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第5部:復讐の刃と忘れえぬ残照
第50話:反撃の狼煙と、集いし仲間たち。
しおりを挟む夜が、明けた。 朱鷺(とき)の告白によって、それぞれの心の闇と向き合うことになった重苦しい夜は、終わりを告げた。 平原には、低い朝靄(あさもや)が立ち込めていた。それは、あの『穢れの森』から漏れ出してくる瘴気とは違う、ただ、夜と朝の狭間で生まれる、湿った、清浄な空気の匂いだった。
野営地のあちこちで、人々が動き出す気配がする。 生き残った近衛騎士たちが、黙々と鎧の紐を締め直す音。 玄(げん)が、研ぎ澄ました愛刀の刃を、最後にもう一度、布で拭う音。 陽菜(ひな)が、小雪(こゆき)姫の輿のそばで、儀式に使うのであろう符(ふだ)を、一枚一枚、真剣な眼差しで確認している。 昨夜までの、敗北と絶望に支配された、よどんだ空気は、そこにはなかった。 誰もが口数は少ない。だが、その静寂は、恐怖や諦観ではなく、自らの為すべきことを見定めた、確かな「決意」に満ちていた。
焚き火は、もうほとんど消えかかり、白い煙だけを細く立ち上らせている。 その前で、宗一郎は、昨夜からずっと、ただ、座っていた。 朱鷺も、彼の隣で、夜明けの空を、静かに見つめていた。 二人の間に、言葉はなかった。 だが、あの不器用な一杯の茶を分かち合ったことで、彼らの間には、言葉以上の、確かな「何か」が通い合っていた。
やがて、朝靄を貫いて、最初の朝日が、地平線の向こうから差し込んだ。 その、金色の光が、朱鷺の横顔を照らした、その瞬間。 彼女は、ゆっくりと立ち上がった。
その表情は、もう、復讐に囚われた亡霊のものではなかった。 完璧な笑顔で全てを拒絶する、天下一の仮面でもなかった。 全てを受け入れ、全ての弱さをさらけ出した上で、それでも、前を向くと決めた、一人の、しなやかな剣士の顔だった。
彼女は、仲間たち全員に向き直ると、深く、深く、頭を下げた。
「皆さん」 その声は、凛として、朝の澄んだ空気に響き渡った。 「私の戦いは、ジルベスタが焼かれたあの夜、私の、個人的な復讐から始まりました」
彼女は、顔を上げる。その瞳には、もう、迷いはない。 「ですが、もう、私一人のものではありません。時雨(しぐれ)お兄様を止め、小雪様を救い、この国が、王家が隠し続けてきた、血塗られた嘘を正す」
そして、彼女は、宗一郎の目を、まっすぐに見つめた。 「そして、何より。これ以上、私や、時雨お兄様のような、過去の悲劇に囚われた人間を、この世界に二度と生まない未来のために」
「皆さん。どうか、私に、力を貸してください」
それは、天下一からの「命令」ではなかった。 一人の、傷ついた仲間からの、心の底からの「願い」だった。
「―――頭を、上げてください、天下一殿!」
その、朱鷺の願いに応えるかのように。 朝靄の向こうから、野太い、しかし、疲労の滲む声が響いた。 地響きと共に、靄の中から姿を現したのは、ボロボロに傷つきながらも、その瞳に「正義」の炎を宿した、猛(たける)たち『紅蓮の獅子』の一団だった。
彼らもまた、昨夜の陽動で、満身創痍だった。だが、その足取りに、退却者の卑屈さはない。 猛は、馬から降りると、まず、宗一郎の前に、ずかずかと歩み寄った。
「おい、陰気野郎」 「……はい」 宗一郎は、反射的に、ビクリと肩を震わせる。
猛は、宗一郎の顔を、真正面から、じろりと睨みつけた。 「……俺は、お前の、あの訳の分からん戦い方が、今でも、気に食わねえ。卑劣だと思ってる」 「……はあ」 「だが!」 猛は、そこで一度、言葉を切り、今度は、朱鷺に向き直った。 「姫様をあそこまで追い詰め、天下一殿に、そこまで言わせるような奴は! 俺の信じる正義に反する! もっと、気に入らねえ!」
