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第2部:交差する思惑
第20話:届いた大金と、埋まらない心の隙間。
しおりを挟む昼下がりの組合のカウンターは、一種の戦場だった。
依頼を終えた冒険者たちが、その成果を換金しようと長蛇の列をなし、カウンターの内側では職員たちが目にも止まらぬ速さで羊皮紙の書類を捌き、天秤で金貨の重さを量り、鑑定用のルーペを目に当てて魔物の素材を検品している。
ざらざらとした金貨が革袋の中でぶつかり合う乾いた音、インクが染み込んだ羊皮紙の匂い、そして冒険者たちの汗と土と、微かな血の匂い。それらが混じり合い、この空間に独特の、生々しい活気を生み出していた。成功した者の高揚と、思うような稼ぎにならなかった者の落胆が、目に見えない渦となって、むっとするような熱気の中に渦巻いている。
僕たちは、その渦の中心にいた。
「はい、お待たせいたしました。依頼『閉鎖鉱山のアンデッド掃討』、完遂を確認いたしました。こちらが成功報酬となります」
事務的な口調の女性職員が、カウンターの上に、ずしり、と重々しい音を立てて、一つの巨大な革袋を置いた。その口は固く縛られていたが、中身が尋常でない量の金貨であることは、その膨らみと重厚な音だけで十分に伝わってきた。鉱山の依頼は、国の緊急指名依頼ということもあり、その報奨金は、僕たちがこれまで受けてきた依頼とは桁が違っていた。
その革袋を前にして、仲間たちの反応は、三者三様だった。
最初に歓声を上げたのは、陽菜(ひな)だった。
「わー! すごい、すごいよ宗一郎さん! これだけあれば、村のみんなに、たくさん薬を買ってあげられる! 村のおじいちゃんも、おばあちゃんも、きっと喜ぶよ!」
彼女は、まるで自分のことのように、あるいはそれ以上に、満面の笑みで目を輝かせている。彼女の喜びは、常に、自分以外の誰かのためのものだった。その太陽のような純粋さが、少しだけ、僕のささくれた心を温める。
次に、下品な雄叫びを上げたのは、玄(げん)さんだった。
「よっしゃあああ! これで半年は、上等の酒を浴びるほど飲んで、いい女の尻を追いかけ回せるぜ! おい、嬢ちゃん! 早速だが、この金貨を一枚、あの酒場のツケに回しといてくれや!」
彼は、その場で革袋の口を解くと、慣れた手つきで金貨を数枚ひょいと抜き取り、カウンターの向こうの職員に放り投げる。そして、残りの僕たちを振り返りもせず、「じゃあな! 俺は一足先に祝杯とやらを始めさせてもらうぜ!」と叫びながら、すでに酒場のカウンターへと消えていった。彼の喜びは、常に、刹那的で、本能的だった。
そして、朱鷺(とき)さんは。
「皆さんのおかげですね。本当に、お疲れ様でした」
彼女は、いつものように、完璧な、穏やかな微笑みを浮かべて、僕たち一人一人の顔を見ながら、静かにそう言った。その声には、大きな仕事を成し遂げた安堵と、仲間への感謝が、確かに滲んでいた。彼女の喜びは、常に、全体の調和を重んじる、静かで、深いものだった。
三者三様の、喜びの形。
僕は、その光景を、ほんの少しだけ、離れた場所から眺めていた。革袋の重みも、金貨の輝きも、どこか他人事のように感じられた。
(ああ、そうか。終わったんだ)
鉱山での、あの悪夢のような光景。猛(たける)との決定的な亀裂。退魔師・静の不吉な警告。玄さんや朱鷺さんが見せた、普段の顔からは想像もつかない、深い傷の影。
それら全てが、このずっしりと重い革袋一つで、清算されていく。これが、冒険者という生き方なのだ。
僕の心の中に、喜びは、なかった。ただ、大きな嵐が過ぎ去った後のような、奇妙な虚脱感だけが、広がっていた。
その夜、僕たちは、町の中心から少し離れた、隠れ家のような佇まいの料理屋にいた。
