6 / 10
第6話:『黒い来訪者、その名は』
しおりを挟む
夏祭りの夜に咲いた、一夜限りの奇跡の花火。
それは、この町の人々の心に、そして福永こがねの心に、確かな光を灯した。
あれ以来、町はすっかり平穏を取り戻し、駄菓子屋「ふくや」は、子供たちの賑やかな声が絶えない、町の中心地としてすっかり定着していた。
「おい福の神、そこのコーラを取ってくれ」
「自分で取りなさい、貧乏神! それと僕の名前は恵比寿 光だ!」
「はいはい、そこの神様たち、子供の商売の邪魔しない!」
薄氷と、なぜか相変わらず店に入り浸っている光に、こがねがスリッパを片手にお説教をする。
そんな、奇妙で騒がしい毎日を、こがねはもう、まんざらでもない、と感じ始めていた。
東京で失くしたものより、ここで得たものの方が、ずっと大きいのではないか。
そんな予感すら、胸の中に芽生え始めていた。
だが、その穏やかな日常は、音もなく、じわりじわりと蝕まれていくことになる。
最初に気づいたのは、商店街の花屋のおばさんだった。
店先に並べた色とりどりの花が、たった一日で萎れて、黒ずんでしまうのだという。
次に、町の人々の様子が、少しずつおかしくなっていった。
いつもは陽気な八百屋の店主が、些細なことで客と怒鳴り合いの喧嘩を始める。
すれ違う人々の顔から、挨拶と笑顔が消え、誰もがイライラと、何かに急かされているように見えた。
そして、「ふくや」にも、その静かな異変は訪れた。
毎日、開店と同時に駆け込んできていた子供たちが、一人、また一人と、ぱったりと姿を見せなくなったのだ。
「風邪を引いた」「なんだか気分が乗らなくて」──親からの連絡は、どれも似たり寄ったりだった。
がらんとした店内で、こがねは薄氷の不運とは明らかに質の違う、じっとりと肌に纏わりつくような、悪意のある空気が町を覆い始めているのを感じていた。
◆◇◆
そんなある日。
店のドアが、壊れんばかりの勢いで開け放たれた。
血相を変えた恵比寿 光が、息を切らしながら飛び込んでくる。
「こがねさん! 大変です! この町の『気』が、急速に穢れ、澱んでいます! これは……ただの不運ではない。貧乏神の比ではない、本物の……!」
光が絶叫した、その時だった。
ちりん、とドアベルが、ひどく乾いた、嫌な音を立てた。
そこに立っていたのは、一人の男だった。
ぼろぼろの黒い外套を頭からすっぽりとかぶり、その顔は陰になってよく見えない。
しかし、痩せこけた体、土気色の肌、そして隙間から覗く、ぬらぬらと光る虚ろな瞳が、尋常でない存在であることを示していた。
男が、かさついた音を立てて店に一歩足を踏み入れた途端、バチッ!と大きな音を立てて、店の蛍光灯がすべて消えた。
そして、棚に並んでいた駄菓子の袋が、ぱん、ぱん、といくつか、自然に破裂した。
闇に慣れた目で、こがねはその男を見る。
男は、愉快そうに、ひひ、と喉の奥で笑い声を立てた。
「見つけた、見つけたぞ。ここは居心地が良さそうだ。美味そうな『不幸』の匂いが、ぷんぷんする」
「き、貴様……『疫病神』かっ!」
光の震える声に、男──疫病神は、肯定するように、こくこくと首を振った。
薄氷の「意図せぬ不運」とは、次元が違う。
この男は、明確な悪意を持って、人々の気力や健康を、町の活力を喰らい、それを自らの糧とする、本物の厄災だった。
その時、こがねは、隣に立つ薄氷の異変に気づいた。
いつもの気怠げな雰囲気は、完全に消え失せている。
彼は、ソファから静かに立ち上がると、険しい表情で、ただじっと、疫病神を睨みつけていた。
疫病神の虚ろな目が、こがねの姿を捉える。
品定めをするような、ねっとりとした視線。その瞬間。
「……依り代に、触れるな」
