窓際の彼女と、ポンコツ神様

naomikoryo

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第2話:『貧乏神の正しい(?)使い方』

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福永こがねの人生は、貧乏神との同居によって、どん底からさらに深く、マリアナ海溝の底を目指すかのように沈んでいくはずだった。

翌朝、こがねが居住スペースから店のフロアへ続くドアを開けると、すでに〝それ〟はソファを占領していた。
銀灰色の髪をボサボサに散らかし、ヨレヨレのジャージ姿で、ソファに寝そべりながら漫画雑誌を読んでいる。
その手には、昨日こがねがなけなしの金で買ったポテトチップスの袋。

「……おはよう、依り代よ」

視線は漫画に固定したまま、薄氷が気怠げに呟く。

「おはよう、じゃない! なんであんたが一番くつろいでるのよ! ここは私の家!」
「うむ。そして我の住処でもある。郷に入っては郷に従え、と言うだろう」
「あんたが従いなさいよ!」

こがねが怒鳴っても、薄氷はどこ吹く風。
かり、と小気味よい音を立ててポテチを咀嚼するだけだ。
そのあまりに自然なニートっぷりに、こがねは朝から深い疲労を覚えた。

ともかく、店を開けなければ始まらない。
貯金が尽きる前に、少しでも日銭を稼がなければ。
こがねは薄氷を睨みつけながらも、店のシャッターを開けた。

しかし。
希望に満ちた朝の光とは裏腹に、店の前を通り過ぎる人は皆、一様に「ふくや」を避けていくようだった。
店の前で急に靴紐がほどける人。
スマホに電話がかかってきて、慌てて引き返していく人。
店の前で財布を落とし、中身をぶちまけて、拾うのに夢中で店の存在にすら気づかない人。

「……あんたのせい?」
「さあな。我はただ、ここに在るだけだ」

ソファから動かず、薄氷は漫画のページをめくった。
極めつけは、やっと客が一人入ってきたと思ったら、その老婆が店のど真ん中で盛大にくしゃみをし、はずみで入れ歯が飛び、棚の奥に転がっていったことだった。
老婆は入れ歯を探すのに疲れ果て、何も買わずに帰っていった。

「もう無理……」

昼過ぎには、こがねはカウンターに突っ伏していた。
客はゼロ。
売上もゼロ。
なのに、水道の蛇口をひねれば錆び水が噴き出し、冷蔵庫は唸り声を上げて完全に沈黙した。
間違いなく、すべてこいつのせいだ。

こうなったら、実力行使あるのみ。

「出てってもらうわよ、貧乏神!」

こがねは、まず祖母の知恵袋を試すことにした。
台所の戸棚から、埃を被った般若心経のカセットテープを見つけ出し、ラジカセで大音量再生する。

「……ふむ。良いBGMだ。眠くなる……」

薄氷は、ありがたいお経を子守唄に、すやすやと寝息を立て始めた。
作戦失敗。

次に、塩だ。
神様には塩が効くはず。
盛り塩用の粗塩を、薄氷の周りに撒き散らす。

「おお、気が利くな、依り代よ」

しかし薄氷は、眠い目をこすりながら起き上がると、床に散らばった塩を指でつまみ、ぱらぱらとポテチの袋に振りかけた。

「塩気が足りぬと思っていたところだ。うむ、美味」

満面の笑み(ただし省エネモード)で頷く貧乏神。
作戦、大失敗。

「こうなったら……!」

最後の手段とばかりに、こがねは近所のスーパーで買ってきたニンニクを、紐に通して薄氷の首にかけようとした。

「ほう? 異国の魔除けか。残念ながら、我は純国産の神だが」

薄氷は、鼻先で揺れるニンニクを物珍しそうに眺めるだけ。
まったく効いている様子はない。
がっくりと膝から崩れ落ちるこがね。
もう、打つ手はなかった。

◆◇◆

その日の夕方。
こがねがカウンターで死んだ魚の目をしていると、店の外から子供たちの賑やかな声が聞こえてきた。

「おい、見ろよ! あの店になんかすっげー綺麗な兄ちゃんがいるぞ!」
「ほんとだ! アイドルみてー!」

ガラス戸に、ランドセルを背負った小さな頭がいくつも張り付いている。
彼らの視線は一直線に、ソファで漫画を読んでいる薄氷に注がれていた。
やがて、一番元気のいい少年が、恐る恐る店のドアを開けた。