玄さんが「祝杯をあげるなら、いつもの安酒場じゃ格好がつかねえ」と、珍しく見つけてきた店だった。磨き上げられた黒い木の柱、間接照明の柔らかな灯り、壁に掛けられた季節の花々。いつもの『百獣のねぐら』の喧騒とは無縁の、静かで、落ち着いた空気が流れている。
暖かな灯りが照らし出す個室には、僕たちがこれまで食べたこともないような、見た目にも美しい料理が、次々と運ばれてきた。薄く切られた新鮮な魚の刺身、炭火でじっくりと焼かれた雉の肉、季節の野菜をふんだんに使った炊き合わせ。そして、芳醇な香りを放つ、透き通った米の酒。
それは、成功を祝う宴として、完璧な舞台だった。
「いやあ、しかし、あの坊主の『悪魔的発想』には参ったぜ! まさか、スライム状の妖怪から水分だけ抜き取って干物にするとはなあ! ぎゃはは! あれはもはや、討伐じゃなくて料理だろ!」
玄さんが、上機嫌で酒を呷りながら、下品な笑い声を上げる。その手には、すでに何本目か分からない徳利が握られていた。
「もう、玄さんたら。でも、本当にすごかったです、宗一郎さん。あの時、猛さんたちも、口をあんぐりさせてましたよ」
陽菜が、楽しそうに相槌を打つ。彼女の頬は、ほんのりとお酒の色に染まっていて、その笑顔は、いつも以上に屈託なく見えた。
「ええ。確かに、常人には思いもよらない一-手でしたね。ですが、おかげで無用な被害を出さずに済みました。感謝していますよ、宗一郎さん」
朱鷺さんも、穏やかに微笑みながら、僕の杯に、そっと酒を注ぎ足してくれる。
仲間と、成功を分か-ち合う、温かい時間。
美味しい料理と、上等な酒。仲間たちの、優しい言葉と、楽しげな笑い声。
それは、現世の僕が、喉から手が出るほど欲しがっても、決して手に入れることのできなかった光景だった。あの薄暗い教室の隅で、嘲笑と暴力に耐えながら、僕が夢見ていた、温かくて、光に満ちた世界。
その、中心に、僕は、今、確かにいるはずだった。
なのに。
(……おかしいな)
僕の心は、まるで凍りついた湖面のように、静まり返っていた。
仲間たちの笑い声が、まるで分厚いガラスを一枚隔てた、向こう側の世界の出来事のように、遠くに聞こえる。運ばれてくる料理の、繊細な出汁の香りも、焼かれた肉の香ばしい匂いも、鼻腔をくすぐるだけで、僕の食欲を少しも刺激しない。口に含んでも、味が、よく分からなかった。
目の前にある温かい光景と、僕の内面にある、絶対的な『無』との、そのあまりにも大きな断絶。そのギャップに、僕は一人、静かに眩暈を覚えていた。
僕は、この輪の中に、いなかった。
僕の体はここにあっても、僕の心は、ずっと、ずっと遠い、暗くて、冷たい場所に、一人でうずくまっていた。
(なんで、なんだろう)
僕は、手酌で注いだ冷たい酒を、意味もなく、ただ喉へと流し込みながら、自問自答を繰り返していた。
(お金も、手に入れた。それも、現世で僕が一生かかっても稼げないような、大金を)
(仲間、と呼べるのかは分からないけど、一緒に戦って、一緒に飯を食う人たちも、できた)
(みんな、僕のことを仲間として、ちゃんと扱ってくれている。蔑んだり、馬鹿にしたりする人は、ここにはいない)
(なのに、どうして。どうして、こんなに、心が寒いんだ)
答えは、本当は、もう分かっていた。
僕が、心の奥底で、ずっと、聞き続けている声がある。それは、現世で僕をいじめていた、あいつらの声じゃない。僕を罵倒した、猛の声でもない。
それは、僕自身の声だった。
僕の、心の、一番深くて、暗い場所から、絶えず響いてくる、呪いのような声。
『お前みたいな奴が、こんな場所にいていいはずがない』
『お前は、みんなとは違うんだ』
『お前は、偶然、変な力を手に入れただけの、空っぽで、価値のない人間なんだから』
『その力がなくなれば、お前には何も残らない。誰もお前を見向きもしない』