ソファから飛び出した薄氷が、こがねの前に、立ちはだかった。
初めて見る、低い、威嚇するような声。
初めて見せる、明確な敵意と、守るという意志。
だが、疫病神は、そんな薄氷を鼻で笑った。
「ひひ、貧乏神風情が……神の真似事か。お前も、元は我らと同じ側の者だろうに」
◆◇◆
疫病神が町に居座ってから、町の崩壊は、あっという間だった。
小学校は、風邪の蔓延で学級閉鎖が相次いだ。
商店街は、客足が途絶え、シャッターを下ろす店が続出した。
人々の顔からは光が消え、町全体が、まるで色褪せた古い写真のように、灰色の靄に包まれていった。
そして、人々の溜め込んだ不満と、出口のない不安の矛先は、一番分かりやすい「異物」へと向かった。
「……あの駄菓子屋に、変な兄ちゃんが住み着いてからだ」
「そうだ、祭りの時も変なことがあった。あいつが、疫病神なんだ」
夏祭りの夜の奇跡は、人々の記憶から薄れ、不安に上書きされていた。
かつて「神様のお兄ちゃん」と慕っていた子供たちの親からも、こがねは冷たい視線を向けられた。
薄氷は、再び「厄介者」として、町中から忌み嫌われる存在へと戻ってしまったのだ。
「違う、薄氷は……!」
こがねは必死に庇おうとした。
でも、疫病神が振りまく本物の厄災の前では、彼女の声はあまりに無力だった。
日に日に衰弱していく町。
自分に向けられる、刃物のような視線。
そして何より、自分と同じ「厄災」として扱われ、石を投げつけられる薄氷の姿。
こがねの心が、軋みを上げていた。
薄氷は、何も言わなかった。
ただ、日に日に口数が減り、大好きだったポテチにも、ほとんど手をつけなくなった。
そして、時折、こがねをひどく申し訳なさそうな、苦しそうな目で見つめるだけだった。
自分のせいで、こがねが苦しんでいる。
自分のせいで、彼女が大切にしているこの場所が、壊れていく。
その事実が、何百年も凍りついていた彼の心を、鋭く、深く、傷つけていた。
◆◇◆
ある朝、こがねが目を覚ますと、そこに薄氷の姿はなかった。
いつも彼が陣取っていたソファは、がらんとして、ひどく冷たい。
「薄氷……?」
名前を呼んでも、返事はない。
家中を探しても、どこにもいない。
ただ、彼のいたソファの上に。
一枚だけ。
こがねが、あの雨の日に渡した、厚切りのポテトチップスの袋の切れ端が。
まるで、置き手紙のように、ぽつんと、残されているだけだった。
それは、この町の人々の心に、そして福永こがねの心に、確かな光を灯した。
あれ以来、町はすっかり平穏を取り戻し、駄菓子屋「ふくや」は、子供たちの賑やかな声が絶えない、町の中心地としてすっかり定着していた。
「おい福の神、そこのコーラを取ってくれ」
「自分で取りなさい、貧乏神! それと僕の名前は恵比寿 光だ!」
「はいはい、そこの神様たち、子供の商売の邪魔しない!」
薄氷と、なぜか相変わらず店に入り浸っている光に、こがねがスリッパを片手にお説教をする。
そんな、奇妙で騒がしい毎日を、こがねはもう、まんざらでもない、と感じ始めていた。
東京で失くしたものより、ここで得たものの方が、ずっと大きいのではないか。
そんな予感すら、胸の中に芽生え始めていた。
だが、その穏やかな日常は、音もなく、じわりじわりと蝕まれていくことになる。
最初に気づいたのは、商店街の花屋のおばさんだった。
店先に並べた色とりどりの花が、たった一日で萎れて、黒ずんでしまうのだという。
次に、町の人々の様子が、少しずつおかしくなっていった。
いつもは陽気な八百屋の店主が、些細なことで客と怒鳴り合いの喧嘩を始める。
すれ違う人々の顔から、挨拶と笑顔が消え、誰もがイライラと、何かに急かされているように見えた。
