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第98話『新月前夜の支度』
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火災の鎮圧から一日が経った。
市街地の被害は最小限に留まり、クロス組の迅速な対応と、理式による火流制御が高く評価された。
市政局からは正式な感謝状と供物が届けられ、校長はカイに「勝手にやるな」と言いながら、誰よりも早く礼を言ったらしい。
だが、カイは浮かれなかった。
(あれは前哨戦や。問題は……三日目)
“境の門”は、理と理の狭間に生じる細い路。
それを通るには、ただの魔力では足りない。
流束と、式の精度と、そして何より「迷いのない選択」が要る。
今日の課題はその準備やった。
◆◇◆
湖。
学園の北西、森を抜けた先にある古い小さな湖畔。
人の気配は薄く、静寂だけが水面に落ちていた。
湖畔の傍ら、苔むした石造りの礼拝堂がぽつんと建っている。
「……ここやな」
カイは地面に膝をつき、掌で苔の下を撫でた。
浮かび上がるように現れる、細い魔印の残滓。
「レイラインが交差しとる。地の理と、水の理が重なっとる場所や」
リリシアがゆっくりと頷く。
「父の言っていた“古い小聖堂”の条件、ここが最も近い。
水の歌がまだ生きてる。魔界側と、わずかに共鳴してるのが分かる」
「魔力は弱いけど、流れとる。……こっち側に門を開くなら、ここしかないな」
ルーティアが礼拝堂の扉を押すと、わずかに軋んだ音がした。
中は薄暗く、窓はない。
だが、不思議と空気は腐っていなかった。
「きれい……」
リリシアが思わず漏らす。
祈りの場は壊れておらず、中央の台座には古びた聖石が残されていた。
ルーティアが剣の鞘を床に立て、慎重に言葉を選ぶ。
「敵に先回りされる可能性は?」
「今のところ、印も術も無い。けど、目印になるもんは全部消して帰ろう」
カイが掌で床の魔印を撫で、式で“視認不能化”の膜を重ねる。
淡い光がふっと消えた。
「帰る時は式を解いてから。道は“新月”の瞬間にしか開かん」
「それまでに準備……整えないと」
リリシアがそう言ったとき、風が一陣、扉の隙間から吹き込んだ。
◆◇◆
帰路の途中。
ルーティアが立ち止まり、リリシアの肩に手をかけた。
「……護衛の件、話し合いましょうか」
「ゴルムを、と考えています」
「やはり。通行止め要員としては最適ね。……でも、あの人、浮きません?」
「“浮輪”は要らないって言ってました」
「言ってたの……」
二人でくすくすと笑う。
重かった空気が、少しだけ緩んだ。
「選んでくれて、ありがとう」
リリシアがふと呟いた。
「なにを?」
「私を、置いていかなかったこと」
ルーティアの目が少しだけ驚きを見せた。
「……置いて行く理由、あります?」
「怖がられるかと、思ったんです。私が“あの姿”になったこと、見て」
「“旦那様”を助けた人でしょう? なら、それで充分」
即答だった。
それ以上、言葉はいらなかった。
◆◇◆
学園へ戻ると、クロス組の面々はすでに理手の改良作業に入っていた。
双子は「関節反動のバネ設計」に熱中し、メリルは紅茶ユニットのパイプに小さな花模様を描いている。
ツェイルは黙々と影糸を整理し、カサは黒板の隅で幻膜による投影調整をしていた。
ゴルムは既に準備完了とばかりに、背中に防壁盾を背負って黙って立っている。
「通行、確認中や」
「それ立哨モードか、ゴルム」
「待機や。突撃許可、まだやし」
カイは笑って理手の手首を軽く回す。
今では、掌の開閉は八割まで制御できるようになっていた。
それでも、紅茶ユニットだけは──
「まだ実装できてへんか……」
「まだってことは、やる気満々ですのね」
ルーティアが眉を寄せたが、メリルが後ろで親指を立てる。
「先生、配管通しましたよ!
