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第二話:開かずの図書室の花嫁
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旧校舎は、昼間でも薄暗かった。
窓はある。
だが、光が入る前に、どこかで吸われているような感覚がある。
廊下の床板は軋み、壁には時代遅れの掲示物が色褪せて貼られていた。
使われなくなってから、もう十年以上。
だが、完全に捨てられてはいない。
それが、この建物のいちばん厄介なところだった。
「……ここ、空気が重いですね」
三杉麗子が、小さく呟いた。
「うん。人の“途中の感情”が、溜まりやすい場所ですぅ」
五寸釘零子は、いつも通りの間延びした声で答えながら、廊下の奥を見つめていた。
(もう、気づいてる)
この旧校舎には、複数の怪異がいる。
だが今、動いているのは一体だけ。
そしてそれは、とても分かりやすい形をしていた。
◆
発端は、図書委員の一年生だった。
放課後、旧校舎の倉庫整理を命じられ、鍵のかかった図書室の前で作業をしていたところ、
中から、ページをめくる音が聞こえたという。
鍵は、開いていない。
ガラス越しに見えたのは、白い何か。
それが、棚と棚の間を、ゆっくりと動いていた。
翌日から、噂は一気に広まった。
「ドレス着てたらしいよ」
「本読んでたって」
「結婚式みたいな白だったって」
そして、三日後。
その図書委員は、高熱を出して倒れた。
◆
「……図書室、開けたことある?」
零子の問いに、麗子は首を横に振った。
「私が入学した頃には、もう立ち入り禁止でした。
理由も、正式には……」
「語られない理由、ですねぇ」
零子は、図書室の扉の前に立った。
分厚い扉。
内側から、何かが待っている気配がする。
その瞬間。
――コン。
扉の向こうから、ノックの音がした。
麗子の肩が、わずかに跳ねる。
「……今の」
「はいぃ。中からですぅ」
零子は、まったく動じていなかった。
「でもぉ、これは“呼んでる”音じゃないですねぇ」
「……どういう意味?」
「“確認してる”音ですぅ。
『私のこと、覚えてる?』って」
◆
その夜。
零子は、朱音から預かった旧資料を読み込んでいた。
旧校舎の使用記録。
廃止理由。
そして――一冊の、古い交換日記。
「……あぁ」
零子は、納得したように息を吐いた。
(花嫁、だ)
二十年以上前。
この高校には、非常勤の若い女性司書がいた。
生徒からも教師からも慕われ、静かな人だった。
彼女は、同じ学校に勤める男性教師と婚約していた。
だが――
式の直前、男性教師は異動。
理由は「不適切な関係」。
詳細は伏せられた。
残されたのは、彼女と生徒の間で交わされていた、読書感想の交換日記だけ。
そして、結婚は――なかったことになった。
(……途中で、終わらされた)
◆
翌日の放課後。
零子と麗子は、再び旧校舎にいた。
零子は、白い糸を扉の前に張る。
簡易結界。
中の存在を“外に出さない”ためのもの。
「……本当に、入るの?」
「はいぃ。
でも、怖かったら戻ってもいいですよぉ」
麗子は、はっきりと首を振った。
「……あなたが行くなら、私も行きます」
(……やっぱり、巻き込まれ体質)
零子は、内心で苦笑した。
鍵が、ひとりでに回る。
ギィ、と扉が開いた。
◆
図書室の中は、異様なほど整然としていた。
本は埃を被っていない。
机の上には、白い花。
そして――
奥の閲覧席に、白いドレスの女が座っていた。
顔は伏せられている。
だが、ページをめくる指は、確かに“生きている”。
「……あなた、誰?」
女が、ゆっくりと顔を上げた。
そこにあったのは、
怒りでも、悲しみでもなく――困惑だった。
「……私は……待ってるだけ」
「何を?」
「続きを」
零子は、一歩前に出た。
「交換日記、ですよねぇ」
女の目が、見開かれる。
「……知ってるの?」
「はいぃ。
でもぉ、もう、誰も続きを書いてくれないんですぅ」
女の姿が、揺らぐ。
「……嘘。
約束した。
結婚しても、ここで読むって」
零子は、静かに五寸釘を取り出した。
だが、打たない。
「ねえ。
あなた、本当は分かってますよねぇ」
「……」
「待ってるのは、“人”じゃない。
途中で終わった自分です」
沈黙。
やがて、女の肩が震えた。
「……続きを、書いてほしかった」
その瞬間。
白いドレスが、紙屑のように崩れ落ちた。
本棚の間に、静かに風が通る。
◆
翌朝。
旧校舎の図書室は、正式に解体が決まった。
怪異は、消えた。
生徒会室で、麗子がぽつりと言った。
「……呪わなかったのね」
「はいぃ」
「どうして?」
零子は、少し考えてから答えた。
「呪いってぇ、
“続きを奪われた人”が、選ぶものなのでぇ」
「……」
「今回は、その人自身が、続きを選ばなかっただけですぅ」
麗子は、静かに微笑んだ。
「……あなた、本当に不思議ね」
「よく言われますぅ」
その頃。
旧校舎の奥、誰も気づかない場所で。
別の何かが、ゆっくりと目を開いた。
(……ひとつ、減った)
