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第三話:首なし音楽室
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音楽室は、夜になると音が残る。
それは比喩ではなく、本当に「残る」。
昼間に鳴らされた音が、夜になっても消えきらず、空気の中に薄く沈殿している。
旧校舎二階。
使われなくなった音楽室。
そこでは最近、誰もいないはずの時間に、ピアノの音が鳴るという噂が立っていた。
◆
発端は、吹奏楽部の一年生だった。
部活帰り、忘れ物を取りに旧校舎へ戻ったとき、
窓越しに音楽室の中を見てしまった。
グランドピアノ。
鍵盤の前に、誰かが座っている。
制服姿。
だが――
「……首、なかったんです」
震える声で、彼はそう証言した。
◆
「首なし、ですかぁ」
零子は、軽い調子で言った。
「典型的ですねぇ。
音楽室といえば、首か手か、どちらかが欠けるのが定番ですぅ」
「……定番って言わないで」
三杉麗子は、珍しく顔をしかめていた。
生徒会室の窓から、旧校舎が見える。
夕暮れの中、あの建物だけが、微妙に色を持っていないように見えた。
「首がない、というのは」
零子は、黒板に指で円を描く。
「“声を奪われた”存在の象徴ですぅ」
「声?」
「はいぃ。
言葉、名前、記録、評価。
そういうものを切り落とされた人」
◆
調査は、夜に行われた。
朱音は教師として立ち会う形を取り、
麗子は生徒会長権限で同行していた。
(……完全に普通じゃない状況だけど)
(もう、今さらね)
音楽室の扉は、簡単に開いた。
鍵はかかっていない。
だが、開けた瞬間、冷たい空気が流れ出してくる。
中に入ると、ピアノの蓋が開いていた。
楽譜台には、一枚の古い楽譜。
「……校歌?」
朱音が呟いた。
「はいぃ。
でも、今のとは違いますねぇ」
その瞬間。
――ポロン。
誰も触れていない鍵盤が、ひとつ鳴った。
◆
ピアノの前に、影が現れた。
制服でも、教師の服でもない。
古いスーツ姿の男。
首が、ない。
だが、音は鳴る。
鍵盤を叩くたびに、空気が震える。
「……あなた、誰?」
麗子が、震えを抑えて問いかけた。
男は、演奏をやめない。
音は、確かに“歌”だった。
だが、途中で途切れる。
何度も、何度も。
(……完成してない)
零子は、ゆっくりと前に出た。
「あなた、校歌を作った人ですねぇ」
ピアノの音が、止まる。
「でもぉ、その校歌、
途中で差し替えられた」
男の身体が、わずかに揺れた。
「名前も、功績も、
学校の記録から消された」
床が、ギシ、と鳴る。
空気が重くなる。
「……それで、首が落ちた」
◆
男の身体から、黒い靄が立ち上る。
音楽室の壁に、無数の譜面が浮かび上がった。
書かれては消え、消えては書かれる旋律。
零子は、静かに一歩前へ出た。
その瞬間、音楽室の空気が変わる。
湿った冷気が引き、代わりに、張りつめた静寂が広がった。
「……ここからは、ちゃんとした“作法”でいきますねぇ」
零子がそう言って、軽く息を吐く。
すると――
彼女の制服が、ふっと風に溶けるように消えた。
代わりに現れたのは、
ゆったりとした白装束。
袖は広く、布は柔らかく揺れ、
床に触れそうなほどの裾が、音もなく広がる。
次の瞬間。
零子は、自分の額に、赤い布を巻いた。
赤いハチマキ。
それは戦いの印のようであり、
祈りの境界線のようでもあった。
そして――
どこからともなく、赤い布が舞い降りる。
背中から肩へ、
身体を包むように、赤い羽衣がふわりと絡みついた。
その姿を見た瞬間。
三杉麗子は、言葉を失った。
(……なに、これ……)
白と赤。
相反する色が、零子の身体の上で完璧な調和を見せている。
神聖で、
危うくて、
そして――美しすぎた。
「……天女みたい……」
思わず、声が漏れた。
零子は、振り返らない。
ただ、静かに五寸釘を手に取る。
「この人は、怒ってません」
首のない男の前に立ち、零子は言った。
「……ただ、
最後まで、聴いてほしかっただけ」
五寸釘が、淡く光る。
それは呪いを刺すための道具ではなく、
終止符を打つための鍵だった。
零子は、空中に“見えない楽譜”を描く。
「声なき者に、旋律を」
「名なき者に、終わりを」
――トン。
五寸釘が、空気そのものに打ち込まれた。
その瞬間。
音楽室いっぱいに、旋律が溢れ出す。
途中で切られた校歌。
忘れられた音。
誰にも評価されなかった仕事。
それらが、最後まで、きちんと鳴った。
首のない男は、ゆっくりと立ち上がり――
その輪郭を、音の中に溶かしていった。
「……ありがとう」
確かに、そう聞こえた。
赤い羽衣が、ふわりと宙を舞い、消える。
白装束も、静かにほどけていく。
気づけば、零子は元の姿に戻っていた。
◆
しばらく、誰も言葉を発せなかった。
やがて、麗子が、震える声で言った。
「……やっぱり……天女、ですよね……?」
「やめてくださいよぉ~」
零子は、いつもの調子で照れたように笑った。
「そんな大層なものじゃないですぅ」
けれど。
麗子の胸の奥では、確信が芽生えていた。
(この子は……
