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第1部:序章 ままならぬ世へ
第6話:天下一と、お団子と、氷の視線。
しおりを挟む初仕事という名の、あまりにも非人道的なスライム(物理)解体ショーを終えてから、三日が過ぎた。
僕、相田宗一郎の異世界における評価は、地に落ちるどころか、地殻を突き抜け、マントル層に達しようかという勢いで下落し続けていた。組合で囁かれる僕の二つ名は、『スライム・ブッチャー』か『歩く残酷ショー』の二択らしい。どちらも最低だ。
そんな最低な僕とは対照的に、僕の隣を歩く太陽は、今日も絶好調に輝いている。
「見て見て、宗一郎さん! あれ、すっごく大きいお城だよ! 私、あんなに近くで見たの、初めて!」
陽菜は、まるで初めて見るものすべてが宝物であるかのように、目をきらきらと輝かせながら、前方を指差した。彼女の指の先には、幾重にも重なる白壁と、空を突くような壮麗な天守閣を持つ、巨大な城が鎮座していた。僕の知る日本の城よりも、どこか優美で、幻想的な雰囲気をまとっている。
町は、活気に満ちていた。
石畳の道を挟んで、瓦屋根の商家が軒を連ね、道行く人々の服装は、僕の知るどんな時代とも、どんな国とも違っていた。着流し姿の浪人風の男の隣を、深いフードを目深にかぶった魔法使い然とした老人が通り過ぎ、その向こうでは革鎧に身を固めた冒険者の一団が、楽しげに笑い声を上げている。あらゆる文化が、まるで奇跡のようなバランスで混ざり合い、一つの風景として成立していた。
乾いた風が、香ばしい匂いを運んでくる。醤油が焦げる、甘くて、少しだけ塩っぱい香り。
「あ、この匂い! 町で一番って評判のお団子屋さんだよ! 初仕事のお祝いに、行こ!」
陽菜は、僕の返事を待たずに、僕の手をぐいと引いて駆け出した。その力強さに、僕はなすすべもなく引きずられていく。
「いらっしゃい!」
威勢のいい声に迎えられたそこは、「甘味処 つきのわ」という暖簾のかかった、古風だが清潔な茶屋だった。店の中は、香ばしいお茶の香りと、焼きたての団子の甘い匂いが渾然一体となって満ちている。客たちの楽しげな話し声、店員のかける活気のある声、湯気の立つ急須からお茶が注がれる澄んだ音。そのすべてが、僕のいた灰色で無音の世界とは、あまりにもかけ離れた色彩と音量で満ち溢れていた。
僕たちは、庭に面した縁側の席に案内された。
庭の青々とした楓が、初夏の強い日差しを受けて、鮮やかな影を落としている。その葉が風にそよぐたびに、木漏れ日が畳の上にきらきらと揺れた。軒先に吊るされた風鈴が、ちりん、と魂が洗われるような涼やかな音を立てる。
あまりにも、平和な光景だった。平和すぎて、息が詰まりそうになる。
「んー! おいひい!」
陽菜は、きな粉と黒蜜がたっぷりとかかった名物の「つきみ団子」を、小さなリスのように頬いっぱいに頬張り、心の底から幸せそうに目を細めていた。その姿は、この平和な光景に完璧に溶け込んでいる。彼女こそが、この世界の平和そのものであるかのように。
僕は、そんな陽那を横目に、少し歪んだ湯呑みに入った白湯をちびちびと飲んでいた。団子の甘い香りが鼻腔をくすぐるが、喉の奥に何かが詰まったように、素直に「食べたい」とは思えなかった。
(すごいな、この子は)
心の中で、僕は独りごちる。
(あんなグロテスクな光景を目の当たりにした後なのに。僕の、あの異常な力の使い方を見た後なのに。どうして、こんなに屈託なく笑えるんだろう。僕とは、きっと構造が違うんだ。光をエネルギーにして動く植物みたいに、彼女は、きっと世界の善意だけで出来ている)
(それに比べて、俺は……)
ふと、組合の依頼掲示板の前で感じた、他の冒険者たちの視線を思い出す。好奇と、侮蔑と、そしてほんの少しの恐怖が混じり合った、粘つくような視線。彼らは、僕が通り過ぎるのを待ってから、ヒソヒソと囁き合うのだ。
『おい、見たか。あれが噂の……』
『新人なのに、とんでもねええげつない手口を使うらしいぜ』
自業自得だ。分かっている。最も効率的で、最も安全な方法を選んだ結果がこれだ。僕の行動一つが、僕の意図とは全く無関係に、「相田宗一郎」という人間のおぞましい虚像を作り上げていく。まるで、水面に落ちたインクが、勝手に広がって水を汚していくように。単純なはずの行動が、人間関係という複雑怪奇なシステムの中では、全く予測のつかない結果を生み出す。
(そもそも、俺がここにいていいんだろうか)
この問いは、ここに来てから、もう何百回も自分にした問いだ。
陽菜さんの家に居候して、当たり前のように飯まで食わせてもらって。その優しさに、感謝よりも先に、罪悪感と居心地の悪さを感じてしまう。
俺は、この温かい世界にいるべきじゃない。この光に満ちた場所に、俺みたいな影は、場違いなんだ。
そんな自己嫌悪の沼に沈みかけていた僕の思考を、現実世界に引き戻したのは、下品な笑い声だった。
「よう、お前が噂の『スライム解体屋』か?」
声の方を見ると、茶屋の奥の席で昼間から酒を飲んでいた、ガラの悪い冒険者グループが、にやにやとこちらを見ながら近づいてくるところだった。リーダー格と思しき、顔に傷のある大男。その目が、獲物を見つけた肉食獣のように、僕を捉えていた。
「新人のくせに、ずいぶんと派手で、えげつない稼ぎ方するじゃねえか。なあ?」
男がそう言うと、取り巻きの二人が、げらげらと下卑た笑い声を上げた。店中の視線が、一斉に僕たちの席に突き刺さる。空気が、一瞬で重くなった。
陽菜は、怯えたように僕の後ろに隠れ、僕の服の裾をぎゅっと握りしめた。その小さな震えが、僕の背中に伝わってくる。
(ああ、またか)
僕の心は、急速に冷えていくのを感じた。
この光景を、僕は知っている。現世で、飽きるほど繰り返された光景だ。教室の隅で、体育館の裏で、僕はいつもこうだった。嘲笑と、悪意と、無力感に満ちた視線に囲まれて、ただ小さくうずくまるだけ。
抵抗しても無駄だ。言い返せば、十倍になって返ってくる。嵐が過ぎ去るのを、ただ息を殺して待つしかない。それが、僕が十数年の人生で学んだ、唯一の処世術だった。
僕は俯き、黙り込んだ。男たちの言葉が、右の耳から左の耳へと、意味を持たない音の羅列として通り過ぎていく。
「おい、聞いてんのか、てめえ!」
男が僕の胸ぐらを掴もうと、手を伸ばした、その時だった。
「あらあら、お困りですか?」
凛とした、しかしどこまでも穏やかな声が、男たちの背後から響いた。
その声は、不思議な力を持っていた。騒がしい茶屋の喧騒が、まるで水面に落ちた一滴の雫によって生まれた波紋のように、すうっと静まり返っていく。
声の主は、一人の女性だった。
美しい白地の着物を、寸分の隙もなく着こなしている。ゆったりと結い上げた艶やかな黒髪。陶器のように透き通る白い肌。そして、その唇には、おっとりとした優しい微笑みが浮かんでいた。
彼女がただそこに立っただけで、店の澱んだ空気が浄化され、まるで雨上がりの森のように、清浄なものに変わっていくような錯覚を覚えた。
「私のお客様に、何かご用でしょうか」
彼女は、店の女将だったのかもしれない。そう思えるほど、その佇まいには品格と威厳があった。
顔に傷のある男は、邪魔をされたことに苛立ったように、乱暴に振り返った。
「ああん? 関係ねえ奴はすっこんでろ! 今、このひょろい兄ちゃんに、冒険者の世界の厳しさを教えてやってるとこだ!」
男が悪態をついた、その瞬間。男の顔が、凍りついた。
