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第四話:君の笑顔、初雪の朝
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京都をひとりで訪れるのは、これが初めてだった。
大学の冬休みを使って、私は静かな場所を求めてこの町に来た。
学生時代の友人たちはこぞって海外やリゾート地に向かったけれど、私はただ、何も考えず、穏やかな時間に身を置きたかった。
そんな気分になる冬が、人生には何度かある。
木造の町屋を改装した小さな宿に泊まり、路地裏をふらりと歩く。観光名所を巡るつもりはなかった。人の少ない京都を、風のように過ごしたかった。
そんな私が、ふと足を止めたのは、のれんのかかった古いカフェだった。
細い石畳の先、町屋をそのまま活かした建物。軒先に吊るされた柚子の香りが風に乗って漂ってくる。
引き戸を開けると、小さな鈴が鳴った。
「いらっしゃいませ」
振り返ったカウンターの奥に、彼はいた。
グレーのエプロンを身につけた青年。黒髪は軽くウェーブがかかっていて、目元はやさしく、でも少し眠たげだった。
京都の町に馴染みすぎていて、彼が風景の一部のように思えた。
「おひとりですか?」
「はい……あ、あの、コーヒーを」
「はい。温まるやつ、淹れますね」
その一言に、不思議と気持ちがほぐれた。
出されたコーヒーは、苦味がまろやかで、ほのかにシナモンの香りがした。
木のテーブル、障子越しの柔らかな陽射し。ゆっくり流れる時間に、心が静かになっていく。
「……いい店ですね」
思わずつぶやいた声に、彼が微笑む。
「ありがとうございます。祖父がやっていた店を、三年前に引き継ぎました。名前もそのまま、『雪待草』っていいます」
「ゆきまちぐさ……?」
「冬に咲く花の名前らしいです。うちのじいさんがね、雪の降る前の静けさが好きだったみたいで」
私は小さく笑った。
初めて入った店なのに、どこか懐かしさを感じていた理由が、少しわかった気がした。
「……旅の途中ですか?」
「うん。ひとり旅です。冬の京都って、静かで好きなんです」
彼はうなずいて、窓の外を見やった。
「そろそろ、雪が降りそうですね」
その言葉が予感だったのか、それとも偶然だったのか。
私がコーヒーを飲み終えるころ、障子の外に白いものがちらちらと舞い始めた。
「……雪だ」
「初雪です。今年は遅かったから、やっとって感じですね」
彼の声が少し弾んだ気がした。
その日から、私は毎朝このカフェに通った。
何をするでもない。旅の合間にコーヒーを飲み、彼――蒼(そう)くんと、少しだけ言葉を交わす。それだけ。
でも、それがとても、心地よかった。
蒼くんは、あまり多くを語らない人だった。けれど、彼の言葉には無駄がなかった。
朝の光の話。近所の猫の話。地元の人が大切にしている季節の風習――
彼の話を聞くたびに、私はこの町に、そして彼に、少しずつ惹かれていった。
旅の最終日、私は早朝のカフェを訪れた。まだ誰もいない時間。外は薄く雪が積もっていた。
「……今日で帰るんですね」
彼は、カウンターにコーヒーカップを置きながら言った。
「はい。また、来ます。たぶん来年も、冬に」
私がそう言うと、彼は静かにうなずいた。
「……よかったら、これ」
差し出されたのは、紙で包まれた小さな袋。
「開けていいですか?」
「うん。今すぐじゃなくても」
私はその場で、そっと包みを開いた。
中には、小さな木のスプーンが入っていた。手彫りで、柄の部分に「雪待草」と刻まれている。
「……これ、自分で?」
「はい。趣味で作ってて。……なんか、渡したくなって」
私は言葉を失った。心の奥が、きゅっと締め付けられるようだった。
「……ありがとう。すごく、うれしい」
彼は少し照れたように笑って、言った。
「また、コーヒー飲みに来てください。そのスプーンで、砂糖を入れてくれたら、俺、わかりますから」
その言葉に、思わず笑った。
「約束ですよ」
「はい、約束です」
駅へ向かうタクシーの中、私は手の中のスプーンを何度も握り直した。
名残雪のように、淡く儚い感情が、心の奥に残っている。
きっと来年の冬も、またあのカフェに行く。蒼くんの静かな声と、初雪の匂いを思い出すために。
あの朝、あのコーヒー、あのスプーン――
たった三日間だったけれど、たしかに「恋」と呼べる気持ちが、そこにあった。