彼は、胸の真紅の獅子の紋章を、拳で、ドン!と叩いた。 「俺たちの正義は、弱き者を守るためにある! この戦い、俺たち『紅蓮の獅子』も、あんた達の『理屈』に、賭けさせてもらう!」
「猛、殿……」 朱鷺が、目を見張る。
「おお、なんじゃなんじゃ。若い連中が、朝っぱらから、随分と、熱いのう」
その、呑気な声と、ほぼ同時。 今度は、平原の、別の地平線から、新たな地響きが、近づいてきた。 先頭に立つのは、大きな瓢箪(ひょうたん)をぶら下げた、指南役・鉄斎(てっさい)。 彼の後ろには、明らかに、そこらの冒険者とは「筋」の違う、一癖も二癖もある、歴戦の傭兵や、腕利きの術者たちが、数十人、ニヤニヤと笑いながら、控えていた。 彼らこそが、鉄斎が、この日のために、諸国から密かに呼び寄せていた、彼の「本当の戦力」だった。
「師範!」 「ほっほっほ。どうやら、ワシの、出来の悪くて、クソ真面目なだけの弟子が、ようやく、独り立ちする覚悟を決めたようじゃのう」 鉄斎が、朱鷺を見て、満足そうに、その皺だらけの目で笑う。
後ろに控える、顔に大きな刀傷のある、屈強な傭兵の男が、肩に担いだ巨大な戦斧を、楽しそうに鳴らした。 「冗談じゃねえぜ、鉄斎の旦那。あの『天下一』様が、ついに、本気で王家に牙を剥くってな。こんな、後世まで語り継がれる、最高の戦(いくさ)を、見逃せるかよ!」 「おうよ! 報酬なんざ、どうでもいい! 俺の剣が、どっちが上か、試させてもらうぜ!」 集まった者たちは皆、破綻者(はたんもの)であり、同時に、自らの力に絶対の自信を持つ、一流の「規格外」たちだった。
宗一郎は、その、あまりにも混沌とした光景を、ただ、呆然と、見渡していた。 復讐に生きた、国最強の剣士(朱鷺)。 過去から逃げ続けた、抜け殻のような剣豪(玄)。 歴史の裏側に消えた、古(いにしえ)の巫女の末裔(陽菜)。 国に利用され、心を閉ざした、偽りの聖女(小雪)。 王国の「正義」に燃える、融通の利かない騎士団長(猛)。 全てを見通す、規格外の最強の「師」(鉄斎)。 そして。 この世界の「理」そのものを無視する、ただの、いじめられっ子の「バグ」(自分)。
ありとあらゆる「理不尽」と「ままならなさ」が、 善も、悪も、正義も、復讐も、全てがごちゃ混ぜになって、 今、この朝靄の平原に、一つの目的のために、集結している。
(……これが) 宗一郎は、震えを覚えた。 (これが、「縁起」……いや、これが、「複雑系」……) 一つ一つの要素は、あまりにも歪で、バラバラで、決して交わるはずのなかったものたち。 だが、時雨という「外圧」と、朱鷺の「告白」という「縁」によって、それらが、互いに、影響し合い、 今、ここに、「時雨を止める」という、ただ一つの目的を持つ、巨大な、予測不能な、一つの「系(システム)」が、「創発」しようとしていた。
鉄斎が、酒瓶の栓を、ポン!と景気良く開けると、その中身を、天に掲げ、そして、一気に呷(あお)った。 彼は、酒で濡れた口元を拭うと、集まった、全ての「規格外」たちに向かって、腹の底から、叫んだ。
「さて、役者は揃ったわい!」 「ワシらが、昨夜の陽動で、あのクソ生意気な王子の足は、きっちり止めておる! だが、それも、長くはもたんぞ!」
鉄斎は、朝日に染まる、穢れの森。その中心、時雨のいる、あの絶望の沼地を、まっすぐに、指差した。
「反撃の狼煙を、上げるぞ!」
「この国の、数百年続いた、長すぎた、忌まわしい『夜』を、終わらせるために!」
「「「「「おおおおおおおおおーーーーーっ!!!!」」」」」
傭兵たちの、騎士たちの、そして、仲間たちの雄叫びが、一つになって、朝靄の平原に、響き渡った。 物語は、もはや、個人の因縁を超えた。 国の存亡と、魂の解放を賭けた、最後の戦いへと、今、一気に、雪崩れ込んでいく。
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