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第1部:序章 ままならぬ世へ
第5話:初仕事は、スライム(物理)の解体ショー。
しおりを挟む冒険者協同組合の組合員証という、ただの銅の板切れを手に入れるために、精神と肉体をすり減らした翌日。
僕と陽菜は、再びあの熱気と喧騒に満ちた組合のホールに立っていた。目的は、言うまでもなく、記念すべき初仕事の依頼を受けるためだ。
「ねえねえ、宗一郎さん! あれにしようよ、あれ!」
陽菜が、子供のように目を輝かせながら、掲示板の一角を指差している。その指の先にあるのは、『森のゴブリン斥候隊の討伐』という、いかにも冒険者らしい依頼書だった。報酬は、銅貨三十枚。僕のような素人からすれば、なかなかの金額だ。
しかし、僕の頭の中では、全く別の計算が高速で回転していた。
(ゴブリン。集団で行動する、狡猾で残忍な亜人種。武器は棍棒や錆びた剣。確実に血を見る。乱闘になったら、絶対にパニックになる。無理)
僕は、無言で首を横に振った。
「じゃあ、こっちはどう? 『街道に出没する飢えた狼の群れの調査』! 調査だよ、調査!」
(狼。鋭い牙と爪を持つ、獰猛な肉食獣。群れで行動し、巧みな連携で獲物を狩る。噛まれたら痛いじゃ済まない。獣、怖い。無理)
僕は、再び無言で首を横に振る。
「もー! じゃあ、これならどうなのさ! 『隣町へ向かう商人の護衛』! これなら戦うとは限らないでしょ!」
(商人。初対面。護衛。つまり、道中ずっと、知らないおっさんと気まずい会話を続けなければならない可能性がある。沈黙は気まずいし、かといって何を話せばいいのか分からない。人見知りでコミュ障の俺にとって、魔物との戦闘よりハードルが高い拷問。絶対無理)
僕が三度、力なく首を振ると、陽菜はぷうっと頬を膨らませた。
「宗一郎さんの『無理』の基準が、全然わかんない!」
「いや、初仕事は、何事も慎重に行くべきなんだ。石橋を叩いて渡るくらいの、周到な準備と、確実な安全マージンの確保が、結果的に長期的な成功に繋がるんだよ」
我ながら、もっともらしい、素晴らしい言い訳だと思った。本当は、ただ怖いだけなのだが。
僕の目は、掲示板の隅から隅まで、血走る勢いで依頼書をスキャンしていた。もっと安全で、もっと楽で、もっと人と関わらずに済む、そんな都合のいい依頼はないものか。
そして、ついに、僕は見つけた。
掲示板の一番下、ほとんど誰も見ていないような隅っこに、ひっそりと貼られた一枚の、小さな依頼書。
『隣村の山田さんの畑に出たスライムの駆除』
報酬は、銅貨五枚。ゴブリン討伐の六分の一だ。
しかし、僕の目には、その依頼書だけが、後光が差しているかのように輝いて見えた。
(スライム……!)
(物理攻撃がほぼ効かない、ぷるぷるしたゲル状の魔物)
(つまり、牙も爪もない。殴られても、斬られても、痛くなさそう)
(血を見ることが、絶対にない)
(主な攻撃方法は、身体から出す弱い溶解液。触らなければいいだけ)
(畑に出るということは、相手も少数。群れで襲ってくる心配も、多分ない)
(これだ……!)
