転移魔法は最強の攻撃魔法である!!

yomuyomu

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第3部:王都の陰謀と穢れの森

第28話:出陣、そして死せる森へ。

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その日の夜明けは、息を呑むほどに荘厳だった。
東の空の、まだ深い藍色を残した地平線が、一本の、細く鋭い白銀の線となって裂ける。やがて、その線はゆっくりと、しかし確実にその幅を広げ、暁の優しい茜色を空全体に滲ませていく。
王都の巨大な正門の前には、夜のしじまがまだ完全に明けきらないうちから、出陣の部隊が整然と隊列を組んでいた。空気はひんやりと肌を刺すほどに澄み渡り、整列する兵士たちが吐く息は、一つ一つが白い塊となって、朝の光の中で静かに溶けては消えていく。
磨き上げられた鎧や、天を突くように並べられた槍の穂先が、昇り始めたばかりの太陽の光を反射して、きらり、きらりと鋭い光を放っていた。
やがて、地響きにも似た重々しい音を立てて、巨大な城門がゆっくりと、ゆっくりと開かれていく。その向こうには、まだ眠りから覚めきらない、静寂に包まれた城下町が広がっていた。

俺たち一行も、その隊列の中にいた。それぞれの胸に、全く異なる想いを抱いて。

小雪姫は、神聖な王家の紋章が飾られた、美しい輿の中にいた。絹の御簾が下ろされ、その姿を窺い知ることはできない。だが、俺には分かる気がした。今、彼女が浮かべている表情は、国民の前で見せる慈愛に満ちた聖女のものではないだろう。自らの故郷を穢し、そして、おそらくは最愛の兄が待つであろう死地へと向かう、ただ一人の、か弱い少女としての、悲しみと覚悟に満ちた顔をしているに違いない。

近衛騎士団長は、見事な白馬に跨り、厳しい表情で前方を見据えている。その瞳には、昨日の模擬戦で粉々に砕かれたであろうプライドの、痛々しいほどの残滓と、それを今度こそ戦場で証明してみせるという、鋼のような決意が燃えていた。彼の使命は、姫を守ること。そして、王国騎士団の誇りを取り戻すこと。俺たち冒険者への、根強い不信の色は、その横顔から微塵も消えてはいなかった。

朱鷺さんと玄さんは、多くを語らない。二人の間に、いつものような軽口が交わされることもなかった。ただ、静かに、しかし全身から研ぎ澄まされた刃物のような気配を漂わせ、この後に起こるであろう全てのことを見据えている。彼らにとって、この戦いは、単なる高額報酬の依頼ではない。それぞれの、決して人には語ることのない過去と、そして未来の全てが懸かった、運命の戦いだった。

そして俺、相田宗一郎は。
完全に、雰囲気に呑まれていた。
胃が、昨夜からずっと、まるで雑巾でも絞られるかのように、キリキリと痛み続けている。与えられた馬に跨ってはいるものの、いつ振り落とされるかと気が気ではなく、手綱を握る手は、汗でじっとりと湿っていた。周囲の、歴戦の兵士たちの、覚悟を決めた厳しい顔つきと、情けない自分の顔を比べては、勝手に落ち込んでいる。

(なんで俺が、こんな壮大な遠足の、ど真ん中にいるんだ……)

もはや、恐怖すら通り越して、どこか現実感のない、他人事のような感覚だった。
「出陣!」
騎士団長の、凛とした号令が響き渡る。それを合図に、長い、長い隊列が、ゆっくりと、しかし着実に、未来へと、あるいは破滅へと、その歩みを進め始めた。

王都を出発し、穢れの森へと向かう街道を進むにつれて、世界の風景は、まるで一枚の美しい絵画に、少しずつ、少しずつ、黒い絵の具を落としていくかのように、その彩度を失っていった。

出発してしばらくの間は、光に満ちた世界だった。
道は、硬く、平らな石畳で舗装され、馬車の車輪が軽快な音を立てて転がっていく。道の両脇には、手入れの行き届いた豊かな畑がどこまでも広がり、その向こうには、活気に満ちた宿場町が見えた。俺たちを見送る民衆の、「姫様、万歳!」という割れんばかりの歓声が、あちこちから聞こえてくる。風が運んでくるのは、焼きたてのパンの香ばしい匂いや、畑の土の匂い。生きている、という手触りに満ちた、温かい世界だった。