温度調整は紅茶専用設計で!」
「実装する気満々やないの……」
教室の空気は笑いに満ちていた。
だが、その中でもリリシアは静かにノートを閉じる。
「先生。……“歌”について、皆にも話すべきです」
教室が静かになる。
「禁呪“リバイア―”は、私の魂──“歌”を削る術です。
もう一度使えば、命に関わる」
カイが立ち上がった。
「……言うてくれて、ありがとうな」
その一言で、リリシアの瞳がわずかに揺れた。
「せやけど、君が命削って得たもんは、ワイの命や。
これからは、ワイが君らのために戦う番や」
「先生……」
「そのための義手や。
“理手”は、君ら全員の力でできとる。
せやから、みんなで作ったもんで、みんなを守る。
――それが、ワイの筋や」
静かな拍手が鳴った。
ルーティアが、一拍置いてから手を打ち始める。
双子がそれに続き、メリルが手を叩いて叫んだ。
「先生、かっこよすぎ!」
「泣ける……」
「紅茶はまだですけど!」
「いらんねん、それは!」
◆◇◆
夕刻。
塔の上からは、湖の方角がかすかに見えた。
小さな光の筋が、まだ薄く揺れている。
カイはその方向を見ながら、静かに言った。
「三日後。
この空の下に、魔界の門が開く。
行くで、みんな」
その隣に、ルーティアとリリシアが並ぶ。
二人はまだ競い合いながら、しかし今は同じ方向を見ていた。
境の門。
理と理の間に開かれる、わずかな道。
そこに辿り着けるかどうかは、これからの“準備”にかかっている。
市街地の被害は最小限に留まり、クロス組の迅速な対応と、理式による火流制御が高く評価された。
市政局からは正式な感謝状と供物が届けられ、校長はカイに「勝手にやるな」と言いながら、誰よりも早く礼を言ったらしい。
だが、カイは浮かれなかった。
(あれは前哨戦や。問題は……三日目)
“境の門”は、理と理の狭間に生じる細い路。
それを通るには、ただの魔力では足りない。
流束と、式の精度と、そして何より「迷いのない選択」が要る。
今日の課題はその準備やった。
◆◇◆
湖。
学園の北西、森を抜けた先にある古い小さな湖畔。
人の気配は薄く、静寂だけが水面に落ちていた。
湖畔の傍ら、苔むした石造りの礼拝堂がぽつんと建っている。
「……ここやな」
カイは地面に膝をつき、掌で苔の下を撫でた。
浮かび上がるように現れる、細い魔印の残滓。
「レイラインが交差しとる。地の理と、水の理が重なっとる場所や」
リリシアがゆっくりと頷く。
「父の言っていた“古い小聖堂”の条件、ここが最も近い。
水の歌がまだ生きてる。魔界側と、わずかに共鳴してるのが分かる」
「魔力は弱いけど、流れとる。……こっち側に門を開くなら、ここしかないな」
ルーティアが礼拝堂の扉を押すと、わずかに軋んだ音がした。
中は薄暗く、窓はない。
だが、不思議と空気は腐っていなかった。
「きれい……」
リリシアが思わず漏らす。
祈りの場は壊れておらず、中央の台座には古びた聖石が残されていた。
ルーティアが剣の鞘を床に立て、慎重に言葉を選ぶ。
「敵に先回りされる可能性は?」
「今のところ、印も術も無い。けど、目印になるもんは全部消して帰ろう」
カイが掌で床の魔印を撫で、式で“視認不能化”の膜を重ねる。
淡い光がふっと消えた。
「帰る時は式を解いてから。道は“新月”の瞬間にしか開かん」
「それまでに準備……整えないと」
リリシアがそう言ったとき、風が一陣、扉の隙間から吹き込んだ。
◆◇◆
帰路の途中。
ルーティアが立ち止まり、リリシアの肩に手をかけた。
「……護衛の件、話し合いましょうか」
「ゴルムを、と考えています」
「やはり。通行止め要員としては最適ね。……でも、あの人、浮きません?」
「“浮輪”は要らないって言ってました」
「言ってたの……」
二人でくすくすと笑う。
重かった空気が、少しだけ緩んだ。
「選んでくれて、ありがとう」
リリシアがふと呟いた。
「なにを?」
「私を、置いていかなかったこと」
ルーティアの目が少しだけ驚きを見せた。
「……置いて行く理由、あります?」
「怖がられるかと、思ったんです。私が“あの姿”になったこと、見て」
「“旦那様”を助けた人でしょう? なら、それで充分」
即答だった。
それ以上、言葉はいらなかった。
◆◇◆
学園へ戻ると、クロス組の面々はすでに理手の改良作業に入っていた。
双子は「関節反動のバネ設計」に熱中し、メリルは紅茶ユニットのパイプに小さな花模様を描いている。
ツェイルは黙々と影糸を整理し、カサは黒板の隅で幻膜による投影調整をしていた。
ゴルムは既に準備完了とばかりに、背中に防壁盾を背負って黙って立っている。
「通行、確認中や」
「それ立哨モードか、ゴルム」
「待機や。突撃許可、まだやし」
カイは笑って理手の手首を軽く回す。
今では、掌の開閉は八割まで制御できるようになっていた。
それでも、紅茶ユニットだけは──
「まだ実装できてへんか……」
「まだってことは、やる気満々ですのね」
ルーティアが眉を寄せたが、メリルが後ろで親指を立てる。
「先生、配管通しましたよ!
温度調整は紅茶専用設計で!」
「実装する気満々やないの……」
教室の空気は笑いに満ちていた。
だが、その中でもリリシアは静かにノートを閉じる。
「先生。……“歌”について、皆にも話すべきです」
教室が静かになる。
「禁呪“リバイア―”は、私の魂──“歌”を削る術です。
もう一度使えば、命に関わる」
カイが立ち上がった。
「……言うてくれて、ありがとうな」
その一言で、リリシアの瞳がわずかに揺れた。
「せやけど、君が命削って得たもんは、ワイの命や。
これからは、ワイが君らのために戦う番や」
「先生……」
「そのための義手や。
“理手”は、君ら全員の力でできとる。
せやから、みんなで作ったもんで、みんなを守る。
――それが、ワイの筋や」
静かな拍手が鳴った。
ルーティアが、一拍置いてから手を打ち始める。
双子がそれに続き、メリルが手を叩いて叫んだ。
「先生、かっこよすぎ!」
「泣ける……」
「紅茶はまだですけど!」
「いらんねん、それは!」
◆◇◆
夕刻。
塔の上からは、湖の方角がかすかに見えた。
小さな光の筋が、まだ薄く揺れている。
カイはその方向を見ながら、静かに言った。
「三日後。
この空の下に、魔界の門が開く。
行くで、みんな」
その隣に、ルーティアとリリシアが並ぶ。
二人はまだ競い合いながら、しかし今は同じ方向を見ていた。
境の門。
理と理の間に開かれる、わずかな道。
そこに辿り着けるかどうかは、これからの“準備”にかかっている。
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