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第二話:マフラーを編む日々
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冬の午後、下宿先の小さな六畳間に、ゆるやかな陽射しが差し込んでいた。
炬燵に足を入れたまま、私は手の中でマフラーを編んでいる。ワインレッドの毛糸玉が、ころころと畳の上を転がった。かぎ針の先に目を通して、くるりとひと結び。ぴんと張った毛糸の感触が心地いい。編み物は不思議と気持ちを静かにしてくれる。
隣で本を読んでいた千晶(ちあき)が、ふいにこちらを覗きこんできた。
「ねえ、もう三本目じゃない? そんなに編んでどうするの」
「……プレゼントするんだよ、もちろん」
そう言うと、千晶はにやりと笑った。
「はいはい。蓮くんに、でしょ?」
「ち、違うってば!」
慌てて言い返したけれど、自分でも声が少し裏返っているのがわかった。千晶は大学の同じゼミ仲間で、下宿も隣同士。何でも話せる気心知れた友達――のはずだったのに、最近は彼女のからかいに、少し胸がざわつくようになっていた。
「でもさ、結月(ゆづき)って、ほんとに律儀だよね。わたしなら、ここまで手作りにこだわらないかも」
「そうかな。なんかさ、手で編んでると、自分の気持ちも一緒に編み込んでるみたいな気がして……」
そう言ったとき、ふと自分の言葉に驚いた。まるで告白みたいな響きじゃないか。顔が熱くなる。
「……そっか。じゃあ、ちゃんと気持ちも伝わるといいね」
千晶の声は、やさしかった。だけど、その一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、彼女の表情に影が差したように見えた。
それから数日、私はマフラーを編み続けた。課題の合間、夜更けの静かな時間、バイトの前のほんの少しの空き時間――毛糸を編むたびに、蓮くんの顔が頭に浮かぶ。
蓮くんは、同じ学部の先輩で、ゼミの飲み会で初めて話した。穏やかで、でも話の端々に知性とユーモアがあって、一緒にいて心地よい人。
それから少しずつ、私は彼に惹かれていった。
そして、クリスマスが近づいたある日。
「渡すなら、やっぱりイブかな?」
私がぽつりとそう言うと、千晶は少し考えてから言った。
「うん、いいと思う。でも……」
「でも?」
「……ごめん、なんでもない。応援してるよ、結月」
そのときの千晶の笑顔は、どこか寂しげだった。私は深く考えずに頷いて、それ以上は訊かなかった。
そして、運命のイブの日。私はマフラーを紙袋に丁寧に入れて、蓮くんと待ち合わせのカフェへ向かった。
「ありがとう、来てくれて」
蓮くんは変わらずやさしい笑顔で出迎えてくれた。窓際の席に座って、温かいミルクティーを飲みながら、他愛もない話をした。
やがて、意を決して私は紙袋を差し出した。
「……これ、よかったら。手編み、なんだけど」
蓮くんは驚いたように目を丸くしたあと、ゆっくりと微笑んだ。
「うれしい。ありがとう、結月ちゃん」
その言葉に、胸がじんわりと温かくなった。報われた気がした。だけど――
「実はね、今日、相談したいことがあったんだ」
彼の口調が少し変わる。真剣な、何かを打ち明けようとする声だった。
「え……なに?」
「……俺、来年から留学が決まったんだ。イギリスの大学院に」
その瞬間、カフェの中の温度が、急に下がったような気がした。
「来年って……」
「年明けすぐ、もう出発なんだ。本当はもっと前に言うつもりだったんだけど……タイミングがわからなくて」
私は言葉を失った。目の前にいる彼は、やさしくて誠実なままだった。でも、その距離が突然遠くなった気がした。
「マフラー、嬉しいよ。でも……ごめんね。気持ちに応えられるかわからない」
私は微笑んだ。顔がこわばっているのが、自分でもわかる。
「ううん、渡せただけで十分。蓮くんに、暖かい冬を過ごしてほしいから」
そう言って、私はそっと視線を逸らした。
その夜、下宿に戻った私は、千晶の部屋の前に立った。そして、ノックする。
「千晶……いる?」
「どうしたの、遅かったね。どうだった?」
扉を開けた千晶の顔を見て、私は一言、つぶやいた。
「……泣いてもいい?」
その瞬間、千晶は何も言わずに私を抱きしめてくれた。
炬燵の前で、私はようやく涙を流した。毛糸の端が膝の上に落ちている。途中で止まったマフラーのように、私の想いもどこかで途切れていたのかもしれない。
千晶は、私の髪をそっと撫でながら、静かに言った。
「ねえ、結月。……ほんとはね、私も蓮くんのこと、好きだった」
私は、思わず顔を上げた。
「でも、結月が一生懸命にマフラーを編んでるの見てて……応援したくなっちゃったの。なんか、私の気持ちより、結月の気持ちの方が、まっすぐに思えて」
「……そんなの、ずるいよ」
「うん、ずるいよね。でも……私も、ほんとはずっと、そばにいたかった」
涙が止まらなかった。胸の奥にしまっていた何かが、少しずつほぐれていくのがわかった。
その夜、炬燵の中で毛糸玉が転がった。
そして私は、新しいマフラーを編み始めた。今度は、誰かのためじゃなく、自分の心をあたためるために。