人じゃない何かと、人のあいだに立つ存在)
そして同時に。
全力で推すべき存在だ、と。
(続く)
それは比喩ではなく、本当に「残る」。
昼間に鳴らされた音が、夜になっても消えきらず、空気の中に薄く沈殿している。
旧校舎二階。
使われなくなった音楽室。
そこでは最近、誰もいないはずの時間に、ピアノの音が鳴るという噂が立っていた。
◆
発端は、吹奏楽部の一年生だった。
部活帰り、忘れ物を取りに旧校舎へ戻ったとき、
窓越しに音楽室の中を見てしまった。
グランドピアノ。
鍵盤の前に、誰かが座っている。
制服姿。
だが――
「……首、なかったんです」
震える声で、彼はそう証言した。
◆
「首なし、ですかぁ」
零子は、軽い調子で言った。
「典型的ですねぇ。
音楽室といえば、首か手か、どちらかが欠けるのが定番ですぅ」
「……定番って言わないで」
三杉麗子は、珍しく顔をしかめていた。
生徒会室の窓から、旧校舎が見える。
夕暮れの中、あの建物だけが、微妙に色を持っていないように見えた。
「首がない、というのは」
零子は、黒板に指で円を描く。
「“声を奪われた”存在の象徴ですぅ」
「声?」
「はいぃ。
言葉、名前、記録、評価。
そういうものを切り落とされた人」
◆
調査は、夜に行われた。
朱音は教師として立ち会う形を取り、
麗子は生徒会長権限で同行していた。
(……完全に普通じゃない状況だけど)
(もう、今さらね)
音楽室の扉は、簡単に開いた。
鍵はかかっていない。
だが、開けた瞬間、冷たい空気が流れ出してくる。
中に入ると、ピアノの蓋が開いていた。
楽譜台には、一枚の古い楽譜。
「……校歌?」
朱音が呟いた。
「はいぃ。
でも、今のとは違いますねぇ」
その瞬間。
――ポロン。
誰も触れていない鍵盤が、ひとつ鳴った。
◆
ピアノの前に、影が現れた。
制服でも、教師の服でもない。
古いスーツ姿の男。
首が、ない。
だが、音は鳴る。
鍵盤を叩くたびに、空気が震える。
「……あなた、誰?」
麗子が、震えを抑えて問いかけた。
男は、演奏をやめない。
音は、確かに“歌”だった。
だが、途中で途切れる。
何度も、何度も。
(……完成してない)
零子は、ゆっくりと前に出た。
「あなた、校歌を作った人ですねぇ」
ピアノの音が、止まる。
「でもぉ、その校歌、
途中で差し替えられた」
男の身体が、わずかに揺れた。
「名前も、功績も、
学校の記録から消された」
床が、ギシ、と鳴る。
空気が重くなる。
「……それで、首が落ちた」
◆
男の身体から、黒い靄が立ち上る。
音楽室の壁に、無数の譜面が浮かび上がった。
書かれては消え、消えては書かれる旋律。
零子は、静かに一歩前へ出た。
その瞬間、音楽室の空気が変わる。
湿った冷気が引き、代わりに、張りつめた静寂が広がった。
「……ここからは、ちゃんとした“作法”でいきますねぇ」
零子がそう言って、軽く息を吐く。
すると――
彼女の制服が、ふっと風に溶けるように消えた。
代わりに現れたのは、
ゆったりとした白装束。
袖は広く、布は柔らかく揺れ、
床に触れそうなほどの裾が、音もなく広がる。
次の瞬間。
零子は、自分の額に、赤い布を巻いた。
赤いハチマキ。
それは戦いの印のようであり、
祈りの境界線のようでもあった。
そして――
どこからともなく、赤い布が舞い降りる。
背中から肩へ、
身体を包むように、赤い羽衣がふわりと絡みついた。
その姿を見た瞬間。
三杉麗子は、言葉を失った。
(……なに、これ……)
白と赤。
相反する色が、零子の身体の上で完璧な調和を見せている。
神聖で、
危うくて、
そして――美しすぎた。
「……天女みたい……」
思わず、声が漏れた。
零子は、振り返らない。
ただ、静かに五寸釘を手に取る。
「この人は、怒ってません」
首のない男の前に立ち、零子は言った。
「……ただ、
最後まで、聴いてほしかっただけ」
五寸釘が、淡く光る。
それは呪いを刺すための道具ではなく、
終止符を打つための鍵だった。
零子は、空中に“見えない楽譜”を描く。
「声なき者に、旋律を」
「名なき者に、終わりを」
――トン。
五寸釘が、空気そのものに打ち込まれた。
その瞬間。
音楽室いっぱいに、旋律が溢れ出す。
途中で切られた校歌。
忘れられた音。
誰にも評価されなかった仕事。
それらが、最後まで、きちんと鳴った。
首のない男は、ゆっくりと立ち上がり――
その輪郭を、音の中に溶かしていった。
「……ありがとう」
確かに、そう聞こえた。
赤い羽衣が、ふわりと宙を舞い、消える。
白装束も、静かにほどけていく。
気づけば、零子は元の姿に戻っていた。
◆
しばらく、誰も言葉を発せなかった。
やがて、麗子が、震える声で言った。
「……やっぱり……天女、ですよね……?」
「やめてくださいよぉ~」
零子は、いつもの調子で照れたように笑った。
「そんな大層なものじゃないですぅ」
けれど。
麗子の胸の奥では、確信が芽生えていた。
(この子は……
人じゃない何かと、人のあいだに立つ存在)
そして同時に。
全力で推すべき存在だ、と。
(続く)
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