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第6部:剣士の涙と贖罪の太刀
第51話:総力戦、開始。そして現れた『亡霊』
しおりを挟む夜明けは、訪れなかった。
本来ならば、夏の強い日差しが差し込み始める刻限。しかし、一行が進む『穢れの森』の奥深くは、分厚くよどんだ瘴気の雲が陽光を完全に遮断し、視界は悪い。まるで、光の届かない深海の底を歩いているかのようだった。緑がかった濃霧が周囲を支配し、数メートル先の仲間の背中ですら、ぼんやりとした影にしか見えない。
腐った土の匂いと、水が淀んだ生臭い匂いが混じり合い、鼻を突く。空気が、重い。ねっとりと肌にまとわりつく湿気で、服が張り付き、不快感がじわじわと体力を奪っていく。
聞こえるのは、どこか遠くで響く、この世のものとは思えない妖怪たちの咆哮。そして、すぐ近くで聞こえるのは、味方の兵士たちの押し殺した荒い呼吸音と、緊張で鎧が擦れる「カション、カション」という無機質な金属音だけだった。
第50話で集結した反撃の狼煙は、この絶望的な森を前に、早くもその勢いを試されていた。
鉄斎が立案した総力戦は、夜明けと共に開始された。野営地を発った連合軍は、彼の指示通り、二手に分かれる。
「ほっほっほ、さて。景気付けに、いっちょ派手にやりますかのう!」
森の少し開けた広場で、指南役・鉄斎の呑気な声が響き渡った。彼が率いるのは、陽動部隊。生き残りの近衛騎士団、鉄斎が呼び寄せた歴戦の傭兵団、そして『紅蓮の獅子』を率いる猛(たける)が、その主力を担う。
彼らの任務は、この広場で無数の妖怪の群れを引き受け、本命である宗一郎たちが、森の最深部へと進むための時間を稼ぐこと。
「聖なる炎よ、浄化の光となれ! 姫様を脅かす不浄なる者どもよ、我が正義の剣で焼き払ってくれる!」
猛の勇ましい声が響き渡り、彼の持つ大剣が真紅の炎を噴き上げる。妖怪たちが、その光に惹かれるように、一斉に彼らに襲いかかった。
戦場は、即座に混沌の渦と化した。
姫様を守るという「誇り」のために戦う騎士団。
「金」のために、最も効率よく敵を屠ろうとする傭兵団。
自らの信じる「正義」を貫くために戦う猛。
そして、ただ純粋な「殺意」だけをエネルギーに動く妖怪の群れ。
その全てを、楽しそうに高みの見物をしながら、時折、戦局が崩壊しないように最小限の介入だけを行う鉄斎。
異なる目的、異なるルールで動く無数のエージェント(要素)が、この薄暗い森という閉鎖空間で激しく衝突し、誰一人としてその全体像を把握できない、予測不能なカオス(複雑系)が「創発」していた。轟音と悲鳴、剣戟の音が、彼らの背後で急速に大きくなっていく。
「行くぞ。俺たちの道は、こっちだ」
玄の低い声に、宗一郎はびくりと肩を揺らして現実に戻った。
彼らが「突入部隊」。宗一郎、陽菜、朱鷺、玄、そして姫・小雪を乗せた厳重な護りの輿(こし)。彼らの任務は、本隊が稼いだ貴重な時間で、最短距離で時雨(しぐれ)の待つ沼地の城、儀式の祭壇へと到達すること。
そして、その先頭を、なぜか宗一郎が任されていた。
「(なんで僕が先頭!?)」
宗一郎は、心の中で絶叫していた。
「(おかしいだろ! 普通、こういうのは玄さんみたいな前衛のプロがやるもんじゃないのか!? なんで、一番後ろで荷物持ちでもしてるはずの、本質的にサポートタイプの僕が、最強の敵地で先導しなきゃならないんだよ!)」
文句は、声にはならない。彼の周囲には、直径二メートルほどの、誰の目にも見えない球状の空間が展開されていた。第3話でチンピラを退けた「絶対防御」の応用だ。この球体に触れるものは、物理的なものであれ、魔法的なものであれ、宗一郎の意思とは無関係に、別の場所へと強制的に「転移」させられる。
理論上は無敵の盾。だが、精神的な消耗は尋常ではない。
「(ああ、もう、帰りたい! 陽菜さんの家の縁側で、何も考えずにぼーっとしてたい!)」
彼が内心で涙目になっていた、その時。
鉄斎との稽古(第38話)で掴みかけた「心の目」が、右前方の濃い瘴気の奥から、明確な「殺意」の揺らぎを感知した。
「(来た!)」
瘴気で見えないのをいいことに、物理法則を無視した軌道で、一体の妖怪が宗一郎の側面を狙って空間を跳躍してくる。その「意図」と「軌道」が、宗一郎の脳裏にはっきりと見えた。
「(見え見えなんだよ!)」
宗一郎は、妖怪が着地するはずの座標、その足元にある木の根に、意識を集中させる。
「(はい、そっちの木の幹にでも、転移しとけ!)」
指を鳴らすまでもない。彼がそう「意図」した瞬間、妖怪の足元の空間が切り取られ、十メートル先の巨大な木の幹の中腹に「貼り付け」られた。
「グチャリ」という、聞きたくなかった水っぽい音。妖怪は、自らの跳躍の勢いを殺せず、木の幹に激突、いや、融合するようにして潰れ、動かなくなった。
「(うわ、グロい! グロすぎる! 見なかったことにしよう! 今のは見なかった!)」
宗一郎は、顔面蒼白になりながら、必死に現実から目をそらす。
「(あ、今度は左から二体! こっちは、ええと、まとめて真上の枝にでも!)
