣れてますから。」
「慣れてるって……。水に濡れることに慣れてる人って……」
「え、水って、頭からかけるとわりと気持ちいいんですよ?」
「もうそれは聞きました!!」
そう言いながらタオルを受け取ると、ふわりと柔軟剤の香りがした。
どこか懐かしいような、優しい香り。
その香りに包まれながら、柚葉はそっと前髪を拭いた。
「雨、しばらく止みそうにないですね。」
「ですね。
部室に行こうにも、これじゃびしょ濡れになります。」
雨音が、屋根を激しく打っていた。
ぽつんと残されたふたりきりの空間は、どこか浮世離れしていて。
音が、外の世界との境界線を引いているようにも感じられた。
「……こういうとき、けっこう落ち着きませんか?」
風間が、ぽつりと呟いた。
「落ち着くって……この状況で?」
「はい。
音だけ聞いてると、なんか、時間が止まってるみたいで。」
「……詩人ですか?」
「えっ、そうですか?
たまに言われます。考えすぎって。」
「それ、詩人じゃなくて哲学者じゃないですか?」
自然と笑い合って、沈黙が落ちる。
でも、それが不思議と苦じゃなかった。
風間は、壁に背を預けて座り、柚葉も少し離れて腰を下ろした。
距離は、腕一本ぶんくらい。
けれど、その距離が今はとても近く感じた。
「……こうしてると、なんか不思議ですね。」
「なにがですか?」
「キャプテンとマネージャーなのに。
なんか、普通の男女みたいな……こう、同級生……みたいな感じで話してて。」
風間は、それに答えず、少しだけ笑った。
そして、思い出したように言った。
「去年のマネージャーさんって、ほとんど顔出さなかったですよね。」
「……あ、はい。
私、それで……去年はサポートだけだったので。
先生から言われたことだけこなしてたっていうか。」
「それで今日、雨の中でも最後までボトル持って残ってたんですね。」
「えっ……。」
「去年より、近くにいてくれる感じがして、ちょっと嬉しいです。」
その言葉に、心臓が跳ねた。
頬が熱くなるのを自覚した。
(それ……ズルい……。)
何気ないように言うくせに、どこか直球で。
ちゃんと見ててくれて。
期待しないようにって思っても、やっぱり胸が騒いでしまう。
「……私の方が、嬉しいですけど。」
「え?」
「部活の一員として、ちゃんと近くで見ててくれるの。
サポートじゃなくて、ちゃんと“マネージャー”になれた気がします。」
雨音の中に混じって、自分の声が少しだけ震えていた。
ふと、風間が自分のジャケットを脱ぎ、柚葉の肩にそっとかけてくる。
「えっ、せ、先輩!?なにしてるんですか!?」
「風邪ひいたらダメですよ。
僕、マネージャーさんいなくなったら本気で困りますから。」
ジャケットは、まだ彼の体温を残していて。
そのぬくもりが、心の奥まで染み込んできた気がした。
(もう、ほんと……なんなんですか。
なんでそんなことするの。)
でも、口には出せなかった。
出したらきっと、自分の気持ちまで漏れてしまいそうで。
少しだけ、身体を彼のジャケットに寄せる。
たったそれだけの動きなのに、心がひどく揺れた。
しばらくして、雨が少し弱まってきた。
「行きましょうか。」
「……はい。」
屋根を出た瞬間、まだ残っていた雨粒が肩に落ちた。
けれど、心は不思議とあたたかかった。
部室へ向かう道の途中。
肩にかかったジャケットの重さと、隣で歩く先輩の歩幅を感じながら。
柚葉はそっと、左手を握りしめた。
触れたいわけじゃない。
でも、もし触れてしまったら。
それを“偶然”にできる勇気は、まだなかった。
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