(でも、まだ、いっぱい、ある)
学校に積もった呪いは、まだ、数え切れない。
(続く)
窓はある。
だが、光が入る前に、どこかで吸われているような感覚がある。
廊下の床板は軋み、壁には時代遅れの掲示物が色褪せて貼られていた。
使われなくなってから、もう十年以上。
だが、完全に捨てられてはいない。
それが、この建物のいちばん厄介なところだった。
「……ここ、空気が重いですね」
三杉麗子が、小さく呟いた。
「うん。人の“途中の感情”が、溜まりやすい場所ですぅ」
五寸釘零子は、いつも通りの間延びした声で答えながら、廊下の奥を見つめていた。
(もう、気づいてる)
この旧校舎には、複数の怪異がいる。
だが今、動いているのは一体だけ。
そしてそれは、とても分かりやすい形をしていた。
◆
発端は、図書委員の一年生だった。
放課後、旧校舎の倉庫整理を命じられ、鍵のかかった図書室の前で作業をしていたところ、
中から、ページをめくる音が聞こえたという。
鍵は、開いていない。
ガラス越しに見えたのは、白い何か。
それが、棚と棚の間を、ゆっくりと動いていた。
翌日から、噂は一気に広まった。
「ドレス着てたらしいよ」
「本読んでたって」
「結婚式みたいな白だったって」
そして、三日後。
その図書委員は、高熱を出して倒れた。
◆
「……図書室、開けたことある?」
零子の問いに、麗子は首を横に振った。
「私が入学した頃には、もう立ち入り禁止でした。
理由も、正式には……」
「語られない理由、ですねぇ」
零子は、図書室の扉の前に立った。
分厚い扉。
内側から、何かが待っている気配がする。
その瞬間。
――コン。
扉の向こうから、ノックの音がした。
麗子の肩が、わずかに跳ねる。
「……今の」
「はいぃ。中からですぅ」
零子は、まったく動じていなかった。
「でもぉ、これは“呼んでる”音じゃないですねぇ」
「……どういう意味?」
「“確認してる”音ですぅ。
『私のこと、覚えてる?』って」
◆
その夜。
零子は、朱音から預かった旧資料を読み込んでいた。
旧校舎の使用記録。
廃止理由。
そして――一冊の、古い交換日記。
「……あぁ」
零子は、納得したように息を吐いた。
(花嫁、だ)
二十年以上前。
この高校には、非常勤の若い女性司書がいた。
生徒からも教師からも慕われ、静かな人だった。
彼女は、同じ学校に勤める男性教師と婚約していた。
だが――
式の直前、男性教師は異動。
理由は「不適切な関係」。
詳細は伏せられた。
残されたのは、彼女と生徒の間で交わされていた、読書感想の交換日記だけ。
そして、結婚は――なかったことになった。
(……途中で、終わらされた)
◆
翌日の放課後。
零子と麗子は、再び旧校舎にいた。
零子は、白い糸を扉の前に張る。
簡易結界。
中の存在を“外に出さない”ためのもの。
「……本当に、入るの?」
「はいぃ。
でも、怖かったら戻ってもいいですよぉ」
麗子は、はっきりと首を振った。
「……あなたが行くなら、私も行きます」
(……やっぱり、巻き込まれ体質)
零子は、内心で苦笑した。
鍵が、ひとりでに回る。
ギィ、と扉が開いた。
◆
図書室の中は、異様なほど整然としていた。
本は埃を被っていない。
机の上には、白い花。
そして――
奥の閲覧席に、白いドレスの女が座っていた。
顔は伏せられている。
だが、ページをめくる指は、確かに“生きている”。
「……あなた、誰?」
女が、ゆっくりと顔を上げた。
そこにあったのは、
怒りでも、悲しみでもなく――困惑だった。
「……私は……待ってるだけ」
「何を?」
「続きを」
零子は、一歩前に出た。
「交換日記、ですよねぇ」
女の目が、見開かれる。
「……知ってるの?」
「はいぃ。
でもぉ、もう、誰も続きを書いてくれないんですぅ」
女の姿が、揺らぐ。
「……嘘。
約束した。
結婚しても、ここで読むって」
零子は、静かに五寸釘を取り出した。
だが、打たない。
「ねえ。
あなた、本当は分かってますよねぇ」
「……」
「待ってるのは、“人”じゃない。
途中で終わった自分です」
沈黙。
やがて、女の肩が震えた。
「……続きを、書いてほしかった」
その瞬間。
白いドレスが、紙屑のように崩れ落ちた。
本棚の間に、静かに風が通る。
◆
翌朝。
旧校舎の図書室は、正式に解体が決まった。
怪異は、消えた。
生徒会室で、麗子がぽつりと言った。
「……呪わなかったのね」
「はいぃ」
「どうして?」
零子は、少し考えてから答えた。
「呪いってぇ、
“続きを奪われた人”が、選ぶものなのでぇ」
「……」
「今回は、その人自身が、続きを選ばなかっただけですぅ」
麗子は、静かに微笑んだ。
「……あなた、本当に不思議ね」
「よく言われますぅ」
その頃。
旧校舎の奥、誰も気づかない場所で。
別の何かが、ゆっくりと目を開いた。
(……ひとつ、減った)
(でも、まだ、いっぱい、ある)
学校に積もった呪いは、まだ、数え切れない。
(続く)
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