この冬、結ばれなかった想いが、そっと誰かを照らしていた。
炬燵に足を入れたまま、私は手の中でマフラーを編んでいる。ワインレッドの毛糸玉が、ころころと畳の上を転がった。かぎ針の先に目を通して、くるりとひと結び。ぴんと張った毛糸の感触が心地いい。編み物は不思議と気持ちを静かにしてくれる。
隣で本を読んでいた千晶(ちあき)が、ふいにこちらを覗きこんできた。
「ねえ、もう三本目じゃない? そんなに編んでどうするの」
「……プレゼントするんだよ、もちろん」
そう言うと、千晶はにやりと笑った。
「はいはい。蓮くんに、でしょ?」
「ち、違うってば!」
慌てて言い返したけれど、自分でも声が少し裏返っているのがわかった。千晶は大学の同じゼミ仲間で、下宿も隣同士。何でも話せる気心知れた友達――のはずだったのに、最近は彼女のからかいに、少し胸がざわつくようになっていた。
「でもさ、結月(ゆづき)って、ほんとに律儀だよね。わたしなら、ここまで手作りにこだわらないかも」
「そうかな。なんかさ、手で編んでると、自分の気持ちも一緒に編み込んでるみたいな気がして……」
そう言ったとき、ふと自分の言葉に驚いた。まるで告白みたいな響きじゃないか。顔が熱くなる。
「……そっか。じゃあ、ちゃんと気持ちも伝わるといいね」
千晶の声は、やさしかった。だけど、その一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、彼女の表情に影が差したように見えた。
それから数日、私はマフラーを編み続けた。課題の合間、夜更けの静かな時間、バイトの前のほんの少しの空き時間――毛糸を編むたびに、蓮くんの顔が頭に浮かぶ。
蓮くんは、同じ学部の先輩で、ゼミの飲み会で初めて話した。穏やかで、でも話の端々に知性とユーモアがあって、一緒にいて心地よい人。
それから少しずつ、私は彼に惹かれていった。
そして、クリスマスが近づいたある日。
「渡すなら、やっぱりイブかな?」
私がぽつりとそう言うと、千晶は少し考えてから言った。
「うん、いいと思う。でも……」
「でも?」
「……ごめん、なんでもない。応援してるよ、結月」
そのときの千晶の笑顔は、どこか寂しげだった。私は深く考えずに頷いて、それ以上は訊かなかった。
そして、運命のイブの日。私はマフラーを紙袋に丁寧に入れて、蓮くんと待ち合わせのカフェへ向かった。
「ありがとう、来てくれて」
蓮くんは変わらずやさしい笑顔で出迎えてくれた。窓際の席に座って、温かいミルクティーを飲みながら、他愛もない話をした。
やがて、意を決して私は紙袋を差し出した。
「……これ、よかったら。手編み、なんだけど」
蓮くんは驚いたように目を丸くしたあと、ゆっくりと微笑んだ。
「うれしい。ありがとう、結月ちゃん」
その言葉に、胸がじんわりと温かくなった。報われた気がした。だけど――
「実はね、今日、相談したいことがあったんだ」
彼の口調が少し変わる。真剣な、何かを打ち明けようとする声だった。
「え……なに?」
「……俺、来年から留学が決まったんだ。イギリスの大学院に」
その瞬間、カフェの中の温度が、急に下がったような気がした。
「来年って……」
「年明けすぐ、もう出発なんだ。本当はもっと前に言うつもりだったんだけど……タイミングがわからなくて」
私は言葉を失った。目の前にいる彼は、やさしくて誠実なままだった。でも、その距離が突然遠くなった気がした。
「マフラー、嬉しいよ。でも……ごめんね。気持ちに応えられるかわからない」
私は微笑んだ。顔がこわばっているのが、自分でもわかる。
「ううん、渡せただけで十分。蓮くんに、暖かい冬を過ごしてほしいから」
そう言って、私はそっと視線を逸らした。
その夜、下宿に戻った私は、千晶の部屋の前に立った。そして、ノックする。
「千晶……いる?」
「どうしたの、遅かったね。どうだった?」
扉を開けた千晶の顔を見て、私は一言、つぶやいた。
「……泣いてもいい?」
その瞬間、千晶は何も言わずに私を抱きしめてくれた。
炬燵の前で、私はようやく涙を流した。毛糸の端が膝の上に落ちている。途中で止まったマフラーのように、私の想いもどこかで途切れていたのかもしれない。
千晶は、私の髪をそっと撫でながら、静かに言った。
「ねえ、結月。……ほんとはね、私も蓮くんのこと、好きだった」
私は、思わず顔を上げた。
「でも、結月が一生懸命にマフラーを編んでるの見てて……応援したくなっちゃったの。なんか、私の気持ちより、結月の気持ちの方が、まっすぐに思えて」
「……そんなの、ずるいよ」
「うん、ずるいよね。でも……私も、ほんとはずっと、そばにいたかった」
涙が止まらなかった。胸の奥にしまっていた何かが、少しずつほぐれていくのがわかった。
その夜、炬燵の中で毛糸玉が転がった。
そして私は、新しいマフラーを編み始めた。今度は、誰かのためじゃなく、自分の心をあたためるために。
この冬、結ばれなかった想いが、そっと誰かを照らしていた。
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