交差点の約束、屋敷の夜に咲く ~突然始まる婿決定戦???~

naomikoryo

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本章:矢沢瞬ルート

Ep6:癒しの時間、静かな場所

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―「私、知ってたよ。瞬くんは“お腹”じゃなくて、“心”が痛かったんでしょ?」
 重たい空気がない部屋は、逆に落ち着かない――そんな気がしていた。

 

 淡いベージュの壁に、日だまりのようなオレンジの照明。
 カーテン越しに見える人工の風景。
 どこかの保健室のような、温度と静けさがそこにあった。

 

 瞬がドアを閉めると、カーテンの向こうから誰かの足音が近づいてくる。

 

 「……瞬くん?」

 

 その声は、瞬の記憶に深く刻まれていた。
 柔らかく、決して踏み込まず、でもちゃんと“寄り添ってくる”声――

 

 カーテンが開くと、そこには、彼女がいた。

 

 白いカーディガンに、ゆったりとしたロングスカート。
 柔らかな焦げ茶色の髪を一つに結び、ほんの少し眠たげな瞳。
 中学時代と変わらぬ、小鳥遊 麗奈。

 

 「……こ、こ、こ……小鳥遊、さん……」

 

 「ふふ、やっぱり驚いた? 私、瞬くんの顔見た瞬間、“あ、来てくれたんだ”ってわかっちゃった」

 

 瞬はその場から動けずにいた。
 心のどこかで「ここに来たら、きっと会う」と分かっていたのに――本当に彼女が現れたことに、息が止まりそうになる。

 

 「ひさしぶり、だね。瞬くん。中学ぶり?」

 

 「……そ、そう……だと思います」

 

 麗奈は、すっと手を前に出した。

 

 「ようこそ。保健室へ――じゃなくて、私の部屋へ」

 

 それは、あの頃、よく耳にしていたセリフだった。
 “お腹が痛い”と毎週のように訪れていた保健室。
 彼女は、決して多くを聞かず、ただ「お水いる?」「横になっててもいいよ」とだけ言ってくれた。

 

 「……小鳥遊さん」

 

 「うん?」

 

 「……俺、ほんとは……あの頃、お腹なんか、痛くなかったんです」

 

 「うん。知ってたよ」

 

 瞬の目が、かすかに見開かれた。

 

 麗奈はふわりと笑う。

 

 「心が痛いときって、どうしても“身体”のせいにしたくなるでしょ?
  でも、そういうときに、“無理しないでいいよ”って言ってくれる場所が、
  一つでもあったら、それだけでちょっと生きられるんだよ」

 

 その言葉に、瞬の喉の奥が、つんと締まる。

 

 「……どうして、そんなに……優しいんですか」

 

 「それ、瞬くんが“優しさを受け取る準備”ができてたからだと思うよ」

 

 麗奈はベッドの端に腰を下ろし、トントンと隣を叩く。

 

 「ほら。話さなくてもいい。
  黙って隣にいても、私は瞬くんと過ごせるよ」

 

 瞬は、わずかに躊躇してから、その隣に座った。

 

 距離はほんの30cmほど。けれど――そこには、絶対的な安心感があった。

 

 「ここに来てから、ずっと怖かった。
  “見られる”ことも、“触れられる”ことも。
  でも……小鳥遊さんは、違いました。
  最初から……ずっと、安心だったんです」

 

 麗奈は、ゆっくりと彼の手に自分の手を重ねた。
 繋ぐのではない。添えるだけ。

 

 「ありがとう。そう言ってくれて。
  でも、私もずっと、“また瞬くんに会いたい”って思ってたよ。
  ちゃんと、名前を呼んでくれるようになったらいいなって」

 

 瞬の目に、ほんの少し光が浮かぶ。

 

 「……麗奈さん」

 

 「うん」

 

 「俺……変わってないですか? まだ、怖がってますか?」

 

 「変わってないよ。でも――
  “変わろうとしてる”ことが、ちゃんと顔に出てる」

 

 瞬は、ついに自分から、そっと麗奈の手を握った。

 

 彼女は驚かなかった。
 ただ、そのまま、指を優しく重ねるだけだった。

 

 ふたりの間には、言葉よりも確かな、静かな時間が流れていた。

 

 まだロックは解除されていない。
 でも、それでいい。
 この部屋は、瞬にとって“触れずとも心を通わせられる最初の場所”なのだから。
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