窓際の彼女と、ポンコツ神様

naomikoryo

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第6話:『黒い来訪者、その名は』

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夏祭りの夜に咲いた、一夜限りの奇跡の花火。
それは、この町の人々の心に、そして福永こがねの心に、確かな光を灯した。

あれ以来、町はすっかり平穏を取り戻し、駄菓子屋「ふくや」は、子供たちの賑やかな声が絶えない、町の中心地としてすっかり定着していた。

「おい福の神、そこのコーラを取ってくれ」
「自分で取りなさい、貧乏神! それと僕の名前は恵比寿 光だ!」
「はいはい、そこの神様たち、子供の商売の邪魔しない!」

薄氷と、なぜか相変わらず店に入り浸っている光に、こがねがスリッパを片手にお説教をする。
そんな、奇妙で騒がしい毎日を、こがねはもう、まんざらでもない、と感じ始めていた。
東京で失くしたものより、ここで得たものの方が、ずっと大きいのではないか。
そんな予感すら、胸の中に芽生え始めていた。

だが、その穏やかな日常は、音もなく、じわりじわりと蝕まれていくことになる。

最初に気づいたのは、商店街の花屋のおばさんだった。
店先に並べた色とりどりの花が、たった一日で萎れて、黒ずんでしまうのだという。

次に、町の人々の様子が、少しずつおかしくなっていった。
いつもは陽気な八百屋の店主が、些細なことで客と怒鳴り合いの喧嘩を始める。
すれ違う人々の顔から、挨拶と笑顔が消え、誰もがイライラと、何かに急かされているように見えた。

そして、「ふくや」にも、その静かな異変は訪れた。

毎日、開店と同時に駆け込んできていた子供たちが、一人、また一人と、ぱったりと姿を見せなくなったのだ。
「風邪を引いた」「なんだか気分が乗らなくて」──親からの連絡は、どれも似たり寄ったりだった。
がらんとした店内で、こがねは薄氷の不運とは明らかに質の違う、じっとりと肌に纏わりつくような、悪意のある空気が町を覆い始めているのを感じていた。

◆◇◆ 

そんなある日。
店のドアが、壊れんばかりの勢いで開け放たれた。
血相を変えた恵比寿 光が、息を切らしながら飛び込んでくる。

「こがねさん! 大変です! この町の『気』が、急速に穢れ、澱んでいます! これは……ただの不運ではない。貧乏神の比ではない、本物の……!」

光が絶叫した、その時だった。
ちりん、とドアベルが、ひどく乾いた、嫌な音を立てた。

そこに立っていたのは、一人の男だった。
ぼろぼろの黒い外套を頭からすっぽりとかぶり、その顔は陰になってよく見えない。
しかし、痩せこけた体、土気色の肌、そして隙間から覗く、ぬらぬらと光る虚ろな瞳が、尋常でない存在であることを示していた。

男が、かさついた音を立てて店に一歩足を踏み入れた途端、バチッ!と大きな音を立てて、店の蛍光灯がすべて消えた。
そして、棚に並んでいた駄菓子の袋が、ぱん、ぱん、といくつか、自然に破裂した。

闇に慣れた目で、こがねはその男を見る。
男は、愉快そうに、ひひ、と喉の奥で笑い声を立てた。

「見つけた、見つけたぞ。ここは居心地が良さそうだ。美味そうな『不幸』の匂いが、ぷんぷんする」
「き、貴様……『疫病神』かっ!」

光の震える声に、男──疫病神は、肯定するように、こくこくと首を振った。
薄氷の「意図せぬ不運」とは、次元が違う。
この男は、明確な悪意を持って、人々の気力や健康を、町の活力を喰らい、それを自らの糧とする、本物の厄災だった。

その時、こがねは、隣に立つ薄氷の異変に気づいた。
いつもの気怠げな雰囲気は、完全に消え失せている。
彼は、ソファから静かに立ち上がると、険しい表情で、ただじっと、疫病神を睨みつけていた。

疫病神の虚ろな目が、こがねの姿を捉える。
品定めをするような、ねっとりとした視線。その瞬間。

「……依り代に、触れるな」

ソファから飛び出した薄氷が、こがねの前に、立ちはだかった。
初めて見る、低い、威嚇するような声。
初めて見せる、明確な敵意と、守るという意志。

だが、疫病神は、そんな薄氷を鼻で笑った。
「ひひ、貧乏神風情が……神の真似事か。お前も、元は我らと同じ側の者だろうに」

◆◇◆

疫病神が町に居座ってから、町の崩壊は、あっという間だった。
小学校は、風邪の蔓延で学級閉鎖が相次いだ。
商店街は、客足が途絶え、シャッターを下ろす店が続出した。
人々の顔からは光が消え、町全体が、まるで色褪せた古い写真のように、灰色の靄に包まれていった。

そして、人々の溜め込んだ不満と、出口のない不安の矛先は、一番分かりやすい「異物」へと向かった。

「……あの駄菓子屋に、変な兄ちゃんが住み着いてからだ」
「そうだ、祭りの時も変なことがあった。あいつが、疫病神なんだ」

夏祭りの夜の奇跡は、人々の記憶から薄れ、不安に上書きされていた。
かつて「神様のお兄ちゃん」と慕っていた子供たちの親からも、こがねは冷たい視線を向けられた。
薄氷は、再び「厄介者」として、町中から忌み嫌われる存在へと戻ってしまったのだ。

「違う、薄氷は……!」

こがねは必死に庇おうとした。
でも、疫病神が振りまく本物の厄災の前では、彼女の声はあまりに無力だった。

日に日に衰弱していく町。
自分に向けられる、刃物のような視線。
そして何より、自分と同じ「厄災」として扱われ、石を投げつけられる薄氷の姿。
こがねの心が、軋みを上げていた。

薄氷は、何も言わなかった。
ただ、日に日に口数が減り、大好きだったポテチにも、ほとんど手をつけなくなった。
そして、時折、こがねをひどく申し訳なさそうな、苦しそうな目で見つめるだけだった。

自分のせいで、こがねが苦しんでいる。
自分のせいで、彼女が大切にしているこの場所が、壊れていく。

その事実が、何百年も凍りついていた彼の心を、鋭く、深く、傷つけていた。

◆◇◆ 

ある朝、こがねが目を覚ますと、そこに薄氷の姿はなかった。
いつも彼が陣取っていたソファは、がらんとして、ひどく冷たい。

「薄氷……?」

名前を呼んでも、返事はない。
家中を探しても、どこにもいない。
ただ、彼のいたソファの上に。
一枚だけ。

こがねが、あの雨の日に渡した、厚切りのポテトチップスの袋の切れ端が。
まるで、置き手紙のように、ぽつんと、残されているだけだった。
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