「グチャッ」「ベチャッ」
「(ああああ! もう! これ、僕、完全に『人間ブルドーザー』じゃないか! もっとこう、後方で仲間を支援する、カッコいいポジションが良かったのに!)」
その、あまりにシュールな光景を、仲間たちは背後から見ていた。
宗一郎が、顔を青くさせ、ぶつぶつと小声で何か文句を垂れ流しながら、ただ真っ直ぐ歩いている。それだけで、瘴気の霧の奥から襲い来るはずの妖怪たちが、次々と、姿を見せる間もなく、あらぬ方向へ吹き飛んだり、地面に叩きつけられたりして、勝手に自滅していくのだ。
朱鷺は、その常軌を逸した先導ぶりと、本人の情けない表情との、あまりのギャップに、不謹慎とは思いつつも、必死で笑いをこらえていた。
玄は、呆れたように、しかしどこか感心したように、その背中を見つめていた。「とんでもねえ化け物だぜ、あの坊主は。やってることは鬼神そのものなのに、面(つら)は今にもションベン漏らしそうだ」。
やがて、一行は、ひときわ瘴気の濃い、開けた場所にたどり着いた。
本隊の喧騒は、もう遠く、かすかな地響きとしてしか聞こえない。そして、あれほど執拗だった妖怪の気配が、まるで示し合わせたかのように、ふっつりと途絶えた。
そこは、時雨が「ここを通れ」とでも言うかのように、沼地の城へと続く一本道だけが、不自然なほど開けていた。
罠だ。誰もがそう直感した。一行の緊張が、最高潮に達する。
宗一郎は、ごくりと唾を飲んだ。彼の「心の目」が、これまでの雑魚妖怪とは比較にならない、濃密で、冷たく、研ぎ澄まされた、たった一つの「殺意」を、道の先から感じ取っていた。
「(何か、来る)」
宗一郎は、震える声で仲間に告げる。
「とんでもなくヤバいのが、一人だけ、来ます」
瘴気の霧の向こうから、ゆっくりと、一人の男が歩いてくる。
足音はしない。だが、その一歩一歩が、大地の重みそのものを引き連れているかのような、圧倒的な威圧感があった。
霧が晴れ、その姿が明らかになる。
年齢は四十代半ば。顔には、額から頬にかけて走る、深い古傷。だが、その佇まいは一切の隙がない、完璧な武人のそれだった。
男が纏(まと)うのは、漆黒(しっこく)の鎧。
その鎧を見た瞬間、朱鷺の呼吸が止まった。忘れもしない。第44話、あの「紅い夜」に、自分の故郷を焼き、弟を殺した、王国秘密部隊の、あの鎧。
そして、男の腰に差された一振りの太刀。それは、もはやただの武器ではなかった。周囲の瘴気を際限なく吸い込み、刀身そのものが禍々(まがまが)しいオーラを放つ、「妖刀」と化していた。
その男の姿を認めた瞬間、玄の全身が、硬直した。
彼の顔から、いつもの酔っ払いのような笑顔、だらしなさ、軽薄さ、その全てが、まるで仮面が剥がれ落ちるように抜け落ちた。
代わりに浮かび上がったのは、血の気を失った蒼白な顔色と、純粋な恐怖。そして、その恐怖を、マグマのように焼き尽くしながら噴き出してくる、激しい、激しい憎悪だった。
朱鷺もまた、その男の顔(兜は脱いでいる)に、見覚えがあった。脳裏に、あの夜の、弟の最期の姿が焼き付く。
「(あの時の、リオを殺した男!)」
男――影山(カゲヤマ)は、殺意を放つ朱鷺には目もくれなかった。彼は、まるでこの世で最も興味深い玩具を見つけたかのように、凍りついた玄だけを、じっと、じっと見つめていた。
やがて、その唇が歪み、心底楽しそうに、そして、軽蔑(けいべつ)しきった笑みを浮かべた。
「――見つけたぞ、玄一郎(げんいちろう)」
その声が響いた瞬間、玄の喉(のど)から、声にならない呻(うめ)きが漏(も)れた。
「ああ」
「あああああああああっ!」
次の瞬間、玄は理性を失っていた。
「死ね! 死ねぇぇぇ! 影山(カゲヤマ)ァァァッ!」
朱鷺や宗一郎の制止を振り切って、憎しみの塊となった玄が、カゲヤマに斬りかかる。
対するカゲヤマは、その狂乱の剣を、妖刀の「鞘(さや)」で、まるで子供の遊びに付き合うかのように、こともなげに受け止めた。
キィン、という甲高い金属音。
「相変わらず、激情に任せただけの、芸のない剣だ」
その刃が交錯(こうさく)した瞬間。
玄の脳裏に、彼が十五年間、酒と冗談で必死に蓋をし、最も忘れたかった、あの「紅い夜」の地獄が、鮮烈にフラッシュバックした。
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