これこそ、僕が求めていた、究極の安全策。ローリスク・ローリターン。いや、僕にとっては、ノーリスク・ローリターンと言っても過言ではない。
「陽菜さん、決めた。僕たちの初仕事は、これだ」
僕が、ビシッとその依頼書を指差すと、陽菜は「えー……」と、心底がっかりしたような声を上げた。
「スライムぅ? もっとこう、バーン!とか、ドーン!とか、そういうかっこいいのにしようよー」
「だから、初仕事は慎重に、だ。それに、農作物を守るというのは、ひいては人々の生活を守ることに繋がる、非常に尊い仕事じゃないか」
再び、我ながら完璧な正論。僕は、陽菜の反論を許す間もなく、その依頼書を勢いよく剥がし、受付カウンターへと向かった。
かくして、僕たちの記念すべき冒険者としての第一歩は、畑に現れたゼリー状の魔物を退治するという、なんとも牧歌的な仕事から始まることになったのだった。
組合の町、朱雀から、てくてくと歩いて一時間ほど。
僕たちの目の前には、見渡す限りの畑が広がる、のどかな田園風景が広がっていた。
空はどこまでも青く、白い雲がゆっくりと流れていく。真夏の太陽が、青々と育った野菜の葉をきらきらと照らし、土の匂いを乗せた生暖かい風が、僕たちの頬を優しく撫でていく。遠くの畑では、麦わら帽子をかぶった農夫たちが、談笑しながら作業をしているのが見えた。
あまりにも、平和な光景。
「ここだね、山田さんの畑」
陽菜が指差した先には、腰の曲がった、人の良さそうなおじいさんが、困り果てた顔で畑の真ん中に突っ立っているのが見えた。彼が、今回の依頼主、山田さんだろう。
「おお、組合からかい。すまんのう、こんなつまらん仕事で来てもらって」
山田さんは、僕たちに気づくと、申し訳なさそうに頭を下げた。
「いやいや、とんでもないです。それで、被害というのは……」
僕が尋ねると、山田さんは「あれじゃよ」と、畑の一角を指差した。
その先にいたのは、十数匹ほどの、半透明の魔物だった。
スライムだ。
大きさは、バスケットボールくらいのものから、ソフトボールくらいのものまで、様々。ぷるん、ぷるんと、まるで意思があるかのように身体を小刻みに震わせながら、ゆっくりと畑の中を移動している。彼らが通り過ぎた後の野菜は、弱い溶解液によって、見るも無残に溶けてしまっていた。
その光景は、確かに農家にとっては深刻な被害なのだろうが、どこか牧歌的で、緊張感というものが、まるでない。
「うーん、やっぱり物理攻撃や普通の魔法は、効きにくいねえ」
陽菜が、試しに「えいっ」と、小さな火の玉を放った。火球は、見事に一番近くにいたスライムに命中する。しかし、スライムの身体が少し焦げただけで、すぐに元通りに再生してしまった。剣で斬りつけても、おそらく同じ結果だろう。
「よし、あたしが結界で動きを止めるから、宗一郎さんは、あの時の猪みたいに、石ころで核を狙って!」
陽菜が、頼もしいことを言ってくれるが、僕は静かに首を振った。
(いや、ダメだ)
(あの猪の時の感触は、思い出すだけで気分が悪くなる)
(それに、一匹一匹、核を狙って石を転移させるなんて、面倒くさすぎる)
僕は、戦闘に参加しようとせず、腕を組み、畑のスライムたちを冷静に観察していた。
(一番、楽で、きれいで、後片付けもいらない方法は、なんだ?)
(燃やすのは、山田さんの大事な畑に引火したら、それこそ面倒なことになる)
(叩き潰す? ゲル状の身体がそこら中に飛び散ったら、掃除が大変そうだ)
(こいつは、全体が液体みたいなものだ。皮膚も、骨も、臓器もない。ただ、生命活動を維持するための、最低限の核のような器官と、消化液が、ゲル状の身体の中に、なんとなく配置されているだけ)
(だとしたら)
(もし、このスライムの、右半身と左半身を、丸ごと、座標だけ入れ替えるように転移させたら、どうなる?)
(内部構造が、ぐちゃぐちゃになる。核と消化液が、強制的に混ざり合う。生命活動を維持するための、最低限のシステムが、内部から完全に崩壊するんじゃないか?)