そして、「ふくや」にも、その静かな異変は訪れた。
毎日、開店と同時に駆け込んできていた子供たちが、一人、また一人と、ぱったりと姿を見せなくなったのだ。
「風邪を引いた」「なんだか気分が乗らなくて」──親からの連絡は、どれも似たり寄ったりだった。
がらんとした店内で、こがねは薄氷の不運とは明らかに質の違う、じっとりと肌に纏わりつくような、悪意のある空気が町を覆い始めているのを感じていた。
◆◇◆
そんなある日。
店のドアが、壊れんばかりの勢いで開け放たれた。
血相を変えた恵比寿 光が、息を切らしながら飛び込んでくる。
「こがねさん! 大変です! この町の『気』が、急速に穢れ、澱んでいます! これは……ただの不運ではない。貧乏神の比ではない、本物の……!」
光が絶叫した、その時だった。
ちりん、とドアベルが、ひどく乾いた、嫌な音を立てた。
そこに立っていたのは、一人の男だった。
ぼろぼろの黒い外套を頭からすっぽりとかぶり、その顔は陰になってよく見えない。
しかし、痩せこけた体、土気色の肌、そして隙間から覗く、ぬらぬらと光る虚ろな瞳が、尋常でない存在であることを示していた。
男が、かさついた音を立てて店に一歩足を踏み入れた途端、バチッ!と大きな音を立てて、店の蛍光灯がすべて消えた。
そして、棚に並んでいた駄菓子の袋が、ぱん、ぱん、といくつか、自然に破裂した。
闇に慣れた目で、こがねはその男を見る。
男は、愉快そうに、ひひ、と喉の奥で笑い声を立てた。
「見つけた、見つけたぞ。ここは居心地が良さそうだ。美味そうな『不幸』の匂いが、ぷんぷんする」
「き、貴様……『疫病神』かっ!」
光の震える声に、男──疫病神は、肯定するように、こくこくと首を振った。
薄氷の「意図せぬ不運」とは、次元が違う。
この男は、明確な悪意を持って、人々の気力や健康を、町の活力を喰らい、それを自らの糧とする、本物の厄災だった。
その時、こがねは、隣に立つ薄氷の異変に気づいた。
いつもの気怠げな雰囲気は、完全に消え失せている。
彼は、ソファから静かに立ち上がると、険しい表情で、ただじっと、疫病神を睨みつけていた。
疫病神の虚ろな目が、こがねの姿を捉える。
品定めをするような、ねっとりとした視線。その瞬間。
「……依り代に、触れるな」
ソファから飛び出した薄氷が、こがねの前に、立ちはだかった。
初めて見る、低い、威嚇するような声。
初めて見せる、明確な敵意と、守るという意志。
だが、疫病神は、そんな薄氷を鼻で笑った。
「ひひ、貧乏神風情が……神の真似事か。お前も、元は我らと同じ側の者だろうに」
◆◇◆
疫病神が町に居座ってから、町の崩壊は、あっという間だった。
小学校は、風邪の蔓延で学級閉鎖が相次いだ。
商店街は、客足が途絶え、シャッターを下ろす店が続出した。
人々の顔からは光が消え、町全体が、まるで色褪せた古い写真のように、灰色の靄に包まれていった。
そして、人々の溜め込んだ不満と、出口のない不安の矛先は、一番分かりやすい「異物」へと向かった。
「……あの駄菓子屋に、変な兄ちゃんが住み着いてからだ」
「そうだ、祭りの時も変なことがあった。あいつが、疫病神なんだ」
夏祭りの夜の奇跡は、人々の記憶から薄れ、不安に上書きされていた。
かつて「神様のお兄ちゃん」と慕っていた子供たちの親からも、こがねは冷たい視線を向けられた。
薄氷は、再び「厄介者」として、町中から忌み嫌われる存在へと戻ってしまったのだ。
「違う、薄氷は……!」
こがねは必死に庇おうとした。
でも、疫病神が振りまく本物の厄災の前では、彼女の声はあまりに無力だった。
日に日に衰弱していく町。
自分に向けられる、刃物のような視線。