「て……」
男の口から、か細い声が漏れる。
「て、て、天下一の……朱鷺様……!?」
『天下一』。
その言葉が店内に響いた瞬間、空気が変わった。先ほどまでの静寂とは違う、畏怖と緊張に満ちた静寂。椅子からずり落ちそうになる者、飲んでいたお茶を盛大に噴き出す者。誰もが、信じられないものを見るような目で、その女性を見つめていた。
彼女の名は、朱鷺(とき)。
この国で、最強の剣士ただ一人に与えられるという、最高の栄誉。その『天下一』の称号を持つ、誰もがその名を知る、生ける伝説。それが、目の前にいるこの穏やかな女性の、本当の姿だった。
絡んできた冒険者たちは、朱鷺の顔を見て、一瞬で血の気を失っていた。その顔は、まるで死刑宣告を受けた罪人のようだった。
朱鷺は、完璧な笑顔を一切崩さない。その笑顔のまま、しかし有無を言わせぬ絶対的な圧力を含んだ声で、彼らをいなした。
「皆様も、この国で剣を握る方々なら、無用な争いがどれほど不毛なことか、よくご存知のはずですわ。ね?」
その言葉は、どこまでも丁寧だった。だが、その語尾には、逆らうことを一切許さない、鋼のような響きがあった。
男たちは、まるで操り人形のように、がくがくと何度も頷いた。
「も、申し訳、ありませんでしたぁっ!」
悲鳴に近い謝罪を残し、彼らはもつれるようにして頭を下げると、文字通り、這うようにして店から逃げ去っていった。その姿は、あまりにも滑稽で、哀れだった。
嵐が、去った。
残されたのは、あっけにとられた客たちの呆然とした視線と、風鈴の涼やかな音だけだった。
朱鷺は、そんな騒ぎなど最初からなかったかのように、僕たちに向き直り、再びおっとりとした笑顔を向けた。
「お怪我は、ございませんでしたか?」
その、瞬間だった。
僕だけが、見た。
彼女の笑顔の奥、その瞳が一瞬だけ、表情を失ったのを。
それは、まるで真冬の、氷が張り詰めた湖面のように、どこまでも冷たく、静かな光を帯びていた。感情というものが一切存在しない、絶対零度の瞳。
その瞳は、目の前にいる僕という人間を、ただの「物体」として、その性能を、価値を、危険度を、ミリ単位で分析し、査定しているかのようだった。そこには、優しさも、慈悲も、何の温度もなかった。あるのは、純粋な好奇心と、底知れないほどの冷徹さだけ。
ぞくり、と背筋に冷たいものが走るのを感じた。
この人は、ただ優しいだけじゃない。ただ強いだけでもない。
あの完璧な、陽だまりのような笑顔の仮面の下に、とてつもなく冷徹で、もしかしたら僕なんかよりもずっと残酷で、危険な何かを隠している。
僕が今まで出会った、誰とも違う。
陽菜さんが光そのものだとしたら、この人は、光と影、その両方を内包し、完全に支配している。
この世界で、本当に「強い」ということの本質を、僕は今、垣間見たのかもしれない。
(なんだ、今の目……)
心の中で、僕は戦慄していた。
(この人も、陽菜さんとは違う。俺と同じか、それ以上に、何かを隠してる。いや、隠しているというレベルじゃない。あまりにも深すぎて、底が見えないだけだ)
僕がその氷の視線に囚われ、動けなくなっていると、朱鷺は何事もなかったかのように、ふわりと微笑んだ。その瞳は、もう先ほどまでの温かい色に戻っている。
彼女は、まるで僕の内心を見透かしたかのように、僕の目の前の席に静かに座ると、こう切り出した。
「あなた、面白い力をお持ちのようですね。少し、お話を聞かせてもらえませんか?」
その言葉は、どこまでも穏やかだった。
だが、僕には分かった。
それは、僕に一切の拒否権を与えない、絶対者の響きを帯びていた。
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