それは、あまりにも論理的で、あまりにも効率的で、そして、あまりにも非人道的な、最適解だった。
「……よし、試してみよう」
僕の小さな呟きを、陽菜は聞き取れなかったらしい。「え?」と、不思議そうな顔でこちらを見ている。
僕は、彼女の問いには答えず、ただ、一番近くでぷるぷると震えているスライムに向かって、静かに、右手の指を、ぱちん、と鳴らした。
その瞬間、スライムの身体が、内側から崩壊した。
まるで、透明なビニール袋の中で、赤と青の絵の具を、乱暴にシェイクしたかのように。
それまで、かろうじて生命体としての形を保っていたスライムの、体内の核や消化液といった内容物が、一瞬にして混ざり合い、ぐちゃぐちゃの、ただの汚れたゲル状の液体となって、形を失い、地面に広がった。
ぷるん、という可愛らしい音を立てることもなく。
悲鳴を上げることもなく。
ただ、びちゃり、という、生々しい水音だけを残して。
それは、もはや「討伐」という言葉が似合うような光景ではなかった。
ただ、生命だったものが、物質のシミへと変わっていく、静かで、無機質で、恐ろしく効率的な「解体」作業。
「…………え?」
隣で、陽菜が息を呑む気配がした。
僕は、その反応を気にも留めず、淡々と、その作業を繰り返す。
ぱちん。びちゃり。
ぱちん。びちゃり。
ぱちん。びちゃり。
僕が、指を鳴らすたびに、一匹、また一匹と、畑の上のスライムが、ただのシミへと変わっていく。
血は、流れない。
苦しむ声も、上がらない。
ただ、夏の太陽の下、のどかな田園風景の中で、生命が「物質」へと還元されていく、静かで、無機質で、どこまでもシュールな光景が、広がるだけだった。
全ての「駆除」が終わるのに、五分もかからなかった。
畑には、十数個の、薄汚れたシミが残っているだけだった。
「……終わったよ、山田さん」
僕が、振り返ってそう告げると、依頼主の山田さんは、腰を抜かして、畑のあぜ道にへたり込んでいた。その顔は真っ青で、わなわなと震える指先で、僕のことを指差している。
「あ、あんた……」
その声は、感謝や賞賛ではなく、明らかな畏怖と、ドン引きの色を帯びていた。
「な……なかなかに、えげつないこと、しなさるのう……」
僕の隣に立っていた陽菜も、完全に顔面蒼白になり、青い唇で、必死に口元を押さえている。今にも、吐きそうだ。
僕は、二人のその反応の意味が、いまいちよく分からなかった。
(え? なんで?)
(血も出てないし、苦しませてもいない。畑も燃えてないし、土も汚れてない。後片付けも、このシミが乾くのを待つだけだ。これ以上なく、スマートで、クリーンで、完璧な仕事じゃないか)
僕の合理的な思考と、二人の倫理的な感情との間には、マリアナ海溝よりも深く、暗い溝が、横たわっているようだった。
結局、初仕事の報酬、銅貨五枚は、きっちりと手にした。
しかし、僕の心は、全く晴れなかった。
それどころか、組合に戻ると、僕たちの周りだけ、奇妙な空間が空いていた。冒険者たちが、僕のことをヒソヒソと噂しながら、遠巻きに見ている。
「おい、あいつだよ。例の新人」
「スライムを、中身からぐちゃぐちゃにして殺すって、ヤバい奴だろ」
「絶対に関わらない方がいいぜ。目つきも、死んでるし」
「新人冒険者、スライムを非道な方法で惨殺」
そんな、不名誉極まりない噂が、組合中にまことしやかに囁かれるようになり、僕の自己評価は、地の底をさらに深く、内核に向かって掘り進んでいくのだった。
僕がただ、最も効率的で、最も安全な方法を選んだだけの、その単純な行動が、人間関係という複雑なシステムの中で、「残虐非道なヤバい奴」という、全く意図しない評価を創発させていることに、僕自身は、まだ気づいていなかった。
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