「……こんにちはー」
「い、いらっしゃい」

何日ぶりかの客(予備軍)に、こがねは慌てて笑顔を作る。
子供たちは、こがねには目もくれず、真っ直ぐに薄氷の元へ駆け寄った。

「お兄さん、誰? 俳優さん?」
「……いや……しがない、居候だ」

薄氷は、子供たちに囲まれ、あからさまに面倒くさそうな顔をしている。
しかし、子供たちはそんなことお構いなしだ。

「このお菓子、うまい?」
「このカード、キラキラじゃん!」

質問攻めにし、持っている漫画を覗き込み、やりたい放題だ。
薄氷はされるがままになりながら、たまに「それは昨日我が見つけた、なかなかの当たりカードだ」「その菓子は甘すぎる。こちらの酸っぱい方が口直しには良い」などと、的確なんだか適当なんだかわからないアドバイスをしていた。

その日から、奇妙な現象が起こり始めた。
薄氷に懐いた子供たちが、毎日学校帰りに「ふくや」に集まるようになったのだ。
彼らはこがねから駄菓子を買い、薄氷の周りでおしゃべりをして帰っていく。
寂れきっていた店に、何年ぶりかで子供たちの笑い声が響き渡った。
売上は、雀の涙ほどだが、ゼロではなくなった。

こがねは、騒がしい店内と、子供たちに囲まれて迷惑そうな顔をしながらも、追い払ったりはしない薄氷の姿を、複雑な思いで眺めていた。

そんなある日のこと。
こがねの人生を揺るがす、二度目の事件が起きる。
問屋からの納品書を見て、こがねは青ざめた。

「げ、激辛カレーせんべい、十箱……!?」

桁を一つ間違えて発注してしまったらしい。
もちろん、薄氷が来てからというもの、こういうケアレスミスは頻発していた。
これも全部あいつのせいだ。
返品不可の山積みのダンボールを前に、こがねは頭を抱えた。

「どうすんのよ、これ……」

途方に暮れるこがねの横で、薄氷がダンボールの一つを開け、中からせんべいを取り出して、無造作に口に放り込んだ。

「……む」
「からい!? 辛いでしょ、それ!」
「……うむ。辛いな。だが、悪くない。この後に飲むコーラが、いつもよりうまく感じられる」

そう言って、薄氷は瓶コーラを呷った。
その時、ちょうど店にやってきた子供の一人が、その光景を目撃していた。

「神様のお兄ちゃんが、あのせんべい食ってる!」

噂は、燎原の火のごとく子供たちの間に広まった。
「神様のお墨付きせんべい、マジでヤバいらしい」
「食べると幸運になるって!」

話に尾ひれがつきまくった結果、激辛カレーせんべいは、翌日から飛ぶように売れ始めた。
あまりの人気に、ついには地元のケーブルテレビが「小学生の間で謎のブーム! 曰く付き激辛せんべいを追え!」という特集を組むことになったのだ。

取材の日。
カメラを向けられても、薄氷はいつも通り、ソファでやる気なくせんべいを齧っているだけだった。

「このおせんべいの魅力は?」と問うリポーターに、彼は一言、
「……辛い」
とだけ答えた。

そのミステリアスな美貌と、やる気のない態度のギャップが、カメラの向こうで妙な化学反応を起こすことを、この時のこがねはまだ知らない。

彼女はただ、飛ぶように売れていく激辛カレーせんべいの空箱と、子供たちの賑やかな声、そして相変わらずのさぼり魔だが、なぜか騒動の中心にいる美しい貧乏神を眺めながら、ぽつりと呟いた。

「こいつ……もしかして、使い方次第では……?」

カウンターの奥で、福永こがねの口元に、ほんの少しだけ黒い笑みが浮かんでいた。
貧乏神との同居生活。それはまだ始まったばかり。
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