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第10話『たっくん、書記を超える』

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日曜日の昼下がり。
 
団地の広場では、すでに“秋の入り口”が見え始めていた。
 
セミが去って、風が金木犀の匂いを連れてくる。
木の葉はほんのり色づきはじめ、日向と日陰の境目がくっきりしていた。
 
たっくんは、いつものようにポストの鍵を握りしめ、
たぬきの胸元に手を伸ばした。
 
カチ。
 
今日は、三通。
 
たぬきの中から出てきた便箋のうち、一通が目を引いた。
封筒もない、ただのコピー用紙の裏に、短くこう書かれていた。

 
【投稿:無記名】

ひとり暮らしです。
最近、夜が長く感じます。
テレビも飽きました。
本も集中できません。

音がないのが、つらいです。
ラジオも電池が切れました。

たぬきさんは、夜、さみしくないですか。

 
(……音がない)
 
その言葉が、たっくんの心に妙に残った。
 
誰の声かは分からない。
 
でも、そこには明らかに“誰かの気配”があった。
 
(夜って、静かで、いい時間なのに)
(その静けさが“つらい”って思う人もいるんだ)
 
(そうか……音が、なくて)
 
(ラジオも、壊れて……)
 
たっくんは、そっと目を閉じた。
 
自分の夜を思い出す。
 
学校が終わって、家事をして、ごはんを作って、お父さんとテレビを見て、
自分の部屋で少しパソコンをして、布団に入る。

 (ぼくの夜は、案外にぎやかだ)
 
(だけど、ひとりで住んでる誰かの夜は)
(時計の音だけが、トク……トク……って響いてるのかもしれない)
 
(それって)
 
(たしかに、ちょっと……こわいかもしれない)

 
***
 

「……で、たっくんはどうしたいの?」
 
月曜日の放課後、公民館の事務所。
 
田所さんが紅茶のティーバッグをカップに浸しながら、たっくんの話を聞いていた。
 
「なんか、“お返事”だけじゃ足りない気がして」
 
「ふむ」
 
「“夜がつらい”っていうのは、困りごとっていうより……気持ちの話だと思うんです」
 
「ええ、そうね」
 
「それに、電池切れのラジオって、なんか象徴的じゃないですか?」
 
「象徴的?」
 
「あ、いえ……なんか、ひとりで話しかけてくれるものが壊れちゃった、って感じがして」
 
「うん、わかるわ」
 
田所さんは、静かに微笑んでから、口を開いた。
 
「ねえ、たっくん。あなたって、本当に小学三年生?」
 
「……よく言われます」
 
「でも、たっくんが“大人”に見えるのは、難しい言葉を使うからじゃなくてね」
 
「はい?」
 
「人の“声にならない気持ち”に気づけるからよ」
 
(……なんか、今、ほめられた)
 
(でも、ちょっと背中がムズムズする)

 
***

 
「で、その人に“音”を届けるって、どうやるの?」
 
のぞみは、公園のブランコに座りながら、たっくんに尋ねた。
 
「CD配るとか?」
 
「いや、それはちょっと押しつけがましい」
 
「じゃあ、回覧板に“今週のおすすめ番組”を載せる?」
 
「……うーん、それも違う気がする」
 
「たぬきにしゃべらせるとか?」
 
「それ、夜中にしゃべったら完全にホラーだよ」
 
たっくんは、ブランコの鉄柱にもたれながら、腕を組んだ。
 
(“音”じゃなくて、“つながりの音”……)
 
(つまり、“誰かがどこかで生きてる音”)
 
(その人が、夜の中でポツンと孤立しないようにするには……)
 
そのとき、ふと目に入ったのは、団地の掲示板に貼られた“にじやの夕市チラシ”だった。
 
「……あ」
 
「たっくん、またその顔してる」
 
「どの顔」
 
「“ひらめいたときのイケメン顔”」
 
「……言い方」
 
「で、何思いついたの?」
 
たっくんは、ポンと手を打った。
 
「“声の回覧板”」
 
「え?」
 
「紙じゃなくて、音の回覧板」
 
「なにそれ、こわい」
 
「ちがう、こわくない。そういう仕組みを作るの」
 

***
 

その夜、たっくんは新しいプロジェクトの企画書を書いた。
 
タイトルは『ひかりが丘・となりの声ラジオ』。

内容はこうだ。

【週一回】、町内の“たぬきのとなり便”から数通をピックアップし、
 簡易録音した音声を、公民館の掲示板QRコードで再生できるようにする。

 スマホやタブレットが使える人は、そこから聞ける。
 公民館でCDに焼いたものを、希望者に貸し出すことも可能。

 ナレーターは、団地住人の持ち回り。(例:田所さん、棟梁、のぞみ etc.)

「誰かがどこかで、生きてる音がする」そんな“やさしい夜の音”を届ける。
 
(……どうだろう)
 
(ちょっと子どもっぽいかもしれないけど)
 
(でも、“音がつらい”って言った人に、これが届いたら……)
 
たっくんは、そっと目を閉じてつぶやいた。
 
「夜の静けさに、ひとつ“声”を足すだけで、さびしさって減るかもしれない」
 

***
 

そして
――次の週。

『となりの声ラジオ Vol.1』の再生用QRコードが、掲示板に設置された。

ナレーター第1号は、田所さん。

内容は、たっくんが選んだ「となり便」三通の朗読と、たぬきの音まね(のぞみ担当)、
最後にたっくんの声でこう締めくくられていた。
 

「きょうもだれかが、
何かを食べて、
何かに笑って、
何かをこぼして、
それでも生きています。

ぼくも、あなたも、
おやすみなさい」
 

掲示板の前に立って、スマホを耳に当てていた老婆が、しばらく黙っていたあと、
たぬきの頭をぽん、と撫でた。
 
「……ありがとうねぇ」
 
それを見ていたたっくんは、胸の奥にぽわっと、静かで大きな火が灯るのを感じた。
 
(ぼく、“書記”をやってるんじゃなくて)
(“町の声の場所”を作ってるんだ)
 
たぬきが、いつもより、ちょっとだけ満足そうに笑って見えた。

 
―――つづく
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