そして何より、自分と同じ「厄災」として扱われ、石を投げつけられる薄氷の姿。
こがねの心が、軋みを上げていた。
薄氷は、何も言わなかった。
ただ、日に日に口数が減り、大好きだったポテチにも、ほとんど手をつけなくなった。
そして、時折、こがねをひどく申し訳なさそうな、苦しそうな目で見つめるだけだった。
自分のせいで、こがねが苦しんでいる。
自分のせいで、彼女が大切にしているこの場所が、壊れていく。
その事実が、何百年も凍りついていた彼の心を、鋭く、深く、傷つけていた。
◆◇◆
ある朝、こがねが目を覚ますと、そこに薄氷の姿はなかった。
いつも彼が陣取っていたソファは、がらんとして、ひどく冷たい。
「薄氷……?」
名前を呼んでも、返事はない。
家中を探しても、どこにもいない。
ただ、彼のいたソファの上に。
一枚だけ。
こがねが、あの雨の日に渡した、厚切りのポテトチップスの袋の切れ端が。
まるで、置き手紙のように、ぽつんと、残されているだけだった。
0
あなたにおすすめの小説
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
第12回ネット小説大賞コミック部門入賞・コミカライズ企画進行「婚約破棄ですか? それなら昨日成立しましたよ、ご存知ありませんでしたか?」完結
まほりろ
恋愛
第12回ネット小説大賞コミック部門入賞・コミカライズ企画進行中。
コミカライズ化がスタートしましたらこちらの作品は非公開にします。
「アリシア・フィルタ貴様との婚約を破棄する!」
イエーガー公爵家の令息レイモンド様が言い放った。レイモンド様の腕には男爵家の令嬢ミランダ様がいた。ミランダ様はピンクのふわふわした髪に赤い大きな瞳、小柄な体躯で庇護欲をそそる美少女。
対する私は銀色の髪に紫の瞳、表情が表に出にくく能面姫と呼ばれています。
レイモンド様がミランダ様に惹かれても仕方ありませんね……ですが。
「貴様は俺が心優しく美しいミランダに好意を抱いたことに嫉妬し、ミランダの教科書を破いたり、階段から突き落とすなどの狼藉を……」
「あの、ちょっとよろしいですか?」
「なんだ!」
レイモンド様が眉間にしわを寄せ私を睨む。
「婚約破棄ですか? 婚約破棄なら昨日成立しましたが、ご存知ありませんでしたか?」
私の言葉にレイモンド様とミランダ様は顔を見合わせ絶句した。
全31話、約43,000文字、完結済み。
他サイトにもアップしています。
小説家になろう、日間ランキング異世界恋愛2位!総合2位!
pixivウィークリーランキング2位に入った作品です。
アルファポリス、恋愛2位、総合2位、HOTランキング2位に入った作品です。
2021/10/23アルファポリス完結ランキング4位に入ってました。ありがとうございます。
「Copyright(C)2021-九十九沢まほろ」
幼馴染以上、婚約者未満の王子と侯爵令嬢の関係
紫月 由良
恋愛
第二王子エインの婚約者は、貴族には珍しい赤茶色の髪を持つ侯爵令嬢のディアドラ。だが彼女の冷たい瞳と無口な性格が気に入らず、エインは婚約者の義兄フィオンとともに彼女を疎んじていた。そんな中、ディアドラが学院内で留学してきた男子学生たちと親しくしているという噂が広まる。注意しに行ったエインは彼女の見知らぬ一面に心を乱された。しかし婚約者の異母兄妹たちの思惑が問題を引き起こして……。
顔と頭が良く性格が悪い男の失恋ストーリー。
※流血シーンがあります。(各話の前書きに注意書き+次話前書きにあらすじがあるので、飛ばし読み可能です)
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる