五寸釘零子は、呪いを受け入れない2

naomikoryo

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第三話:首なし音楽室

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 音楽室は、夜になると音が残る。

 それは比喩ではなく、本当に「残る」。
 昼間に鳴らされた音が、夜になっても消えきらず、空気の中に薄く沈殿している。

 旧校舎二階。
 使われなくなった音楽室。

 そこでは最近、誰もいないはずの時間に、ピアノの音が鳴るという噂が立っていた。

 



 

 発端は、吹奏楽部の一年生だった。

 部活帰り、忘れ物を取りに旧校舎へ戻ったとき、
 窓越しに音楽室の中を見てしまった。

 グランドピアノ。
 鍵盤の前に、誰かが座っている。

 制服姿。
 だが――

「……首、なかったんです」

 震える声で、彼はそう証言した。

 



 

「首なし、ですかぁ」

 零子は、軽い調子で言った。

「典型的ですねぇ。
 音楽室といえば、首か手か、どちらかが欠けるのが定番ですぅ」

「……定番って言わないで」

 三杉麗子は、珍しく顔をしかめていた。

 生徒会室の窓から、旧校舎が見える。
 夕暮れの中、あの建物だけが、微妙に色を持っていないように見えた。

 

「首がない、というのは」

 零子は、黒板に指で円を描く。

「“声を奪われた”存在の象徴ですぅ」

「声?」

「はいぃ。
 言葉、名前、記録、評価。
 そういうものを切り落とされた人」

 



 

 調査は、夜に行われた。

 朱音は教師として立ち会う形を取り、
 麗子は生徒会長権限で同行していた。

(……完全に普通じゃない状況だけど)

(もう、今さらね)

 

 音楽室の扉は、簡単に開いた。

 鍵はかかっていない。
 だが、開けた瞬間、冷たい空気が流れ出してくる。

 

 中に入ると、ピアノの蓋が開いていた。

 楽譜台には、一枚の古い楽譜。

「……校歌?」

 朱音が呟いた。

「はいぃ。
 でも、今のとは違いますねぇ」

 

 その瞬間。

 ――ポロン。

 

 誰も触れていない鍵盤が、ひとつ鳴った。

 



 

 ピアノの前に、影が現れた。

 制服でも、教師の服でもない。
 古いスーツ姿の男。

 首が、ない。

 

 だが、音は鳴る。

 鍵盤を叩くたびに、空気が震える。

 

「……あなた、誰?」

 麗子が、震えを抑えて問いかけた。

 

 男は、演奏をやめない。

 音は、確かに“歌”だった。

 だが、途中で途切れる。
 何度も、何度も。

 

(……完成してない)

 

 零子は、ゆっくりと前に出た。

「あなた、校歌を作った人ですねぇ」

 

 ピアノの音が、止まる。

 

「でもぉ、その校歌、
 途中で差し替えられた」

 

 男の身体が、わずかに揺れた。

 

「名前も、功績も、
 学校の記録から消された」

 

 床が、ギシ、と鳴る。

 空気が重くなる。

 

「……それで、首が落ちた」

 



 

 男の身体から、黒い靄が立ち上る。

 音楽室の壁に、無数の譜面が浮かび上がった。

 書かれては消え、消えては書かれる旋律。

 

 零子は、静かに一歩前へ出た。

 その瞬間、音楽室の空気が変わる。

 湿った冷気が引き、代わりに、張りつめた静寂が広がった。

 

「……ここからは、ちゃんとした“作法”でいきますねぇ」

 

 零子がそう言って、軽く息を吐く。

 すると――

 

 彼女の制服が、ふっと風に溶けるように消えた。

 

 代わりに現れたのは、
 ゆったりとした白装束。

 袖は広く、布は柔らかく揺れ、
 床に触れそうなほどの裾が、音もなく広がる。

 

 次の瞬間。

 零子は、自分の額に、赤い布を巻いた。

 赤いハチマキ。

 それは戦いの印のようであり、
 祈りの境界線のようでもあった。

 

 そして――

 どこからともなく、赤い布が舞い降りる。

 背中から肩へ、
 身体を包むように、赤い羽衣がふわりと絡みついた。

 

 その姿を見た瞬間。

 三杉麗子は、言葉を失った。

 

(……なに、これ……)

 

 白と赤。

 相反する色が、零子の身体の上で完璧な調和を見せている。

 神聖で、
 危うくて、
 そして――美しすぎた。

 

「……天女みたい……」

 

 思わず、声が漏れた。

 

 零子は、振り返らない。

 ただ、静かに五寸釘を手に取る。

 

「この人は、怒ってません」

 

 首のない男の前に立ち、零子は言った。

 

「……ただ、
 最後まで、聴いてほしかっただけ」

 

 五寸釘が、淡く光る。

 それは呪いを刺すための道具ではなく、
 終止符を打つための鍵だった。

 

 零子は、空中に“見えない楽譜”を描く。

 

「声なき者に、旋律を」
「名なき者に、終わりを」

 

 ――トン。

 

 五寸釘が、空気そのものに打ち込まれた。

 

 その瞬間。

 音楽室いっぱいに、旋律が溢れ出す。

 途中で切られた校歌。
 忘れられた音。
 誰にも評価されなかった仕事。

 それらが、最後まで、きちんと鳴った。

 

 首のない男は、ゆっくりと立ち上がり――
 その輪郭を、音の中に溶かしていった。

 

「……ありがとう」

 

 確かに、そう聞こえた。

 

 赤い羽衣が、ふわりと宙を舞い、消える。

 白装束も、静かにほどけていく。

 

 気づけば、零子は元の姿に戻っていた。

 



 

 しばらく、誰も言葉を発せなかった。

 やがて、麗子が、震える声で言った。

 

「……やっぱり……天女、ですよね……?」

「やめてくださいよぉ~」

 零子は、いつもの調子で照れたように笑った。

「そんな大層なものじゃないですぅ」

 

 けれど。

 麗子の胸の奥では、確信が芽生えていた。

 

(この子は……
 人じゃない何かと、人のあいだに立つ存在)

 

 そして同時に。

 全力で推すべき存在だ、と。
 

(続く)
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