『お前は、輪の外で、一人でいるべき人間なんだ』
『その方が、お似合いなんだよ』
そうだ。
金を手に入れても、仲間ができても、この、僕の心の奥底に、こびりついて離れない声が、どうしても、消えてくれない。
僕は、この世界に来て、何も変わっていなかった。
いや、むしろ、悪化しているのかもしれない。
現世では、ただ、いじめられるだけの、無力な存在だった。そこには、逃げ場のない絶望があった。
だが、今は違う。
無敵の力がある。優しい仲間がいる。温かい居場所がある。
それなのに、僕は、その全てを、心の底から信じることができない。受け入れることが、できない。
幸せになる資格が、自分にあるとは、到底思えないのだ。
僕の苦しみの本当の原因は、お金がないことでも、仲間がいないことでもなかった。そんな、外側の環境の問題では、決してなかった。
僕自身の、心。
僕が、僕自身を「価値のない人間だ」と、心の底から信じ込んでいる、その「思い込み」こそが、僕を縛り付け、苦しめ続けている、元凶だったのだ。
僕は、その単純な事実に、ようやく、気づき始めていた。だが、その呪いを解く方法を、僕はまだ、何一つ、知らなかった。
宴は、深夜近くまで続いた。
玄さんは、最終的に、酔い潰れて店の床で大いびきをかき始め、朱鷺さんと僕とで、彼を両脇から担ぐようにして、宿屋への道を、とぼとぼと歩いていた。
秋の夜風が、火照った僕の頬に、心地よかった。見上げれば、現世の都会では決して見ることのできない、満点の星空が広がっている。天の川が、まるで巨大な光の帯のように、夜空を横切っていた。
「宗一郎さん」
ふと、隣を歩く朱鷺さんが、静かに僕の名前を呼んだ。
「あなた、何か、思い悩んでいますね」
その声は、問い詰めるような響きではなく、ただ、純粋な、心配の色を帯びていた。
「もし、私でよければ、お話、聞きますよ」
僕は、何も答えられなかった。彼女の優しさが、今は、少しだけ、痛かった。僕のこの、みっともなくて、どうしようもない心の闇を、この完璧な人に、打ち明けることなど、できるはずもなかった。
僕たちが、そんな不器用な沈黙を保ったまま、宿屋の明かりが見える角を曲がろうとした、その時だった。
「お待ちしておりました!」
切羽詰まったような声と共に、僕たちの目の前に、一人の男が、文字通り飛び出してきた。組合の制服を着た、若い職員だった。彼の額には玉の汗が浮かび、その表情は、明らかに、ただ事ではないことを物語っていた。
「朱鷺殿! そして、相田宗一郎殿!」
男は、僕たちの顔を確認すると、息も絶え絶えに、懐から、厳重に蝋で封をされた、一通の荘厳な羊皮紙を取り出した。
「王宮から、至急の、召集令状です!」
王宮。
その、あまりにも場違いな言葉に、僕と朱鷺さんは、思わず顔を見合わせた。
「『明朝、速やかに登城されたし』、とのことです!」
職員が差し出した、その羊皮紙。
そこには、僕でも見たことのある、この国で最も高貴な身分を示す、王家の紋章が、赫々と、刻まれていた。
なぜ、一介の冒険者である僕たちに、王宮から? それも、名指しで?
僕の個人的な、ちっぽけな悩みなど、まるで取るに足らないとでも言うかのように。
物語は、僕の意思などお構いなしに、国家レベルの、巨大で、抗いようのない渦の中へと、否応なく、僕を巻き込もうとしていた。
僕が、僕自身の心と向き合うための、本当の戦いは、まだ、始まったばかりだというのに。
(ああ、やっぱり、この世界も)
僕は、夜空に浮かぶ、美しい月を見上げながら、静かに、溜息をついた。
(ままならない、ことだらけだ)
ここで、物語の第一部が、静かに幕を閉じる。そして、本当の冒険は、ここから始まるのだった。
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