しかし、半日も進むと、その風景は徐々にその姿を変えていった。
道は舗装を失い、深い轍が刻まれた、ぬかるんだ土の道に変わる。畑は見るからに痩せ細り、点在する村々は活気を失い、建物の多くが傷み、屋根には穴が開いていた。道端で俺たちを見つめる人々の顔には、歓声も笑顔もなく、ただ、日々の暮らしに疲れ果てた、深い疲労と、これから俺たちが向かう先を知っている者だけが持つ、恐怖の色が濃く浮かんでいた。
風が運んでくる匂いも変わった。生活の匂いが消え、代わりによどんだ川の水の匂いや、何かを燻したような、焦げ臭い匂いが微かに混じり始める。聞こえるのは、馬の蹄が立てる重苦しい音と、時折、遠くの森の奥から聞こえてくる、獣の咆哮のような、不気味な音だけになった。

そして、出発から丸一日が経った頃。
俺たちは、ついに、その場所に辿り着いた。
そこは、もはや死の世界だった。
視界に映る全ての植物が、生命力を完全に失い、まるで苦悶の叫びを上げたまま石化したかのように、黒く、醜くねじ曲がっている。空は、分厚い鉛色の雲に覆われ、まだ昼間だというのに、まるで夕暮れ時のように薄暗い。地面は、常に湿ってぬかるみ、岩や木の根は、不気味な紫色の苔でびっしりと覆われていた。
そして、何より異常だったのは、「音」が全くしないことだった。鳥の声も、虫の声も、風が木々の葉を揺らす音すらも、一切しない。まるで、世界から音が根こそぎ吸い取られてしまったかのような、耳が痛くなるほどの、圧迫感のある静寂。
風が止まっているのに、鼻をつくのは、腐敗臭と、何十年も開けられていない地下室のような、濃密な黴の匂い。呼吸をするだけで、肺が内側から汚染されていくような、そんな感覚に陥る。
空気そのものが、意思を持っているかのように、ねっとりと重く、冷たく肌にまとわりついてきた。全身が、目には見えない粘液に覆われているかのような、どうしようもない不快感が、じわじわと体力を奪っていく。

(なんだ、ここは。もう、何もかもがおかしい)

俺は、自分の腕をさすった。鳥肌が、止まらない。
ついに、一行は穢れの森の入り口に到着した。そこは、もはや森というより、巨大な、名も知らぬ生物の腐乱死体の中に、自ら足を踏み入れていくかのような、おぞましい気配に満ちていた。
騎士たちは馬から降り、盾を構え、姫の輿を中心に、完璧な円陣を組む。陽菜と小雪姫が、それぞれの力を解放し、浄化の結界を展開する。俺たちの周りだけが、淡い、温かい光に包まれた。
一行が、森の中へ、最初の一歩を踏み入れた、その瞬間だった。
目の前の、ねじくれた黒い木々の幹が、まるで熱で溶けた蝋のように、ぐにゃり、と歪んだ。
そして、その幹から、人型とも獣型ともつかない、まるで墨を塗りたくったかのような、漆黒の異形の「何か」が、ずるり、ずるりと、音もなく、這い出してくる。
それは、俺たちがこれまで戦ってきたゴブリンやアンデッドといった「魔物」とは、存在の次元が、根本的に違っていた。
物理的な法則を完全に無視したかのように、ありえない角度に関節が曲がり、地面を滑るように、しかし高速で移動する。その体からは、殺意や闘争心といった、分かりやすい感情ではない。ただ、純粋な、底なしの「絶望」と「憎悪」の気配だけが、瘴気のように放たれていた。

「ひっ……!」

先頭にいた、歴戦の勇士であるはずの騎士の一人が、恐怖に引きつった、短い悲鳴を上げた。
それが、まるで合図だったかのように。
周囲の、無数の、ねじくれた木々から、同じように、何十体、いや、何百体もの「妖怪」たちが、一切の音もなく、ずるり、ずるりと、這い出してくる。
そして、その全てが、一斉に、俺たちへと襲いかかってきた。
世界の常識が、一切通用しない。
悪夢のような戦いが、今、幕を開けた。
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