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第三話:スノードームの中の約束
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その雑貨屋は、小さな路地裏の奥にひっそりと佇んでいた。
名前は**「ユキノカケラ」**。
古いレンガ造りの建物で、通りの喧騒から少し外れた場所。店先にはアイアンの小さな看板と、クリスマスを思わせるリースが飾られている。
雪がちらちらと降る中、その店に吸い寄せられるように、私は足を止めた。
入り口のガラス戸には、白いペンで手書きの文字が描かれている。
“Only one snow globe finds your heart.”
――「ただひとつのスノードームが、あなたの心に届きます」
ロマンチックなフレーズに、ふと胸が高鳴った。冷えた指先で扉を開けると、店内には優しいオレンジ色の照明と、木の香り、そしてかすかにバニラの甘い香りが漂っていた。
棚には、スノードームがずらりと並んでいた。雪景色のもの、夜空にオーロラが浮かぶもの、ちいさな家と犬が寄り添うもの――どれも、見たことのない細やかさで、一つひとつがまるで物語を閉じ込めているようだった。
「ようこそ」
奥から、低く穏やかな声がした。カウンターの奥にいたのは、一人の青年だった。
黒のタートルネックにエプロンを重ね、少し伸びた髪を後ろで束ねている。年齢は私とそう変わらないか、少し年上に見えた。
彼の目は深い茶色で、どこか遠くを見ているような、優しい寂しさを含んでいた。
「スノードーム、お好きですか?」
「……はい。昔から、なんとなく惹かれるんです。小さい世界の中に、記憶が閉じ込められてるみたいで」
私の言葉に、彼は微かに笑った。
「いい感性ですね。僕の作るスノードームも、記憶から生まれてます」
「……え? 手作りなんですか?」
「はい。全部、僕がひとつずつ作っています」
私は驚いた。こんなに精巧で美しいものが、たったひとりの手で作られているなんて。
「よかったら、手に取ってみてください。触れて、思い出してください。何か、心に残っている冬の情景はありますか?」
思い出――
そう言われて、私はふと幼い頃のことを思い出した。小学生のころ、毎年冬になると家族で行った高原のペンション。朝起きたら一面の雪、静かな森、冷たい空気と、母が淹れてくれたココアの香り。あの頃の私は、雪が降るだけで心が踊っていた。
「……あります。小さいころ、家族で行った場所。もう今は行けないけど」
そう言うと、青年はしばらく黙って、それから奥の棚からひとつのスノードームを取り出した。
それは、白い森の中に、小さなログハウスがぽつんと建っているものだった。雪が舞うと、中のガラスの森にやわらかく積もっていく。
「これは、似てるかもしれませんね」
私は思わず、両手でそれを包んだ。
「……まるで、そこにいるみたい」
「たぶん、それはあなたの記憶がこのドームに呼応したからです。記憶には、それぞれに合う“形”がある。僕は、それを探す手伝いをしてるんです」
不思議なことを言う人だ、と思った。でも、不思議と違和感はなかった。
「あなたの記憶の中には、誰か、大切な人がいたんでしょう?」
彼の問いに、私は小さくうなずいた。
「……兄です。五年前に、事故で亡くなりました」
彼は驚かなかった。ただ、静かに視線を私の手元に落とした。
「彼との思い出が、この冬、何かを求めていたんですね。だから、ここに来た」
「……偶然、じゃないんですか?」
「偶然なんて、たいていは意味があるんです。スノードームは、それを教えてくれる道具なんですよ」
彼の言葉に、心がふっとほどけた。
「……名前、聞いてもいいですか?」
「冬馬(とうま)です。冬の馬、と書いて。変な名前でしょう?」
「いい名前だと思います。ぴったり」
私は笑った。気がつけば、心の奥にあった冷たい塊が、ほんの少しだけ溶けていた。
「また、来てもいいですか?」
「もちろん。あなたの中にまだ残っている雪景色がある限り、ここはいつでも開いていますよ」
その冬、私は何度も「ユキノカケラ」を訪れた。スノードームを一つずつ眺めては、冬馬さんと少しずつ話をした。
彼もまた、過去を抱えていた。かつて同じ夢を追った女性がいたこと。彼女と一緒に、雪をテーマにした雑貨屋を開く夢があったこと。だけど彼女は病に倒れ、その夢は途中で止まってしまった。
「だから今は、彼女の代わりに、この店を続けてるんです。彼女が作ろうとした、雪の記憶の博物館を」
ある夜、私は言った。
「私、この店が好きです。冬馬さんのスノードームには、ちゃんと“ぬくもり”がある。閉じ込められた世界なのに、寒くない」
「……それはきっと、あなたがそれを感じ取れる人だからですよ」
そのとき、私は気づいてしまった。
雪のように静かに、でも確かに――私はこの人に、惹かれていた。
年末のある日、私は彼に言った。
「実家に帰ります。年明けにまた戻ってくるけど……少し、さびしい」
「……じゃあ」
冬馬さんは、ひとつのスノードームを差し出した。
それは、ふたりが並んでいるようなシルエットの雪景色だった。
手作りで、どこにも売っていない世界にひとつだけのドーム。
「これは……」
「来年、またここで会えたら――続きを、話しましょう」
それが、彼の精一杯の告白だったのかもしれない。
私は、言葉の代わりに頷いた。
スノードームの中には、約束がある。
静かで、あたたかくて、儚いけれど――
この冬、確かに芽生えた恋のかたちが、そこにあった。
名前は**「ユキノカケラ」**。
古いレンガ造りの建物で、通りの喧騒から少し外れた場所。店先にはアイアンの小さな看板と、クリスマスを思わせるリースが飾られている。
雪がちらちらと降る中、その店に吸い寄せられるように、私は足を止めた。
入り口のガラス戸には、白いペンで手書きの文字が描かれている。
“Only one snow globe finds your heart.”
――「ただひとつのスノードームが、あなたの心に届きます」
ロマンチックなフレーズに、ふと胸が高鳴った。冷えた指先で扉を開けると、店内には優しいオレンジ色の照明と、木の香り、そしてかすかにバニラの甘い香りが漂っていた。
棚には、スノードームがずらりと並んでいた。雪景色のもの、夜空にオーロラが浮かぶもの、ちいさな家と犬が寄り添うもの――どれも、見たことのない細やかさで、一つひとつがまるで物語を閉じ込めているようだった。
「ようこそ」
奥から、低く穏やかな声がした。カウンターの奥にいたのは、一人の青年だった。
黒のタートルネックにエプロンを重ね、少し伸びた髪を後ろで束ねている。年齢は私とそう変わらないか、少し年上に見えた。
彼の目は深い茶色で、どこか遠くを見ているような、優しい寂しさを含んでいた。
「スノードーム、お好きですか?」
「……はい。昔から、なんとなく惹かれるんです。小さい世界の中に、記憶が閉じ込められてるみたいで」
私の言葉に、彼は微かに笑った。
「いい感性ですね。僕の作るスノードームも、記憶から生まれてます」
「……え? 手作りなんですか?」
「はい。全部、僕がひとつずつ作っています」
私は驚いた。こんなに精巧で美しいものが、たったひとりの手で作られているなんて。
「よかったら、手に取ってみてください。触れて、思い出してください。何か、心に残っている冬の情景はありますか?」
思い出――
そう言われて、私はふと幼い頃のことを思い出した。小学生のころ、毎年冬になると家族で行った高原のペンション。朝起きたら一面の雪、静かな森、冷たい空気と、母が淹れてくれたココアの香り。あの頃の私は、雪が降るだけで心が踊っていた。
「……あります。小さいころ、家族で行った場所。もう今は行けないけど」
そう言うと、青年はしばらく黙って、それから奥の棚からひとつのスノードームを取り出した。
それは、白い森の中に、小さなログハウスがぽつんと建っているものだった。雪が舞うと、中のガラスの森にやわらかく積もっていく。
「これは、似てるかもしれませんね」
私は思わず、両手でそれを包んだ。
「……まるで、そこにいるみたい」
「たぶん、それはあなたの記憶がこのドームに呼応したからです。記憶には、それぞれに合う“形”がある。僕は、それを探す手伝いをしてるんです」
不思議なことを言う人だ、と思った。でも、不思議と違和感はなかった。
「あなたの記憶の中には、誰か、大切な人がいたんでしょう?」
彼の問いに、私は小さくうなずいた。
「……兄です。五年前に、事故で亡くなりました」
彼は驚かなかった。ただ、静かに視線を私の手元に落とした。
「彼との思い出が、この冬、何かを求めていたんですね。だから、ここに来た」
「……偶然、じゃないんですか?」
「偶然なんて、たいていは意味があるんです。スノードームは、それを教えてくれる道具なんですよ」
彼の言葉に、心がふっとほどけた。
「……名前、聞いてもいいですか?」
「冬馬(とうま)です。冬の馬、と書いて。変な名前でしょう?」
「いい名前だと思います。ぴったり」
私は笑った。気がつけば、心の奥にあった冷たい塊が、ほんの少しだけ溶けていた。
「また、来てもいいですか?」
「もちろん。あなたの中にまだ残っている雪景色がある限り、ここはいつでも開いていますよ」
その冬、私は何度も「ユキノカケラ」を訪れた。スノードームを一つずつ眺めては、冬馬さんと少しずつ話をした。
彼もまた、過去を抱えていた。かつて同じ夢を追った女性がいたこと。彼女と一緒に、雪をテーマにした雑貨屋を開く夢があったこと。だけど彼女は病に倒れ、その夢は途中で止まってしまった。
「だから今は、彼女の代わりに、この店を続けてるんです。彼女が作ろうとした、雪の記憶の博物館を」
ある夜、私は言った。
「私、この店が好きです。冬馬さんのスノードームには、ちゃんと“ぬくもり”がある。閉じ込められた世界なのに、寒くない」
「……それはきっと、あなたがそれを感じ取れる人だからですよ」
そのとき、私は気づいてしまった。
雪のように静かに、でも確かに――私はこの人に、惹かれていた。
年末のある日、私は彼に言った。
「実家に帰ります。年明けにまた戻ってくるけど……少し、さびしい」
「……じゃあ」
冬馬さんは、ひとつのスノードームを差し出した。
それは、ふたりが並んでいるようなシルエットの雪景色だった。
手作りで、どこにも売っていない世界にひとつだけのドーム。
「これは……」
「来年、またここで会えたら――続きを、話しましょう」
それが、彼の精一杯の告白だったのかもしれない。
私は、言葉の代わりに頷いた。
スノードームの中には、約束がある。
静かで、あたたかくて、儚いけれど――
この冬、確かに芽生えた恋のかたちが、そこにあった。
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