五寸釘零子は、呪いを受け入れない2

naomikoryo

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第二話:開かずの図書室の花嫁

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 旧校舎は、昼間でも薄暗かった。
 窓はある。
 だが、光が入る前に、どこかで吸われているような感覚がある。

 廊下の床板は軋み、壁には時代遅れの掲示物が色褪せて貼られていた。
 使われなくなってから、もう十年以上。
 だが、完全に捨てられてはいない。
 それが、この建物のいちばん厄介なところだった。

「……ここ、空気が重いですね」

 三杉麗子が、小さく呟いた。

「うん。人の“途中の感情”が、溜まりやすい場所ですぅ」

 五寸釘零子は、いつも通りの間延びした声で答えながら、廊下の奥を見つめていた。

(もう、気づいてる)

 この旧校舎には、複数の怪異がいる。
 だが今、動いているのは一体だけ。
 そしてそれは、とても分かりやすい形をしていた。

 



 

 発端は、図書委員の一年生だった。

 放課後、旧校舎の倉庫整理を命じられ、鍵のかかった図書室の前で作業をしていたところ、
 中から、ページをめくる音が聞こえたという。

 鍵は、開いていない。
 ガラス越しに見えたのは、白い何か。
 それが、棚と棚の間を、ゆっくりと動いていた。

 翌日から、噂は一気に広まった。

「ドレス着てたらしいよ」
「本読んでたって」
「結婚式みたいな白だったって」

 そして、三日後。
 その図書委員は、高熱を出して倒れた。

 



 

「……図書室、開けたことある?」

 零子の問いに、麗子は首を横に振った。

「私が入学した頃には、もう立ち入り禁止でした。
 理由も、正式には……」

「語られない理由、ですねぇ」

 零子は、図書室の扉の前に立った。
 分厚い扉。
 内側から、何かが待っている気配がする。

 

 その瞬間。

 ――コン。

 

 扉の向こうから、ノックの音がした。

 

 麗子の肩が、わずかに跳ねる。

「……今の」

「はいぃ。中からですぅ」

 零子は、まったく動じていなかった。

「でもぉ、これは“呼んでる”音じゃないですねぇ」

「……どういう意味?」

「“確認してる”音ですぅ。
 『私のこと、覚えてる?』って」

 



 

 その夜。

 零子は、朱音から預かった旧資料を読み込んでいた。

 旧校舎の使用記録。
 廃止理由。
 そして――一冊の、古い交換日記。

「……あぁ」

 零子は、納得したように息を吐いた。

(花嫁、だ)

 

 二十年以上前。
 この高校には、非常勤の若い女性司書がいた。
 生徒からも教師からも慕われ、静かな人だった。

 彼女は、同じ学校に勤める男性教師と婚約していた。

 だが――
 式の直前、男性教師は異動。
 理由は「不適切な関係」。

 詳細は伏せられた。
 残されたのは、彼女と生徒の間で交わされていた、読書感想の交換日記だけ。

 そして、結婚は――なかったことになった。

 

(……途中で、終わらされた)

 



 

 翌日の放課後。

 零子と麗子は、再び旧校舎にいた。

 零子は、白い糸を扉の前に張る。
 簡易結界。
 中の存在を“外に出さない”ためのもの。

「……本当に、入るの?」

「はいぃ。
 でも、怖かったら戻ってもいいですよぉ」

 麗子は、はっきりと首を振った。

「……あなたが行くなら、私も行きます」

(……やっぱり、巻き込まれ体質)

 零子は、内心で苦笑した。

 

 鍵が、ひとりでに回る。

 ギィ、と扉が開いた。

 



 

 図書室の中は、異様なほど整然としていた。

 本は埃を被っていない。
 机の上には、白い花。
 そして――

 奥の閲覧席に、白いドレスの女が座っていた。

 顔は伏せられている。
 だが、ページをめくる指は、確かに“生きている”。

 

「……あなた、誰?」

 女が、ゆっくりと顔を上げた。

 そこにあったのは、
 怒りでも、悲しみでもなく――困惑だった。

「……私は……待ってるだけ」

「何を?」

「続きを」

 

 零子は、一歩前に出た。

「交換日記、ですよねぇ」

 女の目が、見開かれる。

「……知ってるの?」

「はいぃ。
 でもぉ、もう、誰も続きを書いてくれないんですぅ」

 

 女の姿が、揺らぐ。

「……嘘。
 約束した。
 結婚しても、ここで読むって」

 

 零子は、静かに五寸釘を取り出した。

 だが、打たない。

「ねえ。
 あなた、本当は分かってますよねぇ」

「……」

「待ってるのは、“人”じゃない。
 途中で終わった自分です」

 

 沈黙。

 やがて、女の肩が震えた。

「……続きを、書いてほしかった」

 

 その瞬間。

 白いドレスが、紙屑のように崩れ落ちた。

 本棚の間に、静かに風が通る。

 



 

 翌朝。

 旧校舎の図書室は、正式に解体が決まった。

 怪異は、消えた。

 

 生徒会室で、麗子がぽつりと言った。

「……呪わなかったのね」

「はいぃ」

「どうして?」

 零子は、少し考えてから答えた。

「呪いってぇ、
 “続きを奪われた人”が、選ぶものなのでぇ」

「……」

「今回は、その人自身が、続きを選ばなかっただけですぅ」

 

 麗子は、静かに微笑んだ。

「……あなた、本当に不思議ね」

「よく言われますぅ」

 

 その頃。

 旧校舎の奥、誰も気づかない場所で。

 別の何かが、ゆっくりと目を開いた。

 

(……ひとつ、減った)

(でも、まだ、いっぱい、ある)

 

 学校に積もった呪いは、まだ、数え切れない。

 

(続く)
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