君の笑顔は、冬の光のようだった。静かで、でも、確かに温かかった。
大学の冬休みを使って、私は静かな場所を求めてこの町に来た。
学生時代の友人たちはこぞって海外やリゾート地に向かったけれど、私はただ、何も考えず、穏やかな時間に身を置きたかった。
そんな気分になる冬が、人生には何度かある。
木造の町屋を改装した小さな宿に泊まり、路地裏をふらりと歩く。観光名所を巡るつもりはなかった。人の少ない京都を、風のように過ごしたかった。
そんな私が、ふと足を止めたのは、のれんのかかった古いカフェだった。
細い石畳の先、町屋をそのまま活かした建物。軒先に吊るされた柚子の香りが風に乗って漂ってくる。
引き戸を開けると、小さな鈴が鳴った。
「いらっしゃいませ」
振り返ったカウンターの奥に、彼はいた。
グレーのエプロンを身につけた青年。黒髪は軽くウェーブがかかっていて、目元はやさしく、でも少し眠たげだった。
京都の町に馴染みすぎていて、彼が風景の一部のように思えた。
「おひとりですか?」
「はい……あ、あの、コーヒーを」
「はい。温まるやつ、淹れますね」
その一言に、不思議と気持ちがほぐれた。
出されたコーヒーは、苦味がまろやかで、ほのかにシナモンの香りがした。
木のテーブル、障子越しの柔らかな陽射し。ゆっくり流れる時間に、心が静かになっていく。
「……いい店ですね」
思わずつぶやいた声に、彼が微笑む。
「ありがとうございます。祖父がやっていた店を、三年前に引き継ぎました。名前もそのまま、『雪待草』っていいます」
「ゆきまちぐさ……?」
「冬に咲く花の名前らしいです。うちのじいさんがね、雪の降る前の静けさが好きだったみたいで」
私は小さく笑った。
初めて入った店なのに、どこか懐かしさを感じていた理由が、少しわかった気がした。
「……旅の途中ですか?」
「うん。ひとり旅です。冬の京都って、静かで好きなんです」
彼はうなずいて、窓の外を見やった。
「そろそろ、雪が降りそうですね」
その言葉が予感だったのか、それとも偶然だったのか。
私がコーヒーを飲み終えるころ、障子の外に白いものがちらちらと舞い始めた。
「……雪だ」
「初雪です。今年は遅かったから、やっとって感じですね」
彼の声が少し弾んだ気がした。
その日から、私は毎朝このカフェに通った。
何をするでもない。旅の合間にコーヒーを飲み、彼――蒼(そう)くんと、少しだけ言葉を交わす。それだけ。
でも、それがとても、心地よかった。
蒼くんは、あまり多くを語らない人だった。けれど、彼の言葉には無駄がなかった。
朝の光の話。近所の猫の話。地元の人が大切にしている季節の風習――
彼の話を聞くたびに、私はこの町に、そして彼に、少しずつ惹かれていった。
旅の最終日、私は早朝のカフェを訪れた。まだ誰もいない時間。外は薄く雪が積もっていた。
「……今日で帰るんですね」
彼は、カウンターにコーヒーカップを置きながら言った。
「はい。また、来ます。たぶん来年も、冬に」
私がそう言うと、彼は静かにうなずいた。
「……よかったら、これ」
差し出されたのは、紙で包まれた小さな袋。
「開けていいですか?」
「うん。今すぐじゃなくても」
私はその場で、そっと包みを開いた。
中には、小さな木のスプーンが入っていた。手彫りで、柄の部分に「雪待草」と刻まれている。
「……これ、自分で?」
「はい。趣味で作ってて。……なんか、渡したくなって」
私は言葉を失った。心の奥が、きゅっと締め付けられるようだった。
「……ありがとう。すごく、うれしい」
彼は少し照れたように笑って、言った。
「また、コーヒー飲みに来てください。そのスプーンで、砂糖を入れてくれたら、俺、わかりますから」
その言葉に、思わず笑った。
「約束ですよ」
「はい、約束です」
駅へ向かうタクシーの中、私は手の中のスプーンを何度も握り直した。
名残雪のように、淡く儚い感情が、心の奥に残っている。
きっと来年の冬も、またあのカフェに行く。蒼くんの静かな声と、初雪の匂いを思い出すために。
あの朝、あのコーヒー、あのスプーン――
たった三日間だったけれど、たしかに「恋」と呼べる気持ちが、そこにあった。
君の笑顔は、冬の光のようだった。静かで、でも、確かに温かかった。
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